大和魂!

暑いと不平を言うよりも、進んで熱くなりましょう。押忍。

大和魂の『本題 !!』

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皆様からのご意見を特にいただきたいと思う我がブログの『本題』です。自分なりに頭を悩ませて書き上げた記事を入れてあります。古いものでもコメント歓迎いたします。
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つれづれなるままに

おそらく、これが今年最後の記事となります。次に書けるのは新年になると思います。ということで、本日は思うところを思うが侭に、そう、つれづれなるままに書かせていただく我が儘をお許し下さい。

最近兎角思うのは、日本人の本質とはどういうものであるのかという事である。近くの友人を見ていても、知り合いの方々を見ていても、その行動の心理の奥にある物はやはり何か誇るべき日本文化や日本人の古来の気質というものが残っているように思える。それがうれしいのであるが、同時に現在の風潮に流される点に一抹の不安を覚えたりもする。

かく言う自分もその中の一人であって、すばらしい先人の生き様を知っては、その血が自分にも流れているという事がこの上なく誇らしい気持ちになったかと思えば、では今自分はどう生きて何を成すべきなのかという迷宮に堕ち込んでしまって、一人悶々と悩んでしまったりもする。

世の万物には全て表裏というものがあり、それは時に長所短所と呼ばれ、時に光と影と呼ばれて様々な思想をかき立てる。自分の性格については無論、自分を取り巻く環境や近しい人間の性質等々、全てのものの表裏をあるべくしてあるのだと受け入れる事が出来るならば、どれ程自分が成長できるかと思う。自分の興味の及ぶ範囲のものに関してはその殆どに於いてこれが気にかかる点であるのだが、特に最近興味があるのは我が国日本の表裏なのである。

国として、また国民としての性質の最たる特徴は一体何であるのか。


そして、そこに見える表裏とは一体どのようなものであるのか。この事を明確に理解する事が現在の私の大きな大きなテーマであると言える。その答えは未だ出ていない。

さて今年を振り返ると、中々波乱万丈な年であったと言える。このブログの今年の新年の挨拶で書いた通り、やはり辛く大変な年であった。高熱を出して倒れたこともあったし、様々な壁にぶつかりもした。しかし私は今こうして一年を振り返り、新年への期待を胸に健康に年を越そうとしている。この事実に、強い感謝の念を抱かずにはいられない。

この一年を乗り切り、来年への足がかりを作る事ができたと信じている。そしてそれを可能にしてくれたのは、紛れも無く私を支えてくれた方々のお陰なのである。

最後に、このブログを訪問して下さり、コメントして下さった皆様に心よりの感謝を申し上げます。


どんなささやかな事だとしても、私との接点を持って下さった事、お言葉をかけて下さった事で、私は支えられて参りました。有難い事です。

今年は特に最後は色々と立て込みまして更新出来ない日が続きましたが、このブログはまだまだ、まだまだ続けて行く所存で御座います。勉強不足、認識不足の若輩ですが、精一杯精進しようと思っておりますので、どうか皆様、今後共ご指導ご鞭撻、末永お付き合いを宜しくお願い申し上げます。



平成18年末


先日、都内某所の「太平洋戦争の英霊の追悼施設」なる所に行ってまいりました。

特攻の任務を受け、家族に書いた最後の手紙の数々。涙無しには読めなかった。

これほど高貴な精神を持った人間が、ここ日本に存在したのだ、私達はその血を受け継いでいるのだ、という感動!


