彷徨える法の支配

司法改革過渡期における軋轢の考察録

その他

[ リスト | 詳細 ]

分類を留保した記事です。

記事検索
検索

全5ページ

[1] [2] [3] [4] [5]

[ 次のページ ]

 私は、先日の終戦記念日に、前(さき)の大戦で尊い犠牲となられた方々の慰霊と日本および世界の恒久平和を祈念すべく、まず千鳥ヶ淵戦没者墓苑へ赴き献花をさせて頂き、その後、靖国神社へ参拝しました。
 
 江田法相の公式ウェブサイトの日記を拝見していると、公式行事についての詳細な説明がなされていることが多く、江田氏が参議院議長(立法権における三権の長)に在任中だった際には、宮中の祭事について他のウェブサイトではなかなか拝見できない解説やお写真がかなり豊富に紹介されておりました。そういうこともあって、私は江田氏のウェブサイトやメールマガジンを定期的にチェックいたしております。
 
 いわゆる靖国問題においては、日本国憲法(以下「憲法」という。)の20条1項前段・2項が規定する「信教の自由」と、憲法20条1項後段・3項および89条が規定する「政教(国教)分離原則」とのバランスをどう図るかという問題とは別に、外交上の配慮という観点も問題となります。あの安倍晋三・衆議院議員でさえも、首相在任中には靖国神社への8月15日の参拝は見送っておられました。
 
 要するに、「法律上(憲法20条および89条)の観点から参拝が許されるか否か」と、「国際政治(外交)上の観点から参拝が得策か否か」は、まったく別次元の主題であることから、小泉純一郎首相(当時)より後の歴代首相は、8月15日の参拝が憲法上問題ないという前提に基づきながらも、この日に靖国参拝を挙行することが外交上ハイリスクであると総合的に勘案なされたがゆえに、敢えて自粛するという「高度な政治判断」をなさったのだと推察します。すなわち、法律的に許されても政治的に差し控えたということなのでしょう。
 
 付言すると、内閣総理大臣(首相)という極めて公人であっても、ポケットマネーで参拝しているにもかかわらず、参拝する権利が認められなければ、「信教の自由」はもはや普遍的でなければならない「人権」とはいえなくなります。例えば、少年法に基づく「少年」の「人権」など存在しないのであって、それを言うなら「少年」の「特権」と言わねばなりません。なぜなら、特定の属性の人たちにだけ認められる権利・自由には普遍性が認められないからです。
 
 また、「公共の福祉」の観点を考慮するとしても、精神的自由である「信教の自由」への制約は、司法(裁判所)においては厳格な審査がなされることになっており、極めて慎重に検討されることになります。
 
 以下、転載です。私が一部編集しています。
 
**********
 
【江田五月 メールマガジン 第1092号   2011年8月15日】
 
<ショートコメント>・・・《終戦記念日》

昨年は地元で初盆のお参りだったが、今年は議長時代と同様、千鳥ヶ淵戦没者
墓苑に献花した後、政府主催の全国戦没者追悼式に国務大臣として参列し、約
310万人の戦没者のご冥福を祈り平和を誓った。ご遺族の高齢化と世代交代も
進み、戦後生まれの参列者は過去最多となった。菅首相と全閣僚は、昨年に続
き靖国参拝を見送った。戦後66年で東日本大震災の未曾有の被害があり、改め
てこの夏、人の命につき思索を深めたい。

*****
 
【江田五月 新たな出発】
 

8月15日(月) 閣議、会見、墓苑献花、戦没者追悼式、テレビ収録、さくらの会

今日は、第66回目の終戦記念日です。9時45分に出て首相官邸に入り、10時から、閣議と閣僚懇談会に出席しました。その後、法務省大臣室に入り、閣議後会見。原子力安全規制組織やタクシン元タイ首相関係につき、質疑応答しました。
イメージ 1

