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相撲と私

数年前、熊本市立黒髪小学校の同窓生達と会食した際、「ああたは相撲が強かったな」と言われた。勉強が出来た、とか、歌が上手かった、ではなく、相撲に強いことだけが印象に残っていたのだろう。事実。チビでやせっぽちだった私だが、相撲は強かった記憶がある。大横綱双葉山が引退興行で来た際、母に連れられて見た記憶もある。母は、謡曲、仕舞の教師の資格を持ち、数名の弟子を抱えていたが、反面、野球や相撲が大好き、父が不在だったので、小学生の私を連れ出したのだろう。「女一人で相撲見物とは」の雰囲気があった戦後間もない熊本であった。

九州学院中学部に入学した我々一年生は、毎朝。砂場で相撲を取った。喧嘩の名人龍チャンが、小学生時代から村の青年相撲でやっていた由だが、抜群に強く、土俵を独占していた。そんな彼に、性懲りもなく挑戦を続け、偶には勝つこともあったのが私だった。そんな関係で、彼と親しくなり、宇土市の彼の家に泊まり込みで遊びに行ったりして、生涯の友ともなったのだ

大学時代は全く不縁、会社人としても、海外勤務。海外出張のみ多く、当時、欧米では、ヘラルドトリビューンが日本プロ野球の勝敗を報ずるのみで、相撲とはますます不縁となったのだった。

時代はグット飛んで、1990年代前半、世はまだバブルが残っていて景気よく、私はBMWを日本で売っていた。ある日、妻の話で、「浩子さん(私の妹)が、『大相撲を桟敷席で一度見たいが、夢だな』と語っていた旨聞いた。浩子には、寝たきりの母の面倒を20年以上看て貰い、また、長男の私が、欧米を飛びまわって住所不定のため、墓の面倒等、一切任せていた因縁もある。いわゆる貴花時代で相撲切符を手に入れるのは困難だったが、あちこち手を回して、先ず両国国技館の東京場所を見せた。小さい頃からスポーツ好きだった彼女の夢の一つを先ずは叶えてやったのである。余談だが、この夜、帰宅したら、龍チャンから電話。「おい、さっき相撲見とったな。ノブちゃん(妻)と一緒。もう一人は浩子チャンか」と言われ、テレビの恐ろしさを再確認した次第だった。彼女達だからよかったが、もし怪しげな女と一緒だったら、そのニュースは直ちに日本中に広まったことだろう。次いで大阪場所も見せた。これには、神戸勤務だった弟も参加した。離れて暮らす兄妹三人が一緒になるのは極めて珍しく、弟はこの後暫くして亡くなったので、この時の写真は今も私の書斎にある。

この後、アメリカ人を筆頭に、外国人力士の台頭凄まじく、「何が国技だ」とテレビで見ることも殆どなくなったのだが、数年前、ふと見たら、「遠藤」というのが台頭、技も切れるし、土俵際の粘りが凄くて、ドンドン出世するものだから、土台、こちらは暇な身だし、在宅の限り、必ず観戦するようになった。そのうち、日本の若手がドンドン出て来て、ひと頃、正に天下を制していたモンゴル勢も、白鵬を除けば、ほぼ脱落した感あり、ますます面白くなった。目下開催中の名古屋場所も、家にいる限り、5時前には階下に降り、シャワーを浴びて、おもむろに観戦する。以前は、焼酎をグイグイ空けながらだったが、昨今は、先輩諸氏の忠告を一応聴いて、6時終了までに一杯、チビチビ舐める程度である。

白鵬の強さは、余人を遙かに凌ぐ稽古量によるそうだ。ひと頃モンゴル勢に席巻されたのも、彼等は早いとこ出世して、故郷に送金しようと必死なのに対して、日本勢は、十両入りしてもまだ親の送金を受ける者ある差だとされる。久し振りで日本人横綱が出たのは目出たいけど、この男は、どうも精神的に弱いようで気に入らなかった。果たせるかな、横綱昇進早々、休場ばかり続けている。どうか、今の若手の名かから、長続きする本当の横綱が生まれること、そのために、彼等が、白鵬おも越えた精進を積み重ねることを望むのみである。

