ここから本文です

書庫・アジアンハイウェイ

★ アジアン・ハイウェイをゆく  【トルコ・イラン・パキスタン】

http://img2.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/a7/ba/samberasam51/folder/1585078/img_1585078_18848039_132?1295735455
ヨーロッパの風を感じるイスタンブールから、かつてペルシャと呼ばれたイラン、そして、インドの匂いのするパキスタンまで。連綿と続く文化のグラデーションを辿ります。

http://x6.syoutikubai.com/bin/ll?07816510j
NinjaTools
記事検索
検索

全7ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7]

[ 次のページ ]


イメージ 1

夕陽が西の空を茜色に染め、ジャミイのドームや尖塔が薄紫色に翳る頃。

私はガラタ橋の下にあるチャイ屋にトボトボと入っていった。

イメージ 2

小さなグラスのチャイ、そして、アップル味のナルギレ(水煙草)を注文。


チャイを啜り、ごぼごぼと音を立てながらナルギレを吸う。


仄かな甘い香り。
白い煙をふぅ〜っと吹かす。

うまい!

イメージ 3

ジャミイが半身をオレンジ色に輝かせている。
街並みの色は徐々に濃度を増していき、黒い稜線を浮かび上がらせてゆく。

紅く染まった空と海に挟まれた複雑な造形の街のシルエット。
イスタンブールの美しい夕景……。

イメージ 4

「アッラーフ・アクバル!(アッラーは偉大なり!)」


その時、目の前にあるジャミイのスピーカーから、夕方のアザーンの呼び掛けが流れた。


「アッラーフ・アクバル!」


すぐさま、その奥にあるジャミイからもアザーンが響く。

そして、向こうの新市街のジャミイからも、金角湾の奥の方からも、アザーンの呼びかけが次々と聴こえ始めた。

イスタンブール中の何百というジャミイが、一斉にアザーンの呼び掛けを始めたのだ!

イメージ 5

抑揚を効かせた呼び掛けはジャミイごとに違う。


「アッラーフ・アクバル!」


その音楽的な美しい呼び声は、夕陽に照らされた街と海峡全体に響き渡っていた。




何百というアザーンの声に包まれた夕闇のイスタンブール。

この町が一番ドラマチックになる瞬間である、と私は思う。



イメージ 1

エミノニュの桟橋から連絡船に乗って、アジアサイドのカドキョイへと向かいます。
船の料金は1,000,000TL(78円)。
船はゆっくりとボスポラス海峡を横断していき、数分でアジアへと到着しました。

カドキョイは庶民の街。
私は市場や商店などを覗いて廻り、トルコ風のピザである「ピデ」や蜂蜜漬けの甘いパイ「バクラワ」などをバリバリとかじりながら界隈をうろつきまわりました。


(ワンツー!ワンツー!写真は旧市街、ヒポドロームでのダンスの練習です)
イメージ 2

カドキョイからの帰り。
フェリー乗り場前の広場で船を待っていると、そこには様々な商売人たちの姿がありました。

人形売り、新聞売り、ゴマ付きパンの屋台のおやじ、チャイ屋……。


私の隣には靴磨きの男が仕事をしています。
素早く丁寧な仕事振り、それを同じような格好をした少年が真剣に眺めています。先輩から技術を盗もうとしているのでしょうか……。

よく見ると周りには小学生くらいの靴磨きの子がたくさんおり、靴磨きの道具をぶらぶらとさせて駄弁っていました。

船が到着しない時分は暇のようです。



(写真は、旧市街、ヴァレンス水道橋近くの靴磨き少年たち。たぶん、右の少年は数年後眉毛が繋がっていることでしょう。)
イメージ 3

コンクリの地面に立つビニール人形の木。
カドキョイのフェリー乗り場前にありました。

やけにカラフルで楽しげな連中ですが、ちょっとばかしシュールな怖さも感じます。
売れるんでしょうか、これ。

しかし、かさばる売り物ですね、これ。


(写真は、アジアサイド、カドキョイにて)
イメージ 4

桟橋の前には父娘の花売りもいました。
ひげの父親と2人の少女がたくさんの花束を抱えて立っています。

たぶん、下船してきた客に花束を売るのでしょう。
まだ幼い年下の女の子が花束を持ちキャーキャー騒いでいます。
それを窘めつつも相手をしてやっているしっかり者のお姉さん。
その様子をひげの父親が優しく見守っています。