11時過ぎに出て、まず千鳥ケ淵墓苑で献花しました。横路衆議院議長や菅首相も献花されました。その後、武道館に移り、政府主催の全国戦没者追悼式に参列しました。11時50分過ぎに開会し、天皇皇后両陛下のご臨席をいただき、国歌斉唱の後に菅首相の式辞、黙祷、天皇陛下のおことば、衆議院議長、参議院副議長、最高裁長官と遺族代表の追悼の辞があり、両陛下が退場された後、献花が続き、厚労大臣が最後に献花されて、閉会となりました。
 
(後略)
 
【出典】
 
 
**********
 

<靖国神社>3政務官が参拝 首相・閣僚は見送り…終戦の日

毎日新聞 8月15日(月)20時41分配信
 
 
 66回目の終戦記念日の15日、菅内閣の全閣僚は靖国神社への参拝を2年連続で見送った。ただ、森田高総務、浜田和幸総務、笠浩史文部科学の3政務官が参拝した。民主党政権発足後、終戦記念日に政務三役が靖国神社を参拝したのは初めて。

 民主党は笠氏の1人で、森田氏は国民新党、浜田氏は参院自民党から6月に引き抜かれた。笠氏は取材に「親戚がまつられており、学生時代から毎年参拝している」と語った。

 昨年は仙谷由人官房長官(当時)が「公式参拝は自粛しようというのが従来の日本政府の考え方だ」と記者会見で述べるなど事実上の内閣の方針を示していたが、今年は首相らから明確な発言はなかった。

 細川律夫厚生労働相は15日の会見で、戦死した親類を慰霊するため毎年靖国神社を参拝しており、今年は5月の連休前後に参拝したことを明らかにした。

 一方、超党派の「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」(会長・古賀誠日本遺族会会長)の53議員が参拝した。昨年の終戦記念日には参拝しなかった原口一博前総務相も参加した。自民党の谷垣禎一総裁や国民新党の亀井静香代表も個別に参拝した。【影山哲也、山田夢留】
 
 
【出典】
 
 
*****
 

石原知事「あいつら日本人じゃない」 閣僚靖国参拝見送りに 

産経新聞 8月15日(月)13時24分配信
 
 東京都の石原慎太郎知事は15日、靖国神社を参拝した。石原知事は参拝後、報道陣に対し、首相と全閣僚が靖国神社に参拝しない方針を示したことに「あいつら日本人じゃないんだ」と激しく批判した。
 
イメージ 2


 この日は、都の戦没者追悼式典に出席後、靖国神社に直行。「国を救ってくれって言った」と話した上で、報道陣から菅政権による政治の混迷を問われると「自業自得だよ。日本人が堕落したからこんなことになったんだ」と述べた。

 
最終更新:8月15日(月)21時27分
 
【出典】
 
**********
 
 
【参照】
 
○愛媛県靖国神社玉串訴訟―Wikipedia
 
【訂正について:2011年8月17日】
 
「信教の自由」を規定した憲法の条文は、20条1項前段・2項であり、「政教(国教)分離原則」を規定した憲法の条文は、20条1項後段・3項および89条であるのは前述したとおりです。
 
しかし、靖国神社への公人参拝に係る問題(以下「靖国問題」という。)における基本形は、20条1項前段と20条3項の対立構造になっています。さらに、玉串料などの宗教行事への支出が公人のポケットマネー(私費)ではなく公費からなされて争点化すると、20条3項に加えて89条が政教(国教)分離原則上の問題となります。
 
従って、靖国問題においては、通常、20条1項後段(宗教団体が公権力から特権を享受することや政治権力を行使することの禁止)及び20条2項(個人に宗教的事柄を強制することの禁止)は問題となりません。
 
私が前日投稿した文章では、そのことにつき誤解が生じかねないと思い、ここに訂正のための加筆をした次第です。
 
また、訂正については、当初の文章に、取り消し線による編集を加えましたので、ご覧下されば幸いです。
 
末尾ながら、ご迷惑をおかけしたことをお詫び申し上げます。
 
【補遺:参照法令】
 
日本国憲法
(昭和二十一年十一月三日憲法)
 
第二十条  信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
○2  何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
○3  国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。
 
