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海外視察研修だより

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大層なタイトルだが、今回の欧州視察旅行のスイスでの夕食でチーズフォンデューを食べた。
 
それがこれ↓
 
イメージ 1
 
あれ、パンしかないの???
ジャガイモやニンジンやブロッコリーとか、野菜は無いの???
 
はい、ありません。実はこれが伝統的なチーズフォンデューです。今から20年くらい前に日本のスイス料理専門店で食べたチーズフォンデューもこんな感じだった。もっとも、今では、同じ専門店でも野菜やソーセージなども出してきます。
だから、チーズフォンデューは安いです(笑)
 
それよりチーズフォンデューは、チーズの癖が強くて日本人は向かないと言われていて、20年位前に日本の専門店で食べたときもチーズの癖に閉口しているお客さんが結構いたように思う。
 
今回も、ちょっと心配したんだけど、食べた店が観光客向けのレストランだったこともあるのか、チーズの癖がダメという人が居なかったことは日本人もチーズに慣れたなと思った。
 
 
ところで、チーズフォンデュー、基本はパンとチーズだけ。考えてみれば随分と質素なご馳走だと思う。もともとスイスの冬の宴会料理だが、雪に閉ざされたスイスの冬には食べ物はパンとチーズとワインくらいしかない。それを上手に工夫して、楽しい料理に仕上げたということなのだろう。
 
それを考えると、スイスは貧しい国なのだと改めて実感する。
 
19世紀の半ば、マッターホルンを初登頂したイギリス人 ウィンパーがスイス・アルプスの登山や旅を綴った紀行文「アルプス登攀記」には、スイスの谷あいの村に特有の「白痴病(クレタニズム)・・・[岩波文庫「アルプス登攀記」1978年7月第39刷の表現のまま]」について記述がある。
 
これは、当時は原因不明で、原因として鉱物を多量に含む水や遺伝などが考えられていたようである。実は、この病気はヨード不足による甲状腺の機能低下(原料のヨードが不足して甲状腺ホルモンが足りなくなる)によるものなのだ。
 
人は、土をなめるわけではないので、ヨードを土中のヨードを取り込んだ野菜や家畜を経由して摂取するわけだけど、スイスは土地が氷河に削られた過程でヨードを含む表土を削り取ってしまい、谷あいの土地で作られる作物にはヨードが極端に少ない。しかも、当時は交通事情もあって外部からの食物の流入も多く無かった。特に貧しい人たちは土地の作物だけを食べていたため、幼少期からヨードが不足し甲状腺機能低下を起こし精神的な障害を発症したということだ。
 
 
このことだけでも、スイスという国がいかに食物に苦労していたかがわかる。チーズフォンデューという貧しいご馳走を食べると、いつもこのことを思い出し、スイスという国が置かれた厳しさを再認識している。
 
 
 
サンフランシスコの最後の日、現地時間の28日午前9時、ホテルを出発しワールドシリーズの舞台、AT&T ボールパークのそばをちょっと回り道してもらって通過して、空港へ。
 
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帰国はANAの飛行機、アナウンスも手続きも日本語が使える・・・・搭乗口でこの掲示を見ると、ああ、もう日本だなとほっとする。
 
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ずっと昼間の11時間のフライト、日付変更線を超えて一気に日付が変わって、日本時間29日の午後15時30分に成田に着きました。
 
帰国して一番の印象は、「狭い、狭苦しい、人が多い、ぼんやりしている、マナーが悪い」・・・・アメリカのほうが肌にあっているかも・・・・でした。
                     ↑ sakurita、気が付くのが遅すぎた、と悔やむ。
 
だからといってアメリカにUターンする訳にはいかないのでメンバーのみんなをお見送りして、4時半には空港を出ました。
 
そして、5時過ぎには我が家に到着。最近開通したアクセス特急のおかげで、成田から30分で最寄り駅なんです。おそらくメンバーの中で一番早く家に着いただろう。
 
夕食をとりながらワールドシリーズの第2戦の録画をテレビで見ていた。
「今朝、あの球場の近くを通ったな。あの、コカコーラのイルミネーション、あったあった。」
などと不思議な感傷に浸っていました。
 
