2007年シーズン。 アメリカのメジャーリーグには13人の日本人選手が活躍しています。 シーズン最多安打記録を達成したイチロー。最強のニューヨーク・ヤンキースの中心選手のひとりとなった松井秀喜。そして、現在全米にフィーバーを巻き起こしている松坂大輔……。 しかし、そんな彼らも野茂英雄の挑戦がなかったらメジャーに行くことはなかった。 日本人選手がこれほどまでにアメリカで注目されることはなかったのです。 野茂の果たした役割・功績はメジャーリーグに於いても、日本野球界に於いても計り知れないものがあります。 今回は、そんな偉大な選手、野茂英雄についてご紹介します。 「日本での地位を捨ててまでメジャー・リーグでやってみたいというキミの勇気を称えたい。僕はキミのような青年が好きなんだ。 ベースボールは、いつか世界規模のスポーツになるよ。我がドジャースはこれからも世界の野球に目を向け続け、キミのようなアジアの青年に入り口のドアをノックしてもらいたい。その意味でもキミの大リーグ挑戦は、偉大な行為だと思う」 ドジャース、ピーター・オマリー会長(僕のトルネード戦記 野茂英雄 集英社) 前代未聞のストライキが解決し、ひと月遅れで始まった1995年シーズン。 アメリカの人々は今まで見たこともないような投球フォームで投げるひとりの日本人に熱狂しました。 海を渡ったトルネード、野茂英雄です。 野茂のメジャー・リーグへの道のりは決して平坦なものではありませんでした。 1994年のシーズンオフ、野茂は当初、近鉄に残留したいと考えていました。 メジャーに行ってみたいという希望を持っていた野茂ですが、仲の良い近鉄の仲間たちと共に日本シリーズで優勝してみたいとも思っていたのです。 しかし、野茂は所属していた近鉄に対し不信感を募らせていました。 野茂に対しての扱いや対応に納得できないことがいくつもあったからです。 例えばトレーニング方法。 社会人時代から自分で体を管理していた野茂ですが、当時の鈴木監督を始めとした首脳陣は自分たちのやり方を押し付けようとしてきました。 結局野茂はそれに反発し、首脳陣の反感を買いながらも独自のトレーニングをしていくことになります。 また、首脳陣は選手を自らの駒のように扱っていました。 選手の要望を聞き入れないばかりか、コミュニケーションすらあまり取りません。 首脳陣と選手がフランクに話し合える関係がないのです。 体調が悪くても彼らは上から目線で見ているため、選手たちの「根性が足りない」ということになってしまいます。 そのため、選手は過度に頑張ってしまい、体を故障する確率が高くなります。 野茂も1994年のシーズン中、肩を故障してしまいました。 契約についても納得できないことがありました。 野茂は以前から球団に「複数年契約」と「代理人交渉権」を認めてもらいたいという希望を持っていました。 日本では10年間在籍しないとFA権を取得することはできません。 球団は選手がFA権を取得する前にトレードに出すことが多いのですが、野茂はFA権を取得する前に球団と複数年契約を結びたいと考えていました。安定した契約の下でプレーしたいと考えたのです。 けれども、それは断られてしまいました。 代理人交渉権についても日本では認められていません。 選手は野球しか知りませんから、海外のプロスポーツでは複雑な契約交渉は代理人に任せるのが普通になっています。選手はプレーだけに専念したいのです。 しかし、これも認めてもらえませんでした。 また、野茂は球団がチームを、そして、選手を大事に考えているとはどうしても思えませんでした。 日本の球団のフロントは野球なんてどうでもよく親会社が儲かればそれでいい。 選手のこともチームの勝利も球界の発展も、少しも考えていない人ばかり。 以前、ヤクルトの球団社長が、優勝ではなく2位がいいと語ったことが話題になりました。 優勝すると選手の年棒を上げなければならないからだそうです。 本当にこれでは選手もやる気になりませんよね。 結局、球団との交渉は決裂し、野茂は任意引退という形で近鉄を去り、メジャーに挑戦することとなったのです。 「そう、僕には力と力の勝負が肌に合っているんです。フォアボールをじっくり選んだり、バント、バントで来たり、サインを盗み合ったりという、チマチマとした野球はハッキリ言って性に合わない。極端に言えば、三振かホームランか。フィルダーとの勝負がそうであったように、思いっきり投げて、思いっきり振る。そんな野球が好きなんです。」 (僕のトルネード戦記 野茂英雄 集英社) 野茂が入団したのはロサンゼルス・ドジャースでした。 野茂がドジャースを選んだ理由は会長のピーター・オマリーの存在があったからだといいます。 オマリーと話すことにより、フロントが野球を愛し、チームの勝利を願い、選手を大事に扱ってくれるのがわかったからだと私は思います。 5月2日、野茂はメジャーのマウンドに立ちました。 