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全米が見守るなか、ローザ・パークスさんの像の除幕式が開かれました。
リンカーンやジェファソンなどと並んだローザ・パークスさんの像。 黒人女性ではじめての栄誉です。 あまりにも有名な「バス乗車ボイコット運動」から半世紀以上が経ち
アメリカ連邦議会議事堂に、実物大の像が設置されました。
以前、職場の学生アルバイトさんと、アメリカではバスに乗るのも、白人と有色人と席が分けられ、白人が優先されていた
と言うと、かなり驚かれたことがありました。
アメリカがそういう国だということが、信じられないというのです。
ローザ・パークス女史は、バスの車内で白人に席を譲るために「立て」と命令された時
彼女は席を立つことよりも、人間としての当たり前の権利を守るために、屈せず逮捕されることを選びました。
やがて、それを知ったアフリカ系アメリカ人は、バスに乗ることをやめて歩いて職場や学校や買い物に出かけました。
その命がけの戦いから、法律上の人種差別撤廃、公民権を獲得にいたり
アフリカ系の大統領誕生へと繋がります。
一方日本は、ヘイトスピーチが広がり、ヘイトクライムが我が物顔でデモをする国にしてしまいました。
自分に関係ないことに対する、見て見ぬふりや、それを知りたくないという無関心が
それを許していると思います。
日本で「英雄は?」と聞かれると、スポーツ選手や芸能人が上位にきます。
パークス女史は、人種差別に静かな抵抗を試みて、逮捕されました。 |
放談「文化・歴史」
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マータイ博士 日本へのメッセージ 博士が人々の、そして子どもたちの心に植えた
平和の苗が、年月を経るほどに大きく育つことでしょう。
ケニアをはじめ、東アフリカで広く歌われてる
ソウルソング 「マライカ」
"Malaika" (スワヒリ語)
ローマ字読みで発音してください
Malaika nakupenda malaika Nami nifanyeje ee Kijana mwenzio oo Nashindwa na mali sina ee Ningekuoa malaika Kidege nakuwaza kidege kidege nakuwaza kidege ningekuoa mama ningekuoa dada nashindwa mali sina wee ningekuoa malaika Pesa zasumbua roho yangu pesa zasumbua roho yangu ningekuoa aa dada ningekuoa aa mama nashindwa na mali sina wee ningekuoa malaika Malaika nakupenda malaika Malaika nakupenda malaika マライカ、君は僕の天使さ、愛してる。 マライカ、君は僕の天使さ、愛してる。 でも、僕にどうしろっていうんだい。 君の恋人の若い僕には、結婚するお金が ないんだよ。金のせいでみんなぶちこわしさ。 ああ、僕の天使よ、君と結婚できたら、 どんなにいいだろうね... キデゲ、君はぼくの小鳥さ、恋してる。 キデゲ、君はぼくの小鳥さ、恋してる。 ねぇ母さん、僕は結婚したかったのです。 ねぇ姉さん、僕は結婚したかったのです。 なのに、お金のせいでみんなぶちこわしです ああ、僕の天使よ、君と結婚できたら、 どんなにいいだろうね... 金、金、金が、僕のこころを苦しめる。 金、金、金が、僕のこころを苦しめる。 ねぇ母さん、僕は結婚したかったのです。 ねぇ姉さん、僕は結婚したかったのです。 なのにお金のせいでみんなぶちこわしです ああ、僕の天使よ、君と結婚できたら、 どんなにいいだろうね... マライカ、君は僕の天使さ、愛してる。 マライカ、君は僕の天使さ、愛してる。 |
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私の母は 昭和15年生まれで 女3人男3人の6人姉弟の末っ子で 長女とは20歳離れています
私が小学生の頃に よく空襲の話をしていまして 未だに耳に残ってますが 昨日 あらためて聞きました
昭和20年 4歳だったのに 祖母(母の母)から聞いた話と相まってものすごくリアルに記憶が残っているようでした
母の家は大阪の難波の高島屋付近で宮内省御用達のお箸問屋の末娘として生まれ なに不自由なく育っていたようですが
昭和20年の大阪大空襲で 一家が一時期バラバラになり すべてを失い 貧乏のどん底に180度変わりました
同年の3月 毎日米軍のB29が飛来していまして ある日の夜中に空襲警報と共に
地域の防災長のような事をしていた祖父が町中に大阪に爆弾が落ちるから防空壕へ逃げるように呼びまわりました
深夜の寝静まる時間帯に空襲が始まり そのうち高島屋を狙ってくるという噂が広がり
防空壕から出て 避難することにしました