 第八十九条  公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。
 
 
 「もう、いい加減にしてくれよ!」といった感があります。本来、こうした純粋な政治ネタは投稿しないのですが、私が今日(金曜日)がたまたま休日になったことと、あまりにも与野党が復興対策よりも政局(権力闘争)を優先し、そこを総理(菅首相)に付け込まれているとしか思えず、被災地の皆さんのことを考えると、あまりにも腹立たしくなったので、あえて投稿させてもらいました。
 
******
 

自民党「8月には民主党は立ち往生する」

読売新聞 6月30日(木)23時0分配信
 
 国会空転の影響で、政府・与党が描いてきた延長国会の日程が「破綻寸前」(衆院事務局)となっている。

 菅首相が退陣の条件に挙げた特例公債法案は審議再開のめどが立たず、再生可能エネルギー特別措置法案も、審議入りは7月中旬となりそうだ。両法案が成立しなければ首相に続投の口実を与えかねず、民主党執行部は苦慮している。

 民主、自民、公明3党の国会対策委員長は30日、国会内で会談し、国会をどう正常化するか協議した。自民党の逢沢一郎氏は「首相のわがままで3党間の信頼関係が壊れた」と述べ、浜田和幸参院議員の総務政務官への「一本釣り」人事などを厳しく批判した。民主党の安住淳氏は、7月5日に衆院で、6日に参院で首相出席のもとでの予算委員会集中審議を開く方針を示して理解を求めたが、逢沢氏は幹事長会談などを要求。安住氏も幹事長会談を4日に開くなど正常化に向けた手続きを踏むことを受け入れた。自民党は集中審議の日程を1日ずつ遅らせることも検討している。

 自民党の戦術は「審議日程を遅らせれば、8月には民主党は立ち往生する」という“日程闘争”だ。
 
最終更新:6月30日(木)23時40分
 
【出典】
 
 
******
 

在任日数、森氏超す=求心力は低下―菅首相

時事通信 6月30日(木)19時16分配信
 
 
 菅直人首相の在任日数が30日で388日となり、森喜朗氏を超えた。戦後の首相では19番目に長い。ただ、退陣表明した首相の求心力低下は著しく、官邸を訪れる府省幹部は激減。会食相手も「身内」がほとんどで、孤立感を深めている。

 首相は6月1日に麻生太郎氏の在任期間を上回った。その後、8日に福田康夫氏、9日に安倍晋三氏をそれぞれ抜いた。首相が退陣時期を曖昧にしていることから、政界では「さらに延命を図る」との見方が消えない。

 もっとも、首相への視線は冷ややかだ。事務次官など各府省幹部の来訪はめっきり減り、震災対応を理由に凍結を指示した各府省幹部人事も、「守られないのではないか」(国土交通省関係者)とささやかれている。事前に公表される首相日程は空欄が目立ち、29日夜はすし店など3軒をはしごしたが、食事の相手は周辺議員や秘書官、夫人など、ほとんどが身内だった。

 「昼間にゆっくり話ができないので、夕食を通じてざっくばらんに話したのだと思う」。枝野幸男官房長官は30日の記者会見で、首相の「はしご酒」についてこうはぐらかしたが、首相の威信低下は隠しようがない。
 
【出典】
 
******
 
【以下加筆】
 
 数日前の朝日新聞の朝刊で、桜井充・財務副大臣(参院議員)がオピニオン面へ寄稿なさっておられました。その中で、「政争にうつつを抜かしていると思われるのは心外。それは一部の者の所業であって、自分を含め大部分の政治家は復興へ向けた仕事に打ち込んでいる」という趣旨のことを述べておられました。
 
 確かに、そうなのかもしれません。そこで、桜井副大臣ほか復興のために実務を粛々と誠実に遂行なさっておられる政治家の方々に対して、お詫び申し上げたいと思います。ただ、与野党の一部の方々が政争に明け暮れ、それゆえに菅総理に「ボナパルティズム」(「漁夫の利」戦法か?)を仕掛けられているという私の認識もあながち的外れではないと思います。
日本でも脱原発派が大勢を占め始めてきましたが、保守・右翼の方たちの中にも、はっきり脱原発宣言をされる方たちがおられます。
 
