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「アボットの記録は、どの記録とも違っていた。ヤンキースの左腕、ジム・アボットは生まれながらにして手に障害を持つピッチャーだった。それにもかかわらず素晴らしい高校時代を過ごし、大学のスター選手になり、オリンピックの英雄となり、メジャー5年目にして優勝争いを担うエースとなった。 彼は常々、他の人間と少しも変わることはないと言っている。 そうだろうか。 もう、そうとも言えないのではないか。 1993年9月4日、彼は障害を持たない投手さえ滅多にできない、ノーヒットノーランをやってしまったのだから。」 「奇跡の隻腕 ジム・アボット物語」ボブ・バーノータス著 武田薫訳 ベースボールマガジン社 松坂や井川の挑戦で日本でもますます脚光を浴びているメジャーリーグ。 この世界最高峰のリーグでプレーしてみたいと多くの日本人選手が挑戦し、そしてその何人かが結果を残せず敗れ去っていきました。 もちろん日本人だけではありません。 メジャー150年の歴史上、星の数ほどいるアメリカの選手たちの中でメジャーに登りつめ活躍することができたのはほんの一握り。 それほどメジャーリーグという頂きは高く険しいものなのです。 今回ご紹介する「ジム・アボット」は隻腕でありながら、そんなシビアな競争社会を勝ち残った奇跡のような選手です。 私はアボットの両親の息子に対する愛と信頼を思う度、畏敬の念を禁じえません。 1967年、ミシガン州フリントに於いてアボットは産声を上げました。 その時の父マイクと母キャシーの年齢はなんと18歳! まだ高校を卒業したばかりでした。 彼らが右腕に障害を持った赤ん坊を見た時の衝撃は相当なものだったでしょう。 しかし、彼らはこの事実に悲観することなく、彼を特別扱いしないで普通の子供として育てたのです。 彼らはジムにやりたいことをやらせました。 そして、ジムは両親のそんな考えを受け、隻腕でありながらも手を使わずに済むサッカーではなく野球を始めることにしたのです。 右腕が使えないと普通はボールを投げ、捕球するという一連の動作をすることができません。 しかし、それだと子供たちの野球チームに入れてもらえない。 そこでジムと父マイクは考えました。 左手でボールを投げた後、素早くグラブを左手に持ち替え捕球する。 そして、すぐに右腕の先端と胸でグラブを支え、左手でボールを掴んで野手に投げる。 ジムはこの動作を気が遠くなるほどの時間を掛けて練習し、障害のない子供たちと遜色のないフィールディングを身に付けるまでに至ったのです。 もちろん左腕でバットを握り、右手を添えて打つバッティングの方でもジムは少しもハンディを感じさせませんでした。 ジムの身体能力は突出していました。 リトル・リーグ、そして、ハイスクールでもエースとして活躍し、バッティングでもチーム最高の成績を収めます。 野球だけではありません。 フットボールではクォーターバックとして、バスケットボールではフォワードとして学内でも指折りの好成績を挙げたのです。 最初は奇異な目で見ていたチームメイトや対戦相手でしたが、ジムが活躍するにつれ、貴重な戦力として、倒すべきライバルとして彼のことを見るようになりました。 大学でも彼は大活躍しました。 NCAA野球選手権、日本やキューバも参加した国際試合パン・アメリカン選手権、ソウル・オリンピック。 特にパン・アメリカン選手権ではキューバの強力打線を抑え、30年ぶりに敵地キューバでキューバ代表を破ったアメリカ人投手となりました。 この頃にはジムはもう全米中の注目の的になっていました。 そして、1988年8月、彼はカリフォルニア・エンゼルスとマイナー契約を結ぶこととなります。 翌89年のエンゼルスのキャンプ。 アメリカ中のメディアはジムという特ダネを得て、てんやわんやの大騒ぎでした。 隻腕の投手が果たしてメジャーへ上がれるのか。 それだけで大ニュースです。 確かに隻腕の選手が登場すればファンも注目するし、球団の経済効果も上がるでしょう。 しかし、ジムは特別視されることを好みませんでした。 そして、しっかりとオープン戦で結果を残し、誰にも文句を言わせずメジャー行きの切符を手にしたのです。 