「ナポリを見てから死ね」
という言葉があります。
この町の風光明媚さを古の人が喩えた言葉ですが、私にとってこの町は、あまりいい印象がありませんでした。
12年前、まだそれほど旅慣れていなかった私は、ローマから列車でこの町に到着しました。
ナポリは楽しみにしていた町のひとつです。
風光明媚なのもさることながら、イタリアいちうまいと言われるピッツァ「マルゲリータ」の本場でもあるからです。
しかし、それと同時に最も不安な町でもありました。
「カモッラ」と呼ばれるマフィアの力が今でも強く、町の治安は相当に悪いと聞いていたからです。
(写真は丘から見たナポリの風景。向こうにヴェスビオス火山が見えます。ケーブルカーで登り、丘からは街へと下る階段があったのですが、誰も歩いておらず、恐ろしげだったので、再び高い金を払ってケーブルカーで降りました)
ナポリの駅を降りた瞬間。
治安が悪いという情報は正しかったのだと、私は肌で実感することができました。
特別何か事件に遭ったというわけではありません。
ただ、旅をし続けていると、町に漂う「空気」がそれぞれ違うことが実感できてきます。つまり、その町が危険かどうかが、察知できるようになってくるのです。
ナポリは最悪でした。
駅から見た風景、そこに配置された物、うろついている人、全てに殺伐とした空気が漂っていたのです。
私はびびりました!
そのため、この町ではほとんど観光をしていません。
近郊にあるポンペイを訪れ、マルゲリータを食べただけ……。
今考えるとかなり勿体ない話なのですが、その当時の私はこの町の醸し出す空気に恐々としていたのです。。。
「ナポリを見てから死ね」ではなく、「ナポリを見て死ぬかも……」と大袈裟にも考えていたのです。
まったくのへタレ旅行者でありました。。。
(写真はヌオーヴォ城。フランス支配時代、13世紀の建造です。)
紀元前6世紀、ギリシア人の植民市として造られたこの町の語源は「ネアポリス(新しい町)」。
以後、ナポリはローマ、ビザンツ、ノルマン、神聖ローマ、フランス、スペインなどの支配を受け続け、イタリアに併合されたのは1860年のことだそうです。
現在のナポリは、イタリアカンパニア州の州都でナポリ県の県庁所在地ともなっており、人口は約100万。
近郊に世界的な遺跡である「ポンペイ」や、青の洞窟で有名な「カプリ島」などがあり、世界中から観光客が集まります。
ナポリの町自体も世界遺産に登録されています。
(写真は卵城「デッローヴォ城」。ノルマン時代の12世紀の建造です。)
ナポリと言えばピッツァ。
マルゲリータです!
ピッツァ・マルゲリータの誕生は1889年。イタリアを統一したマルゲリータ王女がナポリを訪問した際に献上されたものが始まりだとされています。
ピッツァ・マルゲリータは生地の上にトマト、モッツァレラチーズ、オイル、バジリコの葉をのせて焼いただけのシンプルなピッツァ。
生地はふっくらもちもちとしており、日本のイタリアンレストランのピザのようにパリパリとはしていません。
生地には額縁が付いています。これも残さず平らげるのがマナーだそうです。
また、本場のピッツァの食べ方は、ひとり一枚食べきりなのだそうですね。
小分けにすることはないそうです。
もちろん、私も食べました。
店は、たしか「IL PIZZAIOLO DEL PRESIDENTE」だったかな?
クリントン元大統領がナポリサミットの時にお忍びで出かけたという曰く付きの店です。
うまかったですよ。
(写真はナポリの海岸線です。ヴェスビオスが見えますね。)
ナポリのユース、「オステロ・メルジェリーナ」です。
このユースは丘の上にあるのですが、
その坂道の途中、壁にこんなラクガキがでっかく書かれていたので、私はびっくりしてしまいました!
「このユースのじじいは最悪だ!」
だそうです。
日本語です!
スプレーだったか、ペンキだったかは忘れてしまいましたが、かなり目立っていました。
このラクガキ、実際に書いている様を想像するとちょっと笑えますね。
まったく、間抜けな図です。
これを書いた日本人、ユースのおやじに相当むかついたのでしょうね〜。
それで、わざわざスプレーだかペンキだかを買って、わざわざここまでやってきて、でかでかと殴り書いた。
まったく、イタリアまで来て何やってんでしょうね。
ユースのじじいは、別に特別いい人ではありませんでしたが、嫌な人でもなかったですよ。
なお、このユースの金額は当時のレートで25000イタリアンリラ。1800円くらい。
2段ベッドの6人部屋で、シャワーがやけにぬるいのが特徴でした。
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