エクセルシア Season 12

大震災 原発災害 東北を忘れない

要談「大川小学校」

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全6ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6]

[ 次のページ ]

イメージ 1

このイメージ図を作成するために、何度も会議を行っています。
だから、思い付きではありません。
もちろん、大川小だけが伝承施設ではありませんが、
どのような基準でここに大川小がないのか、
報道の皆様はぜひ取材してほしいものです。
市が保存を決定した震災遺構です。

見えていないはずがありません。
これではおかしいと思っている委員もいるはずです。
もしかしたら震災伝承ネットワーク協議会の「イメージしたもの」は
「震災伝承」ではないのかもしれません。

伝承についても、検証についても、

明らかに分かっているのに目を背ける

似たような図式が、世の中のあちこちにあります。

あの日の校庭のようにも思えます。

今後何らかのかたちで、大川小がここに加わることになったとしても
最初に示されたこの「イメージ」を、忘れずにいようと思います。

・・・・・・・・・・
石巻市の防災センターにも展示はありません。
2018年7月の勉強会より

転載元 小さな命を考える会様 ブログ

先日、NHK 証言記録 あの日わたしは に2度目の出演をされた佐藤敏郎さん
その中で、「今も(大川小学校の)校舎があることで、子どもたちが楽しい日常を過ごしていたことを
よりリアルに伝えることができる」と仰ると。
年間10万人の人が訪れる大川小学校が、伝承から外れているのは
普通に違和感でしかないです。

佐藤さんは訪れた神戸の若い教員の研修者に こう伝えていました。

「今 ここは特別な場所になってしまいました。『あの大川小学校』と言われます。
でも特別な場所でも何でもなくて、普通に子どもたちが笑って泣いて学び遊んでいた場所です。
特別じゃない時に特別じゃない場所に災害がやってきます。
西日本豪雨だって大阪の地震だって、阪神大震災だって関東大震災だって
被災地と呼ばれる前までは、特別な日じゃない、特別ななじゃない場所だったわけで
そこに(災害が)来るんです」


山口市議、共産党の水澤さん、ニュー石巻の阿部さん、
みな一つ一つ重みある市民の意見を反映して。
それぞれに。ご苦労様ですといいたい。石巻市議会

共産党どうこう関係なく 共産党の水澤議員「ブラックと言われる教員にこんな高度な要求されても困る」と言ってくれた。その賛否はさておき言ってくれただけでも有難い。だって自分から見たらその通りだもの

3:40: 00 から
議長の説明のあと
ニュー石巻の阿部議員の学校防災の質問から


大川小学校訴訟控訴決断の経緯について
亀山市長の答弁は
4:10:20頃から



イメージ 1


出典  河北新報オンライン様

 東日本大震災の津波で死亡・行方不明になった石巻市大川小の児童23人の19遺族が市と宮城県に約23億円の損害賠償を求めた訴訟の控訴審で、学校幹部と市教委の組織的な過失を認めた仙台高裁判決を不服とし、市が上告する方針を固めたことが7日、分かった。亀山紘市長は上告関連の議案を市議会に諮るため、丹野清議長に臨時会の招集を伝える。県も同調する見通し。上告期限は10日。

 4月26日に言い渡された控訴審判決が津波予見性に関するこれまでの最高裁や高裁の判断枠組みを超えているなどとして、最高裁の判断を仰ぐとみられる。
 亀山市長ら市幹部は4月28〜30日、市議会の全会派に判決内容を説明。亀山市長は今月1日の報道各社の取材に「上告するかしないか、どちらもリスクがある。そのリスクをどのように最小限にするか検討中だ」と述べ、大型連休中に検討する考えを示していた。
 控訴審判決は、大川小の一部学区が津波浸水予想区域を含み、校舎が北上川堤防に近接することから「津波を予見することは可能だった」と認定。
 同校の危機管理マニュアルの不備を厳しく指摘するとともに、市教委は同校のマニュアル内容の確認、指導を怠ったとして組織的な過失があったと判断。市・県側に計約14億3610万円の賠償を命じた。
 同校では児童74人と教職員10人が津波で死亡・行方不明になった。2016年10月の地裁判決は市・県に計約14億2660万円の賠償を命じ、遺族と市・県の双方が控訴した。




今年度で閉校が決まっていた 現「石巻市立」大川小学校の閉校式が明日行われるとのこと。
二俣小学校と統合されこの4月から二俣小学校となります。

釜谷小学校として明治6年 1873年に設立され
145年の歴史に幕をおろします。
1985年に完成した校舎は保存の方向で決まっています。



写真 一枚目 二枚目は 大川小学校校舎に掲げられ展示されていた
大震災発生前の同校校舎と
津波が襲来直後 2011年3月11日17時頃に撮影された写真。

三枚目は 校舎すぐ裏の山の中腹より
2016年11月撮影

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3


止まった刻  検証 大川小事故  第1部  葛藤(1)裏山へ避難 食い違う証言

転載元 河北新報オンライン様





大川小事故「助けられなくてごめん」星空の静寂に命思う

転載元 河北新報 オンライン様
宮城県石巻市の今野浩行さん(55)、ひとみさん(47)夫妻は今年も大川小で年を越した。「助けられなくてごめん」。祭壇に静かに手を合わせ、語り掛ける。
 東日本大震災の津波で6年だった長男大輔君=当時(12)=を失った。自宅で大輔君の帰りを待っていた父浩さん=同(77)=、母かつ子さん=同(70)=、長女麻里さん=同(18)=、次女理加さん=同(16)=も帰らぬ人となった。
 「葬式を出したら『自殺すっぺ』と思っていた」(浩行さん)。大川小津波訴訟の原告団長を任され、真実を明らかにしたい一心で踏みとどまった。2016年10月に勝訴したが、被告の石巻市と宮城県が控訴。仙台高裁判決が今春にも出る。
 あの日も満天の星が夜空を照らしていた。震災後、今野さん夫妻にとって、元朝参りの習慣は大川小詣でに取って代わった。


<大川小>宮城県石巻市釜谷地区に立つ大川小は、太平洋の追波湾に注ぐ東北最長の北上川(延長249キロ)の下流域にあり、河口から約3.7キロ離れている。
 北上川は東北で最も勾配が緩く、河口から上流約80キロまでの高低差は十数メートルしかない。津波は上流約49キロまで遡上(そじょう)しており、専門家は「津波が上りやすい川」と指摘する。
 震災当時、釜谷地区には141世帯あった。山あいにある入釜谷地区を除く釜谷地区の全114世帯が津波で流失し、小学校周辺は壊滅的な被害を受けた。
 大川小は、1873(明治6)年に開校した釜谷小が前身。1901年、大川尋常高等小が現在地の釜谷山根に整備され、名称を変えながら現在に至る。震災後、二俣小敷地内に仮設校舎を建てたが、今春、二俣小と統合し、145年の歴史に幕を下ろす。


イメージ 1

全6ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6]

[ 次のページ ]


.
検索 検索
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

過去の記事一覧

春光
春光
男性 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について

ブログバナー

スマートフォンで見る

モバイル版Yahoo!ブログにアクセス!

スマートフォン版Yahoo!ブログにアクセス!

よしもとブログランキング

もっと見る

プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事