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書庫・インドのチベット世界

★ インドのチベット世界  【ラダック・ダージリン・ネパール】

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チベット仏教の最高権威者であるダライ・ラマ法王は、共産中国の迫害を逃れインドに亡命しました。
インド北部には、中国の文化破壊を免れた原初のチベット文化が残っています。

http://x6.syoutikubai.com/bin/ll?07816510f
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イメージ 1

私は宿、ビムラ・ゲストハウスで荷物のパッキングをしていた。

明日の早朝、再びバスに乗り、デリーへ向けて旅立つのだ。


一週間と短い滞在ではあったが、私はラダックの雰囲気を充分満喫できた。
この宿にもずいぶんとお世話になった。


私が宿の老夫婦に、「一週間どうもありがとう」と礼を言うと、二人は神様に旅の無事をお祈りしてくれた。

彼らはキリスト教徒だった。
かつてドイツ人の宣教師が布教活動をしたことがあるのだそうで、少数だがこの辺りにもキリスト教徒はいるらしい。

特におじいちゃんは熱心な信者らしく、私が宿のロビーで寛いでいるときなど、どこからともなくやって来て、延々とイエスの教えについて説明したものだった。

もちろん彼らの部屋の壁にはイエスとマリアの肖像が飾られていた。


おばあちゃんは優しかった。
ことある度に部屋に呼び、チャイをご馳走してくれた。

返り際、彼女に、日本にいらないパソコンがあったら送ってもらえないだろうか、と頼まれた。
息子がパソコンを欲しがっているらしい。

あいにく不要なパソコンは持ってはおらず、その申し出についてはお断りさせてもらうことにしたのだが、私は複雑な感慨を覚えずにはいられなかった。

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インターネットが始まり、人々が普通にパソコンを所有するようになってほんの十数年、今や、このラダックの山奥にまでパソコンは普及しつつあるのだ。


レーにもインターネットカフェは既に数軒ある。
高度情報化社会化の波はこんな所にも急速に押し寄せてきている。

世の中がどんどん小さく狭くなっていく。それはいいことであるようにも思えるが、「未だ見ぬ秘境の夢」、というものが徐々に失われていくことに少しばかり寂しさも感じるのだった。
(それは旅人の自分勝手な感慨であるということはもちろんなのだが、こういった自給自足で平和に営まれてきた辺境が、グローバル経済の最下層に組み込まれていくことが果たして彼らにとって幸せなことなのかどうかはわからない)

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翌早朝、暗く寝静まった宿を私はそっと出て行った。

ほとんど人影の見えない通り。風が冷たい。
もうすぐラダックは長い冬に突入するのだ。

しばらくするとマナリ〜レーの街道も雪により閉鎖されるのであろう。


バスターミナルには既に数人の乗客が待っていた。
ローブをしっかりと纏い、身を縮こまらせている人々……。
これから三日間、私の旅の友となる人々の姿だ。



そのうちバスが黄色いライトを照射させてやってきた。

私は行きと同じようにバスの屋根の上に荷物を括り付け、ボロボロのバスの椅子に座った。
運転席の上にはシヴァの神々しい絵が飾られている。運転手はヒンドゥー教徒らしい。
これから三日間、このバスと乗客はシヴァに守られることになるのだ。

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バスは暗闇のレーを出発した。


「さらばラダック」と、美しい岩山風景を目に焼き付けておきたいところだが、窓の外は真っ暗で何も見えない。

傍らを見ると早朝の寒さと眠気により、周りの乗客は皆、瞼を閉じていた。

私も眠い。知らず知らずのうちに、コクリ、コクリと頭を揺らし始めてしまう。

旅立ちの感慨に浸る間もなく眠りに落ちてゆく私……。

そして、再び、ガンガンと窓ガラスへ頭をぶつけ始めた。



デリーは三日後。
再び長く険しい行軍が始まったのである。



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人里離れた山の中、灰色の岩山に囲まれた「リゾン・ゴンパ」は、まさに修行の場と呼ぶにふさわしいゴンパです。

ゲルク派のこのゴンパは、実際にラダックでも最も戒律に厳しいゴンパなのだといいます。
創建は1840年。現在、約100名ほどの僧が修行をしているそうです。

ここは、藤原信也が「全東洋街道」の旅に於いて住み込み取材をした僧院としても知られています。



斜面に段々と建てられている僧坊。
白壁と茶色の窓枠のコントラストがシンプルで美しい。

そして、その上に広がる、深く濃くあまりにも蒼い空。
宇宙がもうすぐそこにあるのではないかと思えるほど濃厚で、しかも透明な空でした。

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例により坊さんに鍵を開けてもらいながら、いくつかのお堂を見て回ります。


