エクセルシア Season 12

大震災 原発災害 東北を忘れない

雅談

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友の足音



真っ暗な闇の中を歩み通す時

助けになるものは

橋でも翼でもなく

友の足音である

「ヴァルター・ベンヤミン」



友とは暗闇の中ですがりつく対象ではありません。
携帯電話で呼び出すと、飛んでくるだけの人ではありません。
もちろん、友はそういうこともしてくれます。
でも、それだけでは「都合の良い人」ではあっても友ではありません。

友も歩いているのです。
私のように歩いているのです。
その存在を想うだけで
その足音だけで
私は一人で歩けるのです。
姿が見えなくてもよいのです。
離れていてもよいのです。


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無知とは

無知とは知識の欠如ではなく
知識に飽和されているせいで
未知のものを受け容れることができなくなったことである

ーロラン・バルト

とくにこの頃、本当に共感する言葉です。

自分の中にある言葉をできるだけ使わないこと。

自分の中にある物語に、未知のものを当てはめないこと。

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「わかっていない」ことだけが認識の妨げになっているわけではない。

・ある種の「わかった状態」は、そこに人を安心させて留めてしまい、結果として認識の進展を妨害する危険性がある。


・「わかっていない」と思わないため、情報収集、探索、すでに持っている考えの検討をはじめることはない。

(KG大「情報環境論」中「アクターネットワーク理論」のppで見つけた文言)

とても共感しました

【仏教が言っているのは、今、ここにあらわれている因縁をあきらめましょう、つまり、あきらかに見ましょう、ということなんですね。
そして、あきらめるのは、あくまで今であって、未来ではない。未来をあきらめることはないんです。】・・・京都、法然院貫首・梶田真章さん。

諸行無常ですからね。今あらわれているものは必ず変わっていきますし、それによって未来も変わっていきますから。
しかし、逆に、今をあきらめないで、未来をあきらめてしまう方が多いんですよ。今の事実を受け止めないで、未来はああなるんじゃないか、こうなるんじゃないかと勝手に決めつけて、あきらかに見ているつもりでいる。本来、未来はあきらかに見ることなんかできないのに。
そうやって、今をあきらめて、未来をあきらめないということができるようになれば、結局、今の自分にとって良い因縁も、悪い因縁も、すべて諸行無常で、一瞬のうちに流れ去っていくことがわかってくるんですね。
自分のことすら自分でままならないということを、それぞれの人生の中で確かめていけば、うまくいったときは自分の努力のおかげ、うまくいかなかったときは他人のせいというのは、やっぱり、ちょっと違うでしょう、という話に落ち着いてくる。

ここで仰っている「今をあきらめる」は現実逃避や努力回避の類ではなく、むしろ「受けいれる力」
だと感じます。
そして、妙な「前向き志向」で勝手に未来や過去を決めつけて、語ってしまう方がむしろ現実逃避。
成功哲学大好きな人が大好きな嗜好。
変な因果論、因縁論を説いて、現実の苦しい人に寄り添わず
自分は責任回避、他人に自己責任で追い詰めて
自分は、ええことしている、ええこと言うてる気分になっているという悪人がはびこっている世の中
何が最高の幸せかって、不幸のただなかにいる人に寄り添うことができる精神の力、ということでしょうね。

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「私が何十年間も闘ってきた相手は何か。それは、『忘れる』ということに対してなのです。」


アメリカのロサンゼルスに、ユダヤ人迫害の記録をとどめるセンターがある。

サイモン・ウィーゼンタールセンターである。

このセンターの名前は、ナチスの強制収容所の生き残りである、サイモン・ウィーゼンタール博士の名前から取っている。

博士は、90歳をこえてもなお、オーストリアのウィーンで、ナチスの悪を追求する闘いを続けておられる。

悪人達からは『ナチハンター』と、恐れられてきた。

これまで、発見して法廷の裁きにかけたナチスの残党の数は1200人。

博士の闘いによって、ナチスを永遠に許さない、という国際世論は高まった。

逮捕されなかった人間も、恐れおののいて、枕を高くして眠ることは、永久にできなくなった。悪人がどこに隠れていようとも、草の根を分けてもの執念で、世界中の情報を集め、ありとあらゆる方法を考え出して、悪人を追いつめてきた。

しかも、博士は、いかなる公的機関の支援も受けていない。

民間人として、個人的な寄付に支えられて、活動を続けてきたのである。敵からたたかれ、妨害され、命を狙われ、悪評のデマを流されながら。博士は、世界各国から、栄誉や勲章、名誉博士号を受けたが、国内では批判にさらされてきた。

博士は言う。

「私が何十年間も闘ってきた相手は何か。それは、『忘れる』ということに対してなのです。」


戦後すぐの時期は、ナチスへの怒りに燃えていた人々も、時間とともに、「もういいじゃないか。」という雰囲気になってきた。

被害者であるユダヤの同朋にさえ、「もう嫌なことは忘れたい。」という空気があったという。

「もう時効にしよう。」という動きもあり、実際、時効が成立する寸前までいった。しかし、博士は叫んだ。


「道徳上の義務に時効はない。正義の実現に期限なんかない。」

博士等の運動によって、ドイツ・オーストリアは、殺人と、殺人幇助について時効を廃止した。徹底的に、悪は根絶やしにしなければ、将来また、悲劇は繰り返される。そんなことが許されようか。6百万人(一説には:六千万人)ものユダヤ人が殺された。

博士自身も、十数もの強制収容所を転々として、生き残ったのは、奇跡でしかなかった。だからこそ、生き残ったものの義務として、人々に、断じて忘れさせてはならない。と、闘い続けるのである。


 博士は、訴える。「忘れたいなんて、安直すぎる。」と。

[私達が死んだら、みんな天国へ行くだろう。

天国では、ホロコーストの犠牲者達と一緒になる。彼等は、私達に先ず聞くに違いない。

『君たちは、運がよかったね。生き延びたんだから。君たちの余生は贈り物だ。その贈り物を君たちはどうしたのかね。』

ある人は言うだろう。「私は、実業家だった。」

また、ある人は言うだろう。「弁護士をやっていた。」

次の人は言うだろう。「教師をしてました。」

私(サイモン・ウィーゼンタール博士)は、こう答えるだろう。『君たちのことを忘れなかったよ。』(『ナチ犯罪人を追う』下村良和訳・時事通信社)]


 今、日本も戦争の悲惨さを忘れさせよう、アジア侵略の歴史も忘れさせよう、という風潮が高くなっている。極めて危険な傾向である。

だから、私達が立ち上がる以外にない。博士の執念に対して、いつもこう言われた。「もういいじゃないか。そんなに神経を尖らせることはない。悪人とは言え、個人をそこまで追求するのは、やりすぎではないか。」非難ばかりであった。しかし、博士は、断固として追求をやめなかった。


「私は、個人的な復讐を求めているのではない。私は正義を求めているのだ。

悪事を犯した人間を、そのままのうのうとして、安楽に生きさせたとしたら、この世の正義はいったいどこにあるのか。

社会は、正義の土台が崩れてしまう。人間性への信頼を取り戻すためには、絶対に悪を放置してはならないのだ。」


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