以下、鈴木邦男の愛国問答より
 
 保守派、そして右翼陣営の〈流れ〉が変わってきた。原発についての〈流れ〉だ。今までは原発賛成派が多かったが、このところ逆転しつつある。西尾幹二さんや、竹田恒泰さんなどの発言も影響が大きかった。又、日本の土地が汚されている。そのことへの危機感も強い。一水会でも機関紙『レコンキスタ』には反原発の主張が載り、一水会フォーラムにも反原発の人が講師として来ていた。

 一方、ネット右翼というか、「市民派右翼」というのか、そういう中には「反原発デモ」の妨害を行ったり、「原発推進デモ」をやった人もいる。
 僕は6月11日の(土)のデモに行ってきた。反原発のデモは4度目だ。長い時間歩いたので疲れた。午後の6時過ぎ、解散地点の新宿アルタ前に着いたら、もの凄い人だった。ただ、近くで,「市民派右翼」の人達がマイクで叫んでいた。「原発反対を言う人間は反日だ!」と。だったら「反日」でもいいやと思ってしまう。5月7日(日)に渋谷でデモをした時も、「こら鈴木! 売国奴!」と、知らない人に怒鳴られた。

 昔は僕らも同じだったな、と思った。左翼の言ってることに反対していればいい、と思っていた。憲法、防衛、天皇制、教育…と、あらゆる問題で、左翼に反対していれば、それが〈愛国的〉だと思っていた。同じことを未だにやってる人々がいるんだ。「反原発を言ってる奴らは、皆、左翼で、日本の国力を弱め、破壊しようとしてる奴だ」と思っていたのだ。今、そんなことはないのに。

 「原発賛成」と大声で言わなくても、「でも日本には必要だ」と思ってた右翼の人は多かった。ところが、このままでは日本は滅ぶ。そう憂い、「反原発」に変わり、それを勇気を持って言う人達が増えて来た。
 4月14日(木)、チャンネル桜で原発、是か非かの大討論会があった。推進派の人達4人と反対の人4人の討論だ。反対派の一人として僕も出た。又、西尾幹二さんも出た。西尾さんは言う。「今まで日本には原発は絶対に必要だと思っていたし、マスコミに出て、そう主張してもきた。しかし、今回の事故で、それは間違っていたと分かった。今までのことを自己批判し、これからは反対派に回る」と言った。勇気のある態度だと思った。普通、学者なら、絶対に間違いを認めない。あれこれ理屈をつけて、ごまかす。西尾さんは偉いと思った。

 「右翼、保守派の人は間違っていたと思ったら、謝るし、考えを変える。これは立派なことだ。左翼には全くない」と、ある新聞記者が言っていた。6月20日(月)の一水会フォーラムの時だった。この日は伴英幸さん(原子力資料情報室共同代表)が講師で、演題は「原子力発電と新エネルギーを考える」だった。二次会の時、出席者に聞いたが、最近考えを変えたという人が多かった。

 一水会自体は、昔から原発の危険性を説いてきた。25年前から、福島原発反対のデモをやったり、合宿をやったりしていた。又、チェルノブイリ事故の直後には高木仁三郎さんに来てもらって講演をしてもらった。6月の講師の伴英幸さんの「原子力資料情報室」の初代代表だ。「昔、高木さんが一水会に来たという話は聞いています。チェルノブイリ事故のあとです。私が来たのは福島事故のあとで、因縁を感じます」と言っていた。

 このフォーラムの他にも、竹田恒泰さんの論文が投げかけた問題提起が大きかった。竹田さんは一水会機関紙『レコンキスタ』の5月号の一面に、〈原発には「愛」がない!=保守のための脱原発論〉を書いたのだ。本格的な反原発論だ。勉強会の講師の発言ではない。機関紙の一面論文だ。一水会の方針でもある。竹田恒泰さんは慶応大学講師だが、実は、旧皇族竹田宮家の一員で、明治天皇の玄孫に当たる。旧皇族として、皇室問題についての本も沢山書いている。
 それに、非常に行動的な元宮様だ。2003年2月、イラク戦争直前のバグダッドに行った。木村三浩氏(一水会代表)が団長をつとめ、塩見孝也氏(元赤軍派議長)と僕が副団長だった。PANTAさん、大川豊さん、雨宮処凛さんなど40人近くが行った。その中に竹田さんもいたのだ。向こうでは、「プリンス竹田!」と呼ばれていた。
 竹田さんの最近出した『日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか』(PHP新書)は、何と、20万部突破だ。又、『レコンキスタ』に書いた〈原発には「愛」がない!〉は、大幅に加筆し、急遽、単行本化されている。
 旧皇族の方が「反原発」を言っているのだから…と、反響も大きい。「原発は日本にふさわしくない」「脱原発は現実的選択」と書いている。極めつけは「原発作業員も大御宝(おおみたから)であり、天皇陛下の赤子なのである」。これを読んで考えを改めた人も少なくない。
 
