「聖なる人」フランシスコ・ザビエル1
フランシスコ・ザビエル、この名前を知らない日本人はモグリと言われても仕方がないであろう。
それほど有名な西洋人である「ザビエル」。
キリスト教にまつわる人物の中で、彼はおおもとのキリストやマリアを除けば最も日本人によく知られた人物なのではなかろうか。
私はこのザビエルという、歴史の教科書でお馴染みのあの髭面の人物について、かねてから興味を持っていた。
イグナティウス・デ・ロヨラと七人の同志、彼らがパリ・モンマルトルの丘の上にあるディオニソス聖堂で「貞潔、清貧、エルサレムへの巡礼」という誓願を立て、イエズス会を創立したのが1534年のこと。
時は宗教改革の時代、1517年にマルティン・ルターが「九十五か条の論題」を発表してからというもの、ヨーロッパのキリスト教社会は未曾有の混乱に包まれていた。
そんな時代だった。
ルターの思想の根底には福音主義がある。
福音主義とは、キリスト教の本質を新約聖書、特に福音書やパウロ書簡に見いだし、信仰生活を聖書に示されているような、キリストと各個人との直接的で内面的な関係に求めるという考え方である。
この考え方は教皇庁や司教たちの激しい反発にあったものの、徐々にヨーロッパ全体に浸透していった。
いわゆるプロテスタント運動というものだ。
もちろん対抗のカトリック側も黙ってはいなかった。
プロテスタント運動に対してカトリックも対抗改革を起こしたのである。
その代表的存在が、このイエズス会の創設であるといえよう。
そして、この時代は「地理上の発見」、いわゆる大航海の時代でもあった。
既に1492年にはコロンブスによってアメリカ大陸が「発見」されていたし、1498年にはヴァスコ・ダ・ガマによりインド航路が開拓されていた。
ヨーロッパ人にとって世界は大きく広がっていたのである。
イエズス会は世界布教の熱意に溢れていた。
西に向かえば新大陸、南にはアフリカ、そして、東にはインドと中国がある。
イエズス会は1540年、教皇パウロ三世により修道会として正式に認可されると、その翌年にはさっそく世界布教への船出に宣教師を出発させている。
その先陣を切ったのがザビエル、あのフランシスコ・ザビエルなのである。
ザビエルが最初に向かったのはゴアだった。
インドのゴア。
16世紀の初頭にポルトガルの艦隊により占領され、1530年には既にポルトガルの植民地、ポルトガル領インドの首府となっていたゴア。
ザビエルはまず、布教の拠点としてそこを目指したのである。
ゴアの中心、パナジ。
猛烈な暑気に包まれた十月のある日、私はそこを訪れた。
インドの他の町からやって来ると、この町はとても異質に見える。
それも当然のこと。ここゴアは1961年にインドに併合されるまで、約400年もの間、ポルトガルの植民地だったからだ。
パナジのパステルカラーの街並みからは南欧のカラリとした空気が漂ってくるような気がする。
といってもこの時期のゴアは体中がべとべとするくらいの湿気に包まれていたのではあるが……。
ポルトガル風の家が建ち並び、いくつもの教会の姿を見ることが出来るパナジの町。
しかし、かつてザビエルが滞在したといわれる「黄金のゴア」と呼ばれた町は、ここからマンドヴィー川を10キロほど遡ったところにあるのだという。
私は、そのオールド・ゴアに行ってみることにした。
オールド・ゴアへはバスで25分だった。
かつて、ポルトガル領インドの首府があったこの町であるが、今や見る影もない。
辺りにはほとんど街らしき街はなく、当時のままの姿をした教会がいくつか残っているだけだった。
それらの教会群の中でも最も重要な建物は、1594年に建立されたボム・ジェズ教会であろう。
ここはフランシスコ・ザビエルゆかりの教会として有名な所で、観光客の多くもまずここを目指す。
バロックの装飾が施された正面、ラテライトの赤茶けた色が南国の強烈な陽光に照り返され目に眩しい。
私は多くの観光客たちと一緒に教会の中に入っていった。
建物はシンプルな構造をしていた。
側廊のない単廊式の礼拝室、ガランとした堂内。
その中を観光客たちのざわめきが乱反射するように響き渡っている。
教会堂の奥には金箔で埋め尽くされた豪華な祭壇があった。祭壇の前には人だかりがしている。近づいてみると、黒い人々の群れがイエス・キリストに頭を垂れ、真摯に祈っていた。
地元ゴアの熱心なインド人信者たちである。そして、その横には欧米から来た白い肌をした若者たちもゴアの人々と同じように十字を切っているのが見えた。
私は何もせず、その様子をただただ呆然と眺め続けていた。
彼らは深い感慨に耽っている筈だ。ここはあのザビエルがアジア布教の拠点とした教会、強烈な信仰の熱意によって遙か東方へと旅立った拠点なのである。
キリスト教を信じてはいない私にはその感慨はわからない。どんなに書物を読んで知識を深めても決して理解することはない。
しかし、私には彼らとはまた違った感慨があった。
フランシスコ・ザビエル、彼が来たことにより日本という国の運命は大きく変わった。
彼がいなかったら日本は今ある姿ではなかったのではないかと私は思う。
日本の歴史の一部を作ったともいえる西洋の偉人ザビエル。