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21世紀三国志

これは、ロシアのプーチン。KGMのスパイ上がりだけに、ロシアを昔日のソ連の如き制覇国にするのが夢で、オバマに出兵の覚悟なし、と見るや、すかさずバルカン半島を抑えにかかった。今のところ、トランプの出方を探りながら、他方北朝鮮を援助したり、長期的に覇権獲得の手を打ち続けている。これが国連決議違反になるなぞ、気にもかけない。土台、国連は、何の影響力もない官僚機構に成り果てており、彼はその事実を十分認識しての犯行である。昨今、トランプの長男が、昨年の選挙運動中、ロシアの外交官に、ヒラリー・クリントン候補に不利な情報を求めた、として問題になり、長男は接触したことは認めている。ロシアにしてみれば、オバマで懲り懲りの民主党政権誕生は避けたいところだし、トランプに恩を売っておくのは歓迎、として、こんな、外交常識に反する要求にも応じたのだろう。政治とは、外交とは、本来そうしたものだが、特にロシアは、1945年、不可侵条約を無視して満州に攻め入り、あわよくば北海道までせしめよう、とした例が示す通り、国際条約など頭から無視するお国柄で、プーチンには特にその傾向が強い。トランプ妹尾軒が揺るぎ、その代替者も見つからない無政府状態になれば、すかさず、北海道に、更には東京まで、侵略の手を伸ばして来るのは眼に見えている。民有化を機に、多くの虚業家が泡銭を掴んで、凄まじい差別社会を作り、プーチンがその最大の利得者であることは広く知られ段々目立って来た反対運動を抑えるためにも、国民の眼を海外進出、国家意識高揚、に求める事は明らかである。プーチンこそ、世界平和にも日本の国体保持にも、最も危険な代物である。

中国の習近平も、「一路一帯」とか称して、中国から欧州まで、陸と海で繋いで、中国の支配下に置く大構想を進めており、南・東シナ海への進出や、ギリシャの、ピレウス港を取得したのは、その手始めに過ぎない。

ここでも、汚職蔓延、一部の大富豪は海外に資産・家族を移して万一の事態に備えているのに対し、国民大衆は貧困に喘いでいることから、反政府運動は、如何に中国共産党でも抑えきれないレベルに近づきつつあり、ここでも、大衆の眼を「一路一帯」に向けてあほるしかないのであり、日本列島は極めて危ない。

最後にアメリカのトランプ。これは、大統領初の弾劾で退けられるか、もしくはリンカーン以下の伝統により暗殺されるか、しかないだろう。放言癖には眼を瞑るとしても、大統領にはあり得ない、身内を主要官職

に付けることも黙認するにしても、国内、海外の事情に疎すぎるし、プーチンや習金平におけるような、保身のためとは言え、国家をどの方向へ導くか、の構想が皆無で、これでは大統領は勤まりようがないのである。人事にかんする無関心、独裁起業における如く、幹部の採用が遅く、クビにするのは極めて早い、ということでは、一国の政治は成り立ち得ない・

今暫く、この巨頭がせめぎ合い、我が安倍首相が、その間を取り持つべく奔走されることだろうが、プーチンは北方3島の変換なんぞ、ノラリクラリとかわし続けるだろうし、習近平は北朝鮮の拉致問題なんぞ、歯牙にもかけないだろうし、トランプに至っては、TPPにも地球温暖化対策にもそっぽを向いたまま、自国の利益にのみ固執することだろう。安倍首相は、EUとの連帯に期待しようが、そのEUそのもの存続が危ぶまれる。日本列島は不安定要素集積の上に立つ恐れがある。そして、その最大の津波は、2020年、東京オリンピックの頃に襲って来そうだ。

習近平もプーチンも、国内の不穏な空気を転ずるべく、海外の利権漁り、出来れば植民地化、衛星国化、に励むことだろう。それを阻止すべき国連は機能不全だし、政変後のアメリカは、ますますAmerica Firstに閉じ籠もることだろう。

どうも、あんまり長生きしない方がよさそうだ!

