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大乗とテーラワーダという違いを越えて一貫している真理の“串”、それは般若心経と教アナータピンディカ経の中に典型的に表されている。

それは、五蘊とその内実としての十二処・十八界を手放す事こそが、仏道修行の核心・神髄である、という事。

何故、五蘊を十二処・十八界という形に細分化し、分析する必要があったのか? それはもちろん、十二処・十八界というものが、瞑想実践における、具体的なメソッドの中で、極めて重要な意味を持っていたからに他ならない。

以上が前回までの大まかなあらすじでした。

今回は、十二縁起のメイン・フレームとしての五蘊、そして六官、という視点から考えていきます。

まずは例によってWikipediaさんから十二縁起について引用します。

十二因縁 (じゅうにいんねん)、あるいは、十二縁起(じゅうにえんぎ、巴: dvadasanga-paṭiccasamuppāda, ドヴァダサンガ・パティッチャサムッパーダ、梵: dvādaśāṅga-pratītyasamutpāda , ドヴァーダシャーンガ・プラティーティヤサムトパーダ)は、仏教用語の一つ。苦しみの原因は無明より始まり、老死で終わるとされる、それぞれが順序として相互に関連する12の因果の理法をいう。この因果関係を端的に表現したのが「此縁性」である。

  1. 無明(むみょう、巴: avijjā, 梵: avidyā) - 過去世の無始の煩悩。煩悩の根本が無明なので代表名とした。明るくないこと。迷いの中にいること。
  2. (ぎょう、巴:saṅkhāra, 梵: saṃskāra) - 志向作用。物事がそのようになる力=業
  3. (しき、巴: viññāna, 梵: vijñāna) - 識別作用=好き嫌い、選別、差別の元
  4. 名色(みょうしき、nāma-rūpa) - 物質現象(肉体)と精神現象(心)。実際の形と、その名前
  5. 六処(ろくしょ、巴: saḷāyatana, 梵: ṣaḍāyatana) - 六つの感覚器官。眼耳鼻舌身意
  6. (そく、巴: phassa, 梵: sparśa) - 六つの感覚器官に、それぞれの感受対象が触れること。外界との接触。
  7. (じゅ、vedanā) - 感受作用。六処、触による感受。
  8. (あい、巴: taṇhā, 梵: tṛṣṇā) - 渇愛。
  9. (しゅ、upādāna) - 執着。
  10. (う、bhava) - 存在。生存。
  11. (しょう、jāti) - 生まれること。
  12. 老死(ろうし、jarā-maraṇa) - 老いと死。
縁起とは依って(拠って)起こる、というのが語源で、依って生じるという因果関係の連鎖によって成り立ち、その根幹にあるのは、無明によってが生じ、によってが生じ、〜という二項目セットの此縁性です。

次に、おなじWikipediaから五蘊を引用します。

五蘊(ごうん、: pañcak-khandha, パンチャッカンダ: पञ्च स्कन्ध , pañca-skandha, パンチャ・スカンダ)とは、部派仏教における一切の分類である三科(五蘊・十二処・十八界)の中の第一。

「蘊」(: khandha, カンダ、: स्कन्ध , skandha, スカンダ) とは、「集まり」の意味で、五蘊とは人間の肉体と精神を五つの集まりに分けて示したものである。この五蘊が集合して仮設されたものが人間であるとして、五蘊仮和合(ごうんけわごう)と説く。これによって五蘊(=人間)の無我を表そうとした。
なお、旧訳では五陰(ごおん)五衆(ごしゅ)といい、特に煩悩(ぼんのう)に伴われた有漏(うろ)の五蘊を五取蘊(ごしゅうん、pañcopādāna skandha)ともいう。

五蘊は次の5種である。
  1. 色蘊(しきうん、rūpa) - 人間の肉体を意味したが、後にはすべての物質も含んで言われるようになった。
  2. 受蘊(じゅうん、vedanā) - 感受作用
  3. 想蘊(そううん、saṃjñā) - 表象作用
  4. 蘊(ぎょううん、saṃskāra) - 意志作用
  5. 蘊(しきうん、vijñāna) - 認識作用
十二縁起と五蘊を対照すると分かりますが、多くの項目において重なり合いが見られるので以下に示します。

十二縁起                     五蘊
1.無明(巴: avijjā, 梵: avidyā)   
2.(巴:saṅkhāra, 梵: saṃskāra)      4.蘊(saṃskāra
3.(巴: viññāna, 梵: vijñāna)         5.蘊(vijñāna
4.名色(nāma-rūpa)              1.色蘊(rūpa
5.六処(巴: saḷāyatana, 梵: ṣaḍāyatana)
6.(巴: phassa, 梵: sparśa)
7.vedanā)                   2.受蘊(vedanā
8.(巴: taṇhā, 梵: tṛṣṇā)
9.(upādāna)
10.(bhava)
11.(jāti)
12.老死(jarā-maraṇa)

