エクセルシア Season 12

大震災 原発災害 東北を忘れない

放談「文化・歴史」

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【チャンピオンタイトルを剥奪されたムハンマド・アリ】
ムハンマド(ムハマド)・アリが亡くなりました。
世界のメディアは、どこもトップで、大きく扱っています。
社会活動家、ムハンマド・アリと。
ムハンマド・アリといえば、
やはり、ベトナム戦争に反対し、
オリンピックで獲得した金メダルを、川に投げ捨て、
そして、良心的懲役拒否、
そして、チャンピオンタイトル剥奪。
Martin Luther King, Jr.などとならぶ、
黒人の社会活動家です。
一度、タイトルを剥奪されたのですが、1974年10月30日、ザイール共和国(現在のコンゴ民主共和国)の首都キンシャサで、
WBA・WBC世界統一ヘビー級王座のジョージ・フォアマンとのタイトルマッチで、みごと復活して、
並ぶことなき、世界チャンピオンとなりました。
これは、「キンシャサの奇跡」と呼ばれたのですが、
ムハンマド・アリは、プレミアがついて、何百万円という、
リングそばの、観客席に、
特別なお客さんたちを招待していました。
それは、ストリートチルドレンです。
とくに、ポリオで、四肢がマヒした、二重苦、三重苦の
ストリートチルドレンでした。
そして、その子どもたちのなかに、
アリの姿を見て、また、そのタイトルマッチの一環として行われた、アメリカのソウル・ミュージックのコンサートを観て、
将来、ミュージシャンになろうと夢見た子どもたちがいました。
そして、彼らは、こうなったのです。

大阪市の人口は、大正時代末からしばらく、東京をぬいて日本一となり
「大大阪」と呼ばれた時期がありました。
産業革命で繁栄を誇ったイギリスの都市になぞらえて「東洋のマンチェスター」と呼ばれるほど。
当時のこと様子を伝える展示が、大阪歴史博物館にありますが
しかし、繁栄の裏には必ず影があります。

●繁栄の光に恵まれない底辺で今日の暮らしもままならない人々も多くいました。
昼間は「大大阪」内で働き、夜は「大大阪」を追い出されてスラムに。
大阪の西側に造船鉄工の日本最大のプラントができ
その労働を維持するために、大工場労働者を大正区(大阪市西部湾岸)に集められていきます。
どこから集められたか、朝鮮(当時)半島・済州島と琉球・沖縄からでした。
大正区小林町に朝鮮人街と沖縄人街が出来て行きます。
やがて、大阪市の東部内陸の東成(ひがしなり)や生野(いくの)の運河掘削のために
朝鮮半島から連れてこられた人たちと共に、東側に移住することになり
大正区に残った沖縄の人たちによって、日本最大の沖縄人街となります。
東成・生野区には日本最大の在日朝鮮韓国人の町ができていきます。
また、大大阪には必ず大量のゴミが出る、その処理に従事させられ、さらに亡くなった人を火葬したり
など、死者に関わる仕事、人が嫌がる仕事に従事させるために、一つの地域に人が集められてきます。
やがて日本最大のいわゆる被差別部落ができます。

大大阪を支える、建築を扱う人たちを「土方」と呼び
運輸を扱う人たちを「仲士(沖仲士)と呼び
それら肉体労働に従事する仲士と土方の人たちが集まる町が、釜ヶ崎に。
さらに、そのころ身分が低いと言われていた芸人たちが「てんのじ村」を形成していきます。
「天王寺」とは違い、ひらがなしか読めない我々は、いつか「天王寺」のようになっていく思いから
「てんのじ村」として山王町辺りにできていきます。

こうした大大阪周辺部に、大都市の様々な問題の仕事をさせられる人たちが集められてきて
スラムができてきますが、しかし昼間は大阪市内で働き、夜は追い出され、大阪の中で暮らせなくなってきた人たちが、現在の日本橋1〜4丁目に集まってくるようになり、大阪最大のスラム街がつくられ
こうして、釜ヶ崎が成立していきます。

テレビなどでは、大阪の反映に力を注いだ誰誰・・・と紹介され、ドラマになったりしますが
繁栄の裏には必ずこうした影があります。

●「貧しい人の救済はお上がやることと、みんなは言うけど、せやかて涙がとまれへん」
これは今は世界的に企業となった大阪生まれのある食品業店主の言葉。
この店主は福祉事業に乗り出します。
他にも立ち上がる人々が。
乳飲み子を背負い、幼子の手を引き路上に立つ貧しい母
その暮らしの有様を切々と記した、一巡査がいました。
その報告から今も続く、民生委員や児童委員制度ができていきました。

100年ほど前に、市民が自主的に地域の困窮者の自立を助けるセツルメント(隣保組織)が
欧米で始まりましたが、日本ですぐに確立したのは大阪でした。
「せやかて、涙がとまれへん」
この同苦の心は、本来大阪人に脈々を流れているはず。


