私は宿、ビムラ・ゲストハウスで荷物のパッキングをしていた。
明日の早朝、再びバスに乗り、デリーへ向けて旅立つのだ。
一週間と短い滞在ではあったが、私はラダックの雰囲気を充分満喫できた。
この宿にもずいぶんとお世話になった。
私が宿の老夫婦に、「一週間どうもありがとう」と礼を言うと、二人は神様に旅の無事をお祈りしてくれた。
彼らはキリスト教徒だった。
かつてドイツ人の宣教師が布教活動をしたことがあるのだそうで、少数だがこの辺りにもキリスト教徒はいるらしい。
特におじいちゃんは熱心な信者らしく、私が宿のロビーで寛いでいるときなど、どこからともなくやって来て、延々とイエスの教えについて説明したものだった。
もちろん彼らの部屋の壁にはイエスとマリアの肖像が飾られていた。
おばあちゃんは優しかった。
ことある度に部屋に呼び、チャイをご馳走してくれた。
返り際、彼女に、日本にいらないパソコンがあったら送ってもらえないだろうか、と頼まれた。
息子がパソコンを欲しがっているらしい。
あいにく不要なパソコンは持ってはおらず、その申し出についてはお断りさせてもらうことにしたのだが、私は複雑な感慨を覚えずにはいられなかった。
インターネットが始まり、人々が普通にパソコンを所有するようになってほんの十数年、今や、このラダックの山奥にまでパソコンは普及しつつあるのだ。
レーにもインターネットカフェは既に数軒ある。
高度情報化社会化の波はこんな所にも急速に押し寄せてきている。
世の中がどんどん小さく狭くなっていく。それはいいことであるようにも思えるが、「未だ見ぬ秘境の夢」、というものが徐々に失われていくことに少しばかり寂しさも感じるのだった。
(それは旅人の自分勝手な感慨であるということはもちろんなのだが、こういった自給自足で平和に営まれてきた辺境が、グローバル経済の最下層に組み込まれていくことが果たして彼らにとって幸せなことなのかどうかはわからない)
翌早朝、暗く寝静まった宿を私はそっと出て行った。
ほとんど人影の見えない通り。風が冷たい。
もうすぐラダックは長い冬に突入するのだ。
しばらくするとマナリ〜レーの街道も雪により閉鎖されるのであろう。
バスターミナルには既に数人の乗客が待っていた。
ローブをしっかりと纏い、身を縮こまらせている人々……。
これから三日間、私の旅の友となる人々の姿だ。
そのうちバスが黄色いライトを照射させてやってきた。
私は行きと同じようにバスの屋根の上に荷物を括り付け、ボロボロのバスの椅子に座った。
運転席の上にはシヴァの神々しい絵が飾られている。運転手はヒンドゥー教徒らしい。
これから三日間、このバスと乗客はシヴァに守られることになるのだ。
バスは暗闇のレーを出発した。
「さらばラダック」と、美しい岩山風景を目に焼き付けておきたいところだが、窓の外は真っ暗で何も見えない。
傍らを見ると早朝の寒さと眠気により、周りの乗客は皆、瞼を閉じていた。
私も眠い。知らず知らずのうちに、コクリ、コクリと頭を揺らし始めてしまう。
旅立ちの感慨に浸る間もなく眠りに落ちてゆく私……。
そして、再び、ガンガンと窓ガラスへ頭をぶつけ始めた。
デリーは三日後。
再び長く険しい行軍が始まったのである。
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