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『神との対話』
恥多きわたくし事なのでどうでもいいことなんだが、お寺の幼稚園から普通の小学校に入学してしばらくは創価学会に入信していたので勤行は諳んじていてもクリスマスはありきたりにはしゃいでお祝いしてきたし、キリスト教系の中高を受験して6年間は礼拝で主の祈りを唱えながらなんとか卒業したが、一回目の結婚は仏式で行って失敗に終わった🤪
そして生来、お正月には神社に詣てきたし、歴史ある神社仏閣をたずねるのが大好きで仏像の美しさには心底からふらふらと魂を奪われてしまう。わたしはずーっとそんなちゃらんぽらんな人間だからクリスチャンだなどとは自分の口からは畏れ多くて死ぬまで言えない🥳
ところが21世紀に入って・・・この本に出会うとはじめて(40歳を過ぎていた)わたしはおのれの中に巣食っていた神の存在(支えの存在)を確かに信じるようになった。
「祈り」はお願いしたりおねだりしたり縋ったりするためにあるものではないことを知った。知ったというよりその深い意味を思い知らされた。
以来『神との対話』シリーズ本は実はわたしのひそかな聖書なのである。
つい最近 Kindle版でも手に入れることができたので、わたしはいよいよどこにでもこの本を端末に隠し持ち、おそらくこっそりと神との対話をコツコツ死ぬまで続けるんだと思う🤫
そしたらある方の投稿で、選挙戦もまっただ中のつい先日、このシリーズ本『神との対話3』の巻末に山本太郎さんの「解説」と題された文章があることを知ってあらためて読んでみた。思いっきり読み飛ばしていたようだ。書かれたのは2002年。太郎さんが28歳の時である。
内容は以下(Kindle版からのコピペなので漢数字のまま)memoしておきます。
なるほどと頷ける内容でした。太郎さんの迸る熱情を支えているものが垣間見えます。
「神が
自分と同じようなものとして
人間をつくったのなら、
自分たちの力で
世界は変えられるんじゃないか
と思う。」(本文より↓)
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解説
山本太郎
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「二十五歳になった時、納得できない大人になってたら、死んでやる」
十代の僕はそう思っていた。
芸能界に入ったのは十六。まわりの大人がほとんど信用できなかった。言葉巧みに操られ、自分の意思がひとつも尊重されていないような気がして、重苦しい毎日だった。仕事先でよく、大人たちから「お前、ホントに十六か? 賢すぎるなあ」と言われていた。適当なことを言っている大人が裏で何を考えているかを、いつもじっと見ていたからだ。
大人だけじゃない。何かに対していつも怒りがあった。むかつくヤツは消せばいい。金がなければ奪えばいい。今さえよければいい。人生は一度きり。俺は俺の生きたいように生きる。――やんちゃな年頃とはいえ、ずいぶん刹那的な十代だった。
「だけど何か違う」、そう感じたのが二十一歳。
ちょうどその頃、姉がヨーガを習い始めた。僕と同様、悩みが多くやんちゃだった姉なのに、ヨーガを深め、精神世界に興味を持つにつれ、驚いたことに、会うたびにまるで薄紙が剥がれていくように内面の輝きが増していくのが見てとれた。
姉とは気が合わず、よく衝突していた母が、そんな姉の変容を見て、「私もそうなりたい」とヨーガを習い始めた。母には膠原病という持病があったのだが、ヨーガを始めてからは徐々にその症状も安定し、どちらかというと、物質至上主義だった母が、姉の影響でいつしか精神世界へと……。そして、母の内面もそれまで以上に輝きを増し、大家族の愛と絆が深まった。そして、これは効果がある、と僕もヨーガを習いに芝の増上寺に通うようになった。
ヨーガを通して身についたのは集中力。
僕は常にじっとしていられない子どもだった。とにかく机に五分と座っていられない。勉強は大嫌い。字を読むくらいなら、どこかに遊びに行きたかった。
その、まったく本を読まなかった僕が、海外ロケの荷物に母が入れてくれた本を開く気になったのも、ヨーガで集中力がついたためだろう。
『神との対話』を読みはじめたのは、『世界ウルルン滞在記』の仕事で、パプアニューギニアのイリアンジャヤへ向かう途中だった。七回も飛行機を乗り換え、最後はドラム缶と一緒に貨物用のプロペラ機で運ばれ、たどり着いたのは、「秘境」と呼ばれる地だった。
「文字に慣れていないから最初は読みにくいかも。でも、飛ばし読みはしないで、わからないところは元に戻って繰り返し繰り返し読めば、きっと意味がつかめるよ」と言う母の熱意に負けた。始めからすんなり頭に入るわけではなかったが、集中して読み始めるとだんだん面白くなってきた。
道理に合っている事だらけだった。科学者も政治家も、偉い誰も説明できなかったことをズバズバ切っていた。
イリアンジャヤに着き、ある部族と生活を共にした。日本とはまるっきりの別世界だ。食べものも違う。生活もまるで違う。十六くらいの健康な娘が子どもを産み、しつけや教育は酋長がする。日本なら高齢者は、社会的には片隅に追いやられることが多い。だが、ここには経験を積んだ人だからこそ、必要とされるぴったりの任務があり尊敬されている。
「若い者が子どもを産み、五十歳以上の成熟した大人がその子を育てればいいと『神との対話』に書いてあったのは、目の前のこれじゃないのか?」
本に書いてあったことを、この辺境の地で自分自身の目でしっかりと確かめたのだ。
