全体表示

[ リスト ]

 
今、サティパッターナ・スッタ(大念住経)を読み返しています。
中々いい日本語訳がなかったので、最初は英語で読んでいましたが、ネット上で比較的読みやすい訳を見つけたので、それも読んでいます。
 
日本語版 大念住経
 
私見ですが、これはアナパナ・サティから始まるブッダの瞑想法が、ある段階を経て深化していくプロセスを表していると考えられます。
 
上の日本語版から目次を抜粋すると以下の様になりますが、
 
大念住経、又は大念処経(マハーサティーパッターナ・スッタ) 目次
                                                文番   
略説       ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1〜3      
一、身に関する瞑想      
 1 出息、入息の部 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・4〜6           
 2 行住坐臥の部 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・   7     
 3 正しい意識の部 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・   8  
 4 不浄観察の部 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・    9
  5 要素の観察の部 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・   10
 6 九段階の死体の部  ・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・11〜19 
二、受(感覚)に関する瞑想・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・ 20〜21 
三、心に関する瞑想   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 22〜23 
四、法に関する瞑想     
   1 五蓋(五つの障害)の部  (貪欲、瞋恚、こん眠、掉悔、疑)・・・24〜29 
  2 五蘊(五つのの固執される集まり)の部 (色、受、想、行、識)        30 
  3 六つの内・外処の部 (眼耳鼻舌身意、色声香味触法)・・・・・  31〜34 
  4 悟りの七条件の部(念、択法、精進、喜、軽安、定、捨) ・・・・  35〜41 
  5 真理の部   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・      42 
    a. 苦の真理の部   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 43〜59 
        b. 苦の因の真理の部 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 60〜72
        c. 苦の滅の真理の部   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  73〜85 
        d. 道の真理の部    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 86〜95 
効果の言葉  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・…・・・・・・・・・・・・・・・・・・96〜100 
結びの言葉  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・…・・・・・・・・・・・・・・・・・・・    101
 
 
私は、上から『身に関する瞑想』→『受に関する瞑想』→『心に関する瞑想』→『法に関する瞑想』という流れに対応する、脳神経生理的な活性の変化、があると考えています。
 
これはアバウトな言い方ですが、身に関する瞑想によって、ある脳活性の変化が生じ、その変化した意識によって受に関する瞑想が行われ、そこで再び脳活性が変化し、、その変化した意識によって心に関する瞑想が行われ、そこでまた脳活性が変化し、その変化した意識によって法に関する瞑想が行われる。
 
もちろん、経文に書いてある通りに実際のプロセスが進行するとは限りませんが、大まかにこのような流れがあるのでは、と考えています。
 
分かりやすく例えると、身に関する瞑想によって10倍の虫眼鏡を手に入れて、それを使って受に関する瞑想を行う事によって100倍の顕微鏡を手に入れ、それを使って心に関する瞑想を行う事によって1000倍の顕微鏡を手に入れ、それを使って法に関する瞑想を行う、と言う事でしょうか。
 
身に関する瞑想によって、あるステート・オブ・マインド(ブレイン)に入る。そのステートの中で受に関する瞑想を行い違うステートに入り、そのステートの中で心に関する瞑想を行いまた違うステートに入り、そのステートの中で法に関する瞑想を行う。
 
同じことを繰り返し書いているのかも知れませんが、ここはとても重要なので押さえておきます。
 
つまり、身に関する瞑想(身体呼吸意識の瞑想)が進まずにステート・オブ・マインド(ブレイン)が変わらなければ、いくらあがいてもその先の瞑想はできない、という事です。
 
このステート・オブ・マインドというのは、誤解を恐れずに日本語に訳せば『変性意識状態(英語のトランス)』に近いかも知れません。
 
身に関する瞑想を通じて定に入る事によって、この変性意識の階梯を少しずつ降りていく。その事によって、日常意識では見えない何かが観えてくる。これがヴィパッサナーなのだと思います。
 
そして私の仮説では、これらの階梯には、特定の脳神経生理的活性の変化が、対応している、そう考えられます。それは意識の焦点と脳活性の焦点が、具体的に興奮発火(あるいは逆に鎮静休止)している脳領域の違いとして変位していく、と言う事です。
 
私はパーリ経典というものを基本的に信頼はしていますが、決して盲信はしていません。そこには、明らかに行き過ぎたマニュアル化というものが否定できないからです。それはヴィシュディ・マッガなどの様なコメンタリーを見るとよくわかります。
 
あんな分厚い枕の様な大部の書がなければ瞑想できないなどという事は、ブッダの時代の事を思えば絶対にあり得ません。
 
文明とは、時と場所を問わず、実践経験知よりもマニュアルの高度化に心血を注ぐ存在なのかも知れません。そしてマニュアルを知悉する事によって経験した様な気になってしまう。
 
さらにひとたびマニュアルの権威が確立してしまえば、そこから外れた発想は全て無条件に否定される。現場の実態よりもマニュアルの記述が『リアル』として優先されてしまうのです。
 
だからこそ、立花隆さんのような人が『瞑想体験』というテーマで取材・研究し、脳神経生理学的な事実と主観的な瞑想体験をすり合わせて、検証して欲しいと強く願うのですが、中々うまくは行きません。
 
という訳で、私なりの探究がこのブログに表された思考のプロセスなのです。もっとも、これもまたマニュアルの上乗せに過ぎないという見方もありますが(笑)
 
今の時点でひとつ言える事があります。それは、『非情動性の車軸脳』に止住する事によって、『情動性の車輪脳』を外から観る、それがヴィパッサナである、という事でしょうか。
 
逆に言えば、意識の軸足が車輪脳にある内は、決してヴィパッサナは成立しない、という事です。
 
イメージ 1
私たちの日常意識は、大脳という回し車の中を走るハムスターだ
 
何故なら、私たちの日常意識とは、ある意味回し車の中で走っているハムスターのようなものだからです。五感からの入力や記憶の再生によって少しでも大脳車が回り出すと、このハムスター君はつられて車を蹴りながら走り出す。彼が走り出すとますます車はスピードを上げ、さらに彼の走りはヒートアップしていってもう止まらない。
 
大脳車の中に留まって、意識がこのサイクル、すなわち駆動するサンカーラ・サーキットと一体化している状態では、その生起と消滅の機序(ダルマ)を冷静に観る事など絶対にできません。
 
だからこそ、不動の車軸に移動して落ち着いて、外から冷静かつ客観的に車輪脳の作用機序を観る必要があるのです。
 
その不動の車軸こそが、身体呼吸意識に他ありません。
 
車輪から離れ車軸に止住した時、車輪は自ずからそのスピードを緩め、『観える』様になっていくのです。
 
この辺りは中々説明するのが難しいのですが、もう少しまとまったら、改めてアップしたいと思っています。
 
 
この記事は、ブロガー版脳と心とブッダの悟りと連動しています。
 
このブログ内容は広く知られる価値がある、と思った方は、下記をクリックください
 
 

閉じる コメント(0)

コメント投稿

顔アイコン

顔アイコン・表示画像の選択

名前パスワードブログ
絵文字
×
  • オリジナル
  • SoftBank1
  • SoftBank2
  • SoftBank3
  • SoftBank4
  • docomo1
  • docomo2
  • au1
  • au2
  • au3
  • au4
投稿

開く トラックバック(0)


.


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事