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書庫・哀愁のヨーロッパ

★ 哀愁のヨーロッパ 【フランス・スペイン・アンドラ・イタリア・バチカン・ギリシャ】

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ローマの競技場、中世の大聖堂、ルネサンスやバロックの宮殿、アールヌーヴォー、モダニズム……。
重層的な歴史を持つヨーロッパを旅します。

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Youssou N'dour & Axelle Red "La cour des grands" (World Cup '98)

ヨーロッパで最も多民族化が進んでいる街、パリのマイナーな街角写真です。

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ラ・ロシュフーコー街の界隈。通りにはギュスターヴ・モロー美術館があります。
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コンセルヴァトワール(国立高等音楽・舞踊学校)があるパリ19区の界隈。
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茶色の建物が多いロンドンと比べて、パリは白っぽい建物ばかりです。
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19区の通り。アラブ系やアフリカ系の人も普通に街に溶け込んでいます。
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八百屋さんと素朴なビストロ。
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パリには公園がたくさんあります。左中の彫刻は、アンリ・ド・ミラーの「聴く」です。
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パリの地下鉄、車内はあらゆる民族のメルティングポット。
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フランスは、移民が多く暮らす国です。 特にパリはフランスの移民の大多数が住む町であり、街中を歩いていてもアラブ系やアフリカ系の人をかなり多く見かけます。 Wikipediaの記述によると、 「パリ都市圏はヨーロッパで最も多民族化が進んでいる地域の1つであり、人口の19.4%がフランス本国外の出身である。また、パリ都市圏の人口の4.2%は1990年から1999年の間にフランスにやってきた新しい移民であり、その大半は中国またはアフリカ出身である。さらにパリ都市圏の人口の15%はイスラム教徒である」 だそうです。
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ちなみに、パリは20の地区に分かれていますが、中東やアフリカ、インドシナや中国、カリブなどからの移民の多くは市の北東部の18、19、20区に居住しているそうで、彼らの多くは貧困層だそうです(対照的に市の西部には富裕層が多く居住している)。

これらの移民たちは、それぞれ出身地別に固まって居住しているそうで、そういった○○人街から、フランス国内に向けて新たな文化も発信されてきていますね。

特に音楽では、18区のバルベス地区のマグリブ系ミュージシャンのグループ、ONBのアルバムがヒットしたり、移民元の旧植民地のミュージシャンがパリに活動の拠点を置いて、彼らのアルバムがフランス国内でヒットしたりしていますね。
フランスワールドカップの公式ソングもセネガルのユッスー・ンドゥールの歌でしたし。



フランス人は自国の文化に強い自負を持っている一方で、海外の文化についても並々ならぬ関心を抱いており、かつ積極的に評価している感じです。

そういえば、19世紀には印象派の画家たちがジャポニスムに傾倒したことが有名ですし、最近は日本仏教の禅(ZEN)がブーム。ジャパニメーションも大ブームですよね。


実際問題、移民と原住民との対立によって暴動が起こったり、チャドル禁止の問題とか、いろいろ移民との文化摩擦が絶えないのが現状ですが、様々な文化を取り入れていく、こういう多様性のあるパリの文化、魅力を感じますね。



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欧州にあるミニ国家、アンドラ公国です。


私はバルセロナからパリへと向かおうと思っていたのですが、あいにくバスは数日先までフル。

私は2日後の朝のパリ発ダブリン行きの飛行機を予約していました。
何としてでもパリに行かなければなりません。

そこで、バスで、バルセロナからスペインとフランスの境にあるアンドラへ向かい、そこからフランス南西部の町トゥールーズへ、トゥールーズで夜行列車に乗りパリへと向かうという荒技を決行することにしました。

もちろん、列車やバスの予約はないので、行き当たりばったり。
ダブリン行き搭乗まで1週間の空きができたため、急遽バルセロナへと向かったのですが、慌てふためく羽目になりました。。。