船が到着しました。

タラップから吐き出される人々、物売りたちが一斉に商売を始めます。

靴磨きの少年たちが雑踏の中を駆け回り始める。
大声を張り上げ花束を持った手を振り回す花売りの父と娘たち。

父や姉を真似して健気に声を張り上げている下の子の姿が微笑ましいです。


(写真は、カドキョイ桟橋前の花売り父娘。娘の姿がよく写っていません)
イメージ 5

ボスポラス海峡。

汽笛の音がボォォォと聴こえてくる。
演歌な街ですね、イスタンブール!


(写真は、旧市街エミノニュ付近に佇むおやじ)
イメージ 6

ゴマパン売り屋台。

どうやら、暇そうですね、おじさん。
たばこをプカ〜っとふかしています。

ここはウシュクダル行きのフェリー乗り場前。
朝や夕方の通勤時間帯にはお客がたくさんあるのでしょう。

イメージ 7

イスタンブール名物、チェリージュース売り!

華やかな民族衣装と、背中に大きな銀色のジュース入れを担いでいるので目立ちます。

結構おいしいんですよ、このジュース。
暑い夏のイスタンブールでは、とっても重宝します。


(写真は、旧市街、ブルーモスク前にて)
イメージ 8

こんな風にジュースをコップに入れます。


(写真は、旧市街エミノニュ、イエニジャミイ前)


イメージ 1

釣りしてます。

ここは旧市街、エミノニュの桟橋の近く。
サバサンドの屋台があるところです。

売り物にするサバでも釣っているのでしょうか。


対岸には新市街。そして、そこをつなぐガラタ橋が見えます。
新市街にはガラタ塔が屹立しているのも見えますね。

イメージ 2

ガラタ橋です。

電線に止まったスズメのように、等間隔で釣り人が並んでいます。

ガラタ橋は二層になっていて、1階にはチャイハネが何軒かあります。
このチャイハネで、よくチャイを飲みながら水煙草をふかしたものです。

イメージ 3

ガラタ橋の上の釣竿は、こんな風にセットされていました。

釣竿をずっと持っていなくてもいいように、なんか木製の道具が付いてますね。
これなら釣竿を垂らしたまま、チャイを飲みにいっても大丈夫。

工夫してますね!

イメージ 4

ここはアジアサイドのカドキョイ。
ここにも釣り人がおりました!

バケツの中には結構魚が入っていましたよ!


遠くにボスポラス橋が見えますね。
左手のヨーロッパと右手のアジアを結ぶ全長1510mの吊り橋です。

この橋の5キロ北には第二ボスポラス橋があります。

イメージ 5

陽が沈んできました。

釣り人の姿も少しづつ減ってきています。

彼らが釣りだけで生活しているかどうかはわかりませんが、重要な収入源には違いないんでしょう。

おっちゃん、戦果が乏しかったのかな?
ひとりで粘ってます。

イメージ 6

ガラタ橋に陽が沈んでいきます。

釣り人の皆さんも帰り支度をしています。



アザーンの呼び掛けが聴こえてきました。

その声を聴きながら、礼拝に行く人も行かない人も、
旧市街、新市街、アジアサイドにあるそれぞれの我が家へと去っていきました。



開くトラックバック(1)

Mustafa Sandal 2007 Can Cana

イメージ 1

イスタンブールの人口は、約800万人(2000年)。
トルコ最大の都市であり文化の発信地。世界中から観光客が集まる観光地としても有名です。

イスタンブールは、ヨーロッパサイドの新市街と旧市街、そして、アジアサイドの3つに分かれています。


写真はイスタンブール新市街の風景です。
起伏に富んだ街並が魅力ですね。

この辺りはあまり観光客の姿を見掛けません。
観光スポットを少し外れると、観光客のいない日常の生活空間が広がっています。

イメージ 2

タキシム広場周辺。
この辺がイスタンブール新市街の中心部です。

トルコのオシャレな若者と外国人がいっぱいのエリア。
トルコミュージックがガンガン鳴っているエリアです。

イメージ 3

ご存知、ドネルケバブです。

イスタンブールでのランチは、これかサバサンドで決まり!
チキン、マトン、ビーフがありました。

とってもうまいです!

