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真っ暗な闇の中を歩み通す時
助けになるものは
橋でも翼でもなく
友の足音である
「ヴァルター・ベンヤミン」
友とは暗闇の中ですがりつく対象ではありません。
携帯電話で呼び出すと、飛んでくるだけの人ではありません。
もちろん、友はそういうこともしてくれます。
でも、それだけでは「都合の良い人」ではあっても友ではありません。
友も歩いているのです。
私のように歩いているのです。
その存在を想うだけで
その足音だけで
私は一人で歩けるのです。
姿が見えなくてもよいのです。
離れていてもよいのです。
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雅談
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無知とは知識の欠如ではなく とくにこの頃、本当に共感する言葉です。 自分の中にある物語に、未知のものを当てはめないこと。 |
「わかっていない」ことだけが認識の妨げになっているわけではない。 |
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とても共感しました
【仏教が言っているのは、今、ここにあらわれている因縁をあきらめましょう、つまり、あきらかに見ましょう、ということなんですね。 諸行無常ですからね。今あらわれているものは必ず変わっていきますし、それによって未来も変わっていきますから。 ここで仰っている「今をあきらめる」は現実逃避や努力回避の類ではなく、むしろ「受けいれる力」
だと感じます。
そして、妙な「前向き志向」で勝手に未来や過去を決めつけて、語ってしまう方がむしろ現実逃避。
成功哲学大好きな人が大好きな嗜好。
変な因果論、因縁論を説いて、現実の苦しい人に寄り添わず
自分は責任回避、他人に自己責任で追い詰めて
自分は、ええことしている、ええこと言うてる気分になっているという悪人がはびこっている世の中
何が最高の幸せかって、不幸のただなかにいる人に寄り添うことができる精神の力、ということでしょうね。
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「私が何十年間も闘ってきた相手は何か。それは、『忘れる』ということに対してなのです。」
アメリカのロサンゼルスに、ユダヤ人迫害の記録をとどめるセンターがある。 |

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