このアンドラ、そんなわけで思いがけずに訪問した国なのですが、首都のアンドラ・ラ・ベリャには、見るべきものは何もありませんでした。

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アンドラ公国はフランスとスペインの境、ピレネー山中にある国家で、使用言語はカタルーニャ語。人口は2004年の時点で約7万人。通貨はユーロが使われていますが、欧州連合(EU)や欧州自由貿易連合(EFTA)、万国郵便連合には加盟していません。 政治は、スペインのウルヘル司教とフランスの大統領を国家元首とする二頭制、議会は一院制です。軍隊は持たず国防はフランスおよびスペインに委託。 経済の中心は観光で、スキーやトレッキング、免税店でのショッピングにフランスやスペインから多くの観光客が訪れます。 国の歴史は、Wikipediaによると、 「8世紀、シャルルマーニュがピレネー山中においたウルヘル伯領を起源とする。 のちにウルヘル伯より宗主権を獲得したウルヘル司教と、司教から条件付きで領主とされたフォワ伯爵家との間に争いが起き、調停案として1278年、両者を対等の共同統治者とする宗主契約が結ばれた。その後、フォワ伯の権限はのちのフランス王室となるブルボン家に帰し、王政廃止後はフランス大統領がこれを引き継いだ。 1993年、アンドラは新憲法を制定、ウルヘル司教とフランス大統領を共同元首とする議会制民主主義を敷き、正式に独立国家となった。同年7月、国際連合に加盟。」 ということだそうです。
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アンドラでの滞在時間は3時間ほど。
カフェで軽食を摂り、街をぶらぶらと歩きました。

山中のためか肌寒い。
人の姿もそれほど多くはありませんが、ショッピングモールの中には買い物客がたくさんいましたよ。
買い物やスキーのための町ですね。

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トゥールーズ行きのバスは15時30分発。

乗客はなんと、たった2人!
ガラガ〜ラです。


山道をくねくねと進んでいくと、そのうち辺りが白銀に覆われ始めました。
真っ白な山肌とモスグリーンの針葉樹のコントラストが綺麗です。

ミニチュアのようなゴンドラが上下に動き、色とりどりのスキーヤーたちがくねくねと蛇行しながら下降していくのが見えます。



トゥールーズには夕暮れ時に到着しました。

23時12分発のパリ行きの夜行列車を予約。
座席車です。それでも58€するというのが痛い。

トゥールーズ駅前は、ガラの悪い空気が漂っており怪しい人物も幾人がいたので、そいつらに注意しながら列車を待ちました。

列車はコンパートメント形式ではない普通の座席車でした。
コンパートメントだと空間に余裕がある代わりに盗難の危険性が高まります。

疲労は溜まりそうですが、コンパートメントでなくてよかったと思いました。



出発です。

鉄路の振動に身を任せていると、いつの間にか、闇に吸い込まれるように眠りに落ちていってしまいました。


詳しい地図で見る



FCバルセロナの本拠地、カンプノウスタジアムでサッカーを見ました!


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カンプノウスタジアム。世界的な人気サッカークラブであるFCバルセロナの本拠地です。
あのブラジル代表のロナウジーニョが所属するクラブでもあります。


私はゴール裏の2階席の当日券(47ユーロ 6,016円)を購入しスタジアムの中に入っていきました。


10万人が収容できるといわれるカンプノウスタジアム。
巨大なスタジアムの真ん中には、青々とした芝のフィールドが広がっています。

碁盤目状にきれいに刈られたそれは、まるでチェス盤のようです。

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午後9時半、キックオフ。
今日の対戦相手は青と白の縦縞の強豪、デポルティーボです。

地元民に「バルサ」の愛称で親しまれている我がFCバルセロナは臙脂と青の縦縞のユニフォーム。
ものすごい観客が入っています。


スペインリーグ(リーガ・エスパニョーラ)は、攻撃的なサッカーをすることで知られています。
しかし、バルサファン一色に染まったスタンドも、チームに負けず劣らず攻撃的で熱い応援を繰り返していました。

バルサが攻めると大歓声、相手の攻撃やファールには大ブーイング……。
明らかにバルサに非があるファールでイエローカードを出されても、審判に対して大ブーイング。

これほど解りやすい応援もありません。

試合の方はバルサのストライカー、サビオラの先制点で会場全体を盛り上げましたが、健闘空しく4対2で敗れてしまいました。

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ロナウジーニョ、メッシ、アンリ、シャビ、デコ、エトーなどを擁し、今でこそ常勝チームとなっているバルサですが、この当時(2003年)には、まだその誰もがおらず、ライバルのレアル・マドリッドに大きく水を開けられている状況でした。