身震いするような思い。自分はこれらの先人に胸を張って立っていられる日本人であるか?自問せずにはいられない。

しかし同時に、強い悲しみも押し寄せる。ボロ布に硬貨が縫い付けられたベストが展示されており、その横に「防弾チョッキ」と表示がある。けっしてギッシリ縫い付けられているわけではない。2重にされているわけでもない。どう見ても、弾丸を防げるような代物では無い。しかし当時はこれが精一杯だったのだ。これを作ったご家族はどんな気持ちだったろう、これを着て戦場に赴いた方はどんな気持ちだったろう、胸が締め付けられるような思いだ。

展示場の入り口に、感想を書き込むノートがあった。パラパラと読ませてもらうと、「太平洋戦争ではない!大東亜戦争と呼べ!」「首相は靖国参拝を止めよ!」等々の右や左の意見もチラホラ。圧倒的に多い感想は、「戦争って怖い」や「戦争は馬鹿げている」、そして「平和を祈ります」だった。

大量の感想の寄せ書きを読んでいて感じた事は、その展示されている物が、正にごく近い自国の歴史の証拠であり、同胞の叫びであり、生き様であるという事を実感している人間の少なさだ。無論、想いよりもずっと言葉を少なくした方もおられようが、どうもそういう感が拭えなかった。

例えば自分の知り合いが同じ様な境遇に陥り、同じ運命となったとしたら、果たしてそのような感想となるだろうか。

日本を大きく変えた先の敗戦に関しては、もっと身近なものであるという意識を持つべきではないか。


敗戦によって、日本は文化が断絶した。学校で教える内容は変わり、着る物が変わり、価値観が変わり、憲法が変わった。つまり、そのほとんどが変わった。私達はなぜこれほど大きく変わってしまったのか、その原因を深く研究する必要があるのではないか。そしてその方法は、同胞の心を深く汲み取り、未来に繋げて行こうという情熱的な意志を伴ったものであって然るべきであると信ずる。

安倍晋三氏(51)が自民党総裁に立候補する意思を表明したそうですね!


まだ若すぎるという声もありますが、やはり本人が立候補するのなら期待せずにはおられません。

安倍氏と言えば、拉致問題を大きく進展させ、拉致被害者家族会の方々からの信頼も厚い人物。近隣諸国の無茶苦茶な主張にも、涼しげな口調で厳しい強硬姿勢を通している。憲法改正問題にも積極的である。

期待と言うのみに止まりますが、今後日本を誇りある独立国としての道を切り開くためのリーダーとしては、麻生氏に並んで注目の人物です。


安倍晋三HP http://www3.s-abe.or.jp/
 実際の発言の全文を見たわけではないが、yahooニュースでこんな記事がありました。

小泉純一郎首相は19日午前、神奈川県横須賀市の防衛大学校卒業式で訓示した。首相は国際軍事情勢について「近年、透明性を欠く軍備拡大を進めている国も見られる」と指摘。その上で「そうした国々の意図も影響して、大量破壊兵器や弾道ミサイルなどに関する技術が無軌道に拡散する傾向が顕著だ」と述べた。中国や北朝鮮などを念頭にその軍事動向が国際社会を不安定化させているとの懸念を表明したとみられる。
 

 明言したわけではないようで、「示唆した」という形のようだが、このような発言が出てくるのは決して悪い事ではない。以前、民主党の前原代表も中国内で中国の軍事力が脅威であるとの発言をしていたが、こういう考えに蓋をし続けていて良い事は無い。

 隣国との関係云々という理屈とつなぎ合わせて、このような発言を押さえ込もうという考えは筋違いというものだ。脅威は脅威である。こう言って何が悪い。

 当の中朝は、実質的な軍を持たず、つまり軍事力を持たない日本を「軍国主義に戻る可能性を持っている」という聞き飽きた文句で「脅威である」と繰り返し繰り返し発言している。兵役も無い。その力を行使できる軍も持たない。そんな日本を脅威であると声を大にして叫んでいるのだ。

 では日本から見て中朝はどうか。中国・朝鮮共に実際の軍事力を持つ。その上、この2国は首相の発言通り、その軍事力について「不透明」な状態を維持している。これは日本という隣国にとって極めて驚異的な相手であることは確かだ。