しばらく壁画などを鑑賞していると、ゴンパには珍しいアーリア系インド人の若者に出会いました。

袈裟を纏った若い僧と連れ立っている彼が話し掛けてきます。
話によると、彼はこのゴンパで小僧たちに英語を教えている教師なのだそうです。

彼が、一緒にいる僧と「下界へ行きたいので途中までジープに同乗させてはもらえないだろうか」と訊いてきました。

もちろん、私としては、ジープタクシーの兄ちゃんがOKなら問題ありません。
結局、彼らは我々のジープに同乗することとなりました。



今日は休日のため、子供らの授業はお休みのようです。
彼も休息のため街へ繰り出すつもりなのでしょう。

私は、できれば平日に訪れ、子供らの学ぶ姿を見てみたかったなと思いました。

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英語教師たちを途中で降ろした後、しばらくしてジープタクシーはレーに到着しました。
ゴンパ巡りの終了です。


なかなか堪能させてもらいました。
雄大で美しい風景と興味深いゴンパたち、黄金のチャムパ仏、極彩色の壁画。
真摯な老僧の姿、くったくのない小僧。

そして……、

控えめだが笑顔の素敵なジープタクシーの兄ちゃん……。


「ダンニャワード!」


私は、握手をしながら兄ちゃんに礼を言いました。


口髭を揺らしながらはにかむ兄ちゃん。


去り際に手を振ると、彼は白い歯を剥き出し、嬉しそうにニコッと笑いました。



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ジープタクシーの運ちゃんが次に案内してくれたのは、「アルチ・チョスコル・ゴンパ」です。

11世紀にリンチェン・サンポが創建したゲルク派のゴンパで、ここにある壁画は、仏教美術界においてもかなり貴重であり、世界的に有名なものなのだそうです。




敷地には、ほとんど人がいませんでした。

とても、静かです。


境内にはいくつかのお堂がバラバラと建ち並んでいます。

けれども、そのどれにも鍵が掛けられていました。




私は僧を探すことにしました。

ガイドブックには、管理をしている僧がいるということが記されています。

その僧にお堂の鍵を開ける事をお願いしてみようと思ったのです。




ぐるぐると境内を探し回ります。

全く人影のない境内の方々をうろうろうろうろ。



しばらくして、私は、敷地から一段高くなったテラスのような所にある小部屋を覗いてみました。





すると……。







いました!!

臙脂色の袈裟を纏った痩せぎすの僧が!!





しかし、



寝ています……( ̄▽ ̄)





私は恐る恐る肩を揺すぶってみました。


すぐに、痩せぎすの僧、びくっとなって目を覚ましました。




そして、


「何だ?」


というような怪訝そうな目つきで私を見ます。
意外と若い僧でした。



「お堂を開けて欲しいんだけど……」



そう私が言うと、彼はすぐに合点しましたが、


「あと1時間待っていてくれ、今は昼休みだから……」


なんて言うんです。。。



1時間も何もせずに待つ。
それは困るなあと思いました。

けれども昼休みというのなら仕方がありません。


私は頷くと、運ちゃんにそれを報告し、1時間、境内の石段の上に座って本を読みながら待つことにしました。

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1時間後、痩せぎすの僧がやってきて、お堂のいくつかの鍵を開けてくれました。


「ダンニャワード!」


そう礼を言うと、痩せぎすの僧は、ちょこっと口角を上げました。

そして、あっという間にどこかへと去っていってしまいました。






中に入ります。


お堂は、どれも内部が真っ暗で何も見えません。


けれども、壁に近づいていき、懐中電灯の灯りを当てると、









びっくり!!!



一面に極彩色の壁画が描かれていたのです!!


さすが噂に違わぬすごい壁画、これまでのゴンパのものとは比較になりません。
(残念ながら真っ暗だったため、写真は撮れませんでした。それにフラッシュを焚いたら壁画を傷つけることになってしまったかもしれません)

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壁画は確かにすごいものでした。

けれども、この「アルチ・チョスコル・ゴンパ」は、私にとってどこか物足りない気がしました。




この寺院は現在、僧院としては機能をしていません。

小僧らのざわめきも、ゲームに興じる若い僧の姿も、じっと見つめる老僧の眼差しもない「アルチ・チョスコル・ゴンパ」。


ここはまるで博物館のような、遺跡のような、言うなれば死んだような僧院なのです。




遺跡など見慣れているはずなのに、なんだか妙に寂しさを感じてしまう私……。



なぜなのでしょう。



たぶん、それは、このラダックという土地のせいだと思います。

この荒涼とした、生き物の少ない鉱物的なラダックという土地において、私は素晴らしい美術品よりもむしろ、人の温もりをこそ求めていたに違いありません。

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誰もいないお堂をいくつも周り、暗闇の中に佇む無数の壁画群を眺めた後、

私は車へと戻りました。




向こうにジープタクシーが見えます。


そして、その脇には、髭面の運ちゃんの姿が……、



人がいる!!

