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書庫・バングラデシュの川

★ 豊饒の川をゆく  【バングラデシュ】

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狭い国土に網の目のように河川が張り巡らされている「川の国」バングラデシュ。緑豊かな土地と人々の貧しさのコントラストについて思いを巡らせます。

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バングラデシュ南西部、クルナの街角です。

インドへと向かう前日、私はクルナの街をぶらぶらと歩きました。

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クルナの街角。サイクルリキシャとにこやかな少年です。

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たくさんのオートリキシャたち。バングラではベビータクシーって言うのかな。

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Lipton TAAZA。女の人の顔がナイスです。



【雨宿りで見た光景】

雨季の天気は気まぐれです。
叩きつけるようなすごい雨がいつしか上がり、不意に雲間から眩しい陽の光が差し込んできます。
強烈な太陽は濡れた道路を容赦なく照らし、あっという間にからからに乾かしてゆきます。

しかし、それも束の間のこと。
もくもくとした雲が徐々に青空へと覆い被さっていくのに気付いた時には、隠れ場所を探しておかねばなりません。
すぐさまスコールの爆撃が降り注ぎ、地面を水浸しにするからです。


クルナの船着場、ルプシャ・ガットからぶらぶら歩いている途中、私はスコールに遭いました。
雨の勢いはすさまじく、しばらく止みそうにありませんでした。

幸いなことに商店街が並ぶ界隈を歩いていたため、雨を防ぐ庇があります。
私はさっそく一軒の店の庇の下に避難しました。雨宿りです。

濡れた顔を拭いつつ、びしょびしょになった界隈をぼんやりと眺めます。

道を走る無数のリキシャは雨除けの幌を被っています。
排水の悪い道路にはすぐに水が溜まっていきました。
その水溜りを周りの歩行者の存在を少しも考慮することなく跳ね飛ばしていくバスやトラックたち。

前にある民家からおばさんが出てきました。

大きな盥を地面に置きます。

どうやら雨水を集めるようです。

続いて同じ家から裸の子供が2人出てきました。

スコールを浴び、びしょ濡れになりながら大はしゃぎで跳ね回っている子供たち。。。
とても楽しそうでした。


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バングラデシュ西部、クルナ近郊にあるバゲルハットのモスク群です。

クルナから南東へ約20キロ、バゲルハットはあります。
バゲルハットには15世紀に建立されたモスクがいくつも残っていて、それらは世界遺産にも指定されている貴重な建築物であるというのです。
私はそんな古いモスクを見るため、バゲルハットに行くことにしました。


街の外れにあるルプシャ・ガットの船着場まではリキシャで10TK(21円)、ほんの10分ほどの距離です。
ルプシャ・ガットから向こう岸のルプシャまでは渡し舟が出ています。

向こうからまるで鉄板のような船がやってきました。
屋根のない赤い錆びた一枚板。その上に何台かの車と大勢の人々が載っています。
やってきた人と物が降り切ると、我々は船に乗り始めました。
そして、ひと通り人と物を載せ終わると、鉄板船はゆるゆるとルプシャヘと向けて動き出していきました。

茶色のルプシャ川を静かに進む鉄板船。
しばらくすると、そのうち向こうからこちらと同じような鉄板船が近づいてくるのが見えてきました。
色んなものを山積みにした鉄板と鉄板がゆっくりとすれ違います。
鉄板の上に突っ立ってお互いの鉄板を物も言わずに眺め合う人々……。何だか妙におかしな光景でした。


ルプシャに渡るとそこには何台ものバスがひしめきあっていました。
私はバゲルハットへと向かうバスを探します。
「バゲルハット、バゲルハット!」とそれぞれのバスの客引きに訊いて回ると、ほどなくバゲルハット行きのバスを見つけることができました。
料金は20TK(42円)。私はそのバスに乗り込み、20分ほど掛けてバゲルハットへと向かったのです。

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緑に包まれた田舎の風景。椰子の木がゆらゆらと揺れ、鳥の鳴き声があちこちから聴こえてきます。
黄金のベンガルと称されるバングラデシュの風景です。

のどかな道をのんびりと歩いていくと緑の芝生の中にレンガ色の平べったい建物が現れました。
シャイト・ゴンブズ・モスジットです。1459年に建造された茶色のレンガ造りの古い建物です。

シャイト・ゴンブズとは60のドームという意味だそうで、平べったい屋根の上には60の小ドームと17の大ドームが載せてありました。建物の四隅にはずんぐりとした背の低いミナレットがあり、正面にはいくつものアーチ門が連なっています。
遠めから見ると倉庫のようなそのモスクは、何だか昭和初期の赤レンガのようなレトロ風情を感じさせました。

モスクの中に入ると世界は一変しました。
60本もの白い石柱が空間を埋め尽くし、それらの上部には無数のアーチが掛かっています。
シンプルで幾何学的なその景観は、外観のレトロさとは裏腹に何か近未来的なイメージを感じさせました。