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友情は国境を越えて

アラン・マセックのことは、このブログでも何度か書いた。その彼が来日し、ここ数日、彼と語って過ごしている。お互い、この世で会うのはこれが最後だな、と思いながら。だから、もう一度だけ、彼を語るのを許して戴きたい。彼こそ私の最愛の友だし、その彼との、最後になろうか、と言う語りの数々は、私にとって、とても貴重なものだからである。

1.  彼との出会い

1966年夏、初任地のシカゴから、カリフォルニアへ向かう途中、ネブラスカ州のスッコッツブラフと言う小さな飛行場で出迎えを受けた。こんな田舎町で降りる日本人は稀だから、お互いにすぐわかった。ハーバード大学卒の弁護士、と聞いていたので、リュウとしたロンドン仕立ての背広で現れると思いきや、ヨレヨレのラインコート(後に日本製と判明)、更に意外なことに、キャデラック・クラスの高級車ではなく、かなりくたびれたピックアップ・トラックでモーテルへ運んでくれた。「実際にこの地で販売を開始するには、優れたアメリカ人のリーダーが不可欠だ。中西部代理店のアランがいいか、と思うんだが、君の意見を聞かせてくれ」とのボスの言葉による立ち寄りだった。モーテルの一室で議論を始めた。着米語半年足らずの私の英語はムチャクチャだった筈だが、彼はよく理解してくれ、その頭の良さの一端を見ることができたのだった。アメリカのバイク市場はまだまだ伸びること、そこで成功するには、アメリカ向きの商品に加えて、しっかりした販売会社が不可欠のこと、という基本線では一致したし、これ程よく理解し合えるアメリカ人は初めてだったし、私は、彼起用に大賛成と報告した。

2.  創業期

私が「よし」としたディラーを彼が面接するスタイルでスタートしたから、出発は極めてスムースだった。我々は、仕事以外のこともよく議論して、お互いの国を理解することに努めた。また、彼の家によく招かれた。「感謝祭」の祝いでは、アメリカが農業国として始まったことを忍び、彼の妻が催した彼の30歳誕生日祝い(これで彼はベトナムへ引っ張られることなくなる)では、この国の厳しい一面を伺うことができたのだった。私が帰国して後、出張で訪日した彼を、故郷熊本へ案内、龍チャンの運転で、天草、阿蘇周遊したのも、忘れがたい思い出である。

3.  発展と彼退陣

私は1969年末帰国したが、Kawasakiは、浜脇マセックのコンビで、人材を強化し、バイク業界になかった新機軸を連発して、業界3位の地位を確保したのだった。そんな中で、アランは退職して妻の祖国フランスへ移住し、6人の息子育てに戦線することになったのだった。私は当時ドイツにあり、すぐ彼の下へ駆け付けたが、子育てに専念すべく仕事を退いた彼、家族を日本に置き捨てカワサキに熱中している自分、を対比して忸怩たるものがあった。

4.  その後

浜脇さんを囲んで、創業期に社員だった連中で「REUNION(堂々会)」を何度か開き、その都度、彼と語るのを楽しみにしていた。今回は、彼の子供達とその配偶者や子ども達、合計8名で富士登山を果たし後、彼は単身、神戸へ来たのである。齢80にして3,000m以上を征服した彼の健康が長続きすることを祈願し、後1回位、会えればな、と望む次第である。

バイク業界も激変した。中でもKawasakiは変貌した。これでは、我々のKawasakiは一過性の現象に過ぎなかったことになる。我々が作った古いバイクのファンが、今も世界中にあることが、せめてもの慰めである。