その頃 母の家族は母ともう一人の姉を残し その他の兄弟や丁稚など従業員は全員疎開していて
家には祖父母と母と姉の4人でした もう一人の姉は女学院生でしたが 風船爆弾工場に動員されていました
しかしこの空襲の前に工場も爆撃を受け 避難する際に兵士から
「大和撫子たるもの 米兵に捕まったら これを飲め」と一人一人に青酸カリを配られたといいます
空襲の日 4人一緒に逃げると 全員一度にやられるので 二組に分かれ
また高島屋の前に集まろうと約束して 逃げました
当時は防火用の水槽が街のあちこちにあり 綿が沢山詰まった厚めの冬用の布団を 水槽に浸して
祖母は母をおぶって その上からその布団をかぶって 逃げます
焼夷弾で町中が焼けていて すぐに布団が乾いてしまうので 用水路などを見つけてはまた布団を浸して 被って逃げたと言います
女性が4歳の子供をおぶって水に浸した冬用の布団をかぶって走るということを 今思えば 想像を超える大変なことと思います
別の防空壕に逃げましたが 兵隊のような人がこんな所すぐにやられると言い
また逃げることになりましたが 高齢の人など転倒してしまうと 構うことなく むしろまたいで逃げていたのを見たとも
そして銀行の地下にまた避難しました 祖母が地下に煙がすうすうと入ってくるのを見つけ
ここは危険だから外に出た方がいいと言いましたが 皆は外の方が危ないと言って 祖母を引き留めようとしましたが
振り切って祖母は母をおぶって外へ出て 焼夷弾の雨の中を逃げました
焼夷弾のカラカラカラカラと鳴りがら落ちてくる音や 町中の家が燃え 炎がもうもうと燃える音も未だに耳朶に残っていると言います
3月に水にぬれた布団をかぶっても 街が炎の海なので 全く寒くなく むしろ暑かったそうです
後日の報道で地下に逃げた人は 煙にやられたり シャッターが開か無くなって 蒸し焼き状態になって
全員が亡くなったというのを 祖母が母に語っていたと言います
逃げ遅れて亡くなった人が沢山倒れている街の中を 走りぬき 母がおしっこをしたいと言っても
祖母はおぶったまま そのまま出させて 安全な所までたどり着いたと言います
陽が昇って 空襲が収まり 焼け野原になり 遠くから高島屋の建物が見えたと言います
それを目指して歩いていきました
やっと高島屋に着くと 母達が遅く着いたようで 祖父と姉は死んだのではないかと 半ば諦めかけていたと言います
乾パンを配りに来る人が来て 祖母がこの子(母)にあげて と言うと 配ってる人が母の手にわずかな乾パンを
渡そうとすると 横から母の手をはらって その乾パンを奪っていった大人もいました
家も焼かれ 祖母方の実家のある奈良へ向かいました かろうじて動いていた電車も 一駅か二駅で止まってしまい
線路に降りては歩き 電車が動いて乗っても すぐに止まってしまうので また歩く ということの連続で
奈良の道すがら ススで顔も服も真っ黒になった母達をみつけた 見ず知らずの人が
大阪で空襲をうけたんやなあ かわいそうに と言っておにぎりを差し入れてくれた人なども 大変よく覚えています
もっともっと比べ物にならない大変な体験をされた方や地獄から生還された方は何万とおられますが
4歳の女の子の脳裏に65年経っても 未だに記憶を残す この体験がどれほど凄まじい事だったのかと思います
戦後 母の家族の中で最初に仏法に巡り合ったのが その時祖父と逃げた姉(私の伯母)でした
その姉の折伏で母が入会しました 子供 孫へと信心が継がれているのも 母と姉の子供 孫で
そして 今 生きているのも 空襲を経験した 姉と母の二人になりました
昨日 私が母に空襲の話しを聞いた時に言ってましたが
先月 母は82歳の姉と会い たまたま空襲の話もし 兄弟で空襲で命の危機を経験した二人だけになった事や
仏法とのめぐり合わせや使命をつくづく感じたと 語ったそうです
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小説「終わらざる夏」
1945年8月18日 終戦後3日目に起こった戦争が題材
客観的で徹底した取材を基に
千島列島の先端 古守島(シュムシュ)で アメリカとの戦闘に備えていた2万を超える日本兵が駐留していた
島に終戦三日後にソ連軍が責めてきた その戦争を軸にして書かれた「小説」
着想から30年を経た先月発売された 浅田次郎氏の小説
氏は「10万人の戦死者がいたら 10万の命であるということに 思い至らない
10万の人生であることに 思い至らない これが戦争の怖さだと思う
ひとつひとつの命は ひとつひとつの人生であるということを 自分に言い聞かせながら書いた」と語っています
8月6日広島 9日長崎 から封切り 随時全国ロードショー
メールで送信していただいた画像です 被爆50年後の8月7日の視点で発行された新聞とのことです
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「8.15あの日から私は・・・」 |

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