 そして、6月20日(月)の伴英幸さんの反原発講演だ。それにしても、木村三浩氏はどこで伴さんと知り合ったんだろう、と思って聞いたら「理性的に反原発のことを話してくれる人を探していたら、伴さんがいいと東京新聞の記者に言われた」そうだ。一面識もないのに電話してお願いしたのだ。一水会は、今でも「右翼」とか「新右翼」と言われることが多い。講演の依頼があった時、躊躇しなかったのか。伴さんに聞いたら、「それはなかったです。高木仁三郎さんが昔、一水会で話したと聞いてましたので」と言う。
 じゃ、僕も伴さんとは初対面だ、と思って名刺を出したら、「鈴木さんとは前に会っています。集会に一緒に出て話したじゃないですか」と言う。エッ? いつですか、と聞いたら、去年の5月だという。渋谷のウィメンズ・プラザだという。「あっ、言論サミットだ」「そうです。それです」。
 「あれ、それには僕も出てましたよ」と木村氏。「ロシアから帰ったばかりで、成田からそのまま駆けつけたんです」。何の事はない。3人とも会っていたのだ。それなのに初対面だとばかり思って、連絡を取っていたんだ。
 家に帰ってから、パソコンで調べてみた。昨年の5月23日(日)だ。正式には「第二言論サミット」という。「大マスコミ」に比べて、もうちょっと小さい「第二言論」「ミニコミ」のことらしい。なんと24人が登場し、6分ずつ喋る。初めに(テーマを)聞いた時は、面白くないな、と思ったが、当日聞いてみると、なかなか良かった。大きくコーナーが分かれている。「大マスコミとの闘い」「反戦&街へ」「プレカリアート系」「政治文化」「第二言論」「個別テーマから」・・・と。「青年の主張」のようで、清々しかった。
 伴さんは、13番目に登場していた。「原子力政策の転換を求め訴えて―430号を超えた私たちの月刊誌」。
 伴さんの後は、宇賀神寿一さん(救援連絡センター)で、「司法改革、裁判員制度だけではない。刑事公判手続き、国選弁護」というテーマだ。こうしたテーマについては、この人は詳しい。だって、1974年の連続企業爆破事件で、捕まり、長期間、刑務所にいたからだ。人のことは言えないが、危ない人がいっぱいいる。そこで伴さんも話していたんだ。
 じゃ今度は原発問題にしぼって、脱原発も原発推進も呼んで「第ニ言論サミット・第二回」をやってみたらいい。エキサイティングな集まりになるだろう。
 
 
                                ・・・以上・・・
 
鈴木氏は、かつては行動右翼として知られた方ですが、イラク戦争の時、日本が米国のいわれるままブッシュの戦争に加担することを批判し、堂々と対米自立を主張されていました。
 
鈴木氏は最近の反原発デモにも毎回参加されてるようですが、氏が代表だった一水会は、チェルノブイリ事故の後からすぐ反原発の行動をされていたとのことで、驚きました。
 
日本にとって、国民にとって何が大切なのか、をみつめる目は、一般の左翼よりもはるかに優れていたのだと思います。
 
イデオロギー対立の時代はもう終わりつつあるのでしょう。
 
脱原発を、日本人として共に目指したいと思います。

転載元転載元: 無心

 何人かの方からお尋ねがあったので、一応ご説明させて頂きます。このブログの画面左上に表示されているアバターの画像は、横浜中華街の関帝廟に祀られている三国志でも有名な武将・関羽雲長です。
 
