あるコラムより
ケニアの大学生8人と日本人学生十数人が、大阪の日雇い労働者の街、釜ケ崎(行政呼称=あいりん地区)に1週間以上滞在。新聞やテレビでも取りあげられた。直接、話を聞く機会があった。
日雇いの仕事にあぶれ、路上で生活する人も多い。日本人学生たちは異口同音に「今まで、路上生活者を怠け者と思っていました。今、偏見は粉々になりました」と。
眠い目をこすり、「炊き出し」のボランティアに参加した。すでに、労働者たちは職を求めて長蛇の列。職を得た人は仕事場に向かい、なかった人が炊き出しの列に。毎朝6時のことだ。「僕らより早起きだ!」。
ケニア人学生には「ホームレスは怠け者」という偏見は少なかったが、別の先入観があった。「経済的に発展している日本に、ホームレスはいない」。しかし現実を見て、考えが変わった。「偏った発展ではなく、すべての人が豊かになる経済発展を目指したい」――卒業後、国際機関で働くというケニア人学生が語っていた。
「がんばりや」「ありがとな」――何度もかけられた温かい言葉に、勇気づけられたと、両国の若者たちが感謝していた。偏見や先入観の壁を破り、まず、人に会う。それが平和への大道である。
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あるコラムより
トーマス・フリードマンは、3度のピュリツァー賞に輝くジャーナリスト。米ニューヨーク・タイムズ紙に氏が寄稿した記事が話題を呼んでいる。IT(情報技術)先進国インドを牽引するインド工科大学が、全学挙げて取り組んでいる新技術についての記事だ。
新技術の目標理念は「最後の一人のため」。日本でも流行の「タブレット」と呼ばれる板状のコンピューターである。しかし価格は10分の1。さらに、政府の援助を使うと、1日100円程度で暮らす貧しい人々も、手にすることができる。「最後の一人のため」とは「最も貧しい人のため」の意味だ。
さまざまな理由で、学校教育を受けられない子どもたちが、自宅で授業を受ける。貧しい商人も、平等に最新の経済情報を得る。「変化する歴史の響き」が聴こえる、とフリードマンは記す。
東日本大震災の支援を続ける識者が強く語っていた。「一番困っている人を最優先する社会が、最も強く、そして豊かな社会です」。確かに、障がいなどの困難のある人が安心して暮らせる社会は、皆が安心して暮らせる社会だ。
「一番困っている人が一番幸福になる権利がある」──私たちが繰り返し学び、語ってきた言葉が今、時代の最先端でひときわ輝いている。
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あるコラムから
東日本大震災で家族を失った子どもたちに、「心のケア」を続ける団体の催しで
長く孤児・遺児を支援し続ける米国のNGO(非政府機関)代表の講演を聴いた。
戦争や災害などで、家族を失った子どもたちに寄り添い続けた膨大な経験に基づく話しは、示唆に富んでいた。
代表は、大震災以降、何度も来日に、被災地支援を続ける。
「もうすぐ3年(※掲載当時)がたちます。
周囲からの『いつまでも後ろを見ずに、前を向いて』という励ましは、ときとして被災者に大きなダメージを与えることになります」 なぜか?
「被災者は、ずっと前を見てきたんです。
何月何日までに、避難所を出てください。
何月何日までに、仮設住宅の手続きをしてください。
ある意味、前ばかり見てきた3年間。ゆっくり振り返る時間が必要な方もいるのではないでしょうか」
人を励ますとき、最も大切なのは当事者の気持ちだろう。
それを知るためには、まず「聴くこと」。
時には、つらくて話したくないこともある。
その時には「待つこと」。
代表が語っていた。
「あくまで人を信じること。どんなつらい目にあっても、人には、いつかは克服する力があると信じることです」
信じ合い、見守り支え合う。そこに必ず、春は来る。
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ある新聞のコラムから
映画「ナイロビの蜂」を観た。妻チッサの不慮の死の真実を知り、妻と同じ道を歩む夫ジャスティンが主人公だ。
情報誌やインターネットの書き込みには「夫婦愛を謳った感動の作品」「彼女みたいに愛されたい」という言葉が多く見られる。それだけだろうか?
この映画は事実に基づく。巨大多国籍企業が、アフリカの貧しい人々に人体実験をしていた実話だ。アフリカで人道支援を続けるテッサは事実を知り、殺された。
自宅の庭の園芸が趣味だったジャスティンは正義に目覚め、怒り、真実を追求していく。
この映画を作るに当たり、制作スタッフは救援組織をつくり、ケニアの飢餓で苦しむ村で橋を造り、給水施設を造った。今も活動は続く。
子どもたちとテッサが交流するシーンがあるが、演出ではない。実際の支援現場のドキュメンタリーなのだ。
「愛」は大切だ。夫婦愛も家族愛も。しかし、貧しい人々、苦悩する人々を思う愛も大切だろう。そして、その人々をいじめるものへの怒りも。それが、この映画の大きなテーマだ。
他者への無関心が広がる現代――。
他の喜びをわが喜びとし、他の悲しみをわが悲しみとし、怒るべきものには断固と怒る。そのような深い精神性の重要さを痛切に思った。
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俺のなかには、神への渇望がある。
どこを見ても、神の痕跡を見る。
でも、それは「宗教」なんかではない。
アイルランド人を2つに分けた「宗教」を神が作るはずはない。
「宗教」というのは、おれにとって、神が去った後
人間がその空間を埋めようとつくった「規則のかたまり」みたいに見える。
キリストを信じているのに、キリスト教に違和感を感じるって、どんな絶望的気分か想像できるかい。
U2 Bono
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