当時のバルサにはアルゼンチン代表のサビオラと前オランダ代表のクライファートがいました。
一方、対戦相手のデポルには、バレロンらがいました。



それにしても、このカンプ・ノウ、1957年の完成で、収容人員は欧州最大の98,600人!
それがほぼ満員になるのですから、バルサの人気というのは凄まじいものです。


カタルーニャ地方バルセロナのクラブであるFCバルセロナは、首都マドリードを本拠地とするレアル・マドリードとライバル関係にあります。

カタルーニャは独自の言語と文化を持った地域で、歴史的に首都のあるカスティーリャとは対立してきました。
それが、クラブのライバル関係にも表れており、レアルとのカードは「エル・クラシコ」とも呼ばれ、大いに盛り上がるそうです。

まるで、MLBのヤンキースとレッドソックス、日本の巨人阪神みたいですね!

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これは、バルサのオフィシャルショップで買ったバルサマフラーです。
この後、南米とか寒いところに行ったので、このマフラーは重宝しました。



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紀元79年、ナポリ近郊にあったローマ帝国の町「ポンペイ」は一瞬のうちに消失しました。 ヴェスビオス火山の噴火による火砕流が町を覆い尽くし、町は火山灰によって埋められてしまったのです。 当時、町には1万人弱の人が居住していたといいますが、そのほとんどが火砕流に飲み込まれ、亡くなったと言われています。 (写真の奥に見えるのがヴェスビオス火山)
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灰に埋まった町はその後、長らく放置されていました。

発掘が始まったのは、それからおよそ1650年後の1748年。
火山灰を取り除くと、そこにはローマ時代そのままのポンペイの町が姿を現したのです。

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ポンペイは当時のローマでも活気のあった町で、ワインの醸造や物流の拠点として大いに繁栄していたといいます。 町にはパン屋やクリーニング屋などの商店や市場、レストラン、浴場、劇場や闘技場などがあり、ローマ人の別荘や娼館まであったことが発掘によりわかっています。 遺跡には素晴らしいモザイク画の壁画や、市民の書いた落書きなども残っていますよ。 写真の道路もきちんと歩道と車道が分かれていますね(上の写真)。
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劇場です。 ポンペイの暮らしは現代の暮らしぶりとそれほど変わりはなかったようです。 この遺跡の発掘により、そんなローマ時代の暮らしぶりが明らかにされました。 人々は食と娯楽にいそしみ、性についてもかなりおおらかだったことがわかっています。
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闘技場です。 当時、ポンペイには市民だけでなく大勢の奴隷が暮らしていました(戦争で負けた国の人が奴隷にされた)。 奴隷と言っても近代の奴隷のようにひどい扱いをされていたわけではなく、家の使用人とかメイドとかそういうイメージであるようです。 彼らもその家の主と共に火山灰に飲み込まれました。 闘技場では奴隷が戦士となって、人々を楽しませていました。 彼らは現代に於けるスポーツ選手のような存在だったようです。ヒーローでした。 けれども、自由はありませんけど。 彼らも見物する観客とともに火山灰に飲み込まれました。
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発掘の際、火山灰の下に空洞がいくつも見つかりました。 これは、埋まった人の体が長い時間をかけて腐り、その場所が空洞になったものだといいます。 発掘者たちはここに石膏を流し込み、人型を再現しました。 すると、火山灰で亡くなる直前の人々の様子が驚くべきリアルさで甦ったのです。 抱き合って亡くなった男女、子供を守るようにして亡くなった母親……。 ポンペイは、ローマ時代そのままの生活を後世に伝えると共に、悲劇に遭遇した人々のドラマをも 垣間見ることができる、非常に貴重な遺跡です。 もちろん世界遺産に指定されています。 遺跡の人型ですが、不気味に思えたので写真は撮りませんでした。。。


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「ナポリを見てから死ね」

という言葉があります。
この町の風光明媚さを古の人が喩えた言葉ですが、私にとってこの町は、あまりいい印象がありませんでした。


12年前、まだそれほど旅慣れていなかった私は、ローマから列車でこの町に到着しました。
ナポリは楽しみにしていた町のひとつです。
風光明媚なのもさることながら、イタリアいちうまいと言われるピッツァ「マルゲリータ」の本場でもあるからです。

