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二年ぶりの女川、新しい女川駅舎、駅前商業エリアを初めて訪ねました。
2年前の旧中心街は、まだ横倒しの共済会館などがあり、その他は更地のままでしたが
賑わいがもどっていました。
商業エリアでは、イベントも行われていましたが、そこに立って海が見えることに
新鮮な驚きを感じました。
是非とも、海が見える状態を残していただきたいと、僭越ながら思います。
そして、うわさのダンボルギーニも展示されています。
女川ではちょっとしたエピソードも。
ブロ友さんと3人でいると、若い女性から「すみません、地元の方ですか?」と
お話を聞けば、東京の大学に在学中の学生さんで、ジャーナリズムを専攻していて
被災地の今と復興計画について、調べていると。
その方は、中国・西安ご出身の方で
自分で地図や情報を集めて、1人で公共交通機関を使って、女川や陸前高田を取材されていました。
鉄道の情報は震災前のものであったり、経済的に余裕があるわけでもないので、移動がままならない
とのことでしたが、大震災に心痛め、どうしても見て、聴いて、伝えたいという心情を語る様子に
ブロ友さんは、感謝などの様々な感情がこみあげて、涙を流しておられました。
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要談「女川町」
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女川町の港に、2012年にすでに完成していた、多機能水産冷蔵施設マスカー
カタールのフレンド基金により建設され、3000人を超える地元雇用も生みだしました。
国の補助金などにたよると、手続きに長い時間がかかるために、ここまで早い建設は不可能だったでしょう。
この建物の特徴は、一階の壁がALC 軽量気泡コンクリートでできており、津波が襲来すると、壁が流されて、柱だけが残るようにあえて設計されているため、建物をまもり、二階以上に避難した人たちを守るとされています。
お金持ちの国だから・・・ではなく、お金の拠出だけではなく、建物の設計一つからもカタールの本気度が伺えます。
そのほかには、唐桑や唐丹の産業支援などもそうですが、支援の中身が違います。
先日、久慈の石油備蓄基地を訪ねた時に知ったのは、クウェートなど石油産油国が、石油基地として東北と深い関わりがあることを知りました。
そういう意味から、三鉄なども含め、アラブ諸国からの心のこもった支援がなされていました。
マスカーは、カタールで伝わる漁法の一つの名前とのことです。
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私たちのように、県外から支援観光で訪れたいものにとっても
鉄道で女川駅まで移動できるのはありがたいですが
仙台とつながると、病院やその他、さまざまな面で改善されることもあると伺いました。
雄勝や南三陸、気仙沼、陸前高田と以前のように鉄道で行けるようになればな・・・
でも断念しましたね。
出典 石巻日日新聞様
女川町をはじめ石巻線沿線住民の長年の悲願が実現する。仙台―石巻間を往復しているJR仙石東北ラインの一部列車が今夏、女川駅まで延長運転されることが決まった。JR東日本仙台支社が5日に発表した。復興まちづくりに励む沿線地域の利便性向上、定住・交流人口増加などに期待が寄せられている。 |
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当ブログでも二度紹介させていただいた、1945・昭和20年8月9日の女川湾海戦から70年。
先日、女川で慰霊式が行われたとのこと。
そこにはカナダ大使も列席したと。
女川には大日本帝国海軍の戦艦が駐留しており、それを撃沈するため米英とカナダの艦載機からの攻撃を受け、それは翌日の朝まで続きました。
150人以上もの人が亡くなったともいわれます。
この時に攻撃を指揮したのが、ロバート・ハンプトン・グレー大尉という人で、グレー大尉が搭乗した爆撃機は被弾して墜落、大尉は亡くなり、最後のカナダ人戦死者となりました。
女川の丘に建つ碑は、グレー大尉を慰霊するもので、大尉はカナダ・ネルソン市の出身だったようです。
グレー大尉は女川攻撃を指揮し、女川の人々の命を奪った「敵」でしたが、女川の人々は大尉のために記念碑を建立(カナダ海軍パイロット、グレー大尉のビクトリア勲章・特別功労章受章記念碑)
その碑文には「昨日の敵は 今日の友となり 女川の人々は多大の好意をもってこの記念碑の建立を援助した」
「この碑が、この戦闘の戦没者全員の霊を慰め、平和と我ら両国の友情の変わらぬ徴し(しるし)とならんことを」
とあります。
第2次世界大戦の末期、女川湾海戦で戦死したカナダ海軍のロバート・ハンプトン・グレー大尉の追悼式が25日、女川町地域医療センター敷地内に建つ記念碑の前で行われた。駐日カナダ国防軍武官や駐日カナダ大使をはじめ、町内の関係者らが参列し、哀悼の意を捧げた。 |
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今日、8月9日は何の日?との質問に、若い世代に限らず、広い世代で答えられない人が増えているという現実があるようです。
太平洋戦争末期、1945年8月9日
長崎にアメリカ軍によって原爆による核攻撃がされた同じ日の早朝から、翌日にかけて
宮城県女川では、(アメリカ・イギリス・カナダ多国籍)連合軍による攻撃を受けました。
女川は大日本帝国海軍の要港として、女川防備隊、戦艦が停留しており、それを撃沈するために
米英加の艦載機からの猛烈な攻撃を受け、戦闘の末、標的にされた戦艦が撃沈、157名が戦死しました。
この攻撃を指揮したカナダ軍大尉ロバート・ハンプトン・グレー氏は、自らも爆撃機で出撃
大尉が搭乗した爆撃機は被弾し墜落。大尉も戦死、大戦におけるカナダ人最後の戦死者となりました。
一週間後、日本は敗戦、戦後女川には戦没者を慰霊する碑が建立されましたが
女川の碕山展望公園には、このグレー大尉を慰霊する碑が建っています。
これは、カナダによって建立されたものではなく、女川の人たちによって設置されました。
その碑文は女川町のホームページにも掲載されています。
憎むべきは敵ではなく、戦争
戦争の犠牲に敵味方もない
人間として命を最大に尊ぶ
そういう思いから女川の人たちは、グレー大尉の慰霊碑を建てたのかもしれません。
グレー大尉はカナダ・ネルソン市の出身で、女川とネルソン市は長い交流を続けてきました。
そして東日本大震災発生後、ネルソン市は女川への支援を続けています。
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