それだけで、私は何だかホッとしてしまいました。。。



※写真はラダックで見かけた動物たちです。


イメージ 1

ひと通りゴンパを見学し終わった私は、石段に腰掛け昼飯を食べることにしました。

巨大な金ぴかのチャンパ仏を眺めながら「ジャーマン・ベーカリー」のパンを頬張ります。


ジープタクシーの兄ちゃんはいません。
彼とは1時間後にゴンパの前で待ち合わせという約束をしてあったのです。




青い空、深閑とした谷間を眺めつつ耳を澄ますと、子供たちのざわめきが聴こえてきました。

隣に小坊主らの学校があるのです。



ちょっくら覗いてみると……、



広い中庭に袈裟を着た坊さんの姿がたくさんありました!


ワラワラと寄ってくる小坊主、ゲームをしてはしゃいでいる若い僧たち、サングラスを掛け私の姿をじっと見つめる老僧……。

イメージ 2

約束の時間はだいぶ過ぎました。

けれども、いつまで経ってもジープタクシーの兄ちゃんは来ません。




いったいどうしたというのでしょう。

時間を間違えているのでしょうか……。



この山の中、ここから出る手段はあのジープタクシーしかありません。


少し心配になり、私はゴンパの入り口の方まで歩いていってみることにしました。









すると……、







ゴンパから離れた木陰のところに……、







あのジープが停まっているではないですか!



中を覗いてみると……、


ジープタクシーの髭の兄ちゃんが、無邪気な寝顔でぐっすりと居眠りをしておりました( ̄▽ ̄)。







「お〜い!」





肩を揺すぶってみます。


兄ちゃん、びくっとなって目を覚まし、びっくりとした表情で私の顔を見ました。


1時間も寝過ごした彼……。

ちゃあんと仕事をしなきゃだめです!


私はいい加減な彼をとっちめてやろうと思いました。





けれども……、

その時の彼の反応は予想外のものでした。




彼は私と目と目が合うや否や、なんと、一気に「破顔一笑」したのです!

はにかんだような苦笑いでも、決まり悪そうな作り笑いでもなく、「破顔」です!


そして、にこにこ笑いながら、


「ソーリー、ソーリー」


と繰り返すのです。


私、思わず釣られて笑ってしまいました……。



なんて素晴らしい笑顔なんでしょう!

これじゃあ怒りようがありません。



1時間の遅刻なんてどこへやら。

彼のミスも私の怒りも、真っ青な空の向こうに消えてなくなってしまい、気まずい空気など生み出されることもなく、我々はニコニコと笑いながらジープに乗り込んだのでした。




これも生活の智恵のひとつなのでしょうか。

兄ちゃんのこの百万ドルの笑顔に、私は心底脱帽してしまいました。




気を取り直した兄ちゃん。

私を乗せるや否や、すぐにブルルン!とエンジンをかけました。

スケジュールがだいぶ押しています!


私の焦りを察した兄ちゃんは、アクセルを思い切り踏み込みました。

そして、ハンドルを右に左にぐるんぐるんと回しながら、山道を猛スピードで下っていきました。

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「リキール・ゴンパ」です。


この端正な僧房にはいくつか見学できるお堂があります。

私はサングラスを掛けた若い坊さんの案内のもと、それらを見て周りました。

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お堂の内部です。

お堂には極彩色の派手な壁画が一面に描かれておりました。

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古ぼけた貴重なものと思われる「タンカ」や曼荼羅もいくつも垂れ下がっています。

お釈迦様もたくさんいて、にこやかに微笑んだりしかめっ面をしたりしていました。

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壁画には様々な仏教説話や行者などの伝説が描かれていましたが、

中でも興味深かったのが男女交合の仏画です。



多くの手を持った鬼の形相をした仏が、女性(ではないのかもしれませんが)を抱き、男根を突き刺しているこの図。

多くの宗教、特にキリスト教やイスラム教などでは考えられない世界がここには広がっていました。

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インド後期密教から派生したチベット仏教では、性行為を使う瞑想法が実践されていたそうです。

ヨーガ瞑想法の発展により、タブー視から解放された性秘儀。


体にある(チャクラ)に神経を集中し、そこに集まったエネルギーを頭頂に導くことで、梵我一如(ぼんがいちにょ)へと達することができる。

そのエネルギーを得るには、性秘儀によって下半身のチャクラを熱することが効果的と考えられたのです。


けれども、出家者が性行為をすることは戒律に反します。

しかし、悟りを得るためには性行為が必要。


そのため、ゲルク派の開祖ツォンカパは、イメージだけで性行為を行うことを定めたのだそうです。

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それにしても、俗の極致ともいえる性行為を聖なるものへと転化させるそのコペルニクス的転換には驚愕させられます。

我々凡庸なる民にはちょっと理解が難しいですね。



性行為により我々はこの世に誕生するわけだから、あながち『セックスは聖』という考え方があるのもわからなくはありません。


けれども、このあまりにあからさまな壁画を見ていると、


「果たして凡庸なる民はこの壁画を見て真の意味を理解できるのだろうか。間違った解釈をしはしないだろうか……」


と、余計な心配をしたくなってきます。



聖の極致に誘われるか、俗の極致に転落するか。


紙一重の絵、教えですね。



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