帰国後も、まさに同じような出来事に気づかされた。『神との対話』はいつのまにか僕にとってバイブルのような思い入れのある本になっていた。破天荒だったこんな僕が変われたのは、この本との出会いがあったからだ。
だから、日々自分なりに本に書いてあることを実践している。たとえば仕事を選ぶとき。映画やドラマでも、その時々で、スケジュールや内容、さまざまな状況が複雑にからんだうえで、選択を迫られる場面が多い。そんなとき、損得や目先のことを考えるより、自分が本当に心からやりたいことをやるべきだ、と僕はそう肝に銘じている。
また、インスピレーションやヨーガで少しは開けた自分のカンを大事にするようになった。
決して大げさなことじゃない。たとえば朝出かけるとき、ふと替えのTシャツをもう一枚持って出かけようかな、とひらめいたりする。「まあ、大丈夫か」とそのまま出かけてしまったときに限って一日中動き回り、大汗をかいてびしょびしょのシャツで過ごすはめになってしまう。そういうときは、朝のひらめきを逃した自分を疎ましく思う。忙しさにまぎれ、つい「まあ、いいか」と気づかぬ風をよそおうこともある。そんな時は、「ダメダメ、これはきっと自分に必要なことは自分が一番知っているということだ」と立ち止まってチェックすることにしている。
もともと僕はクリスチャンだった。だが親がそうだったから洗礼を受けただけで、僕にとってみれば単なる儀式だったにすぎない。子どもの頃から事あるごとに自分の勝手で神様に祈ったりしたけれど、その願いは届いているのかいないのか。悪事をしては、あの鋭い母にかかるとすべてお見通しで、ベッドの中で何度「クソ神様!」と呟いたことか。そのうち、大きくなると、「神様がいるのなら、なんでこんなひどい世の中なのか? 本当は神様なんていないのでは?」とむかつくようになっていた。
でも、今は違う。
この本に書いてあるように、神が自分と同じようなものとして人間をつくったのなら、自分たちの力で世界は変えられるんじゃないかと思う。今は僕は特定の宗教を信じているわけでもない。キリストやマホメット、ブッタとか、特別に信仰している神や仏もいない。だが、いつもなんとなく、目に見えない大いなる神の存在はあると確かに感じている。どこかに向かって祈るわけじゃない。だが、どんな人も何かに夢中になっている一番ピュアな状態が、神に近いような気がしている。
また、殺戮や貧困、飢餓という悲惨な状況下の人を行動で見るたびに心が痛むのは、僕の存在意識に「地球人」、「みんなと家族」という考えがインプットされているからだと思う。
うちは母子家庭だが、物心ついた頃から母は子どもにいっさい隠し事をせず、「ボーイフレンドができた」「今月はもうこれだけしかお金がない」など包み隠さず話してくれた。母が死んだあとでも、何が起きても動じないよう、この世の中で起こり得るすべての事に対処できるようトレーニングを施してくれた。僕が悪事を働いたときは、納得するまで説教され、キッチリとけじめをつけられた。母親としてだけではなく、人間として真正面から向き合ってくれた。母親でありながら、「いい師匠に当たったなあ」と思わせてくれる母も、『神との対話』に書いてあるような「家族」というものの愛と大きさを、教えてくれているのかもしれない。
自分が自分らしくない時。
最高の考えも持てない時。
高いビジョンなどとんでもないという時。
残念ながらそんな日は多々ある。そういう時、僕は『神との対話』を読み返す。目次を見て、目についたところをぱっと読む。地方ロケに行く時にも、ぽんと鞄に放り込んで行く。
もし、僕も神と対話ができたら聞いてみたい。「地球はこれからどうなるのか?」と。
二〇〇二年五月
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『神との対話』Kindle版
教えてくださった Emi Mumemo さんの投稿
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生きる・・・【転載】も・・・
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10日ほど前に、以下の記事(前編・後編)で、以前のメルマガの記事の内容を編集し直してご紹介したことがありました。
これは、量子力学的な観念も含まれる内容ですが、現実として、
「人間の意志は物質に介入できる」
ことが、科学的にわかっているということをご紹介したものでした。
このメルマガの記事をブログでご紹介した理由は、こういうこと、つまり、
「私たち人間には、この世を根本的に変えられる力がある」
ということを、もっと知っていただきたいと思いまして、さらに「それは良い方にも悪い方にも変えられるはず」なのですけれど、最近の社会の全体の感性は、良い方向に向かうのとは少し違う方向なのかもしれないというようなことも思っていたからです。
それと共に、「人間の想念の重要性」というものを、なるべく多くの人たちが身につけるようになれば、この世も良いほうに行く可能性もあるのではないかと思ったからです。
最近、ふと思い出したのですが、今から半年くらい前に、比較的近いことをテーマとして記したメルマガを書いたことがありました。
その頃の私は、「量子力学的に、人間の意志が物質に変化を与えられる」というようなことは知らなかったのですけれど、やはり、
「瞑想や意志が、実際の社会状況を変えていく」
という可能性についていくつかの大学の研究などからご紹介したものでした。
