自然の摂理に逆らい少数民の存続を助ける。それは、人間として当然のこと。ブラジルのアマゾン川支流、シングー川流域に位置する「シングー国立公園」。 日本の国土の約半分の面積を占めるこの土地には、現在約2万人、18部族の先住民の人々が暮らしています。 ブラジルの先住民社会の多くは独自の文化を失ってしまいましたが、シングーは、最初の外部との接触からまだ50年に満たないこと、外部からの接触者がこの地にキリスト教を持ち込まなかったことにより、現在でもインディオの伝統文化が継承されている地域であるといわれています。 この地域は、ブラジル政府によって1992年に、永久インディオ保護区として承認されています。 しかし、この地域の周辺では、牧場の造成、鉱物採掘場の開発、大豆畑やエタノールの原料となるサトウキビやトウモロコシ畑の開発が進み、現在、シングーは陸の孤島のようになってしまっています。 この地域の保護について、従来までは、政府機関であるFUNAI(国立インディオ基金)が行っていました。しかし、1992年のコーロル政権時、開発事業優先の流れを受け、先住民支援の予算は75%もカットされてしまいました。 そのため、現在この地域のインディオ支援は、実質的にNGOの支援で行われているといっても過言ではありません。 南研子氏は、RFJ(熱帯森林保護団体)の代表として、現地のシングー族の村を訪れ、彼らと寝食を共にし、泥まみれになって支援活動を続けています。 その活動の記録と、シングー文化や彼らとの交流の様子を綴ったのが、この「アマゾン、インディオからの伝言」です。 我々の住む「外部」の世界とシングーの住む「内部」の世界には、あまりにも違いがあります。 そして、外部の世界は強大で影響力が強く、これまで独自の文化を営んでいたシングーの生活に様々な影響を与え始めています。 牧場造成や農場造成、鉱物採掘の開発により、森が破壊され野生生物が減少しています。 これは、狩猟採集で生活を営む彼らにとっては死活問題です。 外部から持ち込まれた病原菌は、免疫のないインディオたちを死に追いやります。 1969年には、当時のインディオ担当官や地主によって意図的に天然痘やインフルエンザ、結核などの病原菌が持ち込まれ、地域の人口は半分以下に減少したといわれています。 周辺では金の採掘が活発に行われており、金鉱から流出する水銀が河川に流れ、多くのインディオたちが水銀中毒となっているそうです。 外部との往来が頻繁になったインディオ保護区は、貨幣経済システムの中に否応なく取り込まれてしまいます。ポルトガル語も話せず教育も受けていない彼らは、資本主義経済の最下層に組み込まれるしか道は残されてはいません。 開発により、これまでの自給自足の生活は困難となり、金採掘業などの重労働をするしか生きていくことができなくなってしまっています。 そして、資本主義経済に組み込まれることにより、彼らの文化や伝統を維持していくのが困難となります。また、援助という名の下でのキリスト教の布教も行われ、独自の文化が次第に消滅していきます。 自らの文化を失い、社会の最下層で生きるしか術はなく、民族として生きていく目的を亡くした彼らには、もはや絶望しか残されていません。 そのため、毎年相当数のインディオが自らの命を絶つのだそうです。 南氏が訪れているカヤポ族の村は、まだ貨幣システムが入っておらず、伝統文化が色濃く残されている地域ではあるのですが、それも、彼女らの努力がなければ、あっという間に上記のような悲惨な状況へと変貌していってしまうでしょう。 しかし、時代の流れに逆らうことは難しいことです。文明世界に遅れて参入せざるをえない彼らには、非常に大きなハンデがありますが、このままでは彼らの文化は消滅していかざるを得ません。 カヤポ族のリーダーであるメガロン・チェカハマエ氏は、インディオの将来についてこのようなことを語っています。 「インディオ世界の知恵だけで、ポルトガル語もわからず外部の情報を知らずでは、次世代の存在が危ぶまれる。数年後には必ず貨幣システムも入り、価値観も変化してくることだろう。時の流れに逆らうことは難しく、このままではブラジルの社会の最下層に従属せざるを得なくなる。せめて共生の中で巾のある選択枝を子供たちに与えたい。そのために、集落内に学びの場を設け、教師を招き識字教育を実施したいので是非力になってほしい。」 「RFJホームページ抜粋」 RFJはメガロン氏の要望を受け、この事業を支援し、様々なプロジェクトを行っているそうです(↓リンク)。 Rainforest Foundation Japan (RFJ) また、この本には、シングーの人々の暮らしぶりや考え方、アマゾンの自然の過酷さなども描かれています。どれも、南氏が実際に見聞きし体験したことなので、リアリティがあるし、いろいろ考えさせられることが多いです。 面白かったのは、南氏があるカヤポ族の集落を訪れた時の話です。 彼女は、長老にこう言われたのだそうです。 「日本語でお前の言葉で大きな声で何故ここに来たか話してくれ」 そして、その理由を彼はこう言います。 