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書庫☆珠玉の転載記事☆

『われわれは、知覚は中立だと思っている。
すなわち、自分自身や周囲の世界のありのままの姿を見たり触れたりしているのだと思っている。
けれども、われわれが何をどんなふうに知覚するかは、その現象に関して
どんな言葉を持つかによって大きく左右されているようなのだ。
極端な例を挙げれば、われわれが言葉を、持っていなかったとしたら、
今と同じように世界を知覚できるだろうか?

シュアレスは、われわれ人間が世界を経験するのに、言葉がどんなに重要な役割を
果たしているかを教えてくれた。


彼によると、あらゆる言葉は、機能によってニつに分類できる。
一つは、彼が研究している聖なる言葉だ。
世界は、聖なる言葉から創られた。


聖なる言葉は、実在と分かちがたく結ばれている。
聖なる言葉を正しく唱えることさえできれば、聖なる経験を呼び起こし、
実在を 呼び出すこともできるという。
聖なる音は、量子の波動の二重の流れの中で、それを発音した者と宇宙とを結びつけるのではないか?
これらの音が発音されるとき、ある種の共鳴が起きて、話し手は宇宙と
「調子が合った」状態になるのではないか?


言葉には、もう一つある。
それは、日常の経験を表現するための、ごく普通の言葉だ。
この場合、言葉とそれが表現する対象―例えば「風呂」という言葉と現実の風呂―とは別物だ。
こちらに分類される言葉のすべては、現実世界の地図に書き込む記号のようなものだ。
問題になるのは、こちらの言葉だ。


シャーマンの「ウェイアードの網」の世界観によれば、われわれは大いなる全体の中の、
不可分な一部であるという。
どこか一部を取り出して、それだけについて運命を語ることはできない。
この見方は、量子力学の世界観にも似ている。


量子力学は、一つの系を、系の全体に依存しないような部分へと分解することが
不可能であることを示した。
一つの壊すことのできない全体が存在し、この全体は、観測者が分析しようとするや否や、
矛盾をはらんだものになる。
ものごとをバラバラにしようとすると、宇宙は崩壊してしまうのだ。


言葉は、本来的に不可分な実在を、その場限りの便宜のために、手当たり次第に
小分けしたものだ。
この断片を、論理的思考という糊を用いてつなぎ合わせてみたところで、
もとの世界を再現することは決してできない。


物理学者デヴィッド・ボームは、われわれが日常的に見ている現実を外在秩序と呼び、
その背後には、計り知れないほど広大で、より根源的なレベルの存在の秩序(内在秩序)が
あるのだと主張した。
ホログラムが立体像を生み出すように、内在秩序が外在秩序を生み出しているというわけだ。


ところで、ホログラムに何が見えるかは、見る者の見方に強く依存する。
それと同じで、どんな現実を経験するかも、その人が世界を見る見方に影響されるのだ。



ボームは、われわれに大きな問いをつきつける。
われわれは、世界のありのままの姿を見ていると思っているが、実は自分自身の信条の体系ばかりを
見ているのではないだろうか?


この世界が客観的にリアルな唯一の存在だと思われるのは、単に、他の現実を
知覚できていないということではないのだろうか?
そんな態度が、われわれの心や身体、ひいては地球をむしばんでいないだろうか?


わたしが出会ったシャーマンは皆、言葉の地図の向こう側にある、あるがままの世界に触れていた。
それは、分類も解釈も受けていない実在、概念によって切り刻まれる前の実在だった。
シャーマンたちの能力の鍵は、現実との付き合い方にあった。
彼らは、内在秩序に、直接、手を触れていたのだ。』

転載元転載元: 日々の泡

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    Mielさんからの転載記事です。
    言葉というものは大いなる全体を切り取った一部。言葉は、その指示しているものの全てを表せるわけではないんですね。
    メディアの情報についても似たようなことを感じます。ひとつの記事や映像は全体を切り取った一部。見る者によって解釈が変わってくる。そして、見る者はそれぞれの人生のバックボーンの中から自分の好みの情報だけを取捨選択し、情報を自分に好ましいように解釈しがちです。
    「われわれは、世界のありのままの姿を見ていると思っているが、実は自分自身の信条の体系ばかりを見ているのではないだろうか?」
    本当にそうなのでしょうね。だけど、本当の真実なんてなくて(あったとしても誰もわからない)、世の中は全ての人の信条のすりあわせで成り立っているんだという気がします。

    さるみみの見た世界

    2008/8/2(土) 午後 9:40

  • 顔アイコン

    私も言葉というのは世界を認識するために、人類が便宜上発明した世界認識のための代替物としての記号なんだと思いす。人間同士がコミュニケーションを取るにも万物の最低限の共通認識がなければ会話も意思疎通もできないわけですから。しかしながらそれはあくまで代替物であり、万物そのものではない、確かにそうでしょう。各人が思い描く世界はそれぞれ違うでしょうし、もしかしたら実際目にしている映像は各人が違うかもしれない(これは実証できないでしょうね)。しかし人間は社会性の動物ですから、とにもかくにも回りの人間と世界認識のコンセンサスを取らなければならないわけで・・・。とにかく代替物であるはずの言葉自体が世界そのもののようになっているのは疑いのない事実でしょうね、でもそれも仕方ない気もします。

    カッツー

    2008/8/3(日) 午前 0:04

  • 顔アイコン

    ナイス害さん、おっしゃる通りなんでしょうね。
    それが人類が10万年かけてつくりだしてきた「世界」なんでしょうね。

    さるみみの見た世界

    2008/8/3(日) 午前 1:11

  • なるほど 日々の泡 さんを 訪ねてみます。

    ありがとうございました。

    [ 建築や ]

    2008/8/9(土) 午後 1:47

  • 顔アイコン

    建築やさん、日々の泡さんのブログは結構深いお話を書かれているので面白いですよ。

    さるみみの見た世界

    2008/8/9(土) 午後 2:53

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