日本でも最近は増えてきていますよね、ケバブ屋さん。

イメージ 4

タキシム広場からイスティクラール通りへ向かってトラムが走っています。
市民の足というよりは、観光用の意味合いが強いみたいですね。

新市街のトラムはレトロ調。
一方、旧市街のトラムは最新式の銀色のトラムでした。
アジアサイドにもトラムは走っているそうです。


子供がつかまっています!
あぶない、あぶない!

イメージ 5
ガラタ塔です。 塔の起源は5〜6世紀。現在の塔は、1348年にジェノヴァ人が監視塔として再建したものだそうです。 高さ61mの塔の最上部はレストランになっていて、美しい夜景を眺めながらディナーを楽しむことができます。 ガラタ塔は丘の上に建っているため、実際よりも高く見えます。
イメージ 6

新市街の埠頭から旧市街方向を眺めます。

向こうに見えるモスクは、シュレイマニエ・ジャミイ。

海峡があり、丘がある。
こういう変化に富んだ地形の町が好きです。

イメージ 7イメージ 8
左は旧市街、右はアジアサイドのカドキョイの路地です。
閑散としておりました。

カドキョイの辺りには、全く観光客がいませんでした。

何にもないからなのですが……。

イメージ 9

旧市街のシルケジ駅近く。
洋服屋さんが軒を連ねる界隈です。

自由な気風のイスタンブールらしく、スカーフを被った女性も被っていない女性もいます。
真っ黒なアバヤを纏った敬虔なイスラム教徒の姿も見掛ける一方、欧米と遜色のないノースリーブの女性もおります。

イメージ 10

イメージ 11

旧市街のストリートです。

日差しの強い初夏のイスタンブール。
木陰のチャイハネで、まったりとチャイを啜るというのも、なかなか乙なものです。

トルコでは(だけでなく中東では)、チャイを1日何杯飲むか知れません。

イメージ 12

旧市街にあったイスラム教徒の墓地。
まあるい墓石が印象的です。

あそこにはコーランの文句が書かれているのでしょうか。

イメージ 13

グランバザールの入り口です。
畏まったスーツの男性とポリスがひとり。

こんなところで何をしているのでしょうね。

バザールの内部の記事は下リンクから。

★バザール、イスタンブール
イメージ 14

イメージ 15

イメージ 16

旧市街、エミュノニュ地区。
林立するモスクのシルエットがやけにエキゾチックな夕暮れ時の風景です。

観光客にとっては夢のように思えるイスタンブールの街ですが、地元の人々にとっては、日々働き学ぶ生活の場。

そのうち、家路につくサラリーマンや学生たちがぞろぞろとやって来るのでしょうか。

そして、もう少ししたら、海峡じゅうにアザーンの朗誦が響き渡るのです。



イメージ 1

イスタンブールは、かつて「コンスタンティノープル」と呼ばれた東ローマ帝国(ビザンツ帝国)の首都でした。

この町は、4世紀末から15世紀半ばまで、1000年以上もの間、キリスト教文化圏に属していた。
いや、それどころか、この町はキリスト教文化の中心のひとつでもあったのです。



写真は、アヤ・ソフィア。
東ローマ帝国随一の聖堂として知られ、その後オスマン・トルコ時代にはモスクに改修され、現在では、博物館として一般に公開されている。
イスタンブールの重層的な歴史を象徴するような建物です。

紀元360年、ローマ皇帝コンスタンティウス2世によって建造されたのがはじまりとされていますが、その後2度消失。現在の建物は、ユスティニアヌス帝の命により、537年に再建されたものだそうです。

当時、アヤ・ソフィアは、コンスタンティノポリス大主教座の所在地として正教会第一の格式を誇る聖堂でありました。またここは、東ローマ帝国歴代皇帝の霊廟としても用いられていたといいます。

