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ブッダの瞑想法であるヴィパッサナ・メディテーションに関して、以前から疑問に思っていた事があります。
 
それは、アナパナ・サティの呼吸に気付いている、いわゆる「タッチング・ポイント」と呼ばれる場所についてです。
 
私がこれまで経験してきたのは、ゴエンカジー系とマハシ・サヤドウ系のヴィパッサナですが、前者ではアナパナの呼吸に気付いているのは鼻腔のヘリ周辺であり、後者では下腹部の膨らみ縮みでした。
 
しかし、その後色々勉強してみても、何故呼吸に気付いているポイントがこの二か所であるべきなのか、と言う経典上の根拠、と言うものを具体的に解説したものには出会えませんでした。
 
彼ら先達は、一体どのようなプロセスを経て、鼻周りとお腹周りと言う気づきのポイントを決定し得たのでしょうか。
 
また、この二つのポイントはどちらがブッダの瞑想法を、よりオリジナルに忠実に再現し得ているのでしょうか。
 
そのような疑問点に逢着しつつ、合気道やらインド武術やらに夢中になってしまい、この疑問は投げ出されたままにおかれていました。
 
けれど今回、ひょんな事から再びブッダの瞑想法について「科学的に」探求する機縁が生まれ、改めて上記の疑問を念頭にして、パーリ経典を読み進めていった訳です。
 
現在までに私が読み終えたパーリ経典は、以下のようになります。
 
岩波文庫版 中村元訳 パーリ経典シリーズ
法句経(Dhamma-pada、ダンマパダ
感興のことば(1/10訂正:Udana Varga、ウダーナヴァルガ:説一切有部扁)
ブッダの言葉(Sutta-nipata、スッタニパータ) 
仏弟子の告白(Theragatha、テーラガーター
尼僧の告白 (Therigatha、テーリーガーター
以上、小部経典(クッダカ・ニカーヤ)所蔵
ブッダ最後の旅( Mahaparinibbana-sutta:大般涅槃経
長部経典(ディーガ・ニカーヤ)所蔵
悪魔との対話(Mara-samyutta:悪魔相応/他)
神々との対話(Devaputta-samyutta:天子相応/他)
以上、相応部経典(Samyutta Nikaya:サンユッタ・ニカーヤ)所蔵
 
春秋社版 原始仏典 第1巻〜7巻シリーズ
長部経典(Digha Nikaya:ディーガ・ニカーヤ)
中部経典(Majjhima Nikaya:マッジマ・ニカーヤ)
 
春秋社版 原始仏典Ⅱ 第1巻〜6巻シリーズ
相応部経典(Samyutta Nikaya:サンユッタ・ニカーヤ)
 
Wikipediaによれば、パーリ仏典は三蔵と言って律(ヴィナヤ)と経(スッタ)と論(アビダンマ)に分かれ、この内スッタは長部、中部、相応部、増支部、小部の五つで構成され、その内の長部と中部と相応部と、小部の一部を私は読み終えた事になります。
 
スッタの中でも大きなボリュームを締める増支部:アングッタラ・ニカーヤについては、訳本の関係で読めていませんし、ましてや律や論などは全くの手つかず状態にあります。
 
わずかに論に関しては、スマナサーラ長老の「ブッダの実践心理学」のおかげで何とかその入口の端緒に触れ得た段階です。
 
なので、これは上記の限定された情報による暫定的な判断なのですが、いまのところ、アナパナ・サティにおいて、その呼吸の気づきのポイントについて、明確に『鼻先』もしくは『腹部』と明言している部分には出会えていません。
 
その代わりに私が確認できたのは、呼吸に気付くポイントについて、『顔の周り』もしくは『面前』に思念を留める、と言う表現でした。
 
これは具体的には以下の引用部分になります。
 
「托鉢僧たちよ、ここで、托鉢僧が荒野に至るか、あるいは樹の根元に至るか、あるいは空き家に至るかして、左右の足を左右の太ももの上に置いて坐り(結跏趺坐)、身体をまっすぐに保ち、思念を顔の周りに留めてから坐る。
その者はまさに思念して息を吸い、まさに思念して息を吐く。」
 