五蘊の3番目である想蘊(saṃjñā)が十二縁起にはありませんが、名色の(nāma)、すなわち名称=名付け称する働き、を心の表象(表し象る)作用だと考えると、重なり合います。

「五蘊とは人間の肉体と精神を五つの集まりに分けて示したもの」
という点から言えば、五蘊=名色(心と身体:ナーマ・ルーパ)という見方もできます。

上記の対象表を見れば分かるように、五蘊というものは、十二縁起の諸要素の中で、ある視点から見て必要十分な要素を取り出して、まとめたものだと考えれば良いでしょう。

あるいは逆に、最初に成立したのは実は五蘊というまとめの方で、そこから、ある視点に立って拡充再構成したのが、十二縁起だったのかもしれません。

仏教の専門用語というのは、それぞれ個々の間の整合性というものが完璧にとられておらず、それぞれある視点から見た“場合の暫定”にタイトルを付け、言わばその“場当たり的な”整理区分が乱立している状態になっているので、とても理解しにくいのですが、まぁ、難しく考える必要はありません。

若干くどくなるかも知れませんが、以下に羅列すると、

十二縁起の、
無明とは、五蘊(心身総体)としての個人存在の根底にある基本特性。
行・識とは、五蘊の内の行・識。
名色とは、五蘊の内の想と色、あるいは五蘊そのもの。
六処とは、五蘊という個人存在における『色』の中の五つの感覚器官(眼耳鼻舌身)+意官。
とは、それら六官における触。
とは、六官における触によって生まれる感受であり、五蘊の内の受。
とは、その六官の感受によって生まれる渇愛。
とは、その六受の渇愛によって生まれる執着。
とは、そのような五蘊の働きとしての人間存在。
とは、そのような五蘊としての人間存在の誕生。
老死とは、そのような五蘊としての人間存在の老と死。

とてもややこしい話ですが、以上の説明で、十二縁起と五蘊との関係性が理解できたでしょうか。

一般に、十二縁起の核心とは無明渇愛である、という説明がなされます。それ自体は決して間違いではなく正論なのですが、その無明と渇愛の実体的な流れ、あるいは具体的な存在形態、というものを、五蘊のまとまりである人間存在として表している事になります。

五蘊の中では、『色』、つまり物質的な肉体の次に『受』、すなわち感受が登場します。

十二縁起の中で受の前に触と六処が置かれている事からも明らかなように、この五蘊の『色』は、六処と六境とその両者の触を含意しています。

つまり物質でできた身体における五官と、物質的環境世界における五境が接触し、それらの感受があり、結果として第六の意官と法が接触し感受が生まれる。

(仏教的な人間観における『感覚器官』には、この最後の意官が含まれています。この事は大変重要で、この意官が含まれるからこそ、十二処・十八界が “一切” になり得るのです)

物質的な環境世界における六境があったとしても、六官がなければ触も感受も生まれ得ないので、ここで最も重要なのは『六官』になります。

何故なら、修行によって環境世界から物質的六境をなくす事はできませんが、六官ならば “なんとかできる” からです。

つまり、仏教の焦点になるのはあくまでも人間存在というミクロ・コスモスであり、外部環境世界というマクロ・コスモスには関心がない。何故なら、修行によって変えられる(なんとかできる)のは、あくまでもミクロ・コスモスである“私自身”に他ならないからです。

この“なんとかできる”という“可変性”が、極めて重要な意味を持ちます。

ではこの“何とかできる性”とは一体何を意味するのでしょうか。

十二縁起を見て、一般にその焦点になるのは無明と渇愛である、というのは先に言及した通りですが、この無明と渇愛、まずは無明についてですが、これひとつを取り上げて直截的に何とかできるでしょうか?

何とかできるとは、この場合操作可能であるか、くらいの実践的意味合いです。無明などというなんというか、目にも見えず手で触る事も出来ず、どこにあるのかも分からない、極めて抽象的な漠然とした事象を、一体どのように直截的に操作できるでしょうか。

ここで、操作、という言葉が出てきましたが、その真意は、一般に十二縁起とは因果の連鎖とも言われ、その鎖をどこかで断ち切る事ができれば、苦の世界から解放される、という文脈にのっとっています。

つまり十二縁起の十二の要素、あるいはパーツの内の、どれでもいいから、何とかして破壊・消滅させれば、この苦の連鎖の全てが崩壊消滅する。

しかし、ではこの十二の要素の内の、どれを、どうやって、直接的に破壊する事ができるのか、という命題です。

無明などという実体のない形なきものを、直截的に取り扱って(ハンドリングして)破壊する事が可能でしょうか?