 まず、以下に転載する文面からも推測して頂けると思うのですが、「法」というものは、近代社会の法治国家では、「国家と国民との約束」(社会契約)であると理解されていると同時に、キチンと遵守されてこそのものなので、そこから義理堅く、周囲からの信頼に厚かった、義侠として名を馳せた関帝(関羽)にあやかろうと考えた次第です。
 
 また、今ほど、日本の社会が東日本大震災の発生と相俟って混乱の極みあり、これに対して政治はロクな対応ができず、そのくせ政争に明け暮れているため、権力者が国民から「信義に悖(もと)る」と言われても仕方が無い時代も無いと思いました(本当はもっと酷い時代もあったかもしれませんが、そこは「言葉のアヤ」としてご海容下さい)。国民からの信頼に基づく強力なリーダーシップを発揮できる指導者の登場が望まれます。
 
 そして、本来弁護士などの法律家は、英国に限らず国際常識に照らせばリーガル・サービスの提供者、すなわちサービス業者なのですが、日本の法曹界・弁護士業界ではこういう意識が致命的なまでに欠落しています。「商売は信用第一」という言葉を理解しているならば、どうして非行弁護士に対してキチンと懲戒処分を下せないのでしょうか。
 
 弁護士自治の名の下、監督(懲戒)権を有する日弁連・弁護士会は何をしているのか。そして、目先の利益のために弁護士制度の改革に抵抗する弁護士(なかんずく日弁連会長選挙で宇都宮健児氏を当選に押し上げたベテラン・ボス弁)たちは、自分たちが自殺行為をしていることに気がつかないのでしょうか。
 
 最高裁(裁判所)や法務省・検察庁とて上記問題を見て見ぬふりしているのですから同罪です。こうした司法制度の信頼性の根幹に関わる問題が存在しており、実は把握しているにもかかわらず、手を拱(こまぬ)いているのでは、どんなに裁判官や検察官が大幅に不足しているとしても、補充のための増員に先立つ人件費の国家予算、すなわち税金からの投入に対して、マトモな日本国民からの理解は得られないのではないでしょうか。信頼回復は喫緊の課題です。
 
 以上の問題意識ゆえに、「信義の守護神」、「信義則の象徴」に思える関帝=関羽をアバターにしてみたというわけです。まあ、簡潔に言えば
 
「政治家と法曹(特に弁護士)は関羽を見習え!」
 
 ということです。
 
 以下、転載文です。
 
**********
 
 關聖帝君は、西暦160年前後の後漢、三国時代にかけて活躍した実在の武将です。姓は關、名は羽、字(あざな)を雲長といいます。 後漢末期宮廷内部は宦官の悪政のため、漢王朝は末期的な症状を呈し、そのために世の中は飢饉と貧困が蔓延し、黄巾賊(太平道という宗教集団・頭部に黄色の頭巾を被っていたので黄巾とよばれた)の反乱が世の中を騒がせていました。 乱世をただすため、關羽様・張飛・劉備の三人は義兄弟の杯をかわし、義勇軍に参加し黄巾賊征伐に立ち上がります。

 
「我ら天に誓、我ら生まれた日は違えども、死すときは同じ日同じ時を願わん」

 
 これは劉備を長兄、關羽様を次兄、張飛を末弟とした義兄弟のそして主従の杯をかわしたときの有名な台詞で、これを「桃園の誓い」といい、この日より關羽様は劉備に生涯忠誠を誓い、義弟張飛とともに劉備を助け、国家の安泰のために国作りに立ち上がりました。
 
 それは、建安5年(西暦200年)劉備は小沛で曹操に敗れ、袁紹のもとに落ちのびたとき、關羽様の元には劉備夫人が居たために、曹軍の武将張遼の説得を受け入れ、曹操に降伏を決意します。しかし、關羽様は曹操に降伏するにも、次の3つの条件を引き替えに出しています。