春秋社刊 原始仏典Ⅱ 第6巻 相応部経典 第5集 大いなる集 第10扁 呼吸についての集成 P315より
 
「ラーフラよ、ここに比丘は林に行き、または樹の下に行き、または人気のない場所に行き、身体を真っ直ぐに伸ばし、精神を面前に集中して、跏趺を組んで坐る。
彼は意識して息を吐き、意識して息を吸う。」
 
春秋社刊 原始仏典 第5巻 中部経典2 入出息念の修行法:大ラーフラ経誡経 P298より
 
〜以上引用終わり。
 
私の読んだ範囲では、このふたつ以外にも、呼吸に対する気づきについて記述した多くの部分で、『顔の周り』や『面前(もしくは正面)』という明言が確認されました。
 
(これらは単に翻訳の相違であって、パーリの原語はひとつかも知れません。)
 
逆に言うと、これ以上の細部のポイントについて、それが鼻先だけ、とか、あるいは鼻腔の外だとか中だとか、あるいはそのポイントがお腹の上下動であるとか、などは、一切確認できなかったのです。
 
そう、私が読んだ範囲で、と言う限定つきではありますが、パーリ経典において呼吸に関する気づきの『ポイント』は、正にこの『顔の周り』において行うよう指導がなされていた訳です。
 
それはお腹の上下動でもなく、鼻腔の外周りと言う限定でもなく、単に『顔の周り』というおおざっぱな括りに過ぎなかった。
 
では、一見大ざっぱに見えるこの『顔の周り』と言う言葉の真意とは一体何だったのでしょうか。
 
それこそが、本ブログでこれまで延々と繰り広げてきた動物の調御法、すなわち象の急所である、操縦意思を伝達する耳周り、そして牛の急所である鼻腔の周り、更にはハミを咬ませ手綱で調御する馬の口周り、ではなかったか、と言うのが私の仮説です。
 
気づきのポイントが、顔面部の複数個所に分布しているが故に、それをひとことで表現するならば、総体として正に『顔の周り』、という言葉が最も要を得ている事になります。
 
これら、鼻腔、額、耳、口という四か所が、すべて呼吸プロセスにおいて『内部的につながっている』事は、以前指摘した通りです。
 
イメージ 3
鼻腔という呼吸の通り道の内部で、口腔や耳や眉間(前頭洞)はつながっている
 
これら四つのポイントが呼吸の流れの通路によって内部的に繋がっているが故に、鼻から息を吸い息を吐くたびに、これら鼻腔と額と耳と口の内部周辺では生理的活性の変動が、実は顕著に現れている。
 
そしてその日常的には無意識下で生起している変動は、何よりも『触覚』の変動として、サティによって強化された私たちの意識の前に立ち現れるのです。
 
それら4つのポイント上において現れる触覚の変動を通じて、呼吸と言う働き・営為に気付き続ける。それがアナパナ・サティの、実践的な基盤ではなかったでしょうか。
 
そして、その『極意』は、動物の調御に関する譬え、と言う形で暗号化され、何気ない譬え話として埋め込まれた。
 
中でも馬の調御法に関しては、実際に眼に見える形で頭絡と言う革ベルトでできた装置を『顔の周り』に装着する事から、譬え話として象徴的な意味を持っていた可能性があります。
 
頭絡の革ベルトは、の下周りから後頭部にかかるうなじ革、の前周りからにかかる額革、頬から口角にかかりハミと繋がる頬革、頬革を固定する革で構成されており、象と牛と馬の調御法において重要なポイント、すなわち額と耳と鼻と口周りを大ざっぱに全て網羅しています。
 
イメージ 1
頭絡を構成する革ベルトのパーツ名称 Google検索「頭絡」より
古代インドでは加えて鼻づらの正中線を通る支持革があったかも知れない
 
更に付け加えれば、馬の調御・操縦法において重要な意味を持つ「馬腹を蹴る」というテクニックが、あるいは呼吸に伴って生起するお腹の上下動に対する気づき、というものを示唆していたのかもしれません。
 
来年以降も、これら動物の調御法が持つ真意を掘り下げつつ、ヴィシュディ・マッガなども参照しながら、探求を進めていきたいと思います。
 
それでは皆さん、良いお年を。
 
 
この記事は、ブロガー版脳と心とブッダの悟りと連動しています。 
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