私には、それは不可能としか思えません。無明などという何処にどうやって有るのかも分からない漠然とした事象を、直接取り扱って、破壊する事など、想像すらできないからです。

では、もうひとつの焦点である、渇愛、はどうでしょうか。

渇愛とは、これも何処にどうやって有るのかも分からない漠然とした存在であり、直接取り扱って(何とかして)破壊する事など、難しそうです。

しかし、渇愛には、その依って立つ所の受と触と六処という先行要素が存在していました。これら三つの先行要素の大元とは、もちろん六処(六官)に他ありません。

そして、この六処の内の五処(五官)つまり、眼耳鼻舌身という身体器官は、何よりも眼に見える具体的なものとして私たちの“目の前に”存在している、という圧倒的な事実があります。

ではその六処に先行する名色はどうでしょうか、六処、つまり六つの感覚器官と比べ、その抽象性は高く、具体的にハンドリングできる対象ではないように見えます。

逆に言うと、この抽象的な概観である名色という括りを、より具体的に実体化して把握したものが、すなわち六処である、と言えるかもしれません。

つまり、この十二縁起という苦の連鎖を形作る十二の要素の内、私たちが実践的にハンドリング可能で、何とかして働きかけ操作し破壊可能な要素とは、五官+意官の六処以外にはない、という事です。

では具体的に、この六処の何をどうやって破壊する事ができるのか?

漢訳ではこの六処は、しばしば“六入”と表されています。つまり六官という六つの門戸から、六境が情報刺激として流入する。

入って来たものが接触し、接触すれば感受が生まれ、その感受に対する渇愛が生まれ、執着が生まれ、そのような在り方こそが私たちという個人存在(有)の苦を形作っていく。

つまり、その苦の生起を阻止し連鎖を破壊するためには、大本の六官という門戸における六境の“流入(Asava)”を防ぐ事ができれば、それでいい。

それこそが、『何とかする』という『作業』の要諦です。

五官という門戸は、上に説明した通り、五蘊の内の最初の『色』にも含意されその焦点とも言えますから、この六官(五官+意官)での触と『受』が阻止されると言う事は、続く想行識も生起しない、つまり“五蘊の全てが生起しない”事を意味します。

だからこそ、“一切”の根幹(核心)に位置するのは、“六官”である、と言えるのです。

もちろん、これら十二縁起と五蘊と六官における関係性の中で、その核心である六官を防護する、というその“防護の完成”が、ダイレクトに般若心経や教アナータピンディカ教における、

「五蘊とその内実としての十二処・十八界を手放す事こそが、仏道修行の核心・神髄である」

という言明とイコールで結ばれるのです。

六官の防護の完成=五蘊・十二処・十八界に対する執着の手放し。

もちろん、この六官という門戸を防護し、そこにおける流入(アーサヴァ)を阻止する、という内容は、パーリ経典の随所に明記されています。

「さあ、比丘よ、感官の扉を守りなさい。眼で色かたちを見ても、耳で音声を聞いても、鼻で匂いを嗅いでも、舌で味を味わっても、身体で触覚の対象に触れても、精神で知覚の対象を知覚しても、大まかな特徴をとらえたり、詳細をとらえたりしないように。

何故ならは、感覚器官を防護せずに過ごしていると、欲や不快感といった悪く良くないものに侵されるからである。

その予防に努めなさい。感覚器官を守りなさい。感覚器官で防ぎ止めなさい。」

〜以上、春秋社刊 原始仏典第7巻 中部125経 調御地経 P264〜より抜粋・引用。

「欲や不快感といった悪く良くないものに侵される」というのは、正に渇愛(愛)や執着(取)に、つまり総体としての『煩悩(アーサヴァ)』に侵される(捕まる)という事でしょう。

「その予防に努めなさい。感覚器官を守りなさい。感覚器官で防ぎ止めなさい」とは、正に感官の扉における流入(Asava)を防ぐ事だと思われますが、その真意とは一体何でしょうか。

そして、その感官の扉を防護する、という“仕事”が、具体的にどのように瞑想実践と関わり合っているのでしょうか。

次回以降、その詳細を見ていきたいと思います。


本ブログの記事は、連載シリーズになっています。
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