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はてなブログ《仏道修行のゼロポイント》更新

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パーリ仏典を一貫する最重要キーワード
それは『ブラフマン』に他ならない

悪魔パーピマントと梵天(ブラフマン神)との対立
その構図の中から、ゴータマ・ブッダが担っていた
『社会改革者(世界解放者)』
としての使命が浮き彫りになる

『ゴータマ・ブッダ』とは一体
当時の社会にとって『何者』だったのか?

§§§

はてなブログ: 『インド万華鏡』の旅へ
もアップしたのでよろしく。


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以前、はてなブログの『ブラフマン』とゴータマ・ブッダ【後編】で、出家の修行道をラタ馬車に譬える話を取り上げたが、同じ文脈に属する別バージョンを見つけたので、心覚えにここに記しておく。

〜以下引用〜

サンユッタニカーヤ:第一篇 第五章「燃えている」 
第六節:天女

尊師いわく、
「その道は『真っ直ぐな』と名付けられ、その方角は、『危険なし』と名付けられ、その車は『ガタガタと音を立てぬ」と名付けられ、真理の車輪(法輪)を備え付けられている。
愧じは手すり台の板、気を付けている事はその維幕である。
法をわたしは御者と呼ぶ。(正しい見解)を先導車と呼ぶ。
このような車に乗る人は、女であれ、男であれ、実にこの車によって、ニルヴァーナの近くにいる。」

「ブッダ・神々との対話」中村元訳 岩波文庫 P73〜

〜以上、引用終わり〜


これは仏道修行をラタ馬車の道行き、あるいは操縦になぞらえたもので、先のはてなブログで併記して検討した、同じサンユッタニカーヤの「道に関する集成」の中で『ブラフマンの乗り物』である仏道修行について説く譬えの物語と、カタ・ウパニシャッドの第三章にある『永遠で最高のブラフマン』に至るラタ馬車の寓話と、全く同じコンセプトで語られている。

上の神々との対話で『ニルヴァーナ』と称されているものがイコール『ブラフマンの境地・世界』であると読む事に、私は全く違和感を感じないのだが。



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出家の仏道修行を表す『ブラフマ・チャリヤ(梵行)』
比丘が保つべき慈悲喜捨の心『ブラフマ・ヴィハーラ(四梵住)』

長部「三明経」の中で『ブラフマンとの共住』を説いた
ゴータマ・ブッダのその真意とは?

魚川祐司著:『仏教思想のゼロポイント』の中で
『覚者の風光』と呼ばれた意識の地平は
『ブラフマンの境地』そのものではなかったのか?

『ブラフマ・チャリヤ』と『ブラフマ・ヴィハーラ』
その背後にある古代インド人の心象に迫る

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現在、古代インド思想における『ブラフマン』概念とゴータマ・ブッダとの相関についてがひとつの中心課題になっており、色々とネット上の情報を漁っている。

中でも英語で主に20世紀前半以前に書かれたものは内容が充実しているのだが、ひとつ面白い論文を発見したのでここに上げておきたい。

題名は「BRAHMAN : A Study IN THE History of Indian Philosophy」で著者はHERVEY DeWITT GRISWOLD, M.A.で、Fellow of the Panjab University and Professor of Philosophy in the Forman Christian College, Lahore.という肩書になっている。

ラホールというのはインドのパンジャブ州アムリトサルから国境を越えた所にある、旅人の間では色々と有名なパキスタンのあのラホールだろうか。

発行は THE MACMILLAN COMPANY で1900年(今から100年以上前!)。ただし、同じような古さの日本語の文献がとてつもなく読みづらい(というか私には読めない!)のに比べ、比較的簡明な英語で現代人にも読みやすいと思う。

興味のある方は是非直接読んで欲しいので、余りここでは深く立ち入らないが、そもそもBrahmanという語が、リグ・ヴェーダにおいて240回も出てくると言うのは驚きだった。

「According to Grassmann's Index Lexicon it occurs in the RV. about 240 times.」

まだその全てを読み終えた訳ではないのだが、往昔の先人は偉大な仕事をしているのだな、とつくづく感じ入った次第だ。

また、年末から年明けにかけて図書館で結構な数の専門書を借りて読み耽ってもいるのだが、借りた本と言うのは返す期限があって、どうしても読むほう、つまりインプットに忙しくなり、ブログ投稿、つまりアウトプットが中々追いついて行かない。

こちらもやはりインド学仏教学という領域において、20世紀の研究者たちの仕事と言うのは偉大だったのだな、と改めて感じ入っている。

今私が注目しているのが、湯田豊氏という仏教学者・哲学者で、中村元博士の弟子として薫陶を受けながら、しかし彼から離れ批判的に一線を引いた立場から研究・発言していた人の様だ。

私が以前から読みたいと思いつつそのあまりの高額さに手が出ず、また最寄りの図書館でも全然見つからない、という本に「ウパニシャッド 翻訳および解説」というのがあるのだが、彼はその訳著者でもある。

彼がかなり昔(昭和47年)に出した論文のアンソロジー的な書で「インド思想および仏教:錦正社刊」の1,2巻を今借りて読んでいるが、全インド教史における仏教、もしくはブッダの位置づけが、かなり私の視点と重なるものがあって、とても勉強になる。

この本は恐らくすでに絶版になっているはずだが、彼のような視点が、21世紀の仏教学習者・探求者の目に触れずに埋もれてしまうのは、私的には大変もったいない話だと思う。

これもごく私的印象に過ぎないのだが、どうやら巨人中村元の背後に隠れるようにして、非常に感性的に優れた研究者たちがおり、しかし中村元の存在に圧されて、その影が薄くなってしまった、と言う歴史が、残念ながら少なからずあったようだ。

この辺りも含めて、はてなブログの「仏道修行のゼロポイント」の方で、近い内にまとめて書いていきたいと思っている。

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はてなブログ《仏道修行のゼロポイント》更新

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パーリ経典には『真のバラモン』という概念が
覚りを開いたブッダ自身や
覚りに至る道を歩む修行者を表す言葉として登場する

その真意とは一体何だったのか?

「作られたもの」と「作られざるもの」の対照、
「彼岸に渡る」という事の原像、
「善悪の業を離れる」と言うイメージ、
そして「もう老いる事はない」という宣言。

これら象徴的な言葉や心象イメージに関して
ウパニシャッドとパーリ経典を横断する形で
様々に考察を巡らしてみた

『真のブラーフマナ』とは何者だったのか?

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