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発災から2年が過ぎて、やっと来ることができました。
当初の予定では無理と言われてましたが、無理を聞いていただけました。
今まで写真で見てきたのと違い、周辺は整備されていましたが
大型トラックが常に行き交い、強い風にあおられて土ぼこりが舞ってました。
必要な工事がなされているとは思いますが、もう少し静かな環境にしてあげてほしいと思いました。
ここで写真を撮ることに抵抗がありましたが、私の周りには「大川小学校」と言っても
名前すら知らない人が、未だに大勢いるので、その人たちに伝えるために撮らせていただきました。
車から降りて、真っ先に祭壇に向かいましたが、なぜか近寄りがたい空気を感じました。
決して悪い意味ではなく、ここであったことを今まで学んできて、その事態の重大さが一気に心に押し寄せてきました。
前日に大川小に行けそうだと分かり、小銭を使わないようにして、わずかばかりですがお皿に置かせていただき
たまたま後ろにいた人が、何のお金か聞いてきたので、説明をさせていただくと、顔を真っ赤にしながら
「私も協力させていただきます」とお金を置かれ、次の方にさらに説明されていました。
今も行方が分からない4人の生徒さんが、1日も早く家族の元に戻ることを祈るばかりです。
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要談「大川小学校」
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今日は、大川小学校、日和山公園、門脇、奥松島、東松島を案内していただきました。 仙台に向かってます。 出会い、繋がりによって 大変充実した、貴重な時間、一生忘れない宮城訪問をさせていただきました。 お伝えしたいことは、沢山ありますが、今はいっぱいいっぱいです。 でも、皆さん伝えてください と仰るので、随時更新していきます。 リコメ遅れてすみません。 |
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2011年3月11日から505日目
大川小学校ではまだ児童4名が不明
また東北4県、関東2県合わせて2900余名の方が
今も行方不明であることも、知っておきたいと思います。
石巻市の大川小教諭の遺体発見 教職員で唯一不明東日本大震災で多くの児童・教師が犠牲になった宮城県石巻市の大川小学校で、教職員で唯一行方不明になっていた男性教諭の遺体が同市内で見つかっていたことが26日、関係者への取材で分かった。7月にDNA鑑定で身元が確認された。 大川小学校の検証についての石巻市のあり方について、
ご遺族をはじめとして、 耐えて耐えてきた怒りが、爆発しそう。 事故直後の、ただ一人、現場で生き残った教諭への聴き取り資料が、 やっと一ヶ月前に出てきた。 しかも、ジャーナリストたちと、ご遺族の調査の結果として。 石巻市側からでてきたのではありません。 そこには、教育委員会の発表(新北上大橋へ移動途中に津波に巻き込まれた)とは、 違い、ずっと校庭で待たされて、校庭で津波に飲み込まれた、 という聴き取りメモが残されていた。 ご遺族は、石巻市、市教委に対立しているのではありません。 一緒に、どのように子どもたちは亡くなったのかの真実を、 つき止めたいというのです。 この投げかけられたボールを、 今のところ市側は、「第三者委員会予算2000万円をコンサルタント会社に丸投げ」という形でしか返していない。 メンツとか、体面とか、もうええやん。 |


