あるコラムから
目の前で見たのは、初めてだった。ファックスなどの文字は達筆だったので、どのようにして書いているのかと思っていた。
口でキャップを外し、合掌した両手の間にペンを挟む。ふっと深呼吸して1行書く。
やはり達筆だ。ペンを挟んだ両手には、指がなかった。
ハンセン病回復者の知人を訪れた時の経験だ。
日本では、世界に類例のない終生絶対隔離政策が行われた。
治っても療養所からは出られない。治療をしてくれると思っていた療養所で待っていたのは、強制労働だった。怪我をしても満足な治療はしてくれず、指をすべて失った。
「これが私の人生」と、引き出しから出してきのが「日記」だった。
50冊にも及ぶ大きく暑いノート。1行も余さず、細かい字でびっしり書かれていた。
絶望、悲しみ、不正への怒り、そして絶望に立ち向かう勇気。生きる喜び。
1文字1文字に「重さ」を感じた。
「あきらめんかったら、字も書けるようになる。人生も記録できる、すべてなんとかなるもんよ」 ― 笑顔が力強い
人の人生の重み、そして尊さ。生命尊厳を掲げる私たちの使命の大きさを改めて実感し、襟を正した。
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あるコラムから
「聴く」という字には「耳」と「目」と「心」が入っている ― 民俗学者の六車由美さんが
介護の現場に入り、その体験を綴った著書『驚きの介護民俗学』(医学書院)を読み
そんなことを思った。
六車さんは、認知症の人に話しを聴き、その人の「思い出の記」を作成した。
ある研究会で、その取り組みを紹介すると、驚かれたという。
認知症の人の言葉は、脈絡がなく、意味のないものと思われているからだろう
だが、六車さんは、そうした先入観を捨てて、真正面から言葉を受け止めることにした。
すると、「散りばめられた たくさんの言葉が一本の糸に紡がれていき(中略)その人の人生や生きてきた歴史や社会を織りなす布が形づくられていく」と、六車さんはつづる。
“この人をどうにかしよう”という思いばかりが先行すると、その気負いが邪魔をして、相手の言葉は心に入ってこない。
“この人を知ろう”と決めて、素直に相手のありままの言葉に耳を傾けるとき、心に見えてくるものがある
話すことが苦手と思っている人も、相手の話しをじっくり聴くことはできるはず。
対話上手とは聞きとり上手。
必要なのは誠実な「心」であり、巧みな話術は必要ない。
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あるコラムから
一人暮らしの高齢者や、被災時の避難に際して支援を必要とする高齢者の訪問を、14年にわたって続ける大阪の壮年に会った。
活動に携わった実感として、地域のネットワークを強固にするためには、「アウトリーチ」が大切です ― 壮年はそう繰り返した。
アウトリーチとは、福祉分野の用語で、英語で「手を差し伸べる」の意味。
従来の福祉は、援助を求めてきた人に対する「申請主義」が中心だった。
それに対しアウトリーチは、自分が支援の必要な状態だと自覚していない人、支援を受ける方法が分からない人、支援を続ける方法が分からない人の所へ、援助者のほうが直接出向いて、手を差し伸べる在り方を指す
災害時においても、こうした姿勢が何よりも必要だろう。
ただし、押しつけと受け取られないよう、「被災者の視点」を見失ってはなるまい。
時には、じっと見守ることが、被災者の安心になる場合もある。
先の壮年も、常に心がけたのは「相手の側に立つ」ことだという
熊本で最初の地震が起きてから、半月(掲載当時)が過ぎた。
生活再建への戦いは、これから本格化する。
「被災者」といっても、一人一人生きてきた人生があり、思いがある。
「誰も置き去りにしない」との誓いに立って、励ましのネットワークを強く、しなやかに広げていきたい。
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あるコラムから
在宅緩和ケアを行っているクリニックの10周年の集いに参加した。
末期の重篤な患者さんが自宅で生活をするための、こまやかな支援を続けている。
明年(掲載当時)はターミナルケア(終末期医療)の全国大会が、このクリニックを中心に行われるほど、信頼と評価が高い
集いのメーンのプログラムはピアノ演奏だった。インターネット回線で、演奏者と自宅と会場を結んだ。
居間のピアノに向かう高齢女性の姿が、スクリーンに映った。
彼女はごみに埋もれて息も絶え絶えになっていた状態から、クリニックにつながった。
認知症があり、家族も意思の疎通がしづらかった。ごみ出しから始まった支援。
彼女は、支えられながら、生活と健康を立て直していった。
「昔、ピアノが得意だったんだ」。
そのつぶやきをスタッフは聴き逃さなかった。
「10周年記念行事でピアノを弾いてよ」
彼女に生きる張り合いができた。少女時代に練習したピアノ曲を、指が覚えていた。
演奏は大成功。参加者に希望と勇気を送った。
「私は、今、とてもしあわせ」が今の口癖という。
たとえ、今、どんな状態であれ、人には未来を開く無量の力がある。希望がある。
それを見つけられるか、聞きとれるか。心のアンテナを磨きながら、支え合う私たちでありたい。
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あるコラムから
「ここにはハンセン病の患者は一人もいません」
岡山県のハンセン病の国立療養所を訪れた時
はじめに担当者が説明してくれた。
この療養所には、270人余の入所者が暮らしている。
だから、初めて訪問する人の中には、漠然と
“この療養所には、多くの患者がいる”
と思い込んでいる場合が少なくないようだ。
1940年代にはプロミンなどの同病の特効薬が開発され
入所者は、後遺症があっても、すでに“元患者”なのである。
「無知は偏見を生み、偏見は差別を育てる」
正しい知識と理解、そして、一人の尊厳を大切にする心。
これらを欠くことが、過去に、どれほど多くの悲劇を生んできたか。
歴史の教訓に真摯に学びたい。
先日、三重県の平和講座で、ハンセン病問題について取材を重ねるメディア関係者が講演した。
“人権感覚を養うためには、徹して人と会い、語りあうこと”
との一言が印象に残った。
「他人であっても心から語り合えば、かげないのない命にも替わりうる」
一人を理解し、心を通わせる対話こそ、社会に人間の尊厳を取り戻す“武器”となる
未来を照らす光源となる。
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