瞑想などの話ですので、むしろ内容としては、量子力学的な話より単純でわかりやすいものかもしれません。しかし、結局は「意志が現実を変化させる」という意味においては、その根本的な原理は同じものなのだとも思います。
せっかくですので、Part.3 として、その内容を編集してご紹介させていただこうと思います。
ここに書かれてあることから考えてますと、ひとりひとりが「自分を自分の意志で支配する」ことができる人が多い世の中になれば、良い世の中になっていく可能性もあると思うのですね。
では、ここからです。
良心、瞑想、意識は世界を良い方向に変えられるだろうか?In Deep メルマガ 2019年2月15日発行
以前、「人類には、全員が共有している良心や道徳規範がある」ということが大規模な研究により判明した、ということをご紹介させていただいた以下のブログ記事を書かせていただきました。
これは、「あらゆる民族の社会文化の中に普遍的なものとして存在する」道徳的に「良い」とされていることは以下の「7つの観念」であり、それはほとんどの民族に共通だったというものです。
この記事を読み返していた時に、ふと、
「これは、アメリカ先住民の知恵の中で言われていることと似ている気がする」
と思いまして、今回は、まずそれをご紹介させていだこうと思います。
この「アメリカ先住民の知恵」というのは何かといいますと、アメリカ先住民に伝わってきたとされる道徳観念で、実際の真偽は何とも言えないですが、伝えられている内容は、まさに納得できるものでして、また、先ほどの記事の「良心と道徳」に通じるものがあります。
全部で 20の文からなっているもので、短いものではないのですが、省略できる部分がないですので、すべて掲載させていただきます。
先ほどの「ほとんどの人類が持つ7つの道徳規範」を思い返されながら読まれるのも、よろしいかと思います。
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福島の青い空(538)
イデオロギー(1)
徳のある人は孤を見捨てない
もう先も短いことだから、思ったことを何でも書かせても
らいますう〜。
やっぱりイデオロギーに言及しないと話が進まない。
私はこれと言ったイデオロギーがありません。思想の色に
染まらなかったと言った方が適切だろうと思います。
染まっている暇がなかったんです。
15歳ころから母親がガンになって闘病しており、兄は東
京で苦学中で、父は私の小学校のころから、よその彼女と
上京し、生活を別にしていた。私たち兄姉4人と母と5人
での生活だった。
やがて、電力会社の社員であった私の双肩に責任がかかっ
てきた。
労務課の先輩諸氏が心配してくれ、母を私の扶養家族に入
れてくれた。まあ私が生活を支えていたことだから、そう
してもらったのだが、なんと母を扶養家族にするためには
町の民生委員の承認が必要だというのである。
父や兄がいるのにいきなり私の扶養家族にすることはでき
ないのです。世の中そうなっているんです。
民生委員に挨拶して、ハンコを押してもらってようやく、
会社の健康保険組合の承認をもらった。
それまで母は国民健康保険で、健康保険組合とは病院の待
遇は全然違った。健保組合の待遇は一段上なんである。
たとえば、国民健保は牛乳は出ませんでしたが、健保組合
では出るんです。
母は「周りの人は牛乳が出なくて私だけ出るんだ」と言っ
て目を丸くしていた。
牛乳などガンを進行させるだけだが、当時はそんなことは
分からず、栄養がつくと思ってただありがたかった。
ただ医師はいい加減で、いつもの巡回は入口のドアにより
かかって、変わりはないですかぁ〜などといういい加減な
医師でした。聴診器もあてたこともなく、いきなり「肺の
粟粒結核で、危篤です」と宣言された。要するに肺に転移
してたんである。
入院してたのに、いきなり危篤と言われても困る、大体聴
診器もあてたことがなかったんではないか。と言って担当
医をとっちめた。父も兄も東京だし、対応に困った。
そういうことで最期は満足な待遇でこの世を去った。
入院費がタダだから、何の心配もなかったんである。
え!当時の健康保険組合は家族の入院費もタダだったんで
すよ。本人の負担もタダです。
私は世話になって助かりましたが、今はやっぱり3割負担
なんでしょう。
兄は福島の地元のテレビ会社に就職が決まり、そのことが
分かった時の母はうれしそうだった。兄の3月の卒業を
待って、3月4日に母は旅だった。
母は金山谷と言われる会津三島町桧原という山村の生まれ
で、志を立てて、会津若松の病院で看護婦の修業をした。
助産婦の資格を得て、福島で開業した。
当時は福島のわが町にいる会津出身者は寥寥たるもので、
母とのちの私の出身中学の校長になる高橋藤吉郎先生だけ
のふたりだけだった。
高橋校長は会津坂下町(会津坂下町=かいつさかしたまち
ではありません。あいづばんげです)の出身で、母とは
ずっと交流していました。なんと娘が私の小学校一年から
4年までの担任で、憎らしい子供だったからずいぶんいじ
められました。
たとえば、母が病気だから早退しますと言って、帰ると運
悪く、翌日PTAの集まりか何かで母が学校に顔を出したん
です。
「あれ!奥さん風邪をひいたんでは?」と言ってばれたん
です。
早退して何をしてたのかというと近くの摺上川で魚取りを
してるんです。しょうもない悪ガキでした。
家に帰ってから殺されそうになったのは当然です。
大物の悪党になると思ったんでしょうね。
悪ガキが必ず悪党になるとは限らないことは私が証明して
います。
電力会社に入ると、本家の従兄がやってきて、肩代わりし
ていた親父の借金があるから代わりにお前が払えと言われ