「我々はお前が語っている言葉の波長を受け取ることができた、また、大きな声は嘘がつけない」 いくらきれいな言葉を並べても心が入っていないものは何の意味ももたない。大切なことは行動を伴った生きている言葉だと、彼女は学んだのだそうです。 それともうひとつ、彼女は日本で著名な作家に、このようなことを言われたそうです。 「滅びゆく者をあえて守ろうとするのは誤りで、時の流れにまかせ他者が手を貸すのは間違っている」 確かに、進化論的に考えると、彼らは恐竜やマンモス、トキなどのように絶滅していく方向にある種族といえるのかもしれません。 本当に自然のままというのであれば、地球最強の生物である人類、それも現在隆盛を誇っている民族が世界を支配するというのが「自然」であるとも言えます。 しかし、私は、そういう進化論的な自然の摂理によって人間を考えたくはないです。 そう、少なくとも絶対に人間だけは……。 私は、自然環境について考える時、いつも思うのですが、 地球環境の保護というのは、人間本位であっていいと思うのです。 人間と動物は所詮、別の種であるわけで、長い地球の歴史上、それぞれの生物は互いに戦い、利用し合いながら生きてきました。 全ての種にとっては、自分の種の利益こそが大前提であったと思います。 実際、人間は牛や豚を食べて生きていますし、虎やライオンだって他の種を食って生きています。 動物も人間も自分の種が一番大事、自分の種を生き残らせることで精一杯です。 だけど、人間は地球上の生物界において、あまりにも強大な権力を手にしてしまいました。 人間の力が強過ぎるために、自然環境が破壊され、様々な生物に危機が訪れてしまうようになりました。そして、それは、人間自身の危機にも繋がってきています。 だから、人間は「自らのために」地球環境を守っていかなければならない。 そういうことなんだという気がします。 極論を言うと、恐竜やマンモスなど、他の種が絶滅するのは自然の摂理であり、ある意味しかたのないことだと言えます。 しかし、互いに意思が通じ合い、未来と過去を考えることができ、喜びや悲しみを感じ、他者への思いやりの心を持つことのできる人間だけは、同じ種として絶滅するのを阻止したい。 南氏は、上記の作家の言葉に対し、現場にいたらそんな言葉は言えない、彼らを支援するのは同情でも憐れみでも善意でもなく、人間として当たり前の行為であると語っていますが、 同じ人間として、彼らに限らず、弱い立場に置かれている人々を守りたいという気持ち。 これは、理屈じゃないのかもしれません。 本来人間の誰しもが持っている本能であるという気がします。 (ナチスとかユーゴのエスニック・クレンジングとか、そういう事例が世界中にありますが、あれは、対象を人間として見ていないのです。彼らは対象を人間ではないと決め付けるスイッチが押されてしまっています) 脈絡のない話を取りとめもなく書き連ねてしまいましたが、 とにもかくにも、絶滅危惧種とかクジラ問題とかいろいろあるけれど、私は、それよりもまず、同じ種としての人間を第一に考えたい。 そう考えています。 |
◆映画と本◆




「言葉の波長」と大きな声で相手の真意を測る。すごい、物凄い真理ですね!でもなー大きい声で嘘つく政治家もいますけどねえ。それは波長で確かに感じ取れますがね。人間は朱鷺やマンモスとは違うでしょう。同種同士で殺めあうという点では大変不可解な動物とも思える。自らの命を絶つまで追い込まれる。それも間接的殺人ですし。ふ〜問題が大きすぎて混乱しそうです・・
[ hig*ma7*p ]
2008/2/9(土) 午前 11:51
昔姉に言われたことを思い出すのですが、「人間の営みだって自然の一部なんだから、それで環境が変わってもそれも自然の流れ。何も我々が我慢して自然保護なんてする必要はないでしょう(それは偽善)」
でも、それは一面真実かも知れませんが、人間の欲望も有りとするなら、その反動の動きが出ることも人間の生存本能な訳で、どちらかだけが膨張するのは身を滅ぼすだけのことなんですね。
ただ、今の人類はあまりに膨張しすぎて、数百万年にわたって保ってきた生態系とのバランスを急激に壊している。
今一生懸命にその膨張にブレーキをかけようという動きがあります。CO2削減とか色々。僕はそれは支持しますが、人類の将来についてはとても悲観的で、そう長くはないと思ってしまいます。
マクロのマクロ視点で観れば、これも人間ごときが逆らえない大きな流れなのかも知れないです。
んー、なにを言いたいのかわからない文章になってしまいました(笑)
先日知ったのですが、数万年前に人類が1万人ほどの絶滅寸前まで追いやられたことがあるそうです。「トバ湖」で検索するとわかります。
そういうことがまた起きるかも知れません。
[ BARRY ]
2008/2/9(土) 午後 0:38
ひぐまさん、確かにもともと声が大きい人もいますから、なんとも言えないのでしょうが、彼らには言っていることが嘘かそうでないかを読み取る術に長けたところがあるのかもしれませんね。
人間の種も白人黒人黄色人といろいろあるのですが、ようやく20世紀になって全てが同種の人間であると考えられるようになってきたんですけどね。