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このモスクは世界遺産に登録されているにも拘らず、訪れる観光客はほとんどいないようです。
地元の人の姿もあまり見かけません。数人の男女が中に入って祈っているだけで、モスクは閑散としていました。

建物の前に広がる緑の芝生には上半身裸の少年たちがぶらぶらと遊んでいました。
彼らは私の姿を見つけると、写真を撮ってくれとせがんできました。

カメラを構えます。
少年たちはお互いに肩を組み、ニッと笑いました。

青々とした芝と渋い赤レンガのモスクをバックに上半身裸の子供たちがファインダーに収まりました。

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シャイト・ゴンブズから2キロほどぶらぶらと歩いていくと、マジャール・カン・ジャハン・アリ(カン・ジャハン廟)があります。
カン・ジャハンは塩害に悩まされるこの土地を開拓し、都市や貯水池を造ったとされる聖人です。

建物はシャイト・ゴンブズと同じように渋い赤レンガで造られています。
正方形の建物の上に大きな丸いドームがひとつ乗っかっていて、内部にはカン・ジャハンの棺がありました。
地元では彼はかなり崇拝されているようです。私が訪れた時も何人かが棺に祈りを捧げていました。

写真、車椅子の人がいますね。牛も草を食んでいます。

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マジャール・カンの西側にはナイン・ドーム・モスジットがあります。
文字通り、9つのドームを持つ無骨なモスクです。

マジャール・カンとナイン・ドームの向こう側にはタクル池という貯水池があります。
広大な貯水池。これも塩害と戦い、この地を干拓したカン・ジャハンが造ったものなのでしょう。


池の前にある石段の上で、地元の人々が駄弁っています。
のんびりとしていてとても静かな風景。

そのうち空模様が怪しくなり、池の色が灰色に沈み始めてきました。

雨が降ってきました!
ぽつぽつと降り出した雨は次第に勢いを増していきます。人々はいそいそと木陰に避難し、赤レンガの建物と緑の芝生は雨に濡れ次第にその色彩を濃くしていきました。
しっとりと濡れたバゲルハットの風景。
それは晴れのときよりも更に美しいのではないかと思えるほど、雨は風景によくマッチしていました。


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ロケット・スティーマーに乗り、美しい河を眺めながらこの国について考えます。

バングラデシュ。
この国の名を聞いてまず始めに頭に思い浮かぶ言葉、それは恐らく「貧困」という言葉なのではないでしょうか。

たぶん皆さんが想像されている通り、バングラデシュは世界最貧国のひとつです。
この国には多くの貧しい人たちが暮らしています。そして、国自体も世界中の国家やNGOなどの団体から多くの援助を受け、それが社会の中で大きな位置を占めています。

しかし、ここ東ベンガルの地が有史以来ずっと貧困に喘いでいたというわけではありません。ここはかつて、インド世界で最も豊かな土地として知られていた場所でもあるのです。

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ボッダ川(ガンジス川)の作り出す肥沃なデルタ地帯。
この川の恵みと緑の豊かさは、その当時から今に至るまで少しも変わるところはありません。
この美しい風景を見ればわかるように、ここは元来豊かな土地なのです。

にもかかわらず、この国の多くの人々は貧困に喘いでいます。
しかもその貧しさとは車や家電を買うことが出来ないという類の貧しさではなく、日々の糧を得るのも難しいというような切迫した貧しさなのです。


私は無限に広がっているかのように見える水と緑の風景を眺めながら不思議に思っていました。
なぜ、この国はこうまでして貧しいのか。。。

帰国後、私はバングラデシュという国について少し調べてみました。


話によるとバングラデシュが貧しくなってしまった一番の理由はイギリスの植民地支配であるそうです。
イギリスは自国の発展のために東ベンガルを搾取したのだといいます。

例えばイギリスは自国の綿製品の市場を確保するため、東ベンガル特産の最高級といわれた織物「ダッカモスリン」を壊滅させてしまいました。
イギリス産の粗悪な綿布を安い値で大量にばら撒き、技術者たちから仕事を奪い取ったのです。
その結果、ダッカモスリンを織ることの出来る技術者は絶滅してしまいました。

また、イギリスはベンガル人にジュート(黄麻)の栽培を強制させました。
これによって東ベンガルはイギリスの原料供給地とされてしまい、東ベンガルの産業構造はずたずたに破壊されてしまったのです。

この植民地支配約150年の間に、東ベンガルはうまい汁を全てイギリスに吸い取られてしまったのだと言えるでしょう。


イギリスから解放された後もこの国の受難は続きます。
東ベンガルは分断国家パキスタンの一部、東パキスタンとしてイギリスから独立しました。
しかし、東パキスタンとなった東ベンガルは今度は西パキスタンの原料供給地及び市場とされてしまいます。資本投下が全て西に集中してしまったのです。