ストライキにより一ヶ月遅れで始まったということも幸いし、暖かい気候の中、野茂は勝ち星を重ねていきました。 この年の野茂は13勝6敗、防御率は2.54、236個の三振を奪い奪三振王に輝きます。 また、オールスターの先発投手も務め、新人王も獲得しました。 そして、全米に野茂フィーバーが巻き起こり、ストライキに揺れたメジャーの救世主とも言われました。 二年目にはロッキーズの本拠地、クアーズ・フィールドでノーヒット・ノーランを達成します。 高地にあるクアーズ・フィールドは打者有利な球場。ここでノーヒッターを記録したのは未だに野茂ただひとりです。 その後、メッツに移籍。 しかし、1998年にはメッツを解雇され、カブスのマイナー、ブリュワーズのマイナーと渡り歩きます。 そして1999年、ブリュワーズでメジャーに昇格。この年は12勝を挙げました。 翌年にはタイガースに移籍、2001年にはレッドソックスに移り、初登板で再びノーヒット・ノーランを記録しました。この年野茂は220個の三振を奪い、二度目の奪三振王に輝いています。 2002年にはドジャースにカムバックし、石井一久と共にドジャースで活躍しました。 2002年は16勝6敗、2003年は16勝13敗の好成績を収めました。 2004年オフ、FAとなった野茂はデビルレイズとマイナー契約。 しかし、7月に戦力外通告を受けヤンキースとマイナー契約します。 翌年にはホワイトソックスとマイナー契約しますが、その後、ヒジの故障によって解雇されています。 プレー以外を見ると、野茂は、日本の社会人野球の発展のため2003年に「NOMO ベースボールクラブ」を設立しています。野球を志す若者に対する受け皿を少しでも増やしたいという思いからです。 また、アメリカ独立リーグ、ノース・イーストリーグの「エルマイラ」というチームも元近鉄の佐野重樹らと共に運営しています。 メジャーへの道を切り開いた開拓者、野茂。 日本の閉鎖的な球界の殻を打ち破ったその功績は誰にも増して大きいと思います。 そういった意味で、野茂は日本だけでなく、アメリカの選手からも尊敬の眼差しを受けているそうです。 また、日本の球界にとってもメジャーへの道が開けたのは大きな前進だと思います。 スポーツの国際化が進む昨今、野球だけが取り残されるわけにはいきません。世界進出ができないスポーツでは、子供が夢を見出せなくなってしまうからです。 メジャーがこれだけ注目を集め、WBCに国中が熱狂する。 野茂の功績によって野球の灯は以前にも増して赤々と燃えているのだと言えるでしょう。 野茂は現在、どこの球団にも所属しない野球浪人です。 しかし、38歳になった今でもメジャーを目指してリハビリを行っているそうです。 彼はまだ、決して諦めてはいないのです。 野茂がメジャーに挑戦した当時、私は本当に興奮させられたものでした。 本当に素晴らしい投球だった。。。 野茂は12年前、彼の著書「僕のトルネード戦記」の中でこんなことを語っています。 「今日の試合はどうだった」 と父親が子供に聞く。 子供は、夢でも見ているような口ぶりで、 「……すごく、よかった」 と一言だけつぶやく。 彼の記憶には僕の投げたボールの軌跡がこびりついている。 僕はそんなピッチャーでありたいんです。 (僕のトルネード戦記 野茂英雄 集英社) 野茂がトルネードで投げる姿をメジャーのフィールドでもう一度見てみたい。 あのストンと落ちる素晴らしいフォークの軌跡をもう一度目に焼き付けたい……。 きっと彼は再びカムバックし、メジャーのマウンドに立ってくれる筈。 私はそう信じています。 ※ その後、野茂は2008年、ロイヤルズで短期間プレーした後、ユニフォームを脱ぎました。ほんと、夢をありがとうと言いたいです。僕のトルネード戦記 |
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NPBはパには詳しくないんですが、野茂をメジャーに行かせる動機の話題は知っていました。当時はLADファンで、メジャーと言えばナリーグでした。巨人も中日もLADから影響を受けています。92-96年の新人王は全てLADでしたね。野茂の同僚で韓国の英雄のパク・チャンホもいましたね。あの時期一番国際化したチームがLADで、オーナーはオマリー家、監督がラソーダでした。野茂はLADに来て本当に良かったと思います。LADの話は長くなるのでまたということにします。
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2007/5/10(木) 午後 7:28
野茂が200勝まじかになった時、オマリーさんがTBの野茂登板日に球場に常に来ていました。元オーナーや監督に慕われる日本人なんて、私も200勝と今までのことを考えたら熱いものを感じました。最近メジャーに来る選手とは何か違いを感じます。元同僚のパク・チャンホがメッツで復活していますから、がんばって貰いたいものです。