同種同士で殺しあう、おかしな生き物なんですね、人間って。
2008/2/9(土) 午後 8:05
バリーさん、自然とはもともと人間にとって、恵みをもたらすものであると同時に畏怖・恐怖の対象でもあったわけですよね。
だから、ホンモノの「自然」というのは人に危害を与えることもある、なかなかやっかいな存在でもあるわけです。
だけど、人間は、身の周りから少しづつ、自分たちの都合のいいように自然を改造してきた。田畑とか人の手の入った森とか。
人間は自然と闘い、それを克服してきたという一面があると思います(一方で自然を敬い、畏怖することで共存してきたとも言える)。だから、「自然に帰れ」なんて、ほんとに自然に帰ったら人間は生きてはいけない気がします。
いかに人間の住みやすいように地球をしていくか(それはもちろん現在だけでなく将来に渡って)、人間はそれだけでは生きていくことができないですから、動物や植物なども生きてける地球であることが前提です。我々は人間ですので、人間が生きやすい地球にしていくべき。そんな風に思いますね。
トバ湖の話見ました。びっくりしました。
2008/2/9(土) 午後 8:21
アマゾンは30年ぐらいしたら、パンパのような草原になっているかもしれないそうです。そうなると、地中の資源を狙って、新たな争奪戦がおこりそうですね♪アマゾン、広過ぎてなかなか全部はいけませんが、オンサ(ジャガー)にあえたのはいい思い出です。
2008/2/10(日) 午前 1:42
カイザーさん、アマゾンの森林が亡くなったら果たして地球は大丈夫なんでしょうか。
アマゾンに行かれたのですか!それはすごい!
2008/2/10(日) 午前 10:11
この本、読んでみたいです。探してみます。
2008/2/10(日) 午後 10:30
たかさん、ぜひ読んでみてください。
読みやすい本ですよ。
2008/2/10(日) 午後 11:18
是非是非写真家長倉洋海氏が、アマゾンのヤマノミ族の暮らしを追った写真集「人間が好き」(福音館)をご覧いただきたいと思います!
図書館などにあるかも。
[ 高橋美香 ]
2008/2/11(月) 午前 0:17
メストさん、長倉洋海氏の写真、興味ありますね。
メストさんもきっとそうだと思いますが、旅行中、「これまで辺境で自給自足の生活を送っていた人々が文明世界に組み込まれていくというのは、果たしてよいことなのか」ということをいつも考えてました。
「現代文明」が入る前は豊かで幸せに暮らしていた人々が、グローバリズムに入ってしまうと、資本主義のスパイラルの中で自給自足のライフスタイルは崩され、途端に最下層の貧しい人々ということになってしまう。
けれども、現代文明を知った彼らにだって世界を知る権利もあるし、隔絶された中で生きていくことはもはやできません。
情報や知識を入れることは必要ですが、グローバル経済の中に取り込むのではなく、それまでのような、その地域の中で循環できる社会を残しておくことは、彼らが生き残る上では必須なのでは、と思います。
2008/2/11(月) 午前 8:13
本当にそう思っているのか。さるみみよ。
それなら君は、世界を変えるために何をする?
自らを犠牲にして見返りを求めず行動するほどの、熱い思いがあるのか。それとも、こうしてブログに哲学思想を書き並べるだけか。
自分の言葉に共感してくれる人があれば、何かが変わると信じ、コメントで語り合うだけか。
読んでみたが君は現代の「進化論」を理解しているとは思えない。
「滅びゆく者をあえて守ろうとするのは誤りで、時の流れにまかせ他者が手を貸すのは間違っている」そうではなく、”人間なら”滅びゆく者をあえて守ろうとするということに根拠があるとしたなら、君はそれを実らせるために行動する勇気があるか。あるまい。
[ 名無し ]
2008/2/13(水) 午前 4:32
名無しさん、ご訪問&コメントありがとうございます!
確かに進化論は高校の教科書で学んだくらいしか理解していません。だけど、専門知識がない者でもそれに従事してはいなくても、自分の考えを述べるのは大切だと思うんですね。素人であっても感想や意見を言って、詳しい人が間違いを指摘し、それを受けて考えを改める。そうでないと政治でもスポーツでも専門家や実際に携わっている人しか意見できない閉じられた場になってしまうと思うのです。ブログは公開される日記ですから、出版される書籍などとは違って一般の素人がどんどん発言できる場であるというのがよい所なのだと思います。その際、しろうとは謙虚な気持ちで発言することは大切だと思いますけどね。今回も断定口調は避けた、ただの読書感想文のつもりなのですけどね。
もちろん、記事に間違いや違った意見などがあれば、再考しWIKIPEDIAのように訂正していきたいと思っています。進化論についてお詳しいのであれば、ぜひともご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願い致します。
2008/2/16(土) 午後 0:29