私は東照宮や法隆寺を見るような目で、このボム・ジェズ教会を見つめていたのだ。
ザビエルがゴアに着いた時、既にここにはポルトガル人たちが大勢居住しており、街にはいくつもの教会が存在していたらしい。
彼は到着すると、ここに建立されていた聖パウロ学院をキリスト教信仰の養成所と定め、自身はインド各地を周り布教に専心した。
私は南インドの西岸にあるケララ州最大の都市であるコーチンという町に行ったことがある。ここもザビエルが布教を行った所として知られている町だ。
この街の歴史的地区であるフォート・コーチンを散策している時、キリスト教会のミサを偶然見た。
明るい雰囲気の堂内には大勢のインド人信者たちがおり、南国的なメロディーの宗教歌を皆で唱和していた。
「ハレルヤ、ハレルヤ」
と彼らは唄っていた。
それは、ヒンドゥー教の寺院ばかり目立つインドの中で聞くと、とても新鮮に聴こえた。
ザビエルが布教したキリスト教は、ヒンドゥー教という強烈な色彩を持った世界に囲まれながら、現在でも生き長らえているのである。
ザビエルはその後、インドからマラッカへと渡った。
マラッカは現在のマレーシアにある。
首都クアラ・ルンプールから西へバスで2時間走ったマラッカ海峡に面した海沿いにこの町はある。
ザビエルが訪問してから約450年後、私はこの、マラッカを訪れた。
450年という月日はこの町にとっては長い。
マラッカ海峡という海上交通の要衝に位置し、戦略的に重要なポイントであるこの町にとって450年は町のかたちを全く変えてしまうほどに長かった。
ザビエルのいた頃、マラッカはポルトガルの支配下にあったのだが、その後、オランダ、イギリス、そして、20世紀には日本の植民地支配を受けることとなる。
ゴアの街並みからはポルトガル風の雰囲気が濃厚に感じられたということは既に述べたが、しかし、ここ、マラッカの界隈を散策してもポルトガルの風物にはなかなか出会うことはない。
激動の歴史を生き、様々な国や文明の色彩が混ぜ合わさったことにより、この町にはザビエルのいた頃の面影はもう、ほとんど残ってはいないようだった。
そんな中、私は街のランドマークでもあるオランダ広場から望める高台の上に、数少ないポルトガル支配時代の遺構が残っているということをガイドブックの情報から知った。
私は丘の上へ登ってみることにした。
丘の上にある遺構は崩れかけた教会跡だった。セント・ポール教会という。
ザビエルがやって来た当時、ここは東方へと布教する宣教師たちの拠点のひとつだったらしい。
レンガ造りの教会は屋根が落ち、そのガランとした内部が剥き出しになっている。
西正面の門の上には、かつては煌びやかなステンドグラスが嵌め込まれていたであろう丸い孔が穿たれていた。
孔の向こうには真っ青な空が見えた。
それはこのマラッカという町の、激動を生きたこの町の歴史を物語っているかのように見えた。
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ザビエルは日本に来る前にゴアやマラッカを訪れていたなんて知りませんでした。。教会で祈りを捧げている方々をイタリアで見ましたが、信心深さが伝わってきて・・・でも宗教にうとい日本人の私には理解し難く、とにかく邪魔だけはしないようにしていたのを覚えています。関係ないですが、マラッカはかなり昔に『世界不思議発見』で見て以来ずっと行ってみたいと思っている場所なんです!!どうでしたか??旅行はしやすいですか??治安とか・・・
[ mou*a*ue ]
2006/7/29(土) 午後 5:20
ピノコさん、外国で信仰の現場を見ると、ほんとに尊重したいなとは、いつも思います。マラッカは旅行しやすいですよ!治安もいい。中国人が住む古い地区があって、界隈の風情はなかなかいいです。びっくりするような驚きはないけど、まったりと過ごせるいいところです。中国風の食事もおいしい!
2006/7/29(土) 午後 9:21
ありがとうございます♪じゃあ絶対行かなきゃですね☆まったりできるなら社会人になってからのがいいかも◎きっと疲れてるから・・・笑。ヨーロッパとかに比べたら近いですしね!!
[ mou*a*ue ]
2006/7/29(土) 午後 11:23
ピノコさん、学生のうちに遠い所に行っておいた方がいいですよ。南米とかアフリカとか(笑)。
2006/7/30(日) 午後 8:31
知らない事が多すぎる、わたしは。
続きへ行きます。
2009/1/9(金) 午後 10:52
インドでのキリスト教は、カーストと関係ありますか?
カーストを超えた存在なのでしょうか
2009/1/9(金) 午後 10:53
みちこさん、キリスト教ではカーストは関係がないと思いますよ。
ただ、ヒンドゥーのアウトカーストがイスラムや仏教に改宗することが結構あると言いますが、ヒンドゥー側からの偏見などは変わらないようです。
現在インドでは不可触民の仏教への改宗のため、仏教が復興しつつあるようです。そのインド仏教復興運動の先頭となっているのが、日本人である佐々井秀嶺上人だそうです。
2009/1/10(土) 午後 11:22