メジャーリーグ史上、最も偉大な選手は、ベーブ・ルースではありません。 私は、ジャッキー・ロビンソン、彼こそが最高の選手であったと思います。 先日、ヒストリーチャンネルでメジャーリーグの歴史がやっていましたが、ジャッキー・ロビンソンの功績に改めて感動してしまいました。 彼はメジャーリーグだけでなく、黒人、そして、アメリカの歴史をも変えた偉人なのです。 現在、メジャーリーグには多くの黒人選手が活躍しています。 しかし、1940年代半ばまではメジャーリーグにはひとりの黒人もいませんでした。 当時のメジャー機構は人種差別主義で凝り固まっていて(アメリカ社会全体がそうでしたが)、メジャーリーグは黒人を一切受け容れていなかったのです。 もちろん、黒人だって野球が好きです。 しかし、いくら学生時代に優秀な成績を修めてもメジャーには入ることは出来なかった。 黒人たちは黒人独自のリーグ、ニグロリーグで野球をするしかありませんでした。 ニグロリーグはメジャーリーグに勝るとも劣らないレベルで、黒人の間ではかなりの人気があったらしいのですが、やはり、資金的にも乏しく、選手のサラリーもメジャーとは格段な違いがあったようです。 その状況を打破した初めての黒人メジャーリーガーが、ジャッキー・ロビンソンなのです。 ジャッキー・ロビンソンは、1919年、ジョージア州で生まれました。 彼の天性の運動能力は、UCLAでの学生時代に開花します。 彼はアメリカンフットボールやベースボール、バスケットボールなど全ての競技で活躍し、その名声を欲しいままにします。 しかし、彼は黒人でした。 当時のアメリカは黒人に対する差別が強く、黒人は白人の影に隠れるようにして生活しなければならなかったのです。 黒人というだけでホテルに泊めてもらえなかったり、バスに乗る時も黒人専用の場所に押し込まれたり。 ロビンソンにとって、メジャーリーグに入ることなど、想像もつかない夢であったろうと思います。 ロビンソンは第二次大戦での従軍から帰国すると、ニグロリーグのカンザスシチー・モナークスに入団します。 普通でしたら、このモナークスで素晴らしいニグロリーガー選手として生涯を終えたことでしょう。 しかし、彼には大きな使命が待ち受けていました。 神は、彼にアメリカ中の黒人の運命を託すことにしたのです。 当時、ブルックリン・ドジャースの会長だったブランチ・リッキーは、現在のファームシステムの根幹を作るなど、革新的な人物として名を知られていました。 そんな彼が次に成し遂げたかったこと。それは黒人メジャーリーガーを誕生させることでした。 リッキーにはある思い出がありました。 彼が大学チームの監督をしていた時のことです。 遠征先のホテルに宿泊しようとした時、チーム一優秀な選手が宿泊を拒否されてしまいます。 彼は黒人でした。 結局リッキーは、彼を自分の召使であるという扱いにして、宿泊させなければならなかったのです。 その晩、その黒人選手はリッキーの前で泣いたのだそうです。 「自分の肌が黒くなければみんなと同じように泊まることができるのに」と言いながら……。 リッキーは深く心を痛め、こんな思いをしなくてもいいように、いつか黒人の力になってやろうと心に誓ったのだといいます。 リッキーはドジャースで仕事をしながら黒人メジャーリーガーを誕生させるチャンスを窺っていました。 マスコミでも、ニグロリーグの選手がメジャーに入ったらどうなるかという記事が出たり、他のチームでも黒人選手を登録しようと言う動きがありましたが、世間はまだまだ黒人に対しての差別意識が強く、メジャーに黒人なんて考えられない状況でした。 1945年、会長になったリッキーとジャッキー・ロビンソンは初めて顔を合わせます。 リッキーは初の黒人メジャーリーガーとなる若者を探していました。 そして、ロビンソンに白羽の矢を立てたのです。 黒人への差別意識が強い中での初めての黒人メジャーリーガー。 観客からの誹謗中傷、嫌がらせ。敵のチームだけでなく見方の選手たちからも冷ややかな視線を投げつけられるでしょう。そして、ビーンボールを投げられたり、危険なスライディングをされたりと、全ての選手がロビンソンを潰しにかかるでしょう。 もちろん審判も全て敵です。 しかし、そういった攻撃に怒り、手を出してしまったら、「それ見たことか、やっぱり黒人は紳士のスポーツはできない」ということになってしまいます。 リッキーは、ロビンソンがそんな状況にも耐えることの出来る男だと踏んだのでした。 リッキーは彼に言いました。 「どんなにひどい仕打ちを受けようとも、絶対に仕返しをしないで欲しい」と。 それがリッキーの出した条件でした。 侮辱されても仕返しをしないという勇気を持つ自信はあるか、とリッキーは問い掛けたのです。 ロビンソンは悩みましたが、リッキーの心意気に絆され、メジャー挑戦を決意することにしました。 1946年、ロビンソンは3Aのモントリオール・ロイヤルズに入団。そして、翌年ドジャースに昇格します。 ドジャースに昇格が決まった時、ドジャースの選手たちは連名でロビンソンを昇格させるならプレーしないという請願書を提出しました。 