メジャー一年目のこの年、ジムは12勝12敗、防御率3.92という成績を記録しています。 本人にとっては納得できない成績なのでしょうが、これは彼がメジャーの舞台で十分に通用することが証明されたということでもありました。 特にボストン・レッドソックスの先発、ロジャー・クレメンス相手に完封勝利を飾った際の投球はキラ星のように光っています。 彼はエンゼルスで4年間プレーしました。 1991年には18勝11敗、防御率2.89、翌92年には7勝15敗ながら防御率2.77という好成績を収めています。 ニューヨーク・ヤンキースに移籍した93年の9月には、ヤンキース10年ぶりのノーヒット・ノーランを記録しています。このノーヒット・ノーランはメジャーの歴史上、最も価値のあるノーヒット・ノーランのひとつだとも言われています。 その後、彼はホワイトソックス、エンゼルス、ブリュワーズと渡り歩き、1998年に10年間のメジャー生活に別れを告げ、ユニフォームを脱いでいます。 晩年の彼の成績はさんざんなものでしたが、1998年にはホワイトソックスで5勝0敗という成績を挙げました(防御率は4.55でしたが)。 ジム・アボットは隻腕であるというもの珍しさによってメジャーリーガーになれたわけではありません。障害のない他の選手と少しも変わらない、実力で地位を掴み取った誰もが認めるメジャーリーガーでした。 しかし、彼には常に隻腕であるということが付いて回りました。 彼は特別扱いをされることを好まず、普通のメジャーリーガーとして扱われたいと思っていましたが、周りはそうは見てくれなかったようです。 けれども、隻腕の彼が活躍したことは、やっぱり特別なことなのだと私は思います。 ジムが先発する試合には大勢の障害を持った子供たちが観戦に訪れたのだといいます。 テレビで観戦している子供たち(もちろん障害を持った大人たちも)も含め、全米、いや世界中の障害者が彼の活躍により勇気を与えられたことでしょう。 彼は障害を持った人たちの希望の星、特別な存在だったのです。 ジム・アボットの語った言葉、それは障害を持つ人だけでなく障害のない人にとっても深い教訓を与えてくれるものです。「奇跡の隻腕 ジム・アボット物語」からの抜粋ですが、それをいくつかご紹介したいと思います(ジムの両親や監督の言葉も一緒に)。 「ボクは野球を5歳からやっていますからね。今では、靴の紐を結ぶのと同じくらい、普通のことなんです」 (片手で靴の紐を結ぶことも彼にとっては語るほどでもない普通のこと) 「第2のピート・グレイになろうなどとは、一度も考えませんでした。ボクがいつも目指していたのは、第2のノーラン・ライアンでしたから」 (グレイは第二次大戦中の選手不足の時代、客集めのためにプレーした隻腕の選手。ライアンはメジャー最多奪三振記録を持つ大投手) 「私たちがしたことといえば、ジムにやりたいことをさせただけ」 (ジムの母キャシー) 「両親は、いつも外に出るようにいっていましたね。誰か知らない子どもがいると、父はボクの背中を押して、挨拶させるんです。握手をして、ボクはジム・アボットですといってくるようにと」 「忘れちゃいけないこと……ボクたちの障害は、あくまでも他の人の目から見ての障害ということ」 (障害のある子どもへ語った言葉) 「いじめられたよ。でもだからどうだっていうんだい?だからって、何かキミに出来ないことがあるのかな?」 (障害を持つ子供に「いじめられなかった?」と訊かれて) 「ジムは私が知る限り、最も障害のない男なんだ――」 (エンゼルス、レイダー監督) |
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OYAKさん、人間誰しも欠点を持っているもの。だけどそれを受け入れ、逆にうまく利用して生きていけるのだということをアボットは我々に教えてくれますね。
2007/3/8(木) 午前 0:16
五体満足でも、その身体を活かしきれなていない、むしろ持て余している人々。そして自分でコントロールさえ出来ない病んだ心をもった人の何と多いことか。「ボクたちの障害は、あくまでも他の人の目から見ての障害ということ」という言葉が印象的です。
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2007/3/8(木) 午前 5:45
