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私は今合気道を習っているが、真の実戦というものを想定した時、武道の技術の何と心細い事かと思う。 例えば暗い夜道、後ろから突然バッドで殴りかかられたら、果たして避けられるだろうか?喫茶店でくつろいでいる時に、後ろからナイフで切りつけられたら?ホームで突然、勢いよく後ろから押されたら、いついかなる時でも線路に落ちないでいられるか?大人数に取り囲まれたら?銃を持っていたら? さらには、熟睡している時間に家に火をつけられたら?毒ガスを投げ込まれたら?・・・ そういう危機感を常に持ちながら生活するのが武道家だとも言えるが、どれ程の武道家でも、本当の悪意を持った相手に一瞬の隙をつかれたとしたら、危険はいつでも存在するのだ。 実戦を繰り返してきた達人たちは、皆一見やわらかい雰囲気を持っている事がそれを証明している。つまり、究極に自分の身を護る事を考えていけば、戦って勝つのも、戦わずして過ごすのも、結局は自分の身を護り通したという点においては同じなのだ。合気道では「和の精神」と言う言葉を使い、敵をも取り込んで和を作るとうい考えを持っている。ここには真の護身の在り方があるように思えてならない。 自分の身を護ると言う事は、何も腕力や武術を極める事だけでは無い。例えば朝の挨拶が護身術になる。挨拶された相手が自分に好感を持っていてくれれば、有事の際に手助けをしてくれるかも知れないからだ。危険な場所に近づかない、異性にうかつな態度を取らない等も護身術になり得る。やっかいな相手を打ちのめすよりも、もとからターゲットにならない事が第一なのである。 武道の経験があるからといってうかつに技を使うのは危険だ。技を相手に使ってしまっては、逆に相手の怒りを買って、後々大変な目に遭いかねない。しかもその場合、こちらの手の内は知られてしまうので、相手は仕返しを考える時、上述のようなさらに悪質な方法を選ぶ事間違い無いのである。 稽古中は心身を鍛える事に集中し、ただ強さを求めて合気道を習っているが、一歩道場を出れば礼儀正しく振る舞い、恨みを買わない護身術に専念したいと思っている。
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合気道
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漫画『グラップラー刃牙(バキ)』では渋川剛毅として描かれていて有名な合気道家、塩田剛三。合気道を日本に広めた人物。155cm45kgという超小柄にして、武神とまで呼ばれた男だ。現皇太子殿下、ロバート・ケネディ上院議員、アレキサンドラ王女、マイク・タイソンなど、多くの著名人から絶賛を浴びた、日本の誇る武神。演武を見たロバート・ケネディがいぶかしがり、自分のボディーガードを相手にやってみろと言った所、見事に自分の倍もあろうかというボディーガードを押さえつけた等、伝説は数知れず! 警視庁に合気道を導入したのもこの方。DVD『神技』は何度見てもすごい。憧れること間違い無し。筋トレしたくなること必至。 私にとっては合気道を始めたきっかけとなった人物。たけしの「偉人伝」というテレビを見てファンになり、合気道をやろうと決めた。大学の合気道部に入り、先輩に「塩田先生にお目にかかりたい!」と申し出たら、すでに亡くなっている事が判明して愕然とした。しかし亡くなったのは平成6年という。何だ、ついこの前じゃないか、お会いしようとすれば出来たのか!さらに愕然とした。 合気道は「和の武道」と言われ、合気道家というと、とかく理屈をこね回して実際の強さを追求しない人も多い。変な精神論に偏ったり、理屈を考えるのに夢中で、足を90度動かせ、指の角度を15度上げろとか言ってばかりいる「合気道家」も少なくないのだ。打っていく稽古すら、相手の気持ちを考えろ云々言って本気で打ち込まない道場もある。正直、何段持っていても弱い奴は弱い。合気道を続けてみて、それが今の合気道の実際の姿だと思っている。まあ、そういう事がやりたい人は、そういう道場に通うのも自由だが。とにかく弱い合気道家が増えている。 しかし塩田先生は違う。本当に強い。実際、塩田先生も「和」を唱えているが、それこそ、その強さの域に達したからこそ響く話だと思う。合気道をかじった程度の人間ですら、あの動きをするには相応の筋肉が必要だという事が見て取れる。自伝でも国内外問わず相当な実践を踏んできた事が書かれているのだが、お知り合いになれた塩田剛三の直弟子の先生が言うには、「あの自伝はかなりやわらかく書いてるよ」とのこと。じゃあ、どれだけすごいんだよ?!と思ってしまう。 あんな優れた筋肉と、実力を持った人物になりたい。
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本日、武道館で全日本学生合気道大会が開催されました。 私は観戦に行ったのですが、人数の少なさに寂しさを覚えました。全国的に学生の合気道家が減ってきているということなのでしょう。私が学生の頃と比べて、活気も無くなったように感じられました。武道館にはパラパラとしか人が入っておらず、木の机に、手書きの紙が貼り付けられた「先生席」の前で、淡々と合気道が続けられます。気迫の感じられない組も益々増えたように感じ、合気道の将来を憂う気持ちが沸き起こりました。 学生が主体のこの大会では、以前一部の先生から「応援はするな」とのお達しが下ったことがあります。また、「むやみに声を出す演武者は下品だ」と発言した先生もいました。私はこれに大いに反感を覚えました。 合気道は「和の武道」との別名があるほど、相手との調和を好しとする武道です。ですから基本的に自分から攻める技はありません。この特徴から、警視庁でも採用され、唯一有段者(黒帯)でも実践での使用を認められた武道でもあります。 この「和」という性質を理由に、一部の「先生」が合気道の大会において声援はするべきでは無いとの見解を出しています。曰く、 合気道はあくまで武道です。戦うべき相手を倒す技であり、お行儀よく決まりきった動きをするものではありません。気合を入れず、声も出さず、余裕を持って相手と示し合わせ「演技」をしたいのなら、武道では無く社交ダンスをすれば良いわけです。 何が紳士だ、馬鹿野郎… 学生時代の私は、そう思いました。 老年になってもその強さを維持できると謳う合気道ですから、その域に達した方たちが紳士であるに越したことは無いわけですし、学生も礼儀正しいという意味では紳士的であるべきだとは思います。 しかし大会の演武者は学生です。若者、初心者はまず、がむしゃらに強さを求めても良いのでは無いのでしょうか。私は尊敬すべき有名な合気道家の方々が、お行儀良く声も出さない「紳士的な」稽古だけをしてあの域に達したわけが無いと信じております。汗を流し、時には悔し涙を流したのかもしれません。無茶をやって、あるいは死線を乗り越えて、稽古をして相手とぶつかって… 達人になったのです。その域に達してこそ、野蛮な声など出さずとも戦える、真の「紳士的な合気道家」になれるのではないでしょうか。 実戦からどんどんかけ離れて行っては、必ず合気道はすたれる。実のないものが世代を越えて永く受け継がれて行くはずが無い。 武道をするつもりが、師範のうさんくさい演技に付き合うだけの、社交ダンスを踊らされるハメになりませぬよう、くれぐれも御注意あれ!そのようなものが「合気道」の名を継いで行くことになりませぬように!
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