エクセルシア Season 12

大震災 原発災害 東北を忘れない

要談「国内被災地」

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 最大震度7を記録し、死者68人、重軽傷者4805人を出した2004年の新潟県中越地震から13年を迎えた23日、道路が寸断され、全村避難を余儀なくされた旧山古志村(現長岡市)で住民らが参加し追悼式が行われた。

 
 式典には米山隆一知事や、22日の衆院選で同市を含む新潟5区から初当選した前知事の泉田裕彦氏ら約500人が出席。地震が発生した午後5時56分に合わせて黙とうをささげ、犠牲者の冥福を祈った。

 今年8月、地震発生時に村長を務めていた長島忠美元復興副大臣が急死。式典では献花台が設けられ、訪れた住民が別れを惜しんだ。長島氏の地盤を引き継いだ泉田氏は「長島先生の温かい政治を継承したい」とあいさつした。 


1993年7月12日に発生した、北海道南西沖地震、奥尻島の津波から24年となります。
個人的に、「津波」というものを意識したのが、「奥尻島」でした。
それまでも、日本海中部地震などで津波のニュースを覚えていますが
まだ子どもだったこともあり、まったく関心が向かないままでした。
奥尻島は、リアリティは無いものの、津波による被害というのを、最初にリアルタイムで見たので
未だに強い印象が残っていますが、阪神・淡路大震災発生前でもあり
やはり、遠い場所の出来事として、消化していました。

それから10年後、インドネシア・スマトラ島沖地震・津波の映像で
町の中を津波が勢いと高さを増して、どんどんと押し寄せていく様子を見て
これが津波かと、その威力の凄まじさを脳裏に焼きつけられました。
2011年3月11日の地震発生のあとに、スマトラの映像が頭にあり
またその直前に、たまたまテレビで観た津波の実験映像を念頭に
津波の威力をこのブログで発信したのを、今も覚えています。

しかし、東日本大震災の津波は、想像以上で、観ているしかないことに
やりきれなさを感じました。
その後から昨年まで、何度も現地を訪れ、人生観が一変しました。

自然災害はどこで、いつ起きてもおかしくない
というのが、最大の備えだという意識を、確認したいものです。


連日の豪雨災害の報道に、心が痛みます。

現在発生している九州北部の災害でも
その地域、ひいては社会が抱える深刻な問題が
様々な形で、被害を大きくしている側面を感じます。

高齢社会、産業の後継者不足、インフラの老朽劣化など

こうしたことからも、どこで起きてもおかしくない災害ということを感じますが
当方地元では、ここは大丈夫、うちは大丈夫、自分は大丈夫、大阪は守られる
って会話、よく聞きます。
そこからすでに災害が起こっているということでしょう。

そして、避難所も指定するだけでなく
避難所の設備、備蓄などの見直しも、もうそろそろやってほしいものです。

この時期の、捜索、復旧、泥出し作業など、本当にキツイです。
特に、普段そういう作業などに従事していない人のボランティアは
体力的に負担が大きいと思います。




がんばらなくて よか、がんばらなくて よかよ。

泣いてよか、安心して泣いてよかよ。

がんばれなくて当然です。
今までがんばって、がんばって、がんばってきたんだから。

がんばれない人がいるのが、自然なことだからね。

「被災者」になったら、いっぱい手続きが増えて、いっぱい列に並んで
何度も役所に行って、知らない人からいっぱい声をかけられ
テレビや新聞や雑誌に撮られ、やったこともない日曜大工をさせられたり
そうして、がんばって、がんばって、前を向いて進んできて
それでも、がんばれ、前を向こう、顔をあげよう、笑顔を作ろうと
励まされ続けて
泣くことも忘れて、現実すら受け入れられず、ひたすらがんばって
節目がきたらメディアがこぞって来て
過ぎたら見向きもされず、そこにすら入らない人も沢山いて

「被災者」のために何かしている 私うれしい、私たのしい、わたし大好き
の県外から笑顔を要求され、追い立てられて、がんばってきたんだから
がんばれないなら、がんばらなくていい。
つらい、しんどい、苦しい、泣きたい、なにもする気がしなくなった
って吐けばいいですよ。

生きて、生活をして、人と関わるだけで
無声の「がんばれ圧」を感じる社会ですからね。

がんばれる人もいて、がんばらなくては生きていけないと思う人もいて
がんばれない人もいて

でも、がんばらなくていい、泣いたらいい って思っている人が
沢山そっと見守っています。

こういうことも、差し出がましいですが




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御嶽山噴火から2年経って出版された本。あの噴火の時に頂上火口付近にいた生存者の1人です。
彼女は山岳ガイド者で、山を案内することを仕事としています。しかしこの日は、ガイドの下見として単独登頂していました。
この本では、被災当時の体験とともに、同じ時間に被災した生存者の証言を聞きとりながら、噴火当時のことを再現しています。
筆者は、おそらくあの1時間を片時も忘れたことがない、いや忘れられなかったでしょう。時速300キロを超える礫が飛んできて、人がバタバタ倒れていく。声がしなくなったと思ったら生きていたのは自分だけだったとか。
その山のスペシャリストをもってしても、活火山を甘く見ていたといいます。同時に山の経験者として、針の糸を通すような偶然から、生き残るための選択肢を選ぶことができたのも、経験と勘がなせる技だったと思います。
なぜある人は死に、ある人は生き残ったのか?災害を経験した恐らく全ての人は、そのことを繰り返し、繰り返し、繰り返し、繰り返し考えてしまいます。
「ご先祖様のおかげだった」という言葉は、筆者をはじめ生存者にとっては全く意味がありません。なぜなら、ご先祖様のおかげなのであれば、どうして私はその時間に御嶽山の頂上にいたのか。答えが知りたい。そしてたまたま生き残った「私」の生き残った意味と、たまたま亡くなった犠牲者の人生の意味を知りたいのです。
特にその後者の意味を知るために、おそらく筆者は、自責の念に駆られながら、執拗なまでに、極力偶然という言葉を使わずに、論理的にどのような選択が正しかったのかを追及します。
つまり、この本のハイライトは、人が生き残るためにとった選択を、オブラートに包むことなく、描いていることです。
火山の噴火に直面していない人にとってみれば、一見すると、死者にむち打つ行為だと非難したくなるでしょう。でも、生存者にとっては全く逆。それが死者を単なる「犠牲者」としてではなく、「死から学ぶ」行為の対象として、生死の償いをしている。
なぜ筆者は自責の念に駆られるのか?たまたますれ違った人びとや怪我した人びとを、捨てていく以外に自分が生き延びる方法がなかったから。
そして筆者は講演の前に、あのときの恐怖を意図的に思い出すのだという。そして危険な目に遭わせないよう、山に登る人びとに意識づけ、生き残ってもらうこと。それが彼女のこれからの生きる意味なのかもしれない。
災害を生き延び、自責の念に駆られながら過ごしておられるすべての方々に「生きていてくれてありがとう」という言葉と共に、この本を贈り添えたい気持ちに駆られます。



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