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夏場対策の勧め

以前に申した通り、このところ、司馬遼太郎の全作品と、気に入った英語小説家の諸作を読み返すことに没頭している。司馬に関しては、ここで数度述べたことあるし、諸兄もその多くを読んでおられるだろうから、ここで送り返し述べることはしない。

いずれも、アマゾンで和書を選び、著者名を入れれば、諸作出て来る。英語で読みたい方は、洋書を選び、著者名を御入れればいい。気が向いたら、消暑のためにも、ご一読されたい・。

1.  Jack Higgins(イギリス)

シーン・ディロンを主人公にした連作が面白い。シーンは、元々、アイルランド騒乱の主役だったIRAの、最悪の殺し屋。自分で飛んでいた飛行機がテロリストに落とされ、銃殺寸前、イギリス首相直属の諜報機関の長に救われてその部下となる。イギリスに敵する諸テロリスト達とたたかうのだが、射撃の名人、爆発物にも詳しく、翼のあるなしに関わらず、なんでも飛ばせるし、ダイビングも得意。加えて、中国人に習った合気道の名手、とあって、どんな敵にも勝つ、ま、イギリス版鞍馬天狗。と言うところだ。彼を助けてアメリカ大統領直属の諜報機関の長や、ロンドン・ギャングの親分の甥も活躍する。

2.  Tom ・Clancy ( アメリカ )

ジャックライアン主人公の連作がお勧めである。彼は、元々はアメリカ海軍の歴史研究で博で士号を取った学者だが、イギリス駐在中に、皇太子暗殺を停めて「ナイト」に任ぜられ、CIAの分析官となるのだが、現場でも大活躍、遂に大統領にまでなるのはアメリカらしい。部下の中では、恋人を殺した麻薬密売人グループを皆殺しにしたジョン・クラーク、ロサンゼルスの貧民窟で育ったドミンゴのコンビが面白い。ジャックの妻は眼科の解剖医、彼はCIAに入るまでに、ウオールストリートで一財産作る、とアメリカ人の夢を体現したような男。彼は、元々政治には興味なく、乞われて副大統領になったのだが、日航機がキャピタルヒルに突っ込んで大統領も死亡したため大統領になったのだった。この日航機突っ込みを、アルカイーダが詳しく分析して,2001年の同時多発テロに応用したことも前述した。

3.  Frederick Forsythイギリス )

 第一作{「ジャッカルの日」が超ベストセラーンになり、続く「オデッサファイル」、「戦争の犬達」も大当たり。映画化も大成功で、彼は大金をせしめた。彼も元々作家になる気はなく、この大金で世界漫遊をし、エッセーでも書いて暮らす気になった。ところが、我々読者にとって幸いだったことに、彼は、この大金を離婚費用と株式投資失敗でなくし、元の無一文になった。そこでやむなく、続いて、「悪魔の選択」等10冊を買いて、我々を楽しませてくれたのである。元々フリー・ジャーナリストとして、欧州各国からアフリカ諸国まで見ているため、その描写が詳細かつ具体的なのも面威力である。

4.  GeffreyArcher(イギリス)

学生時代は100メートル走のイギリス代表候補、サッチャー内閣で保守党の有力者になりながら、一転、疑獄で刑務所入り、とこれまた多彩な人生だが、これを活かして、イギリス社会の各面を描く。

5.  その他

田舎弁護士から作者専門になったJohnGrisham(アメリカ)は、訴訟社会と化したアメリカの一面を描いてくれる。ゴッドファーザー」のMario・Puzoは、その後もマフィア者数冊を残している。