 こういう事実を事実として明言すること。それを国民全体の「常識」レベルの知識とすること。まずはここから始めなければならない。

敗戦と日本人

 初めて「はだしのゲン」という漫画を手にした。読んでから数日間、ゲンと臨月を迎えた母親の目の前で、家の下敷きになった父親・姉・弟の3人がギギギギという声を上げて燃えていく場面が頭に焼き付いて離れなかった。

 これは著者の実体験による話だそうだ。生き残った母親は、下敷きになって焼かれていく、どうにかならんのかという父の叫び声と、母ちゃん熱いよーという弟の叫び声が死ぬまで耳から離れなかったという。原爆が落ちた直後、皮膚が垂れ下がった状態でぞろぞろと逃げる人々や、ガラスが両目を始め全身に刺さった親子、風呂の中でスイカのようになった死体なども描かれていた。火に囲まれ、必死に土を掘って、母親が身を挺して幼い子供を助けようとしたが、結局全員死んでしまったという話もあった。
とても衝撃的な内容だった。
 
 読んでみると、小学生や中学生の時に原爆ドームに行った時の、「怖い」「嫌だ」というだけの感想とは異なる、複雑な感情が交錯し、しばらく言葉を失った。容易に怒りという感情だけを出す事ができない。だからといって、悲しいだけではない。怖いだけではない。憎いだけではない。言葉にならない。夜眠る時も思い出し、数日間体調不良になった。自分なりに、少しづつ考えをまとめていく時間が必要だったのだろうと思う。

 核爆弾の被害はあまりに大きく、残酷だ。戦争中でも、原爆という手段は反則ではないか。口伝えに聞いただけでも身震いする。漫画を読んだだけでも具合が悪くなる。では、それを現実のものとして、生身の人間が体験したらどういうことになるのか

私は、敗戦を期に日本人がこれほど変わってしまった原因がここにある気がしてならない。


 つまり、原爆というあまりにも大きな恐怖、理不尽だ

 原爆投下が相手の感情を推測する能力を備え持った「人」が成し得た行動だとは、今でも信じがたい思いであるが、米軍のエノラ・ゲイと名付けられたB29長距離通常爆撃機の米国軍人は、原爆投下の任務遂行にあたり、当日笑顔で乗り込んだ(米国では有名な写真だ)。原爆被害者に対し「おめでとう。日本人は原爆のおかげで、腹切りしないで生きていられた」と声をかける米国人がいまだ存在するほど、米国との温度差は大きい。

 怒りや憎しみという感情すら、彼らに対しては沸き起こらない。怒りや憎しみとは、もっと人間的な感情であるように思えてくる。
 
 日本人は敗戦後、それまでの天皇中心の軍国主義がまるで最初から無かったかのような顔をして、精神的な話を追求することなく、とにかくひたすら汗をながして経済の復興に努めた。心に大きな傷を負った人間が、それでも生きていこうとする姿の象徴のようにも思えて胸がつまる。

 確かに、大きな傷を回復させるには時間が必要だ。天皇制を始めとする公の精神や軍事力の保持は、敗戦という日本の犯した大失敗・大失態を連想させるのであろう。現在の日本に横行する偏った左翼思想は、日本の負った精神的傷跡のように思えてならない。

 しかし、滅びなければ復興の見込みは残されている。日本は大きな傷を負ったが、滅びるどころか、経済という基盤だけは、しっかりと築き直し、さらに復興させてきたではないか!

 そろそろバランスをとっても良いんじゃないか。


確かに戦時中は、公の精神ばかりが横行しており、あまりに個人の自由が制限されていた。だからといって、ヒステリックに公の精神の全てを頭ごなしに否定するのは、やはりこれも暴力的と言わざるを得ない。
 
 光と影が表裏一体であるように、個人の権利を主張するためには、公に対する義務を果たす必要がある。これと同様に、私は戦争を意識すること無くして平和を維持することも出来ないと考える。

 個人の権利確保と公の精神、平和の維持と国を護る軍事力、そういった表裏一体のものの両面を理解し、認め、双方のバランス感覚を取り戻す時期が、今こそ来ているのではないだろうか。

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