エクセルシア Season 12

大震災 原発災害 東北を忘れない

要談「釜石市・大船渡市」

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TETTOにて、『復興カメラ』 開催中!

本日から4月1日(日)まで、TETTO(釜石市民ホール)のギャラリーにおいて、釜石と大槌の復興の過程を撮影した写真の数々を展示する「復興カメラ」を開催しています。

未だ復興の途上ですが、これまでの軌跡を振り返るとともに、未来に向けてこれからの復興を考える良い機会ですので、市内・町内の皆様のみならず、県内各地や県外の皆様も、この機会に釜石・大槌に足をお運び頂き、ぜひご来場ください。

以下、「復興カメラ」の詳細です。

TETTOプレオープンイベントVol.12 東日本大震災 復興の記録 写真展
岩手 釜石・大槌
「復興カメラ」

平成30年3月13日(火)〜4月1日(日)

写真 特定非営利活動法人@リアスNPOサポートセンター
時間 9:00〜21:00 入場無料
場所 釜石市民ホールTETTO ギャラリー

主催 釜石市民ホール
共催 岩手県沿岸広域振興局

問合せ:釜石市民ホールTETTO [指定管理者] 釜石まちづくり株式会社
    〒026-0024 岩手県釜石市大町1-1-9
    TEL 0193-22-2266 https://tetto-kamaishi.jp/
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Tendenko: Surviving the Tsunami

「てんでんこ」の訓練が行き届いていたから、子どもたちは助かったという、とても、あらっぽい話が流布していますが。

現実は、そんな単純なものじゃない。

震災一年後に、釜石の子ども支援の協議会に参加したら、そんなこと誰も言わないし、言える雰囲気でもなかった。

子どもたちが、日ごろの訓練の成果で、みんな学校から「てんでんこ」で避難した!すごーい、「釜石の奇跡」だ!という風潮に、
あらがったのは、釜石市の山崎長栄市議でした

「たまたま下校前だったから」「高齢の人を見捨てることにならないのか」とことばが1人歩きしている危険性を指摘された。

rebelius socialwriter and activist

唐丹の本郷は、田老と並び、津波の被害甚大なところとして知られていました
(明治三陸大津波、昭和三陸大津波)

 「明治29年(注;1896年)津浪(注;波高14.5m)に際しては出漁者數十名を除く外僅かに4人生き殘れりと云ふ」
内務大臣官房都市計画課『三陸津浪に因る被害町村の復興計画報告』1934年

そして、高台移転を決めました。

 「1896年山沢鶴松の指導があって海岸から600mほど離れた山腹に、同氏を含めて5戸移ったが、勿論他の要因も加わっているが、海岸から遠ざかりすぎて不便に堪えられず、漸次原地に復帰してしまった」
山口弥一郎「津波常習地三陸海岸地域の集落移動」

そして昭和三陸大津波(1933年<昭和8年>3月3日)
「谷奥の1戸を残して、全村101戸が全滅し死者117名、行衛(ママ)不明208名計325名を算するに至った」
山口弥一郎『津浪と村』

なぜ、また海辺に戻るのか?という疑問がわくかもしれません。

もちろん、何十年に一度の津波を不安に思い、遠い高台に移動するよりも、常にそこにある世界三大漁場の「海の恵」とともに暮らす日常生活に、私たちは思いを馳せねばならないですし、
次のようなことも、実際にあったということを覚えておかねばなりません。

例えば、本郷の西隣の小石浜も、唐丹湾に接する津波常襲地でした。

明治三陸大津波で激甚な被害を受け、高台に移転したのですが、1913年(大正2年)4月1日、山火事にあい、高台に移転した280戸のうち、10戸を残して、焼き尽くされました。