ました。
母は病床で黙って聞いていた。
私が信用保証協会に行って話をつけて、肩代わりしまし
た。
担当者は学校の先輩で、元金を返済した時点で利息は帳消
しになり、一切の書類を返却してくれた。7年が過ぎてい
た。大切な青春時代を親父の借金払いで過ごしていた。も
ちろん登山はしていた。
高橋藤吉郎先生は私の中学時代の校長で「将来何になるん
だ」と問われたことがある。
「はいお菓子屋です。」と答えた。
そうかそうかと言っていたが、福島では有名人で福島県の
文化功労者のはずである。
1日花見山を尋ねたときがある。入口に高橋藤吉郎先生の
胸像があるのでびっくりした。
花見山との関係が分からない。花見山の発展に尽力してい
たとは寡聞にして聞いていない。花見山の阿部家と特別な
関係があるとも聞いていない。今でも謎である。
先生は福島県の書道界の重鎮で弟子筋がたくさんあった。
そのお弟子さんたちが建てたんである。
母とは同年の生まれで日露戦争の前年である明治36年
(1903年)である。
若松連隊(歩兵29連隊)は暗号名は03部隊と言った。
何も関係がないが、明治36年はなつかしく、私の岳父も
明治36年生まれ、懇意にしていた山岳会の福島支部長も
明治36年生まれだった。ぬる湯の親父も明治36年生ま
れで吾妻小屋ではだいぶお世話になった。
明治36年はなつかしい。山岳会の支部長は福島県岳連の
会長で、私の運転が気に入られ、どっかに行くたびに声が
かかった。山形県の支部長、宮城支部長もその関係でよく
運転手をさせられた。
私はお菓子屋さんにはならなかった。そんなこといってら
れなかったんである。
高校を卒業するとすぐ就職をした。幸い、職場の先輩たち
が窮状を見かねて、応援してくれた。
課には27名ほどの人がいて、私の学校の先輩がなんと7
人もいたんである。先輩ばかりで頭が上がらなかったが、
それだけ良くしてもらった。今でも電力会社の悪口を言わ
ないのはその時の恩義があるからだ。
会津の金山谷というのは、会津金山町のことではない。
まあ一部は入るが、実態は大沼郡のすべてを金山谷と言っ
た。昔の南山お蔵入りのことである。南山お蔵入りとは南
会津郡のすべてと大沼郡のことである。
たとえば会津宮下(三島町)も金山谷である。
現在の南会津は古くは田島町などを中心にした長沼氏、伊
南地方を中心にした川原田氏、そして只見や金山町や大沼
郡を中心にした山内氏(やまのうち、土佐山内氏とは同族)という
勢力であった。それが、徳川期の前後にすべてなくなって
しまった。こういう分かりやすい説明をだれもしてくれな
かった。幕領となって金山谷には山内氏の残党が残った。
私の母方の先祖も山内の家臣の残党だろうと思ってい
る。文献に名前が出ている。
金山谷はほとんどすべてがダムのバックウオーターで、
その景観が素晴らしく、新緑や紅葉の季節には橋梁の撮影
を兼ねてカメラマンが集まる。
第一橋梁〜第三橋梁まですべて金山谷である。母の故郷は
美しいところなんである。
私は会津を尋ねるのが好きである。金山谷ばかりでなく会
津一円をくまなく歩いた。裏磐梯、飯豊山、金山谷、只
見、奥只見、尾瀬、南会津。伊南村(現在の南会津町)そ
れはそれは遠くはてしない。
そういうわけで若い時は生活に急でイデオロギーなど考え
てる暇がなく、長じては山登りなどが忙しく、とても主義
主張など騒いでいる暇などなかった。ほんと、自分に無関
係なよその人たちのことであった。
自分の生活はふだんの主義主張などではなく、ふつうに生
きていれば、なんとなく周りの人たちがすべて面倒見てく
れた。私の周りの人たちは世話好きなんである。
そういうわけでわたしも世話好きである。
一生けん目にやってれば必ず誰かが助けてくれた。
世間の人はそういう人が大好きなんである。世間の人は
じっと見ていているのである、必ず手助けしてもらえるこ
とになっている。
「徳は孤ならず」という言葉があるが、私は徳のあるひと
は孤を見捨てないと言った方が実感がある。実際そうなの
だ。そういう意味では当時の日本社会の実態は徳のある人
ばかりだったと言える。今は分からない。今からわずか6
0年ほど前の話だが、全然別な国にいるようである。
「徳は孤を見捨てない」いい言葉でしょう。私が実体験か
ら考えたんです。
だれか人生に一人ぼっちで悪戦苦闘している人があった
ら、この言葉を思い出して元気を出してもらいたい。
イデオロギーなどは人が生きていくのにはまるっきり関係
がなく、イデオロギーで騒いでいる人たちは異種な人たち
であって、親の責任など感じたことがない暇な人たちだと
思っている。
そういう人たちははっきり言って世の中の何の役にも立っ
ていない。
世の中はイデオロギーなどでなく、そういう人たちでな
い、なんにも発言していない人が世の中を動かしているの
である。
もっというと、イデオロギーから外れて、ネクタイを締め
会社の中に紛れ込みふつうの人になった人が社会を動かし
ているのである。イデオロギーは社会を動かさない。
動くと思っている人は勘違いである。早くやりなおした方
がいい。
そういうことを見誤らないで生きていきたいと思ってい
る。
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福島の青い空(582)
人生は空しいという人のために
”やまゆりの廃屋に咲き尋ね人” a87427
このところ、ブログ移転であたふたして更新のことなどすっかり忘
れてしまっていた。
移転の要領を書いた取扱説明書みたいなものを読むのは苦手であ
る。ありゃ日本文じゃありません。