しかし、それと同時に最も不安な町でもありました。
「カモッラ」と呼ばれるマフィアの力が今でも強く、町の治安は相当に悪いと聞いていたからです。


(写真は丘から見たナポリの風景。向こうにヴェスビオス火山が見えます。ケーブルカーで登り、丘からは街へと下る階段があったのですが、誰も歩いておらず、恐ろしげだったので、再び高い金を払ってケーブルカーで降りました)

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ナポリの駅を降りた瞬間。 治安が悪いという情報は正しかったのだと、私は肌で実感することができました。 特別何か事件に遭ったというわけではありません。 ただ、旅をし続けていると、町に漂う「空気」がそれぞれ違うことが実感できてきます。つまり、その町が危険かどうかが、察知できるようになってくるのです。 ナポリは最悪でした。 駅から見た風景、そこに配置された物、うろついている人、全てに殺伐とした空気が漂っていたのです。 私はびびりました! そのため、この町ではほとんど観光をしていません。 近郊にあるポンペイを訪れ、マルゲリータを食べただけ……。 今考えるとかなり勿体ない話なのですが、その当時の私はこの町の醸し出す空気に恐々としていたのです。。。 「ナポリを見てから死ね」ではなく、「ナポリを見て死ぬかも……」と大袈裟にも考えていたのです。 まったくのへタレ旅行者でありました。。。 (写真はヌオーヴォ城。フランス支配時代、13世紀の建造です。)
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紀元前6世紀、ギリシア人の植民市として造られたこの町の語源は「ネアポリス(新しい町)」。

以後、ナポリはローマ、ビザンツ、ノルマン、神聖ローマ、フランス、スペインなどの支配を受け続け、イタリアに併合されたのは1860年のことだそうです。

現在のナポリは、イタリアカンパニア州の州都でナポリ県の県庁所在地ともなっており、人口は約100万。

近郊に世界的な遺跡である「ポンペイ」や、青の洞窟で有名な「カプリ島」などがあり、世界中から観光客が集まります。
ナポリの町自体も世界遺産に登録されています。

(写真は卵城「デッローヴォ城」。ノルマン時代の12世紀の建造です。)

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ナポリと言えばピッツァ。
マルゲリータです!

ピッツァ・マルゲリータの誕生は1889年。イタリアを統一したマルゲリータ王女がナポリを訪問した際に献上されたものが始まりだとされています。

ピッツァ・マルゲリータは生地の上にトマト、モッツァレラチーズ、オイル、バジリコの葉をのせて焼いただけのシンプルなピッツァ。
生地はふっくらもちもちとしており、日本のイタリアンレストランのピザのようにパリパリとはしていません。

生地には額縁が付いています。これも残さず平らげるのがマナーだそうです。
また、本場のピッツァの食べ方は、ひとり一枚食べきりなのだそうですね。
小分けにすることはないそうです。

もちろん、私も食べました。
店は、たしか「IL PIZZAIOLO DEL PRESIDENTE」だったかな?
クリントン元大統領がナポリサミットの時にお忍びで出かけたという曰く付きの店です。
うまかったですよ。


(写真はナポリの海岸線です。ヴェスビオスが見えますね。) 

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ナポリのユース、「オステロ・メルジェリーナ」です。

このユースは丘の上にあるのですが、
その坂道の途中、壁にこんなラクガキがでっかく書かれていたので、私はびっくりしてしまいました!


「このユースのじじいは最悪だ!」


だそうです。
日本語です!

スプレーだったか、ペンキだったかは忘れてしまいましたが、かなり目立っていました。

このラクガキ、実際に書いている様を想像するとちょっと笑えますね。
まったく、間抜けな図です。

これを書いた日本人、ユースのおやじに相当むかついたのでしょうね〜。
それで、わざわざスプレーだかペンキだかを買って、わざわざここまでやってきて、でかでかと殴り書いた。

まったく、イタリアまで来て何やってんでしょうね。


ユースのじじいは、別に特別いい人ではありませんでしたが、嫌な人でもなかったですよ。


なお、このユースの金額は当時のレートで25000イタリアンリラ。1800円くらい。
2段ベッドの6人部屋で、シャワーがやけにぬるいのが特徴でした。

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