●昨日、久しぶりに大阪市内でも身体に感じる地震がありましたが
その揺れ方が、ゆっくりした横揺れ、5年前の3月11日と同じ揺れ方でした。
あの時、大阪ではめまいがしたのかと勘違いした人も多かった
私はたまたま家にいて、やはり目まいかと勘違い。
船に乗っているように、横にゆっくりを長い時間揺れた
テレビでは地震の速報があり
これほど大きくゆっくり揺れるのは、外国かどこか遠くでとても大きな地震では、と科学的根拠もなく思ったのを覚えています。
それが宮城県沖と知り、発生から10分後に、ブログで津波への注意を呼び掛ける投稿をしていました。
その後のことは、言うまでもありませんが
当初は現地が受け入れられないから、ボランティアは控えるように呼びかけがありました。
毎日毎日大震災のニュースに接し、毎日大震災の情報を投稿し続けていても
当時、それまでの私には、東北は遠い未開の地のイメージ
「せやかて涙がとまれへん」、「じっと してられへん」
遠いとか、知らない地とか、自分が行ってもよいのか、とか、もうそういうことは何も無くなっていました。
多くの人が同じ気持ちだったことでしょう。
同苦し共感するという、他人事にしない気持ち、そこから義援金や支援の寄付、ボンランティアへと協働へ動きました。
同苦・共感から協働へ、今の政権が嫌がるのはこの市民の連帯。
自己責任として突き放し追い詰めるのが、今の政策であり社会の流れ
「せやかて涙がとまれへん」という理屈ではない人の心こそ、戦う武器なんでしょう。



愛・地球万博のプロデューサーも務めた、造園家の涌井雅之さんの大震災発生後のお話しをもとに
記事にしていました。




奈良時代の「大宝律令」
その時に日本を60の国に分けましたが
それは河川の流域で国を区切りました。
時とともに人口も増え、開発も進み江戸時代には300以上の藩ができました。
その藩の古地図をよく見ると、山や川 海 地形 地質など自然の個性でそれぞれの藩がなりたっています。
そこで、土地の産物から産業を興したり食文化が発達していき
自然を支配するのではなく、自然の容量にあった暮らしが築かれ、常に自然と対話してきた歴史を持ちます。
四季があり、美しい国土であるけれども、地震、台風、火山など自然災害にも悩まされる
いわば美人だけどちょっと気の強い奥さんの顔色をうかがいながら暮す亭主のように
征服しようとせずに往なしていくような暮し、自然や地域の共有、人間と土地の関係をうまく築き
農林水産物の流通、また数万年、数億年経て積み重ねてきた地質学に基づいたグラウンドデザインを描いたり
そうした発想の転換が求められていると考えます。
広域に物を流通させるだけでなく、その地域内で自己完結できる流通
今で言うと東北のそれぞれの地域にしか無い特産物を
全国の人々がうらやましく思って買うというシステムなども理想的な物の流れと思います。
外国人が北海道や京都などを好むのも、極端に言えば他の地域はどこに行っても同じように見える
官僚が作ってきたこの国土の風景だからとではないかと思います。
 
その上で、原発にも化石燃料にも頼らずにこの国土で供給可能なエネルギーでは、「地熱発電」と思います。
地熱発電は地下深く掘り下げ、マグマで温められた熱水と蒸気をくみ上げてタービンを回して発電するというもの
この技術は日本が最先端を行っています。日本のメーカーの技術で開発されたフィリピンやニュージーランドでは
地熱発電が総電力供給量の20%以上を占めるまでになっています。
世界ではアメリカがリードしていて3000メガワット、火山国で有名なアイスランドでは電力需要の3割が地熱発電
地熱発電が今後急速に世界の主流になりつつあるとの発表もあるくらいです。
日本でも以前から地熱発電が言われてきましたが、なぜ高い技術力がありながら
伸び悩むのか、そこにはさまざまな利権が絡んでいると共に
国立公園法や温泉旅館の経営者の人達の意向もあって、なかなか進められないというのが現状。
アメリカではエネルギー政策法により地熱発電も税制優遇措置の対象となり、米国西部の市場では化石燃料による電力価格と同程度になっています。
こうしたことから、地熱発電を優先する「特区」を設けていき
震災の復旧復興特区と共に地熱発電特区の創設など思いきった政策を考えてもらいたい。
利権・金にまみれた原発よりも、クリーンで安全な地熱発電
大規模な施設ばかりでなくとも、地域ごとにあれば済む程度の規模を沢山つくることもできるはず。


2011年3月に投稿していた、琉球大学の木村名誉教授の言葉です。

『地理的条件 海や海底の地質条件を考えて復興をすると、非常に良い安定した国になるのではないか、これまではこの事を考えてこなかった。
今回被害の大きいかった地域は平たん地で、農作物が良くとれた地域
そういう所はだいたい沖積平野と言いまして、1〜2万年前は海の下だった所だった
それが隆起して今柔らかい土だから作物が良く獲れる。しかし津波もそこまで来やすい。
そうしたら、産業を起こすにしても、もう少しどういうものがいいか、内容まで考えて復興ができれば
非常に良いものにできる』
 
また教授は東海 東南海 南海地震の同時発生は考えにくい ともしている
 
『東海地震はある意味で過ぎてしまったと言える
2004年の和歌山沖地震がM7.4ある意味巨大地震に近いもの
その時の(大陸プレート)ストレスが東海地震の割れ目の方に行かずに
沖合のプレート境界(銭洲海嶺断層)に抜けて行った
また2009年の駿河湾沖でM6.5の地震が起こって、それがストレス解消になった。
少なくとも50年先までは、東海地震は無いだろうと考えられるが
問題は中途半端にストレスが解消した残り分
放出しきらなかった (プレートの)ストレスの行方が
内陸へ押し寄せると地震か噴火の現象となって現れてくるので
海ばかりみているとダメだと考える』


【ちょうど、60年前の今日の夕刻です】
疲れたはてた1人の女性が、歴史を変えました。
彼女は、1日の仕事に疲れ、白人に席を譲れと言われたのに、
立ちませんでした。
彼女は、仕事に疲れていたのですが、別のことに疲れていたのです。
それは、「服従すること」に疲れていたのです。

The only tired I was,tired of giving in  ただ一つの事に疲れていました、それは服従することでした。


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