改めてヤフーは嫌がらせをするところだったとつくづく思ってい
る。
利用者が増えて来た頃、ひっくり返して日本人に仕返しをやろうと
考えていたのではないのだろうか。
困っているわれわれを眺めては、せせら笑っているいることだろ
う。
FC2に移転予定だが、そっちの方は大丈夫なんだろうなぁ〜。
慣れたころまたやられたんじゃ、体が持ちません。なんでも体力が
いるんです。
今日は時宜を得て、むなしさの克服、無駄の克服について日頃考え
ていることを話します。
まず司馬さんの文章からです。
『人間はたいしたものである。
たれでも、理性と感性の中間あたりに悟性という能力を持ってい
て、ほとんどの人が、コトやモノを見たとき、大づかみにその本質
を察する。「あの犬は病気だな。」というふうに。(注 悟性 物
事を理解する能力=知性)
それと同様に、
「人生はむなしい」
ということは、お釈迦さまに言われなくても、誰もが分かっている
のである。
でありながら人はけなげにも世を捨てない。
“無常迅速”を売りものにするなまなかなお坊さんよりも凡夫の方が
えらいのは、人生のむなしさを知っていながら、そのむなしさの上
に自分の人生を構築してゆく点にある。
さらにえらい凡夫は百万遍も人の世の無常を感じつつ、そのつど自
分流の哲学を持って人生を再構築する。
こういう人にはユーモリストが多い。ユーモアを一枚の紙にたとえ
ると、上質の空しさと気品ある楽天主義に支えられている。そのは
ざまで弾けるのがユーモアで、洒落や冗談とは違う。
漱石(1867〜1916)はそういう人であった。』
以上司馬さんの文章である。
宇宙は回転しながら破滅に向かって突進している。それをエントロ
ピーといのだ。という人がいると思えば、いや宇宙は回転しながら
安定に向かっているのだという人もいる。宇宙の目的は安定だとい
うのだ。
未来永劫から見れば、太陽系宇宙の興亡やわが銀河系宇宙の存在な
ど一瞬の挿話にすぎない。その中での人間の行動などは全くの無駄
であり、よく考えればむなしいことだというのだ。
だれが?いや漱石がです。私ではありませんよ。私はそんなこと考
えてるほど暇ではないですよ。忙しいんです。
山の花のことなどを考えたらずいぶんと気がもめるし、
会津の歴史や伊達氏の歴史のことなど考えると身体が二つあっても
足りない思いです。ほんと忙しいんです。
すべてのものごとは安定に向かっている。と考えることはいいこと
である。破滅に向かっているなどと考えるよりは進歩的で前向きで
ある。人びとが朗らかになる。
無常やむなしさを深刻に考えていないで、そんな時間があったら、
前向きに自分の生活を構築している世間一般の人たちは偉いと司馬
さんは言っている。
たしかに開闢以来幾百億の地球上に生きたひとびとも、命の無常、
はかなさ、むなしさを感じていたに違いない。あっけらかんと酔っ
ぱらうように生き、何の疑問を感じずに幸せな人生を送った人もい
ることはいたに違いないが、多くの人たちは、むなしさや、無常を
感じながらも、なお、あえてそれに立ち向かい自分の生活を構築し
てきた。
人の世に生き、人と語らうのはユーモアを感じるためである。また
読書することもまた同じです。
喧嘩するためではありません。とにかくよその国を憎まねばならな
い国があったら、その国は国交を自ら断ち、気楽に生きるべきで
す。敵意をむき出しで、国際交流をしましょうなどという国は最初
から相手にするべきではありません。
韓国は日本などまともに相手にすべきではありません。
日韓の不幸な関係に最初に取り組んだ人は岸信介です。財閥と韓国
を結びつけ、その間でひそかに私利を図ったんです。
結局は日韓関係は何も進展せず不幸な関係のままで、日本の財閥と
岸一党だけが焼け太りました。岸一党とは自民党のことです。
韓国はダシに使われ、岸信介だけが財閥に取りつき現在の地位を築
いたわけです。岸の孫のひとりは三菱の重役です。
司馬さんは「この国のかたち6」という本ではっきりこのことを書
いています。日本に古いアジアの汚職構造を日本に持ち込んだ人は
岸信介だと言っています。韓国の日本嫌いはこのことが原因だかも
しれません。孫をいじめてよろこんでいるのではないでしょうか。
憎み合う心からはユーモアは生まれない。時間の無駄遣い。
ユーモア=思わず微笑させるような上品で機知にとんだシャレ。
人生はすべからくユーモアに富む生活が望ましい。
人と共に喜びや悲しみをともにし、すべてに共感する。そこには感
謝しかありません。
人と共に喜びや悲しみをともにするということは象徴的なことを
いったまでで、実際はそんなことをしていては、逆なことになって
しまいます。
逆なこととはどういうことかというと、人嫌いになってしまうとい
うことです。
人好きは人嫌いのもとです。つかず離れずにいることは、この距離
感を保つ上にとても重要なことです。
人は、人生で何を学ぶかと言えば、この距離感を学ぶわけです。
これを学ぶことなくべったり人と付き合って、のっぴきならない状
態になって、いよいよ人嫌いを招いてしまうわけです。
最初から親しくしなければ、そんな殺し合いに至ることはなかった
わけです。こういうところが人間の弱いところで、しばしば楽しん
だあと不仲になって、最後は泥仕合になってしまいます。およそ人
との付き合いはそういうものです。だからいくらいい人でも結婚で
もしない限りは、深くは付き合わない方がいいのです。
結婚したって半分は喧嘩してるようなものですからね。
結婚以来喧嘩したことないというのはかえって不幸なんです。幸せ
というものを勉強してこなかった、ひとつのかたちです。