皆さんの消暑に役立てば、幸いである。

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岡山行、畏友を偲んで

「サンデー毎日」の友人諸君と、岡山県の温泉に一泊旅行をした。以前なら、ハンドルを握るのは私、と決まっていたものだが、免許証返上の身、それは叶わぬことだった。以前は自分の手足同然に扱ったクルマだが、今ではその昇降にも彼等の手を借りねばならなかった。一番参ったのは、神庭(かんふる)の滝という名勝の駐車場に着いたのだが、そこから滝までの道は、到底今の私の手に負えるものではなく、友人諸君に迷惑をかけること必須なので、茶店で一人、朝の10時からビールを傾けねばならなかったことである。以前の私なら、先頭に立って馳せ上ったことだろうが。私の体力、特に脚力の衰えは、こうして自宅での日常生活を離れると、一段と顕著なのだった。今、各異種検査を受けている最中で、月中には結論が出る。アルツハイマーでは、の恐れもあるが、なんとか元の健脚に戻りたいものである。

途中、津山市を通り過ぎたことから、その出身で、津山の実家を一度訪ねたこともある、畏友武本一郎君のことを様々、思い出したものだった。

彼と最初に出会ったのは、大学卒業間近、川崎航空区工業(株)の入社面接の時である。学部の違いはあったが、同じ大学からの受験者は二人きりなので、すぐ親しくなった。赴任地の明石への車中、彼は卒業式に出られたご厳父と一緒で、しこたま酒をご馳走になったものだ。

入社しての配属、彼は神戸本社、私は明石工場と別れたが、白雲寮で一緒に暮らしているのだから、話す機会はいくらでもあった。保守派を自任していた私だが、彼は、帝国陸軍に憧れ、防衛大学を2度受験したが、視力低いため不合格、やむなく東大に進んだ、というのだから、私よりも一段上だった。

1970年3月、よど号ハイジャック事件、彼は、「再軍備、核武装、すぐやらないと、繰り返しやられるぞ」と事務所で喚いていた。1970年から1980年代にかけて繰り返されていた北朝鮮による日本人拉致の実体が報道されると、彼は、「北朝鮮のミサイルが一発、東京のど真ん中に落ちればいいんだ。そうすりゃ、日本人だって眼を覚ますだろう」と怒鳴った。我々の会社は、戦時中、戦闘機のみ作っていた関係上、比較的右寄りの人物が多かったのだが、それでも、彼の言動には眉をひそめる向きが多いようだった。この60年代から80年代、私は、アメリカとドイツに各5年駐在、その前後も、海外出張ばかり繰り返していた。

ある日、欧州出張を控えて、我々は拙宅で、例によって激論を上下し、ふと気付いて、彼の運転で大阪空港へと向かった。車中も議論を重ねていたのだが、気付くと、私は下駄履きだ。あわてて引き返し、靴に履き替えて辛うじて間に合ったのだが、彼は、「流石はタネさん、下駄履きでロンドンへ行こうとは」と呆れ返っていた。偶に帰国して社内の動静を窺うと、彼の評価がどうも思わしくない。仕事面の優秀さは、万人の認めるところだが、例の調子で相手構わず自説を主張するので敬遠されているようだ。多少の社内工作を試みたが、私自身、一種の危険人物と見られていることもあって、効果はなかったようだった。彼は60歳で定年になり、仕事一途で海外で遊んだこともない、と言うので、ランカウイ島へ誘った。私は知らなかったが、彼は胃が弱い由で、一緒に泳いでいたら、波にもまれて大量に吐き、それを目掛けて大小、色取り取り様々の魚群が拠ってきたが、あの美しさは忘れがたい。次いで、日露戦争の戦跡を辿る旅に誘い、これも大喜び

していた。ある日、東京の出版社へ奥さんから電話。彼が危篤の由。直ちに新幹線で急いだが、集中治療室にあって、意識もなかった。葬儀では弔辞を読んだ。「明治の帝国軍隊は、明石元二郎、秋山真之のような超変人も活用したが、自衛隊は、眼が悪いだけで武本一郎を退けた。武本君、残念だったね」。

帰途、パーキングエリアで彼の故郷津山の菓子を求めて、彼の奥さんに届け、仏前に供えるようお願いしたのだった。温泉より風物より、彼を思うこと多い岡山の旅だった。

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