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閖上といえば、朝市を思い浮かべる方も多くなったと思いますが
3月になると、メディアがよく中継や取材に行く、あの場所にも行きました。
名取付近に暮らすブロ友さんから、海や町があった場所を見ながら
大震災以前の様子や風景をうかがい
早朝に石巻を出発したので、ここで腹ごしらえをしましたが
その中では、あの日のニュース映像が放映され続けていました。
閖上は、「閖上の記憶」といい、ここでの映像放映といい
他に地域に比べて、津波と向き合い、伝えることを地元の方々が取り組んでいることを
とても強く感じました。
当然、そっとしておいてほしいと思っておられる方も多いと思いますが
八戸から南へ、津波被災地を見てきて
閖上は他との違いをとても感じます。
閖上で3年前に伺った女性Tさんのお話は今も忘れられず、よく大阪の人にも話すことの一つですが
中学生の息子さんを亡くされ、今、語り部をされていますが
2012年のテレビのインタビューで「ピースサインで記念撮影されるのを見て、怒りと、悲しみと、悔しさで涙が出てしかたなかった」と語った女性
その翌年、発災からわずか2年後に「ピースサインをしても良いから来てほしい、私たちのことを忘れないほしい、忘れられることがつらい」と語っておられました。
自ら被災し、大切な家族を亡くし、その場所で語り、そして続けることが
傍から見ているほど容易ではないと察しています。
聞いてほしい、知ってほしい、忘れないでほしい
は、閖上だけでなく、どこに行っても伺う共通の言葉
ほんのわずかでしかなくとも、こうしたツールなどで、少しでも重荷を軽くできるなら
そういう思いで、これからも現地に行って、見て、聴いて、「撮影」もして、伝え続ける一助になれば
善意のターゲットにせずに、、、
そういうことを、閖上で話しました。
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要談「仙台・名取・多賀城」
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名取市 閖上という地名も2011年に知ることになりましたが
いつも、車で通るだけでしたが、今回は慰霊碑にも手を合わすことができ
初めて「閖上の記憶」に入らせていただき、じっくりお話を伺いました。
あの日、テレビのニュースで、田園が広がる平地に津波が押し寄せる様を
ヘリコプターからの生中継を見るという、本当につらい映像を黙って家で観ているしかなかった私たちでしたが、そこが、仙台の若林や宮城野、そして名取でした。
「閖上の記憶」も、多くの人に足を運んでほしいい場所の一つです。
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昨年、解体工事が始まりましたが、諸事情で工事が中断しているとのことで
手を合わせることを目的に、行かせていただきました。
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松島、塩釜、多賀城を経て、名取、仙台荒浜、亘理、山元を目指し、車を南へ走らせました。
しかし、今回は時間やドライバーさんの体力などもあり
荒浜、亘理、山元へは次回に宿題にということで、宮城野、若林、名取・ゆりあげへと向かいました。
この地域は、3月11日の当日に、次々とニュースがライブで飛び込んできた地域で
津波が内陸へと浸水していくさまを、私たちはテレビの前で観ているしかなかった。
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多賀城市 2011年3月11日のニュースで、初めて耳にした地名の一つ
多賀城ジャスコ(多賀ジャス)の屋上に避難された方が撮影された映像が
町中に浸水してきた津波、そして津波から逃げる方の姿を私たちに届けられたのも最初でした。
多賀城市では、民放のテレビクルーやアナウンサーなどが、地震と津波に遭い
避難しながら、市民を救助する映像も放送されましたが
それらの話しをしていると、ドライバーさんが、ちょうどこのあたりですと言ってくれたので
走行中の車中からですが、撮影させていただきました。
なにげない、日常の道路の風景ですが、ここも被災した場所でした。
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