一種のバツのことです。喧嘩したことないってぬけぬけと言ってる
バカがいるが、ある意味で罰を受けているわけです。
陰でなにしてるかわかりませんよ。人生の闇は深い。
人の幸不幸はフィフティ・フィフティでかならず不幸はあるんで
す。
そういうことを知らない人はバカです。一生幸せいっぱいなどとい
うことはあり得ないんです。かならず不幸は訪れます。
人生とはそういう矛盾の上に成り立っているんです。
そういう矛盾を克服しながら自分の人生を構築してゆくということ
だと言ってんです。
川柳は、この間の消息を、
「笑わせてすぐ帰る友妻も好き」
などと言っています。
要するにこういう人生を乗り切って、生き生きとして生きていくの
はユーモアだと言ってんです。
ただ笑えばいいといいものではなく、ユ―チューブのお笑いもいつ
かは飽きてしまいます。小さな子供たちを見たり、野の草を見た
り、季節の花々を眺めたり、バランスの良いユーモアのセンスを養
います。ええ!ユーモアのセンスは自然が養うものなんですよ。
自然から離れてはユーモアのセンスもありません。
都会の人々が自然を求めるのはユーモアのセンスを養うためです。
田舎の人々は全身がユーモアで出来ています。知らなかったです
か。何のために『ぽつんと一軒家』を見てんですか。見る人をひき
つけてやまないのは、そこに生きる人とともにある自然を眺めて喜
んでいるんですよ。山の中にぽつんと一軒家があって人が住み、自
然とともに生きている姿が人を引き付けるんです。
あはは、あははとバカ笑いすることばかりがユーモアではありませ
ん。
人の存在そのものがユーモアだからで、人の存在は悲しみを伴いま
す。ユーモアのセンスは悲しみが養います。ユーモアの半分はかな
しみです。
すべてがたくまざるユーモアになって、共感を呼びます。
麓まで降りていってもタバコも売っていない。タバコ屋までいくに
は40分もかかるとか言っていた。
つまりスーパーもないようなところで、人々は住んでいるのだ。
人の幸せと生活の便利とは何の関係もないことなんです。生活の便
利がいいと幸せだど感じるのは単なる錯覚です。マチガイ。
そういう人は生活が便利なために油断して、生活が便利でなくなっ
たときのことを考えていません。そういう幸せがいつまでも続くと
考えているんです。つまり病気になった時のことを言っています。
病気になったらもう生活の便利さもへったくれもありません。
人は不便ということも念頭に生きていくことが大切です。命の時間
を考えて生きてゆくことはもっと大切です。
南相馬市の西部に16キロm四方が全部国有林だというところがあ
ります。行けども行けども人家がありません。「バッカメキ」など
というアイヌ語まがいの地名のところもあります。南相馬と飯舘村
を行ったり来たりするために、国有林内のその道を通っていたんで
す。現在は放射能で壊滅しました。
私は山の生活が長く、こんなところでよく生きていられるなあとい
うところで生活している人たちをずいぶん見てきました。
スーパーもない何にもないところで、人々は生活をしています。
雨が降ると農作業を休み、家の中で出来る仕事をします。お天気の
日は畑に出たり山に入ったりします。自然と共にあるわけです。
そういうことは見る人のDNAが覚えていて、なん万年来の人の営み
を懐かしく感じているわけです。山から美しい紅葉を下げたり、恰
好のよい木を採ってきて庭に移したりして、生活を楽しんでいるわ
けです。歓楽街を歩いたり、パチンコや競馬をやることだけが人生
を楽しむことではありません。楽しみ方はなんぼでもあるんです。
しかし、こういう番組が人々の共感を呼んで抜群の視聴率だそうで
す。やはり自然が一番なんですね。
わたし?わたしは日曜日の夕食時にこれを見せられます。10分ぐ
らいでパソコンの前に移ります。
夕食後たまには団欒をしないと、悪いからしょうがなくてしゃべっ
ています。話の半分以上は理解してもらえません。
「変わり者!」でせっかくの家族の団欒も終わりです。
何をやっても無駄だということには論及しませんでしたが、同じ意
味です。世の中に意味のあることなどありません。
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年齢とともにお葬式の必要がなくなる今年80歳を迎える東京都の山下幸三さん(仮名)は、自分がやがて人生の終わりを迎えるときは「直葬」と決めている。 山下さんは10年ほど前から都内の介護付き有料老人ホームで暮らしている。未婚で妻や子どもはいない。今は毎日、1時間半ほどの散歩を欠かさず、元気に生活している。2人の兄も健在で、いずれも都内で暮らしている。 ![]() 都内の介護付き有料老人ホームに暮らす山下幸三さん(撮影:八尋伸)
山下さんは、60歳で大手企業を退職。もともとは、多くの参列者が集まる普通の葬儀で送り出してほしいと望んでいた。だが、年齢を重ねるなかで心境が変化した。 「定年退職から5年、10年と過ぎるうちに、だんだんと会社時代の仲間とも疎遠になっていきます。年賀状も年々減っていき、先方から〈80歳になるので来年からは年賀状を失礼させていただきます〉と最後の年賀状が届くようにもなりました。付き合いがあった親戚も少なくなり、葬式を開いても来てくれる人は数えるほどでしょう。直葬のほうが、今の私にふさわしい終わり方だと思うようになってきたのです」 ![]() (撮影:八尋伸)