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2007/5/10(木) 午後 7:47
もん介さん、日本のマスコミも球界も行く前は避難轟轟だったのに、活躍し出したら手の平を返したように賞賛の嵐でした。物事の本質、一番正しいことは何かを野茂だけがわかっていたんですね。
2007/5/11(金) 午前 7:08
bluaverdatero さん、初めまして。野茂の存在があってこそですよね。彼の存在はアメリカの日本人や日系人に希望を与えましたよね。
2007/5/11(金) 午前 7:11
フィールドさん、オマリーさんの話、初めて知りました。アメリカのオーナーの中には野球を本当に愛し、大切にしている人がいます。SEAのオーナーももうちょっと情熱を注いで欲しいと思います。パク、頑張って欲しいですね。
2007/5/11(金) 午前 7:14
さるみみさん♪マリナーズは今日までをセーフィコでNYYに2勝1敗。今シーズンは対ヤンキース通算4勝3敗。まだまだ今シーズンはメジャーリーグの試合してますよね^^☆貯金も1つ出来ちゃったし^^これでキングちゃまが帰ってきたら・・・一挙に上昇気流かもでーす^^v
[ めぐ ]
2007/5/14(月) 午後 11:25
それと・・・さるみみさんのこの記事を拝見した後に・・・感動して、私もドジャースのジャージを掲載したLA・ドジャースの記事を最近アップしました^^一度[私を野球に連れてって]をトラックバックして頂きまして・・・またまたのお願いで恐縮なのですが・・・是非、またお暇な時がありましたら・・・私のドジャースの記事にトラバご検討宜しくお願い致します^^ペコリ
[ めぐ ]
2007/5/14(月) 午後 11:30
めぐさん、まだまだSEAは問題が山積ですが、昨年よりはよくなってますよね。トラバしますね。
2007/5/14(月) 午後 11:49
僕も野茂からメジャー入っていったので、一番応援してます。野茂の1年目は松坂よりすごかったなあ。ボールの違いとかマウンドの硬さとか関係なかったですね。
[ ATSUSHI ]
2007/5/15(火) 午後 11:45
あつしさん、ボールとかマウンドの話は確かになかったですよね。それにしても松坂は果たして野茂を越えられるのでしょうか。越えて欲しいですけどね〜。だけど、成績云々よりもパイオニアとしての功績はだれにも凌駕することはできませんね。
2007/5/16(水) 午前 6:35
さるみみさん♪お礼のご挨拶が大変遅くなりまして・・・すみませんでした^^(*- -)(*_ _)ペコリ 快くトラバを受けて頂きまして、私のブログにすぐにトラックバックして頂いてました。とっても嬉しいです。本当にありがとうございます^^
[ めぐ ]
2007/5/16(水) 午後 7:43
めぐさん、いえいえ、こちらこそありがとうございます。
2007/5/16(水) 午後 10:54
野球の事よく知らない私でも野茂がアメリカの球団に入ると当時聞いたときはこの選手すごいなーと思いました、さるみみさんの記事を読んでますます彼の功績はおおきいと思いました。
[ mon**ys200*h19 ]
2007/7/10(火) 午後 10:12
monkeys2007h19さん、野茂の功績は大きいですよ。
彼がメジャーへ行かずに、いまだにメジャーに日本人が行っていなかったら、恐らく野球の人気はかなり下がっていたでしょう。
世界に出れないスポーツなんて人気が出るはずがありませんからね。
2007/7/11(水) 午前 0:09
こんにちは、今日のブログでこのページを使わせていただきました。
いつもリンクさせてもらってありがとうございます。
2007/8/30(木) 午後 3:35
パケットさん、いつも記事のご紹介ありがとうございます。
野茂の復活を期待したいですね。
2007/8/31(金) 午前 0:47
↑僕的には1999年のブリュワーズ時代の野茂が好きです、一時スランプでしたが完全復活したから
トラバありがとうございました
[ ATSUSHI ]
2007/12/29(土) 午後 11:52
あつしさん、今年は野茂に何としても復活してもらいたいですね。
まだまだいけますよ、野茂。
2008/1/2(水) 午前 11:15
こんばんは
野球には、くわしくないのですが、野茂のあのぶすっとした表情が良いです。
媚びてないのが良いです。
トルネード旋風を起こしましたね。
サッカーなら、キングカズでしょうか。
2009/1/25(日) 午後 11:03
みちこさん、野茂の貢献度はすばらしいと思います。
世間のバッシングを撥ね退けて活躍したというところも、すごいと思います。
しかも、野茂は、ああ見えて野球のためにいろいろ支援活動をしているんですよ。
2009/1/26(月) 午前 0:09