 
さて、これで北米視察旅行の記録はひとまず終わりです。
ご愛読ありがとうございました。
 
時間の関係で都度のコメントバックができなくて申し訳ありませんでした。
この場を借りてお詫びいたします。これから少しずつお返ししますのでよろしきお願いします。
いよいよ今回の視察旅行の視察日程も最後の日を迎えた。
サンフランシスコには、かつてはいくつもの日系の銀行があったが、今や唯一の日系の銀行である東京三菱UFJグループのUNION BANKを訪問した。
 
この銀行は、サンフランシスコの最古の銀行とされるカルフォルニア銀行の流れを汲み、その本店は1907年に建てられた旧カルフォルニア銀行の本店の建物が使われている。
 
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ここで、アメリカの地方の中堅銀行の話を伺った。
ニューヨークのビックバンクとはまた違った経営戦略を立てながら、地道に活躍する様子を聞くことができた。
 
午後は、サンフランシスコ連邦準備銀行を訪問した。アメリカの金融政策は日本のような中央銀行一行が担うのではなく、全国に12行ある連邦準備銀行が、連邦準備委員会の政策方針とコントロールの下で行っている。
 
もちろん、その中心となるのはニューヨーク連邦準備銀行であるが、ここカルフォルニアなどの西海岸の州では、サンフランシスコ連邦準備銀行が通貨等の管理を行っている。
 
銀行から戻ってきた還流通貨の処理作業の様子やアメリカの紙幣の歴史についての資料など、我々金融関係者でも珍しいものを見ることができた。
 
中でも円価で表示された軍票が展示されているのにはびっくりした。戦後GHQが日本を統治し始めた直後、日本の円が全く機能しなくなったときに使われたものだそうだ。
正直言って私もそのような紙幣が、日本で使われていたことを知らなかった・・・・・(-_-;)
 
さあ、これで視察日程を完了し、あとはサンフランシスコでお買い物や市内見物。
 
 
イメージ 2
なぜか、フィッシャーマンズ・ワーフのピア39の突端に群れているアシカ。向こうにゴールデン・ゲート・ブリッジが見えている。
 
夜はチャイナタウンの中華料理屋さんでアメリカ最後の夕食、
 
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成田のホテルで出発の日の朝に行った「結団式」以来、視察団としての活動はこれで最後となる。この視察旅行の大きな区切りとして「解団式」を行った。
 
この後、バスでサンフランシスコの夜景見物。
サンフランシスコ湾にかかるベイブリッジの中ほどにあるトレジャー・アイランドからサンフランシスコ市内を見る。
 
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サンフランシスコ ジャイアンツがワールドシリーズの第1戦を勝利した、AT&T ボール パークの明かりもベイブリッジの向こうに見える。
 
アメリカ国内、ニューヨークで3泊、バッファロー、ニューオリンズ、サンフランシスコで2泊ずつ、合計9泊10日の長い視察旅行もこれで終わりだ。
 
広大な国土と世界中から集まるアメリカの人々のパワーを肌で感じることができた10日間だった。かつて、この研修に参加した人が、「早い機会に息子をつれてまた来たい。息子にニューヨークの活気を見せてあげたい。」という感想を述べた方がおられたという。
 
その気持ちは全く同感だ。でも、それよりもまして、私は、私自身がこの視察旅行でアメリカの一端に、ほんの一端に触れただけで、何か変わったような気がする。
私自身がアメリカという国の、人の意欲と欲望にあふれた空気に魅せられたように感じた。
 
さらば、アメリカ・・・・また来ます、アメリカ!!
26日、この視察旅行も最後の訪問地であるサンフランシスコに向かった。
ニューオリンズを早朝に出発。
 
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ニューオリンズからロッキー山脈のふもと標高1600メートルの地にあるデンバーまで約3時間、デンバーからサンフランシスコまで約3時間。
 