しかし、ブランチ・リッキーが逆に、請願書を取り下げないと解雇すると言ったため、選手たちはしぶしぶロビンソンとのプレーを受け容れたのだそうです。 リッキーは、ロビンソンへの差別には断固強い態度で臨みました。 ロビンソンへの仕打ちはあまりにも酷いものだったそうです。 しかし、ここで怒ってしまったら、全てが台無しになってしまいます。 彼の双肩には全てのアメリカ黒人の運命が掛かっていたのです。 彼は約束を守り紳士的な態度を貫き続けます。 そして、プレーでも好成績を挙げてチームの勝利に貢献しました。 チームメイトは最初はロビンソンがいることに否定的で、冷たい態度をし続けていましたが、シーズンが進むにつれ、徐々にその態度が変化していきます。 フィラデルフィア・フィリーズとの試合の時でした。 この日、フィリーズのダグアウトから聴こえるロビンソンへの誹謗中傷は、聞くに堪えないものであったそうです。 ロビンソンはリッキーとの約束、そして黒人の命運のためにも言い返すことはできません。 元来熱い性格であるロビンソンは、後に「このときばかりは暴力を奮いそうになった」と言っています。 しかし、ここで思いがけないことが起こりました。 フィリーズの卑劣な言動にドジャースのチームメイトが怒り、ロビンソンを庇いはじめたのです。 ドジャースのチームメイトがロビンソンを仲間であると認めた瞬間でした。 ロビンソンの紳士的な態度、そして、試合での獅子奮迅の働きは、次第にチームメイトのみならず、他のチームや観客の中にも彼を受け容れる空気を創っていきます。 当時のメジャーのコミッショナーがロビンソンを全面的に支持していたということもその流れの形成に大きな影響を与えたといえるでしょう。 ロビンソンの活躍でアメリカの黒人は大きな自信を持ったといわれています。 そして、白人の黒人に対する見方の変化にも貢献しました。 キング牧師が表舞台に登場したのが1955年のこと。 ジャッキー・ロビンソンの登場は牧師による公民権運動の盛り上がりと、1964年に勝ち取った公民権法制定への大きな布石でした。 差別を克服したメジャーリーグ、それはアメリカという国の歴史そのものでもあります。 バリー・ボンズやデービッド・オルティス、ペドロ・マルティネスや先日来日したライアン・ハワードなど、現在のメジャーリーグは黒人の存在なしでは語れません。 ジャッキー・ロビンソンが差別と戦い抜いたからこそ、今のメジャーリーグがあるのです。 そして、アメリカの黒人が自信を持って生活できるようになったのも、ロビンソンの偉業なしでは有り得なかったといえるでしょう。 ロビンソンは、メジャー昇格一年目に当時新設された新人王に輝きました。 現在この賞は、ジャッキー・ロビンソン賞と言われています。 そして、ロビンソンの背番号42番は、メジャー30球団全ての永久欠番となっています。 彼は、1962年には野球殿堂入りを果たしますが、72年、交通事故によりその波乱の生涯を閉じました。 死後、30年以上経った現在でも、毎年4月15日(ジャッキー・ロビンソンのメジャーデビューの日)には各球場で彼の偉業を讃える式典が催されます。 差別と戦った偉大なプレーヤーを毎年讃え、その偉業を後世の選手やファンに伝え続けている。 メジャーリーグの素晴らしいところのひとつです。 ジャッキー・ロビンソン、そして、彼をメジャーへと迎え入れたブランチ・リッキー。 ベースボールというスポーツの中で行われたこの挑戦が、アメリカ社会を大きく変えた。 だからこそ、ベースボールはアメリカのナショナルパスタイムと呼ばれる所以なのかもしれませんね。 |
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今では、黒人の運動選手は大活躍ですから、短期間の間にずいぶん変わりましたよね。
2006/11/20(月) 午前 1:17
Bessaさん、1950年代までのアメリカというのは、少し前の南アフリカのようなところだったのですね。そのアメリカがチベットなどの人権問題で中国を叩いている。変われば変わるもんです。
2006/11/20(月) 午前 7:12
全球団で永久欠番になる過程がよく分かります。成功者の影にアナザーヒーロー(ブランチ・リッキー)が必ずいるんですね。今夏ホームタウンヒーローという賞があり、LADからはジャッキー・ロビンソンが選ばれています。ちなみにSEAはケン・グリフィー・Jrです。
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2006/11/20(月) 午後 0:18
フィールドさん、松坂がメジャーへ挑戦してますますMLBへの関心が高まる中、日本でもジャッキー・ロビンソンなど、過去の偉人にスポットライトが当たればいいなと思います。そして、日本でも過去の偉大なプレーヤーを讃える行事が行われればいいと思います。それにしても、ジュニアをトレードで獲得するという噂は本当なんでしょうか?
