堕ちていく自分の日記

独りで考えているだけではもったいない

ムッ!

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「福田首相」でほぼ確定したようである。自分の希望とは別として、予想は当たった形となった。
「福田雪崩現象」だそうだ。1年前に起きた「安倍雪崩現象」になぞらえた表現だが、あれとはまた違うと思う。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070915-00000904-san-pol
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070915-00000000-maip-pol

ちょうどいいのでその「安倍雪崩現象」を検証してみよう。

安倍さんは閣僚経験がほとんど無い「未熟」な状態で総裁・首相にまつりあげられた。
「国民的人気を背景に選挙に勝てる、という目的だけで首相を選んだ自民党、どう責任を取るのか」というのが、各マスコミそろった論調だ。

確かに「雪崩」の当事者は政治家であり、その行動の責任はある。しかし。ちょっと待ってくれ。
その「雪崩の原因」を作った者を忘れてないか。
その責任は誰がどう取るのか。


「国民的人気」ができていったプロセスは。
安倍さんは比較的責任の軽い立場において、(当時)若くてはつらつとしたイメージがあり、その上で、北朝鮮問題など目立つ位置にいて右よりの発言で強い日本を主張して目立っていた。
小泉さんの大衆路線イメージを引き継ぐのはこの人しかいない、と、安倍さんをマスコミが持ち上げ、美化した。(イメージであり、小泉さんも安倍さんも大衆路線だったというわけではない)

大衆路線イメージは視聴率を上げ、部数を伸ばすマスコミに都合のいい政治だ。
力のある老かいな政治家は、大衆受けしない。
若い政治家を応援した方が、<マスコミ自身が>「新しいイメージ」で視聴者や読者の支持を得やすかったからだ。
マスコミにとっては早くから「ポスト小泉」は安倍さんに決まっており、去年の初め頃から「安倍次期首相」のサブリミナルが大衆に浸透していた。

つまり「国民的人気」は、マスコミが自らの視聴率や部数に都合が良かったために、安倍さんに作り上げた虚像によるものだった。
安倍さんの政治力が「人気」の理由ではなかったのだ。

そのマスコミの都合でできあがった「国民的人気」に乗った自民党はけしからん、と言う。
自分で道にトラップを作っておいて、そこに落ちた獲物に
「道の歩き方が悪い。どこを見て歩いてるんだ。見ろ、穴があいたじゃないか、この責任をどうするつもりだ!」
と正義漢よろしく、責めたてているのだ。

そのトラップが引き起こした政治空白と、国際的信用の失墜と、膨大な税金のムダについて、「正義漢」たちは全く忘れている。
さらにたちが悪いのは、「忘れている」のではなく「認識が元から無い」ことだ。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070901-00000917-san-soci

宿題をインターネット経由で引き受ける業者の存在がニュースになっている。「賛否」を呼んでいるそうだ。
「賛」??


子ども:宿題をしたくない、しないと学校で怒られる
保護者:学校で怒られる子どもがかわいそう。子どもに宿題をすることを強く指導できない。
学生:バイト感覚で子どもの宿題をやるのは悪くない。家庭教師と同じじゃない?
仲介業者:金を出して頼む親がいる、金になるならとやる学生がいる。

見事にニーズとビジネスが成立している。

問題を挙げるとしたら、この中でガンは言うまでもなく保護者だ。やるべき事をやらず、下手をしたら宿題を出す学校を批判しかねない。


この問題は実に簡単で、
「テストでカンニングしちゃいけませんよ」
というのと全く同じだ。カンニングをしてテストでいい点を取って、いったいどうなるのか?それを思い出せば親がどう考えるべきかは簡単なことだ。

もう一つの視点は、昔から家庭教師がいれば、宿題を手伝ってもらっただろう。親は宿題を代わりにやらされるものだ。昔から、夏休みの宿題は必ずしも子ども自身がやってない。
それと何が違うのか?
違いはやはり親が「発注する」ことだ。
親が自分で「代行」すれば、それはあまり問題にならない。自分が感想文を書いて提出しても、自分の子どものためにならないことが自分の手を通して身にしみるからだ。
ところが「発注」してしまうと、親が自分の手を汚さない。そればかりか、カネを出しているのだからクオリティを求めたりするかもしれない。


ニュースによると
大阪府教育委員会は「宿題をお金で解決するという保護者の考えが気になる」そうだ。

問題意識が「気になる」程度なら問題ないんじゃないの?