生前の親から「お金をかけなくていいよ」直葬は、通夜や告別式などの儀式を行わない、火葬のみの葬儀形式だ。法律で死後24時間以内の火葬、埋葬は禁じられているため、それまで遺体は自宅や病院などに安置する必要がある。その間、近親者が故人の顔を見ながらお別れすることも、納棺に立ち会って送り出すこともできる。身内だけで通夜や告別式を営む家族葬よりさらにシンプルな形だといえる。 2017年に公正取引委員会が発表した「葬儀の取引に関する実態調査報告書」によれば、葬儀の種類別での年間取扱件数で「増加傾向」にある葬儀の種類を葬儀業者に尋ねたところ、直葬は26.2%と家族葬(51.1%)に次いで高い数値となった。また、葬祭の業界団体が設立した冠婚葬祭総合研究所のアンケート調査で、世代別の消費者に直葬の意向を尋ねたところ、800人ほどの団塊世代(65〜69歳、2016年)では「自分の葬儀は直葬でいい」と答えた人は、「そう思う」「ややそう思う」が53%と半数以上を占めた。直葬は広がりつつあることが見てとれる。 ![]() (図版:ラチカ)
千葉県松戸市で葬儀社の「メモリアール」を30年近く経営する富田次男さんは「年々、直葬が増えている実感がある」と話す。メモリアールは年間60件ほどの葬儀を行い、近年はそのうちの3割ほどが直葬だという。 「理由の一つは、親が生前に、子の老後の蓄えや孫の教育費を気にかけて『自分の葬式にはお金をかけなくていいよ』と子に話していることです。見送る側としても、香典返しや参列者に食事を提供する通夜振る舞いなどに大きな負担感があります。直葬ならその費用や手間が省け、故人も許してくれるだろうとお考えになるわけです」 ![]() 葬儀社メモリアールの富田次男さん(撮影:八尋伸)
直葬は通常の告別式や葬儀と比べて費用も安い。日本消費者協会の2016年の調査によると、葬儀一式や通夜での飲食接待費、寺院への布施などを総合した費用は、平均195.7万円だという。 メモリアールでは、納棺の儀式と棺への花入れをプラスした「見送る火葬式」など4種類の標準メニューを用意している。このうち最もシンプルなのが「火葬のみの直葬」(12万8000円)だ。直葬の費用には、棺代のほかに、搬送車(50キロまで)の利用料、安置所(2泊3日)の利用料、火葬場への搬送料、火葬料、骨壺代が含まれている。僧侶の読経や戒名も、別料金のオプションでつけられる。 「4〜5年前は家族葬が主流でしたが、最近は直葬か通夜を省略する『一日葬』を選ぶ人のほうが多くなりました」 ![]() (撮影:八尋伸)
神奈川県川崎市の男性(55)は、2年前に父親の葬儀で直葬を選択した。理由について「つながりがなくなっていることが大きい」と話す。 「父は亡くなる5年ほど前から認知症になり、特別養護老人ホームで暮らしていました。その時点で長く住んできた地域から離れたのに加え、父の記憶が曖昧になったことで交友関係も分かりにくくなった。また、父の実家である新潟県の寺との関係も切れていました。ですので、特養で息を引き取ると、すぐにスマホで調べて出てきた業者に依頼しました。1日安置して翌日火葬するコースで10万円もしませんでした。価格が安かったのも魅力です」 神奈川県相模原市の女性(49)は、既存の葬儀社のプランに不信感があり、利用したくなかったと語った。4年前に父親が亡くなったとき、何も調べないまま地元で知られる葬儀社に連絡、葬儀を手配した。小規模の生花祭壇が設けられ、希望する宗派の僧侶の葬儀込みで約150万円。提示された額にやや高いという印象があったが、それが「標準」と説明を受け、決めた。葬儀は滞りなく進行した。 ![]() (撮影:八尋伸)
「ところが、すべてが終わり、料金も支払ったあとで、その葬儀社のウェブサイトを見たら、うちが選んだプランと全く同じ内容の葬儀が約80万円と出ていた。つまり、何も調べずに来た客には70万円近く上乗せしていたのです。葬儀社にクレームを言い、交渉しましたが、差額は返金してもらえませんでした。私も父の死で混乱していたとはいえ、信頼を裏切られたような感覚でした。そこで考えたのは、家族でやる葬儀はシンプルな火葬だけで十分だったのではと。そこで1年前に母親が亡くなった時には、ネットで探した別の葬儀社による直葬で見送ることにしました。費用は十数万円でした」 川崎市の男性も相模原市の女性も、直葬でまったく問題はなかったと振り返る。女性は自分も将来この程度で十分だと考えているという。 「なくなった本人の意思もあると思いますが、残された家族が納得できるのであれば、直葬で問題ないのだろうと思います」 これから本格的な直葬時代が訪れる直葬が増える背景について、現代のお葬式事情に詳しいシニア生活文化研究所所長の小谷みどりさんは「死亡年齢の上昇が与えたインパクトは大きい」と分析する。 「これまでのお葬式は、見栄と世間体で成り立っていました。だから、子どもが59歳のときに親が亡くなると、葬儀は最も盛大になります。もし大手企業の役員や部長の地位に就いていたらなおさらです。ところが現在は、子どもが現役を退いたあとで親が亡くなるケースが増えています」 シニア生活文化研究所所長の小谷みどりさん(撮影:熊谷祐司)
厚生労働省の「人口動態統計」によると、2000年には80歳を超えて死亡する人の割合は44%だった。それが2017年には64%に上昇し、さらに90歳以上で亡くなる人の割合も27%に達している。子が定年退職を迎えたあとに親が亡くなれば、もはや仕事関係の人たちが葬儀に多く集まることもない。盛大に葬儀を営んで見栄を張る必要もないわけだ。 地域社会の希薄化や核家族化の進展も直葬が受け入れられる背景だ、と小谷さんは語る。 「近所付き合い自体が減っているので、隣近所から『あそこの子どもは親不孝だ』と非難されることも少ないでしょう。同居していない親は、子どもに迷惑をかけたくないという思いが強くなります。お年寄りに尋ねると、大半の人が『家族葬でいい』『お葬式はしなくてもいい』と答えます。自分が知り合いのお葬式に出たときに『遺族が大変だ』と思うからでしょうね」 ![]() (撮影:八尋伸)