イメージ 2
1453年、コンスタンティノープルを占拠したオスマン帝国皇帝メフメト2世は、アヤ・ソフィアをモスクに改造することを宣言。
イメージ 3
十字架が外され、ミフラーブが造られ、4本のミナレットが建設されました。
イメージ 4

聖堂内部は金地のモザイクで埋め尽くされていましたが、オスマン時代に全て漆喰で塗り固められてしまいました。

しかし、オスマン帝国は漆喰を破壊することなく上から塗り固めただけだったため、19世紀以降、漆喰を剥がした本格的な調査が行われ、現在ではそのいくつかを見ることができます。

イメージ 5
この穴に親指を入れ、手を一回りさせることができれば、幸運が訪れると言われています。
イメージ 6

アヤ・ソフィアは、集中式とバシリカ式を融合した建築物で、東ローマ時代、これに類した建物は建造されることはありませんでした。

オスマン時代、トルコ人は比類なき建造物としてこのアヤ・ソフィアを畏敬し、後のブルー・モスクやシュレイマニエ・ジャミイの手本としたのです。


イメージ 7イメージ 8
イメージ 9イメージ 10

これは、「イェレバタン・サルヌジュ」。通称「地下宮殿」と呼ばれる東ローマ時代の貯水槽です。

ユスティニアヌス帝によって建造されたもので、長さ138m、幅65mの空間に、高さ9mの336本の大理石円柱が立っています。
78,000㎥の水を貯えることができたそうです。

円柱は寄せ集めの流用品で、土台にはメデューサの顔が彫られた石材なども使われています。

イメージ 11
イメージ 12 「ヴァレンス水道橋」です。 コンスタンティノポリスを建設したコンスタンティヌス1世の時代に建造が開始され、378年、ヴァレンス帝の時代に完成した水道橋です。町の北西郊外の森から水を地下貯水池まで送っていました。 現在は1kmのうちの約800mほどが残っています。
イメージ 13
ここは、ローマ時代に2頭立ての馬車レースが行われた競技場(ヒッポドローム)の跡地です。 写真の手前に見えるのは「テオドシウスのオベリスク」。 4世紀後半に、テオドシウス帝がこのオベリスクを運び込んだため、そう呼ばれています。 このオベリスクは本来、エジプト、ルクソールにあるカルナック神殿にあったものです。 紀元前15世紀、新王国第18王朝のトトメス3世によって建造されました。 碑文にはトトメス3世の軍事的な偉業が彫られているそうです。 後ろにあるのは、「コンスタンティヌス7世の柱」。 940年にコンスタンティヌス7世によって建てられた切石積のオベリスクです。 かつては、青銅で覆われていたそうですが、第4回十字軍の略奪によって剥がされてしまいました。 この広場にはもうひとつ柱があって、それは、「蛇の柱」と呼ばれるものです。 蛇の柱は、青銅製の3匹の蛇が絡まった形をした柱ですが、頭部は折れてしまっています。 ギリシャ、デルフィのアポロン神殿から持ち出されたもので、建造は紀元前479年です。 イスタンブールには、他にもローマ時代の遺構がたくさん遺されています。 私は未訪ですが、3世紀に造られた「テオドシウスの城壁」や、ビザンツ帝国時代のモザイクを集めた「カーリエ博物館」も東ローマ帝国に興味ある方にとっては必見ですね。


全7ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7]

[ 次のページ ]

ブログバナー

さるみみの見た世界
さるみみの見た世界
男性 / O型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
検索 検索

スマートフォンで見る

モバイル版Yahoo!ブログにアクセス!

スマートフォン版Yahoo!ブログにアクセス!

1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

本文はここまでですこのページの先頭へ

[PR]お得情報

話題の新商品が今だけもらえる!
ジュレームアミノ シュープリーム
プレゼントキャンペーン
ふるさと納税サイト『さとふる』
11/30まで5周年記念キャンペーン中!
Amazonギフト券1000円分当たる!

その他のキャンペーン

みんなの更新記事