織田裕二の世界陸上がひんしゅくを買っているという。

確かに、視聴者無視で一人盛り上がりすぎ。いかに命かけているかもしれないが、それも「独り善がり」だ。
役者としての織田裕二は嫌いじゃないから、「こういうもんだ」と思ってしまえばどうにか見ていられる。
問題は、そうしてでも視る視聴者に対し、「視聴者の視たいものが解っていない」TBSである。
ナショナリズムをかき立てるこのようなイベントは、どんな番組構成でも視聴率がとれるだろう、というまさにコンテンツにあぐらをかいたTBSの番組制作。
この番組に「コンテンツ」はあっても「番組コンテンツ」は無い。


思い出すのは4年前のこのころだ。


話はプロ野球の中継の話になる。

TBSが横浜ベイスターズのオーナーになったとき、これで大魔神以降下り坂だった横浜の人気も回復するかもしれない、と思ったものだ。
最近はすっかり地上波では野球中継は凋落してしまったが、当時はパリーグの試合も時々放送されていた。
神奈川県でこそTVK(テレビ神奈川)で放送されていたが、東京ですら試合をテレビで満足に視ることはできない。そこへTBSの出資だ。テレビ放送が少しでも増え、選手も映ることでだいぶ変わるだろう。
ファンではないが神奈川県民として、そう期待した。

その期待は完璧に裏切られた。
最下位で苦闘している横浜を無視して「巨人−中日」を放送する局だ。
TBS社屋の玄関に貼り出されていたポスターがむなしい。

2003年、星野阪神が優勝したこの年、横浜は最下位。
「横浜−阪神」戦もTBSではもちろん放送されない。
阪神ファンである自分はCS放送で阪神の試合を探しては視ていた。

それは横浜の主催で札幌で試合が行われた日だった。
いつものようにCS放送を探してたどり着いた試合を視て、愕然とした。

横浜の打者がバッターボックスに立ちピッチャーをにらむ。
そのヘルメットに大きく貼られたシールの文字。

「世界陸上」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

プロの野球選手が生活を賭けて闘っている試合、そのオーナーである会社は、彼らに自社の別番組の宣伝をさせている。
彼らは試合をしながら「世界陸上を視てください」と叫ばされている。
「TBSでは僕らの試合はないけど、世界陸上はぜひ」
TBSがプロ野球球団のオーナーになってやりたかったことは、こんな事だったのである。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

それから数年後、新興ネット企業が横浜球団を買収することに、猛反発したTBS。
球団を保有することの意味をどの口が言うのか、放送局として球団に対して何をしてきたのか、仙台の実績に対抗できるデータを是非出してほしい。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今日、世界陸上の合間に「横浜−巨人」戦が54分間放送されている。
放送局がついても援護無く球団は低迷、プロ野球自体の人気も落ちたのは、そういう態度が悪循環を作ったのだ。

もはや土曜の午後の54分間はむなしい時間、試合途中で打ち切られたあとに続くは「美女100人」なる番組。
一刻も早くプロ野球関係から退場してほしい。

「あるある」の捏造の件は、やっぱり「あったあった」ということなので、それほどとんでもない怒りを感じる事はなかった。
今朝(2/7)の読売新聞のこの件に関する寄稿特集記事に、研究者の発言に関する責任意識のことが書かれていた。

研究者が番組に使われた自分のコメントが違う意味に使われていた、と後になってから不満を言ったり被害者のように言ったりするのは、無責任ではないか。番組を事前にチェックしなかったのか、放送を見た後でも違う扱われ方をしていたら局にクレームすることもできたはずである・・。