孤立する高齢者が増え、未婚率の上昇で関係の深い親族が少なくなる。数人残った遺族だけが参列するばかりなら、家族だけで故人を囲んで一晩を過ごし、派手な葬儀を省いて火葬だけでいいと感じる人も増えるはずだと小谷さんは言う。 「孤立した人たちが亡くなっても、悲しんでくれる人は少ないでしょう。これからが本格的な直葬時代です。今後、合理的な直葬を選択する人はますます増えるでしょうね」 ![]() (撮影:八尋伸)
生前契約で「自分色」にも直葬を望んでいる冒頭の山下さん。遺志を確実に実現するために、「生前契約」という手法を使った。 山下さんに妻子はなく、近親者といえば山下さんより高齢の兄たちだ。頼るわけにはいかない。そこで、山下さんは直葬の執行を東京都豊島区のNPO法人「りすシステム」に託している。死後の手続きや葬儀について本人の希望に沿って受託する法人で、1993年10月に発足した生前契約のパイオニアだ。 代表理事の杉山歩さんが言う。 「葬儀は残された人たちのイベントという側面があり、必ずしも本人が希望したとおりになるとは限りません。私たちは公正証書によって会員の意思を生前にお預かりし、お亡くなりになったらそのとおりに執行します」 ![]() りすセンター・新木場(撮影:八尋伸)
現在、りすシステムと生前契約している会員は全国におよそ3700人。その8割は関東の1都3県に集中している。 「りすシステムの設立後、しばらくは、お通夜とお葬式を希望する人が多かったのですが、現在はおよそ半分の方が直葬をお選びになります」 一般的な直葬では葬儀社に安置所の手配を頼むことになるが、りすシステムには自前の安置所を備えた会館がある。近親者が故人に一晩付き添える夜伽(よとぎ)部屋や葬儀用ホールを備えた3階建ての「りすセンター・新木場」である。 遺体は処置室で化粧などを施して納棺される。生前契約の明細書に希望の死に装束が指定してあれば、服飾を専門とするスタッフがあらかじめ紙で作っておいた“ドレス”や“スーツ”に着替えさせる。 ![]() 紙で作られた死に装束のドレス(撮影:八尋伸)
「処置室は、病院で感染症患者の治療に使われる空気感染隔離室と同じ陰圧室になっていて、滅菌装置も備えています」と同センター長の花田和広さんが説明する。 安置室は処置室の隣にある。8センチほどの分厚いステンレス扉で密閉され、最大37体の安置が可能だ。常時5℃に保たれ、足を踏み入れるとひんやりとする。処置室の前には、控えめに焼香の道具が置いてある。 「直葬とはいえ、故人のお知り合いがお顔を見たいというケースがあります。そのとき安置室からご遺体を面会室に移動して、お別れができるようにしています」 ![]() りすセンター・新木場の安置室(撮影:八尋伸)
費用は直葬だけなら40万円程度だと杉山さんは言う。 「遺品整理や部屋の片づけ、自治体や警察などへの各種届け出、公共料金の解約・精算手続きなどを含めても、だいたい100万円以内で収まります」 葬儀や散骨は別料金のオプションメニューとなり、棺や祭壇、供花の種類や数、僧侶による読経や戒名によっても費用は異なる。骨壺も一般的な白の陶器ではなく、高級な青磁のものを希望する会員もいるという。 「直葬といっても安っぽいわけではなく、細かい点にこだわれば豪華な直葬になります」 ![]() ニュージーランド沖への散骨を希望する利用者の遺骨(撮影:八尋伸)
りすシステムの初期費用は直葬や部屋の片付けなどにかかる死後事務費用と生前事務費用の預託金が必要となる。預託金は、りすシステムとは別のNPO法人日本生前契約等決済機構が管理し、必要に応じて使われる。 生前契約の利用者は、独り身の人ばかりではない。 「お子さんが40代、50代なら、仕事が忙しいとか海外在住とか、すぐ駆けつけられない事情があります。私たちは契約によって生前、死後ともにお子さんたちに代わってその役割を果たすわけですから、いわば『契約家族』です」 ![]() (撮影:八尋伸)
山下さんの場合、棺は最もグレードが高い素材のものを用意してもらい、火葬場に運ばれるときの霊柩車にはアメリカの高級車「リンカーン」を指定している。そして荼毘(だび)に付された後は、ニュージーランドの海に散骨してもらう。それが希望だ。 「今までリンカーンに乗ったことはありませんけど、一度ぐらいはいいかなとね」 亡くなってからの乗り心地はどんなものですかねと問うと、山下さんも笑う。 ![]() (撮影:八尋伸)
山下さんは、3年前に100歳近かった母を直葬で見送り、ニュージーランドのオークランド沖に散骨した。 「母は長生きしたので友人知人は、みな先に亡くなり、葬式に呼ぶ人がほとんどいない状況でした。私も亡くなったら母が眠る南半球の海の底に行きたいと思っています」 母を送ったときと同じように、自分も直葬で送られたい──。山下さんはそう語った。直葬は葬儀から見栄や外聞をそぎ落として最期を迎える一つの形でもある。 ![]() (撮影:八尋伸)
熊谷祐司(くまがい・ゆうじ) 1966年、東京都生まれ。ビジネス誌の編集者を経てノンフィクションライターとなる。総合誌やWEBメディアで社会、経済、教育など幅広い分野の取材・執筆を担当。
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