そんな状況を憂えたベンガル人はパキスタンに対して再び独立戦争を起こしました。
そして1971年、ついに東ベンガルはパキスタンから独立し、新生国家バングラデシュが誕生します。

けれども、独立したはいいものの、資本蓄積もないバングラデシュは援助に頼るしかありませんでした。そして、その援助は現在に至るまで際限なく行われています。

しかし、外国からの援助がいくらなされてもバングラデシュが豊かになりそうな見込みはありませんでした。

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援助は国際情勢、援助する国の政府や企業の利害関係、援助される国の上層部や有力者たちの思惑により大きく阻害されるといいます。
この国ではイギリス時代と変わらず、未だに一部の者がうまい汁を吸う構造が根強く残っているのだそうです。

イギリスはこの地に近代的な土地の所有概念を持ち込みました。土地は領主のものとなり年貢は地代に変わります。それにより農民たちは土地無しの借地人という地位に落とされてしまいます。

そのうち農民の間で階層分化が進み貧富の差が激しくなります。また、外国からの援助は土地の有力者に抑えられてしまいます。
援助は外国と交渉する有力者に都合よくなされるため、本当に援助を必要としている者の手には行き渡らないのです。そして、皮肉なことに援助をすればするほど貧富の差はますます拡大していきます。


バングラデシュでは全人口の約76パーセント(1999年)が農村に暮らしているといいます。その多くが土地無しでギリギリの生活を送っているのだそうです。
ダッカを始めとした都会に出てゆく者も多く、リキシャを借りて日銭を稼ぎスラムに住んだり路上生活者となったりする人が大勢います。
ある統計によるとダッカの人口の3分の1はスラムで暮らしているのだそうです。

貧しい者はどこへ行っても抑圧される。事件や不正が起きても警察や裁判官は有力者の味方だし、貧者は泣き寝入りをするしかありません。病気になっても金がないため医者にかかることが出来ないし、教育についても貧しい人は多くを受けることができません。

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日本を始めとした国際社会は、金やモノを供与すればその国に援助をしたのだと自己満足してしまいがちです。
例えば先進諸国は途上国に大規模な施設を造ったり高価な作業機械などを送ったりしますが、そんな大規模な設備や機器を扱える人間は限られるし、先進諸国の技術が無ければメンテナンスもうまくいきません。

そんなものよりも貧しい村人たちが本当に欲しているのは、たいそうな技術や知識など必要のない個人レベルで扱える機器や設備なのです。
莫大なお金を使って農村に設備を造ったはいいものの、扱える技術者の不足により機械がほったらかしにされているという事例がいくつもあるそうです。
それにまた、高額な設備などを造ることによってその国は大きな負債を抱えてしまうという弊害もあります。

援助のやり方が間違っている。その国を自立させるような援助がこれまではなされてはいなかった。。。

本当に自分の子供を自立させたいと思う親なら、塾や習い事に通わせるなどといった将来の自立へと繋がる援助をするものです。ただ単に欲しがる物を与えるなどということをすれば子供は自立できません。国も人も同じだと思います。
自立して援助無しでもやっていける国を造る。そのための援助が必要であると思うのです。


こうした貧困から抜け出せないバングラデシュの救いようの無い状況。
それを変えようと一人のバングラデシュ人が立ち上がりました。
以前紹介したノーベル平和賞受賞者のムハマド・ユヌス氏です。

http://blogs.yahoo.co.jp/samberasam51/29161380.html?p=1&pm=l

ユヌス氏は、そういった外国の援助に頼るだけでは貧困はなくならないと考えました。
彼は人々の自立を促すため、貧困者を対象に低金利の無担保融資をする「グラミン銀行」を立ち上げたのです。
彼は貧困を無くすためには人々が自立していくことが何よりも大事だと語っています。

長年続けられた先進国からの援助では全く変わらなかったバングラデシュの状況が、バングラデシュの人々自身の努力によって少しづつ変わろうとしています。

バングラデシュは政治的にも常に不安定さを抱え、毎年起こる水害など気候風土についても苛酷なものがあるため、貧困を撲滅するにはまだまだ長い年月が必要かとは思います。
けれども、このグラミン・プロジェクトという彼ら自身によって進められている自立への取り組みは、バングラデシュという国の将来に大きな希望を抱かせるものです。

あと50年後にこの国がどうなっているのか。そういった期待を抱かせる国にバングラデシュは変わってきているのです。

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緑に包まれた川を外輪船はゆっくりと航行していきます。

船旅は素晴らしいものでした。
慇懃すぎるところが玉にキズではあるけれども、船室係のオヤジは操舵室とエンジンルーム、そして、屋根の上にある見張り台まで見せてくれたし、船内で出される朝食のオムレツやディナーのカレーはとてもおいしかった。
雄大な風景を見ながら聴く音楽は心地よかったし、読んでいる本からふと顔を上げた時、目に飛び込んでくる降るような陽の光はこの上なく美しいものでした。