というものだ。
全くその通りだ。おそらくその人たちは事前チェックはおろか、番組自体も興味がなく見ていないのだろう(もちろん全部が全部ではない)。

研究者としての「権威ある」発言は大衆視聴者に少なからぬ影響を及ぼす。そのくらいのことは認識していてしかるべきだ。現実的に巷でこのような情報番組による社会現象が起こっていることを知らないほど、浮世離れした研究をしているわけではあるまい。
単に「無責任だ」と断じて全く差し支えない。

こういった形で提供される情報を信用するかどうかは受け取る側の責任だ、と言ってしまえばそれもその通りだ。しかし「情報リテラシー」(言葉こそ新しいが、概念は常識的なものだ)についてようやく語られるようになった程度のこの国で、大衆にそれを期待するのは残念ながら不可能だ。それにつけ込んだ番組制作者、無責任にその「つけ込み趣旨」に加担する関係者の責任はやはり重い。
逆に、大衆は単なる被害者ではない。自分の判断能力が低い事を、制作者や関係者の責任に押し付ける事は、これまたレベルの低い無責任だ。しかし、情報の風上・風下関係において、大衆は物理的な「弱者」である事には違いない。

そして、今日の本論はこの後にある。
そんなことは日ごろ山ほど起こっているのだ。
この番組に限らぬ、マスメディアの全ての報道、情報発信の中に。

「あるある」問題で指摘されたのは、【まず結論ありきで、それに導く都合のいい発言や実験結果だけを、ことさらに強調して伝える】番組の制作方針であった。

これが、日ごろのワイドショーの各ネタ、正義感ぶった報道番組の政治家や行政批判、事件や事故の犯人探し、その他もろもろ・・・。全て、この【まず結論ありき】ではないか、と考えて見てみて欲しい。これは自分で判断できない大衆への情報コントロール、思想コントロールと言えないだろうか(もちろん全てが全てではない)。
全てのマスメディアは、自分の「発言」が大衆にどのような影響を及ぼすのか、真剣に考えて番組・紙面・誌面作りをしてもらいたい。
などと、最後は丸めて捨てられるような「お願い」になってしまい、言いようのない無力感に陥っている。

20人ほどの小さな会社、現在社員採用の面接をやっている。
採用人数は1人なので、応募の順にどんどん面接していく。
だから、社内的には特別に社員募集のイベント的な盛り上がりはなく、人事が地道にやっているという程度受け取られ方だ。
一人ずつ時間を決めてきてもらっているわけだが、面接会場は4人用の個室。面接者は会社の入口から入ってその部屋までは直行できるが、オフィスエリアを少しだけ垣間見えるところもある。

その垣間見える場所があまりにも汚い。汚いと言うのは片付けられてないという意味だが、ダンボールや一時的な荷物が散らかっている。倉庫への入口のドアは開きっぱなし。
昨日は、面接ルームが、その前の時間に打ち合わせで使っていた飲み物や灰皿(この部屋のみ喫煙可なのだ)がおきっぱなしで、危うく面接者をそのまま通すところだったが、10分前に気づき事なきを得た。

こんなオフィスを見てしまった面接者はどう思うだろう。自分なら、このような会社には入りたくないと思うかもしれない。職場環境は重要だ。
それにもまして、来客や面接者などに対する「もてなし」や「お迎え」の姿勢がないのは、失礼以外の何物でもない。
倉庫の扉が開きっぱなしなどと言うのは、自分の家にお客さんが来た時に押入れのふすまが全開という状態と同じだ。デリカシーのなさと言うか、誰かに見られている、という意識がなさ過ぎる。

原因は、普段からそれが普通だと思ってしまっている「レベルの低さ」だ。普通だから気にならない。気にしない。当たり前のことが見えなくなってしまっているのだ。
それでいて、「おしゃれでクールな仕事」とは口にするだけでも恥ずかしい。

そうやって、人が来るたびに片付けて回っている日々だ。

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