エクセルシア Season 12

大震災 原発災害 東北を忘れない

雅談

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「人なのに、認知症になるとなぜか人として見られなくなってしまっている現実があるんです」

 人として見られるなくなる現実とは何か。

それは、認知症になった途端に、自分のことすら自分で決められないと思われてしまい、「善意」のもとに本人不在のまま様々なことが決められて、まるで赤ん坊のように思われてしまう、認知症をとりまく今の日本社会の現実のことを言っているのではないか。

 その現実に身をさらされて深く傷つき絶望しているのは、若年性であろうが老人性であろうが、あるいは初期であろうが後期であろうが変わらないだろう。
人は認知症になっても、人として尊敬されて最期まで希望をもって生き続ける権利があるのだ。

 私は、聞き書きを通して認知症の人のこれまでの生きてきた人生やその思いを共にすることが、その方を人として尊重することであり、それがその方の生きる希望に繋がると考えて活動してきた。

それは決して間違っていないと思うし、これからも続けていきたいと考えているが、それとともに大切にしなければならないと、改めて思ったことは、認知症の人たちの生きる今を、そしてこれからの人生を、どう尊重し、共に考えていくことができるのか、ということである。

 「私たち抜きに私たちのことを決めないで」とは、自分たちのことは自分たちに決めさせろ、といった自己決定権を主張しているのではないように思う。
そうではなくて、「善意」の下に当事者不在のまま進められてきた決定のプロセスに対するアンチテーゼであり、当事者の自分たちを中心にすえて、共にみんなで考えていってほしい、という切実な願いであり社会に対する必死の呼びかけなのではないかと思うのだ。

 私は、人が人として最期まで希望をもって生きるために、すまいるほーむで私たちは何ができるのか、何をなすべきなのか、改めて真剣に考え始めたのだった。

出典 六車由実『介護民俗学へようこそ! 「すまいるほーむ」の物語』



あるコラムから

主役は、5トントラックで6500台分の雪。それを見に来る人は、1週間で240万人。世界屈指の冬の祭典「さっぽろ雪まつり」が今年も開幕する
 第1回は65年前(掲載当時)。地元の中・高校生が六つの雪像を作ったのが始まりだ。設置場所は、それまで雪捨て場となっていた公園。若者らの斬新なアイデアと尽力により、誰も見向きもしなかった場所が、市民の喝采に包まれた

 雪まつりには「利雪」「活雪」「親雪」などの理念がある。交通障害を引き起こすなど、“厄介者”となる雪を利用し、活かし、親しみながら、長く厳しい冬を前向きに楽しもう――こうしたたくましい知恵が、世界中の人々の共感を呼ぶのかもしれない

 北国では、雪氷熱エネルギーを冷蔵・冷房に有効活用するシステムなどで、全国に先駆ける地域が多い。雪かきも人々を悩ませるが、それを通して近隣の会話や助け合いが活発化し、希薄になりがちな人間関係をこまやかにしている側面もある

 「冬は必ず春となる」の言葉について、人生の先輩が「冬と思って無我夢中で頑張っていたあのころが、実は人生の春だったのかもしれない」と語っていた。
苦難に価値を見いだし、苦を楽と開く人の心こそ、雪のように純白で凜と輝いている。

あるコラムから

岩手県にある認知症高齢者のためのグループホームで、とても考えさせられる話を伺った。施設は高台にあったため、津波の被害は免れた。だが、すぐ下の町は壊滅。
10人ほどの入所者が静かに暮らす施設に、着の身着のままの百数十人の避難者が駆け込んできた。はだしのままの人も、赤ん坊もいる。

停電、余震。そのなかで、入所者が心のバランスを崩し、叫んだり、外に出ていこうとした。騒然としたなかで迎えた翌朝 ― 。ガスが使えず、古いかまどに火を付けようとするが、うまくいかない。

その時、一人の認知症高齢者が上手に火を起こし、ご飯が炊けた。他の高齢者や職員も手伝い、避難してきた人にご飯を配る。温かいご飯を口にした子どもが初めて笑った。皆の生きる希望がよみがえってきた。

どんな人にも、人を支える力がある。子らの笑顔は大人の希望となり、老いの経験は、若い人を助ける。支え、支えられ、人は生きている。震災時の経験を生かそうと、先の施設のある地域には、高齢者と子どもが触れ合う交流施設もできたという.。子どもから年配者まで、日ごろから支え合い、励まし合う、老若男女が織りなす「蘇生のオアシス」を社会に広げたい。
あるコラムから

3日、3ヶ月、3年、30年。事故や災害などの記憶が失われるまでの時間には、法則性があるそうだ。
起きてしまったミスをどう生かすかを探る「失敗学」の提唱者で、東大名誉教授の畑村洋太郎さんが指摘していた。

個人のレベルでは、3日で飽きて3ヶ月で冷めて3年で忘れる。会社などの場合は、30年で記憶や教訓の伝承が途絶える。もっと時間軸を伸ばせば、60年もたつと地域が忘れてしまい、300年では社会から消えてしまう、という。

東日本大震災から3年(掲載当時)を節目とと呼んでいいのかどうか。在京のテレビ局も1日中、被災地の表情を伝えの二、3日もたてばもう、出演者の口の端にも上がるまい。まるで、失敗学が教える「忘却の時間の法則」を実証してくれているようだ。

津波到達地点に桜を植える活動をしている陸前高田市のNPOのホームページに「10㍍を超える津波の可能性が以前から声高に叫ばれていれば、奪われた命はもっと少なくて済んだのではないか」とあった。そして「私たちは悔しいんです」と。

現実とは思われない震災直後の惨状を見て悔恨を感じなかった人はいない。なぜ迅速な避難ができなかったのか。忘却にあらがって、30年、60年、300年の先に、教訓をリアルに伝えるには、何が必要だろう。

あるコラムから

自宅の近隣で月に1度、「コミュニティ広場」という催しが開かれている。
高齢単身世帯が多い地域性もあり、人と人とのつながりを強くしよう、まず茶飲み話から、と数ヶ月前に始まった。住民有志が作った場で、参加は自由だ。

だが、70、80代の参加者が多く、人生の大先輩への遠慮もあり、なかなか参加できずにいた。先日、たまたま横を通りかかったら、「こっちきて、座り!」という元気な声。

熊本の地震の直後(掲載当時)で、もっぱら被災地の様子や防災が話題だった。
聞いていて驚いた。「Aさんは、両足が悪いから、誰が駈けつけたらいいか」など
話しが具体的だ。さすがは、幾多の困難を乗り越えてきた大先輩たちである。

皆が、同じ言葉を口にした。「他人ごとやない」。
そこには二つの意味が含まれていた。震災に遭った人のことを、わがこととして心配する心。そして災害への備えなど、今後の自らへの戒めである。

最近、さまざまな支援や防災の現場で、「他人ごと」ではなく「自分ごと」とする大切さが強調される。同苦の心、そして、社会の問題を自身の課題として取り組む使命感。
「自分ごと」の社会を、足元から作ることの大切さを気付かされたひとときだった。



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