1、曹操に降伏するのではなく漢朝に降伏する。
2、劉備夫人の安全を保証すること。
3、劉備が生きていることがわかれば劉備のもとに帰る。

 このことでも判るように、關羽様の劉備に対する忠誠心は、揺るぎない絶対的なものでした。曹操はこの様な關羽様の人柄に惚れこみ、偏将軍の位や金銀財宝を与え、さらに赤兎馬という名馬を与えたりと、礼遇をきわめました。しかし、關羽様は金銀財宝には興味を示さず、それらをすべて劉備夫人に献上し、赤兎馬だけを手もとに残し、これで劉備のもとに駆けつけられると喜んでいたといわれています。

 やがて袁紹が白馬に攻め込んでくると、關羽様は曹操から受けた恩への返礼として袁紹軍の将顔良、文醜を切り曹操軍に勝利をもたらします。その後、離散していた劉備の行方が分かると屋敷を片付け、贈物をすべて曹操に返還し、劉備夫人をともない曹操のもとを脱出します。關羽様は劉備夫人を守りながら、5つの關所と6人の将を斬り倒し、劉備のもとへと向かったと言われています。

 また、「赤壁の戦い」や「荊州南郡進攻」などは、關羽様の義侠心の厚さをより一層物語るものとして語りつがれています。 まず、赤壁の戦いでは、逃げてきた曹操の命乞いに対し、それを許しています。袁紹軍の武将顔良、文醜を斬って恩を返したとはいえ、「義」に厚い關羽様は曹操の要求を断ることができなかったのです。荊州南郡の張沙城を攻めたとき、老将黄忠と一騎打ちを演じましたが、黄忠が落馬しても「馬を乗りかえられよ」と引き返していくなど、史上これほど義侠心に厚い人物は類を見ません。

 また、關羽様は常に弱い立場である民衆の味方であったため、戦死した後も人々から支持され、關帝として祀られ崇拝され続けました。

 關羽様に対する崇拝は、蜀建国後七年、つまり死後九年(西暦228年)、蜀漢から壮繆候の謚(おくりな)を授かり、祭祀されたことから始まります。

 しかし、実際の民間における崇拝は唐朝時代から始まっています。歴代の王朝は關羽様の信義・忠勇の精神を世人の手本とし、さまざまな称号を贈り、神明として勅封しました。

 次に歴代の王朝から下賜された主な封号を挙げてみました。

 第一に、唐朝の高宗帝は、儀鳳元年(西歴676年)に「伽藍神」(がらんしん)の称号を贈り、神明として勅封しました。この称号はその後仏教の護法神明として使われています。
 
 第二に、明朝の神宗帝は萬歴42年(西暦1614年)に「三界伏魔大帝神威遠震天尊關聖帝君」の称号を贈り、神明として勅封しました。この長い称号が關聖帝君と略称され、後世儒家の亜聖と道教や通 俗信仰の神明の称号として使われています。

 第三に、清朝では満州で挙兵以来、常に關帝の神助が多大にあったということで建国後は王朝の守護神として手厚く祀られ、更に關羽様に「忠義神武霊佑仁勇威顕關聖大帝」と言う長い封号も贈っています。

 この様に朝廷と民衆の両方から支持をうけて、關帝廟は忽ちに、全国津々浦々各地に広まり、数千の廟が建てられました。あまりにも建てられた關帝廟が多くて、關帝一人では手がまわりかねるので、代理の關帝が務めたという、面白いエピソードも残っている程です。
 
 關帝廟は文廟と呼ばれる孔子廟に対して武廟と呼ばれていますが、実際は武神のほか、民間では老爺とよばれ、幽界のもっとも有力な神としても崇められていました。

  また武将として理財にも精通していたため、商人は「財神」すなわち金儲けや商売繁昌の神として信仰しています。 武将にとっても商人にとっても一番大切なものは信義・信用という点から、商業神としての信仰も厚く奉られています。關羽様に対する信仰は中国本土にとどまらず、次第に世界各地に広がりました。
 