海岸近くにあったときは、水の便がよく、火事はあまり心配ない地域でしたが、高台に移転して、水が不便になったわけです(もちろん、火事の時だけではなく、日常生活も)。 

常に、離れた無関係な場所で、ああだ、こうだ、と決めつけた意見を持ったら、あかんと思うわけです。

高台移転が全部あかんとか、高台移転で全面的にOKとかではなくて、メリット、デメリットのかなり詳細なところまで、想像できることが大事だと思うわけです。

現地には、現地の細かい事情、状況があると思うわけです。

そのためには、震災だけではなく、「現場」からものが見れるぐらい、行かんとあかんと思うわけです。

rebelius socialwriter and activist





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銘菓「かもめの玉子」は、大震災発生後に現地で知ったお菓子の一つですが
今も気仙地方に行くと、友人へのお土産に必ず買いますし
季節限定の味が発売されると、買っていただいています。
今も大阪のアンテナショップや取り寄せで購入している
お気に入りです。
大阪の友人で初めての人に
早く食べないと孵化するよ、というと6割くらいの人が
一瞬本気にします、、、(笑)

そんな、かもめの玉子を製造する「さいとう製菓」さんの総本店が
本日6年8カ月ぶりに再開とのニュース。

かもめの玉子を知ったのは
2011年、2度目の大槌町に行った時
2日目が雨で遠野市の避難所に行き
そしてまた大槌から陸前高田に向い
途中、大船渡の市街地に入った時でした。
大きな看板があり、最新 アヒルと見間違った
かもめのキャラクターの絵を覚えていますが
そこが、さいとう製菓という菓子メーカーで
社長さんが津波の映像を撮影して動画サイトにアップされていると
車の同乗者さんが教えてくれました。
その動画を何度も観ていて、観る度に泣けて仕方なく
とても印象に残っていたのですぐにピンときました。
あの映像から聞こえる、男性の泣き叫ぶ声が
この菓子メーカーの社長さんだったと。

「あー  あーっ!」

「止めてくれー!」

「何が防波堤だ! 何が防潮堤だよ!」

中高年と思しき男性が
どうすることもできず
泣き叫び 枯れるような声を振り絞っていた
その方が、、、と知った時の何とも言えない驚きは
忘れられません。

東北では、がんづき ごんぼたれ ままどおる  などなど
沢山の美味しいスイーツをいただきましたが
かもめの玉子は、災害と直接結びついて知ったお菓子なので
大阪の人たちに食べてもらうたびに
大船渡のお話しをさせていただいています。


転載元 NHKニュース 様

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あんこを白いチョコレートでコーティングした菓子、「かもめの玉子」で知られる、岩手県大船渡市の菓子メーカーが、東日本大震災の津波で失った総本店を再建し、15日、6年8か月ぶりにオープンしました。

大船渡市にある菓子メーカー「さいとう製菓」は、あんこをカステラ生地で包み白いチョコレートでコーティングした、「かもめの玉子」で知られていますが、東日本大震災の津波で事務所や店舗など7つの施設が流されました。
その後、順次、各地に店を再建してきましたが、中心市街地に事業の拠点となる総本店を6年8か月ぶりに再建し、15日オープンしました。

式典で齊藤俊満社長は「多くの支援や励ましを受け再建にこぎ着けました。復興道半ばの大船渡市ににぎわいを生み出したい」とあいさつしました。

オープンした店は1300平方メートルほどの広さで、製造ラインが見学できます。

また、菓子のデコレーションが体験できるコーナーも設けられ、早速親子連れがオリジナルの菓子づくりを楽しんでいました。

訪れた人は「津波で流されて大変な苦労があったと思う。新たにスタートした姿はとてもうれしい」と話していました。

齊藤社長は「多くのお客様の姿を見て涙がこみ上げました。観光の拠点としても市内外の人に楽しんでもらって笑顔になってほしい」と話していました。


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本州一のサンマ水揚げ量を誇る大船渡市さんのさんまポスター。
その秀逸さに思わず見入っちゃいました^^

そして「さんまと言えば大船渡」のまちづくりの取組みを推進するため、地域おこし協力隊員を募集中だそうです〜
興味ある方はどうぞ♪
http://www.city.ofunato.iwate.jp/www/contents/1476860564038/index.html



めっちゃ ええやん このポスター
本物のさんまさんにも一役かってもらえたら もっとええやんかいさ

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