アメリカ大陸の南東から西海岸まで、それにしても広い。
飛行機で1時間以上飛んでも同じ農園風景が続くのには、いささかあきれてしまった。
 
途中、こんな風景も。
 
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これ、もしかしてグランドキャニオン?・・・詳しい人、教えてくれ。
 
ということで着いたのがサンフランシスコ。現地時間の26日午後2時に着きました。
 
最初に街にある小高い丘、ツイン・ピークスから街を眺めます。
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起伏のある街、湾に深く入り込む海、どこかしら日本の長崎に似ている感じの街だと思った。
でも、やっぱりサンフランシスコって言えば、これ。金門橋でしょう。
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驚くことに建設されたのは、昭和12年。戦前です。
日本は、そんなとてつもない技術力を持った国と戦いを挑んだわけ・・・・。
 
この風景を見てすごく懐かしい感じがした。というのも今から40何年か前。父が始めて海外出張して写真に撮ってきてくれたのが、この風景。
あの頃の父親と今、同じ場所に居るんだなと思った次第。
 
次に、サンフランシスコといえばこれ。
 
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ケーブルカーですね。かつては市民の足として活躍していたようですが、今では観光客のほうが多いようで、観光地を結ぶメインのルートは観光客が詰め掛けるということでした。
 
それにしてもこの坂見てください。
 
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急すぎて先が見えない。車も縦列駐車では危ないので坂に直角に止めている。ガイドさんの話だと、サンフランシスコではこうやって坂に直角に車を止める道を「坂道」というのだそうだ。
 
古くからケーブルカーが使われたのも道理だ。
ニューオリンズの昼間の観光の記事はアップしたが、もう1つ、この街は夜の観光スポットとしても有名となっている。
 
夜の観光となれば、まず、これ。
 
やはり、「カジノ」でしょう。
 
イメージ 1
 
このディズニーランドをまねたような建物。これが最近できたカジノ。
24時間営業だそうだが、やはり中心は夜。私も夜に通り抜けたが(ギャンブルに全く素質のないsakuritaは、絶対に手を出しません)、スロットマシン、ルーレット、バカラなどに興じるおじさんおばさんが一杯いた。
 
ちなみに、我が視察団のメンバーの中に、ここで外貨獲得に貢献した輩が居るとか居ないとか・・・・・。
 
ニューオリンズと言えば、ジャズ発祥の地としても名高い。もっとも、今ではニューオリンズで生まれた頃のスタイルを残す「ニューオリンズ・ジャズ」自体は失われそうになっている。その伝統を残そうと開設されたのが、このプリザベーションホールというライブ・スタジオ。
 
イメージ 2
 
聞いている感じでは、ニューオリンズ・ジャズはシンコペーションの利いた特徴的なリズムを厳格に維持して、コードに忠実にアドリブが展開されていく。
ところで、驚いたことにここでピアノを演奏していたのは、渡辺まりさんという日本人のピアニスト。1曲、ピアノだけの曲を演奏されたが、素晴らしい演奏だった。
 
終演後にチップを渡したのだけど、日系のアメリカ人だと思って英語で話しかけて、なんとなく英語で二言・三言・・・・・。
最後に、「You are Japnese.」って聞いたら、「YES!」と言う。
日本語で話しかけようとするまもなく人の流れに押されてしまった。
もう少し、日本語で話を伺いたかったな・・・・。
 
こういう夜の観光を支えているのが、これ。
おまわりさん。要所要所に立って見張っている。
イメージ 3
一時期、アメリカの街は治安が悪く夜の観光などありえないような話を聞いていた。ところが、ニューヨークも驚くほど治安が良かったし、ここニューオリンズでも、ライブハウスやポールダンスのショーベースなど、華やかなお店が並ぶ「バーボン・ストリート」という歓楽街があるが、その治安を守っているのが、このおまわりさんたち。
 
おかげで、多くの観光客、特に中高年のお金持ち風のおじさん・おばさんの観光客が夜遊びを楽しんでいた。

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