堕ちていく自分の日記

独りで考えているだけではもったいない

雑感

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台風直撃多摩川住民は

彼らのことを「住民」というかどうかは判らない。

神奈川県はヘリを出して多摩川のど真ん中の中州に住み、台風による増水に取り残された人々を助けた。
中には救助を拒否した人もいるという。

社会に言いたいことがあるのだろう。

しかしその社会は、彼らに対して何もしていないわけではない。
川崎市は、ホームレスの自立支援のための取り組みと、一時的に無料で入れる住居施設を提供している。これらには億単位の予算が取られている。そして今回の救助にも多額の費用が発生した。
我々はそのカネを住民税として負担しているのだから、はっきり言う資格がある。

我々は微力ながら彼らに対してやることをやっている。
彼らはやるべきことをやっていない。
義務を果たさなければ権利はない。文句を言う資格もない。

人権への配慮や、人道という言葉は尊重しなければならない。

助けられた人は、命は助かったものの、空き缶集めの「商売道具」である自転車も「家」も流され途方に暮れているという。空き缶集めは問題も指摘されているが、ともかくその「商売」に努力しているような人は、本気で商売(仕事)をできる可能性がある。そういう人たちだけでも、これを機会に社会に戻ってほしい。

台風9号のニュースはこちら
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070907-00000124-mai-soci

韓国の取引先からのメールに
「・・・・・について、是非お検討ください。」
と書かれていた。
「お検討」
間違えるのも無理はない。日本語は上手な人で、他の文面はほとんど完璧だ。
それでも間違うのだから、日本語は難しい。

では品詞分解的に考えてみる。
なぜ、この場合、「ご」であって「お」ではいけないのか。

「ご指示ください」
「ご連絡ください」
「お知らせください」
「お待ちください」

続く単語が動詞の活用形の場合は「お」なのか。
続く単語が名詞の場合は「ご」なのか。

「お電話ください」

「ご丁寧にありがとうございます」
「お気の毒でございます」

漢字はいずれも「御」。
(「み」と読んで、「御御御つけ」ってのもありますね)
国語にはうるさいつもりの私。悔しいけれど解りません。
誰か、明確に説明できる人がいたら教えてください。

無菌室化による退化

生まれてこのかた喫煙経験がなく、嫌煙主義の自分にとって昨今の禁煙エリアの増加は嬉しいことだ。
今働く小さな会社もオフィスエリアは禁煙で、喫煙者には1坪ほどの喫煙室と喫煙可能のミーティング室が1つあるだけだ。それでもいい方なのかもしれない。社内全面禁煙も珍しくない。

ところでそんな自分にとって歓迎すべき状態の中で、近頃気になることがある。

喫煙したい同僚やお客さんとのミーティングは、自分にイニシアティブ権がなければ喫煙可能ミーティング室で行うことになる。彼らも、この風潮の中でたとえ喫煙可といえども、ミーティング中は控えめにしている。
であるにもかかわらず、最近、そういう時にすぐに目が痛くなる。目薬が手放せない。

10年も前は、少し人数の多い会議となると部屋の空気が白くなるほどの極悪環境の中で会議をしていた。さすがにそういう時は目が痛かったが、多少の喫煙に対してはなんともなかった。
ところが、最近は気にならないほどの喫煙で目が痛い。これは、禁煙化が進む中で自分の体の「耐煙性」が弱まっているからではないかと思う。「免疫性」が退化している、とも言える。

これは生物学的に大きな問題を示唆してるのではないだろうか。

「目が痛い」だけならたいした事はないが、肺の「耐煙」機能がさらに弱くなっているとすれば、受動喫煙による発癌の可能性はかえって高まっていると言えないだろうか。

だからと言って時計を逆回転させて良いわけはないので、であれば禁煙化をさらに徹底するという対策になるのかもしれない。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

それはともかく、近頃、人間はどんどん弱くなっているように思う。アレルギー体質の増加は、実は何かからの「保護」が進んだことによるのではないか。あまりに弱い子どもたちを見ると、「過保護」という言葉に行き着くように思う。

さらに言えば、肉体的なことだけでなく、精神的な面でも同様に「過保護による精神の弱体化」が進んでいると言えないだろうか。

すぐに「キレ」る人の増加。「目が痛い」からずいぶんと話が広がってしまったが、無菌室化されていく世の中にあって、なにか関係あるような気がする。

親は子どもと同じ視点になってしまってはいけないのだ。
親は子どもと「ともだち」ではない。親が子どもと肩を組んで、学校を共通の敵として見てしまっていないだろうか。
子どもは成長するが親の成長はない。あったとしても子どもの成長スピードは著しく速い。子どもの早い成長の横で、自分の子どもと「ともだち」としてケンカしないでうまくやっていこう、という理由で、言うべきことを言わない、するべきことをしない親になっていないだろうか。

子どもは親を「友だち」とは思っていない。
一方的な「片思い」の親の姿は、子どもの成長の中でだんだん取り残されていくことになる。

叱らない、厳しい躾をしない親は、かつてそうしたことを担保として持っていた「威厳」を失い、その結果として「親は怖いものだ」という観念が子ども側に(世の中的にも)無くなってしまった。

そしてその日は突然やってくる。子どもに「なめられ」て、オロオロすることになる。

いまや社会全体がオロオロしている。

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