エクセルシア Season 12

大震災 原発災害 東北を忘れない

要談「ローカル」

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農業はじめました


行ってきましたよ。

電車でちょうど1時間、奈良県某所
とにかく天候に恵まれ、気持ち良い気候の中、作業ができました。
右側が葛城山(かつらぎさん) 左は金剛山 といい、山の向こうは大阪で
小学校、中学校の遠足や登山でどちらの山にもきました。
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ここが畑です
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すでに耕されてましたが、平らにする地ならしをして
記念すべき農業デビューは、って大げさですが
たまねぎ 600苗
たまねぎの苗がこんな形だなんてしりませんでした。
そんなレベルです・・・
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なんとかなんとかっていうシート(笑)を広げて
風で飛ばないように、周囲に土を乗せるんですが
粘土質の土を掘ってあげる作業が、以外にきつかった・・・
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こういう楽しみは、はずせません
韓国海苔以外は、すべて畑で採れたもので作ってくださいました。
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人差し指でちょっと穴を開け、苗の根だけを植えていきます。
根腐り、自苗などなど、はじめて聞く言葉ばかり
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なんやかんや言いながら、わいわいと楽しい時間が過ぎ
600本の苗を植え終わりました。
収穫予定は来年の6月
雑草を抜きにまたきますが、水も肥料も与えることはなく、そのままです。
次は、じゃがいもです。
考えたら、順調にいけば、たまねぎが600個・・・
どうすっぺか(笑)
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みなさんのブログを拝見して
自然と共生し、鳥や虫や、空や土や木々、海産物や農産物で季節を感じる生活
をとてもうらやましく思うようになりました。
今まで、本当に乾いた世界で生きてきたことを実感し
農をやりたいとずうっと思っていて、やっと実現できました。
虫ちゃんたちも、きっと仲間だと思えるようになるでしょう(笑)
人や社会から、離れることはしないけど、こういう環境の中で
作物を育てることで、なにか大切なものを得られるような気がしています。
本当の農業って、こんなもんじゃないと思うんですが
これからです。
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話題の動画 宮崎県小林市移住促進PR 
勉強不足で小林市を知りませんでしたがセンス抜群、移住相談者も増えているとか。 
知らずに観ると、御フランス語にしか聞こえないゾン
※上手く再生できない時はこちらから




限界集落が、最先端。
香川県が、「うどん県」という、明確に、自県ではなく、他県へ向けた訳の分からない呼称を、自県につけたのとは、対照的に、
徳島県は、「vs.東京」というスローガンを掲げました。
無線LANとCATV網を張り巡らせた、「限界集落」神山町が、今、奇跡を呼び起こしています。
のんびり、河原で遊びながら、自宅として購入した古民家で昼寝をしながら、気が向いたときに、どこでも無線LANで、仕事ができる。
また、会議などが必要な時は、こういう村の設備が利用できるのです。徳島は、高速インターネット回線(CATV)普及率が9割。
全国平均が5割。
そのため、インターネットの接続速度は、東京の10倍。
日本で最も自死(自殺)率が低い地区があるのも徳島県
被災した東北の中でも岩手県に行くと、復興について、コンクリートの匂いのする話しを、それほど聞くことがありません。
漁港の復興について、様々な見解はあるとは思いますが、宮城県の選択と集中というやり方ではなく
団結と共同でやってきた岩手県の田老や重茂での漁港復活例
集落における医療や介護、高齢集落の取り組み
徳島県の自死率の最も低い村、島根、鳥取での限界集落でも、それぞれのスケールメリット拡大の動きが、日本の未来を変える動きへとなりつつあるように。
永田町ではなく、ここから、日本の未来を変えていくのかも。

2008年、岡山県の西粟倉村という集落は、2058年を目指す「100年の森構想」を開始。
被災集落に限らず、私たちが暮らす町、地域の未来のヒントが、あるかもしれません。


多文化共生のまち、枝川・塩浜。
ここに、在日を生きてきた一世、それから二世の方々の、
介護施設ができます。
マギーズ・ハウスといい、江東区が面白い。

多文化共生のための介護施設「故郷の家・東京」の着工記念式典が17日、東京都港区の韓国領事館で行われた。2016年秋のオープンを目指して工事を進める。式典には、鳩山由紀夫元首相や野中廣務元官房長官、韓国からは柳興洙(ユ・フンス)駐日大使など多くの著名人が参加した。
故郷の家の働きは、ある親子の二代にわたる努力の結果ともいえる。第二次世界大戦中、日本統治下の朝鮮・木浦(モッポ)でクリスチャンの韓国人男性と、同じくクリスチャンの日本人女性の夫婦が暮らしていた。夫は日本人から「乞食」と呼ばれさげすまれるも孤児院を経営。決して楽な生活ではなかった夫婦の間に生まれたのが、後にこの「故郷の家」を立ち上げることになる尹基(ユン・キ)氏だった。日本名を田内基(もとい)といい、彼の母こそ後に朝鮮戦争の混乱で行方不明になった夫尹到浩(ユン・チホ)氏を失うも、約3000人の孤児を守り育て、反日感情の強く残る当時の韓国と日本の架け橋となった田内千鶴子だ。
彼女がこの世を去った際、地元木浦の市民約3万人が参列。市民葬で彼女を弔い、日本人である彼女との別れを惜しんだ。彼らが運営した孤児院「木浦共生園」はその後、田内氏が引き継ぎ、現在は鄭愛羅(チョン・エラ)さんが園長になっている。田内氏は、千鶴子さんの誕生日で死亡した日でもある、10月31日を国連「世界孤児の日」に制定するために奔走しているが、同時に在日韓国人の高齢者のためにも活動している。
国連の調査によると、2050年までに世界の人口の18%が65歳以上の高齢者になるといわれている。在日韓国人は2013年の時点ですでに高齢者の割合が25%を超えている。このような現状を見て、在日韓国人高齢者のための「故郷の家」を1989年に大阪に開設。「梅干しとキムチのある老人ホーム」と呼ばれ、現在は大阪、堺、神戸、京都の4カ所で運営されている。
式典は、ウェスレアン・ホーリネス教団淀橋教会の峯野龍弘牧師の祈りで開始。その後の式典では、日韓の関係などに触れられ、さまざまな障壁があっても手を取り合って進めていくことにフォーカスが当てられた。田内氏も「一人では無理でも、みんなで行えばできる。日韓の間にも南北の間でもさまざまな問題があるが、この施設から始めたい」と、融和への努力を惜しまない姿勢を示した
韓国放送公社(KBS)理事長の李仁浩(イ・イノ)氏は、「人は人生の最期に懐かしいものを欲しがる。そのために働くのが故郷の家」と激励。経験値はあっても力の弱い高齢者の役割について、「長期的な視野に立って、対立をあおろうとする現代の世論を、知恵をもっていさめることではないか」とコメントした。
また、「愛」について言及したスピーチも目立った。鳩山元首相は「愛に国境は無い」とあいさつ。在日韓国老人ホームを作る会会長の阿部志郎氏は人生の時期に触れ、「聖書の『白髪を冠』とする価値観に立つなら、人生は子どもとして愛され、成長するにつれて愛し、老いて再び愛され、また引き続き愛す」と、高齢者に手を差し伸べるだけではなく、高齢者が社会に貢献し続けられるようにするのが理想と語った。
関東初の「故郷の家」として、江東区塩浜に建設される「故郷の家・東京」は、2016年秋のオープンの予定。


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