【出典】
 まあ、こうなるでしょうね。ちなみに、このランキング(「次期リーダーアンケート分析」と銘打ったもの)については転載記事中にリンクが貼ってありますが、これを見ると、トップ・ファイブ(上位5人)に国会議員は1人しかいないことがわかります。永田町(中央政界)は、自業自得とはいえ、国民から期待されていない実態が浮き彫りになっています。まさに、「信無くば立たず」といえますが、これでは国政が空洞化しているわけですから、危機的状況といえます。
 
**********
 
 
2011/05/16
 
次期リーダーアンケート調査結果について
 
先日実施した次期リーダーアンケートの結果について、レポートを作成しました。
 
河野太郎氏が最も多く全体の13.4%、次いで橋下徹氏と「いない」が10.1%となった」(レポート本文より)
 
詳細はこちらからダウンロードしてご覧ください。
 
「次期リーダーアンケート分析」
 
 
 
**********
 
自民・河野、岩屋氏らが造反=「延長反対はへ理屈」
 
時事通信 622()1839分配信
 
 今国会会期の70日延長を議決した22日の衆院本会議で、自民党の河野太郎、岩屋毅両氏が党の方針に反して延長に賛成した。これに対し、同党の谷垣禎一総裁は記者団に「誤解か勉強不足に基づくものだ」と述べ、両氏の造反に不快感を示した。
 
 本会議に先立つ同党代議士会で、河野氏は「世の中が望んでいるのは、国難に際して与野党が団結して取り組むことで、会期をめぐってへ理屈をこねることではない」と執行部の対応を批判。岩屋氏も「菅直人首相が居座るのはけしからんが、首相進退と会期延長を絡める自民党の姿勢は国民に理解されない」と訴えた。
 
 代議士会では秋葉賢也氏も「党の決定に納得できない」と異議を唱え、採決を欠席。また、小野寺五典、後藤田正純両氏ら7人が執行部に無断で欠席した。
 
【出典】
 
**********
 

橋下知事「大臣らは原発周辺に住めばいい」

配信元:
2011/06/18 12:11
 
 大阪府の橋下徹知事は18日、経産省の“安全宣言”について「時期尚早極まりない」と強烈に批判。「福島の収拾も付けられていないこの時期に政治家がいうことなど、自治体は誰も聞きませんよ。安全だっていうなら、大臣、経産省幹部、みんな強制的に原発周辺に住ませればいい。霞が関を原発周辺に移せばいい」とトーンを上げた。
 
 訪問先のインドネシアから帰国したこの日朝、関西国際空港で報道陣に述べた。橋下知事は「絶対安全という基準を設ける従来のやり方はもうやめるべきだ。リスクを念頭にした上で、さらにどう対処するかを考えなければいけない」と持論を展開。ただし「僕は反原発ではない」とも話し、「本当に電力が足りないというなら、原発のリスクを明示したうえで国民のみなさんに納得してもらえるアプローチの仕方を考えるべきだ」と述べた。
 
 また、関西電力からの15%の節電要請について「拒否する」と明言した直後、関電側から事務方を通じ、「福井県に原発の再稼働を要請してほしい」と要請があったことを明らかにした。
 
 橋下知事は「もちろん断った」とする一方で、「原発依存度を下げるというニュアンス(の方針)を出してもらえないか」と関電側に投げかけたところ、「申し出は取り下げる」と連絡があったという。
 
 橋下知事は21日に関電側と面談する予定になっているが、一連の対応に対し「本当にふざけた態度。自治体の長を子供の遣いぐらいにしか思っていない」と怒りをあらわにした。
 
 また、「僕は原発全否定ではないが、日本全体の流れを考えた」と、自身の“脱原発”発言の背景を説明。さらに、「関電がこの夏はどうしても電力が不足するというならば、大阪府知事として(原発再稼働について)福井県に頭を下げるなり、府民に説明しようかと思っていた」と、関電が将来的に原発依存度を下げる方針を示せば、原発再稼働を支持する可能性もあったことを明かした。
 
【出典】
 
********** 

全5ページ

[1] [2] [3] [4] [5]

[ 次のページ ]


よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

話題の新商品が今だけもらえる!
ジュレームアミノ シュープリーム
プレゼントキャンペーン
ふるさと納税サイト『さとふる』
実質2000円で特産品がお手元に
11/30までキャンペーン実施中!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事