|
この会社の目的が分からない。
目的のない会社に居たくない。
自分がいる会社は目的のない会社にしたくない。
目的がなければ夢がない。理想がない。目標もない。
誰のために働いているのか判らない。
アーティスト事務所のときは、アーティストxxxxxのために働いていた。今はxxxxxの活動をサポートする事で食わせてもらい、その感謝として将来のxxxxxの生活を守る(xxxxxの継続的な収入を確保する)ために働いていた。その仕事の中に、自分のスキルアップや経済的満足があった。
自分は、常に誰かに褒められたい、という意識がある。誰かに喜ばれたいという意識がある。
学校でいい成績をとるのも、親に褒められたかったからだ。親に、先生に、先輩に、褒められたいために自分の行動を決めていた。(たいていは目上の人だ)
xxxxxに褒められたいと思って仕事をしていた時代。xxxxxに褒められるということは、会社の目的に近づいているということだ。仮に、褒められない、または否定されることでも、それがxxxxxのため、という目的に合致しているものと疑いなければ、やり通すこともできた。
今は、社長に褒められたいかもしれない。しかし、そこには意味がない。N社長に褒められても次に何もない。それで何に近づいたかが判らない。会社の目的が分からないからだ。
この会社の社員は誰に喜ばれる仕事をするべきなのか。
この会社は誰かに喜ばれることをしようとしているのではない。
自分が満足することを他人に押し付けようとしているだけだ。であれば、社員はその「自分」という誰か個人の満足のために仕事をしていることになる。そこで出来上がるものが売れようが売れまいが関係ない。
自分の満足が大勢の人の満足になるケースは、スポーツ選手などの場合だ。自分が満足するプレーができれば、チームの勝利がもたらされる可能性が高い。選手たちは喜ぶ、ファンも喜ぶ。しかしこの構造すら、選手はプレーに専念すればいいというものではない、という風潮に変わってきている。
会社員は誰かからお金を頂いている。それが、自分が満足するだけのことをやっていていいはずがない。お金をくれたその誰かは、本当に満足して払ってくれたのか。「満足しなければ、お金は出さない」というかもしれない。それこそが慢心だが。自分の価値観を押し付けてお金をもらうのは、ある種の詐欺だ。客の方に選択の自由があって、それでも選んでお金を払ってくれた場合にのみ、価値観
が認められたのだ。
|