2006/11/20(月) 午後 7:39
高校の時の教科書(たしか英語)に、ジャッキー・ロビンソンの事が書いてあったので、彼の名前を目にした時ちょっと懐かしかったです。それにしても凄い人ですね。差別と戦って勝ち抜いただけでなく、記録の面でも偉大です。
2006/11/21(火) 午前 0:22
虎箱さん、確かに記録もすごい。1382試合出場、通算打率.311、137本塁打、734打点、197盗塁。1949年には首位打者と盗塁王、MVPも獲得しています。
2006/11/21(火) 午前 7:39
背番号42が全30球団で永久欠番になってることは知りませんでした。
2006/11/22(水) 午前 4:51
まさおさん、メジャー全体でロビンソンの偉業を讃えています。素晴らしいことですね。
2006/11/22(水) 午前 8:41
今日のメモリアルの日に・・・この素敵な記事を読ませて貰って・・・とても詳しく彼の偉大さが判りました。とても凄い選手だったんですね〜。60周年の今日のゲームで・・・彼を称えるMLBも凄いし粋だなって思いました。素敵な記事を読ませて頂いてありがとうございました。
[ めぐ ]
2007/4/17(火) 午前 0:01
めぐさん、ジャッキー・ロビンソンはベースボールだけでなく、アメリカの歴史の上でも特筆すべき人物であると思っています。
2007/4/17(火) 午前 7:12
彼はすばらしい開拓者ですね。それだけの差別に自分が耐えられるかと思うと尊敬という言葉では足りないくらいの思いです。どんな道でも先駆者は大変な苦労をされているんですよね。その勇気と強さに感動です^^。
2007/4/17(火) 午後 8:09
きらりさん、当時アメリカは黒人と白人が明確に区別されていたといいます。全ての分野において黒人が白人の中に入ったのは、ベースボールが初めてなのです。ロビンソンはあまりに偉大でした。
2007/4/17(火) 午後 11:45
こんにちは、
まだ先の話ですが8月のピー・ウィー・リースの命日に掲載予定の記事にこの↑ジャッキー・ロビンソンのブログURLを載せてもよろしいでしょうか?
2007/6/21(木) 午後 3:24
PUCKETTさん、どうぞどうぞ、載せてください。
8月ですか〜。随分と先ですねぇ。
2007/6/21(木) 午後 11:18
俺は球技そのものがあまり好きではありませんが、こういうヒューマンドラマは好きです。感動と共に新たな発見です。
2007/7/10(火) 午後 5:18
黒丸さん、野球はアメリカそのものだと思います。
歴史の浅いアメリカにとって、唯一歴史のある文化といえるものが野球なのではないでしょうか。差別を克服してきたという歴史も含めて。
2007/7/10(火) 午後 9:50
以前予告↑してた様に本日この記事を引用させていただきました、どうもありがとうございます。暑い日が続きますがお互いに体調管理には気を付けましょう。
2007/8/14(火) 午前 11:53
パケットさん、ご紹介ありがとうございます。
後でお伺いしますね。
2007/8/15(水) 午前 11:49
ちなみにリッキーから黒人を連れてこいと言われてジャッキーをスカウトしてきたのは2004年にイチローの安打記録で話題になったジョージ・シスラーです。
[ 通りすがり ]
2012/5/10(木) 午前 11:56
通りすがりさん、シスラーがジャッキーをスカウトしてきたとは初耳です。
日本人野手のパイオニア、イチローの記録といい、なんか運命的なものを感じますね。
2012/11/12(月) 午後 9:59