夜八時。船はバングラデシュ第3の町、クルナに到着しました。
オレンジ色の薄明かりに照らされたクルナの港。
その雑然とした風情が今でも目に焼きついています。

私は船を降りるとさっそくやって来たリキシャと交渉を始めました。
そのうち話がまとまり、私はリキシャの荷台に飛び乗ります。
運ちゃんがペダルをゆっくりと漕ぎ始めました。
そして、きらきらとしたベルの音を響かせながら、私たちは真っ黒な夜の闇の中に溶けるように入っていったのです。



ロケット・スティーマーから眺めたベンガルの風景です。

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緑溢れるベンガルの豊かな風景。

エメラルドグリーンに輝く常緑樹が河岸に生い茂り、黄緑色の水田がどこまでも広がっている光景。

その緑のキャンバスの上には赤やオレンジの原色のサリーを纏った女が花のように咲いていました。
彼女らは農作業をしているのです。


白いこぶ牛が荷車を引いています。空をキイキイと羽ばたいている鳥、河岸で洗濯をする人、水浴をする人、用を足す人。。。

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茶色の川は静かにとうとうと流れていきます。
川面には小さな帆を張った小舟がいくつも漂っていて、どの舟も長い櫂を泥水に刺し込んでいます。

あっ!網が投げ入れられました。漁です!

川の恵みによって生活する人々。その原初的な姿はとても美しいものでした。
外輪船はそういった漁師の操る小舟と幾度となくすれ違い、また追い越していきます。

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先ほどまで降っていた雨が上がりました。
雲間から青い空が覗き、眩しい陽光が燦燦と降り注いできます。

けれども、すぐにまた空は曇り、再び、ぽつぽつと雨が降り始めました。
そして、そのうち雨は一気に土砂降りとなってしまいました。


視界をスコールの斜線が遮り、川面が嵐のように波立ちます。
でも、それも長くは続きません。
不意に雨は止みます。そして、再び青空と強烈な太陽が顔を覗かすのです。


雨上がりの空にはしばしば虹が架かります。はっきりとした七色の綺麗なアーチです。
この時ベンガルの空には二重の虹が架かりました。

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いくつもの村を通り過ぎ、いくつもの船を追い越しすれ違い。
空が曇り、雨が降っては晴れ、また曇り。
日が沈み、そして昇って、また沈み。。。

地球という星の営みを感じる、そんなひとときです。


辺りが薄紫色の闇に包まれ始める頃、方々から白い煙がゆらゆらと漂い始めてきました。
夕餉の支度です。

ゆらゆらと棚引くその煙は、私の心を何だかとても温かくしてくれました。

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そのうちベンガルの風景を構成していた全ての色と形が夜の闇によって掻き消されていきます。
そして、ぽつんぽつんと点在する家々の灯りだけが闇の中に浮かび上がり始めます。

孤立無援であるかのように見えるその灯り。
だけど、その中にはささやかではあるけれども温かい、ベンガルの家族の暮らしがあるのでしょう。


延々と繰り返す輪廻のような自然の営み。そして、自然と共に生きる人々の日常。
そんなバングラデシュの「心」とも呼べる風景を、私はロケットのデッキから飽きることなく眺め続けていました。



バングラデシュの川をゆくロケット・スティーマーをご紹介します。

首都ダッカからこの船に乗って西部の町クルナまで川を進みました。

イメージ 1

ロケット・スティーマーが名も知れぬ村に到着しました。
緑の椰子の森の中にトタンの屋根の家が並ぶ小さな集落です。

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人々が船を降りていきます。 ダッカから帰省するオヤジを待つ家族。船の乗客に果物やお菓子を売ろうとする物売り。 私も一旦船を降り、岸辺からロケットの外観を眺めることにしました。
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ロケット・スティーマーの外観です。
ボロボロですね〜。1935年の建造です。

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これが外輪船のパドルです。
これをぐるぐる回転させて進むのです。船足はかなり遅いです。
カメラを構えたら皆さんにガンをつけられてしまいました。。。

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二階にカーテンの付いた窓がありますね。
あそこが一等船室です。私はあそこで丸二日過ごしました。

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ロケットの屋根です。
途方も無く広い泥色の川と緑の椰子が生い茂る岸辺が見えますね。
雄大なベンガルの風景です。

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船員が機関室に案内してくれました。
ディーゼル機関です。1996年までこの船はなんと蒸気機関で動いていたというのだから驚きです。

イメージ 8

こちらは船長室。
面舵いっぱ〜い!
船長さん、照れ臭そうに舵を握っています。



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