ジム・アボットも障害がありながらそれを特別なことではなく、スポーツ選手として当たり前にこなす・・・努力の賜物でしょうが、日本でも「五体不満足」の著者・乙武洋匡さんは四体までもがありませんが、同じように活躍なさってますよね。。満足体で生まれてる私なのに、自分の持てる力を出し切ってない生き方に情けなくなります・・・
2007/3/8(木) 午後 8:14
クシピーさん、ほんとそうですね。むしろ障害を持っていない人よりも、持っている人の方が自分の存在とその価値を理解しているのかもしれませんね。
2007/3/8(木) 午後 8:31
桜子さん、私も彼らの生き方を見ると、もっと一生懸命生きなきゃなと感じます。それにしても乙武洋匡さんもそうですが、彼らの両親の障害を持った息子への接し方。素晴らしいと思います。
2007/3/8(木) 午後 8:34
私野球は詳しくありませんがこのアボット選手のすごさは伝わりました。 ご両親をはじめ回りの人が素晴らしかったというのもあるでしょうし、本人も想像を絶する努力をしたのでしょうね。最後のレイダー監督の「最も障害のない男なんだ」という言葉、深いですね〜。
2007/3/8(木) 午後 11:30
「これっぽっちも苦しまず」というのが凄いです。懸命に生きている。私たちも懸命に生きなくてはいけませんね。
2007/3/9(金) 午前 0:52
ナイス害さん、レイダー監督の言葉、深いです。我々が考える「障害」は彼にとっては少しも障害なんかじゃないのでしょうね。
2007/3/9(金) 午前 0:54
アマチュア時代に浴びた喝采は、それが一投手としてなのか隻腕の野球選手に対してなのか図りかねたでしょうが、プロになってからは声援とブーイングの双方を受けたことによって、もう世間の目は障害者という概念が取り払われていったのでしょうね。
[ haus ]
2007/3/9(金) 午前 10:25
hausさん、ブーイングも一人前のメジャーリーガーとして認めている証ですね。今も彼に憧れて野球を頑張っている隻腕の子供たちがいるそうです。この前テレビでやっていました。
2007/3/10(土) 午前 9:24
両親も立派だと思います☆いつも外に出して挨拶させたりしていたのがよかったと思う☆
2007/3/10(土) 午後 5:53
まさおさん、私もそう思います。若干18歳にしてこの両親はどうしてこれほどの育て方ができたのか。知りたいですね。
2007/3/10(土) 午後 7:06
18歳ですか。年齢は関係ないんですね☆
2007/3/16(金) 午後 7:38
まさおさん、そうですね。びっくりします。
2007/3/16(金) 午後 9:15
不屈の精神、平常心・・・・・・・・・俺は世の中から学ばなければならないことが沢山ある。
2007/7/10(火) 午後 5:24
黒丸さん、アボットの努力には頭が下がりますね。
だけど、彼にとっては努力は苦痛ではなかったのかもしれません。
人々の偏見を見返すことこそが、彼にとっては痛快だったのかもしれません。
2007/7/10(火) 午後 9:52
こんにちは、本日のブログ記事中でこの↑記事のアドレスを掲載させてもらいました。
2007/7/25(水) 午後 3:59
パケットさん、掲載ありがとうございます。
後で、コメントしに行きますね。
2007/7/26(木) 午前 7:49
さるみみさん、はじめまして!
パケットさんのアボット記事から来ました。
僕も昨日アボットの記事を書かせていただきました。
さるみみさんよ、パケットさんの記事でアボットの偉大さを改めて感じることができました。
僕は昔の選手も好きで、「メジャー偉人列伝」クレメンテやジャッキー・ロビンソンも楽しく読ませていただきました。
またお邪魔させていただきます^^
ファンポチさせていただきますね^^
2009/8/19(水) 午後 7:22
グリーンライトさん、はじめまして!
ご訪問&コメント&ファンポチありがとうございます!
メジャー記事は最近書いていないのですが、また、書こうかな。
アボットはつくづく偉大ですよね。
また、いつでもいらしてくださいね。宜しくお願いします。
2009/8/20(木) 午前 1:10