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眼ある人、世界の眼

 
今まで私は、くどいほど「車輪と車軸」のアナロジーについて語ってきた。それというのも、現在のインド学・仏教学の流れの中で、この視点を持っている人が皆無に思えるからだ。
 
そこで今回も、やや角度を変えて、車輪と車軸のアナロジーについて考えて見よう。
 
スッタニパータなど最古層のパーリ経典を見ると、ブッダの事を称える表現にいくつかの定型が存在する。その中で、今回と次回は輪軸の思想と絡めて2つの表現を取り上げたい。
 
ひとつ目は、ブッダを「眼のある人」「世界の眼」「あまねく観る者」など眼や視力と絡めて称えるものだ。
 
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ネパールのストゥーパには世界の眼が描かれている
 
そもそもブッダという名詞は『目覚めたもの」を意味する。そして眠っている人と目覚めている人の最大の違いは、眼を見開いて見ているか、眼を閉じているか、として把握されるだろう。
 
つまり、眼というものは目覚めた者「ブッダ」の象徴なのだ。同時にそれは、悟りの知恵によって、凡俗には見えない何かを観る、という意味でブッダの超越性をも象徴するのだろう。かくしてブッダは『世界の眼」と呼ばれるようになった。
 
この『眼』と言う言葉を原語で調べると、Chakkhumaになっている。さらに辞書で調べると、この言葉の基本形であるChakkhuが、語源的にはサンスクリット語の車軸
「Aksha」と関わりがある事が分かった。
 
実は車軸を意味するアクシャにはやはり目という意味がある。これはサイコロの目や、台風の目など、日本語でも近しい表現がある、何かの中心にあるドットを目としてとらえる表現なのだ。
 
三次元的立体で捉えると、車軸と言うのは一本の棒状をしている。しかし、これを車輪の回転面を二次元的に表した時には、車軸は円輪中央のドットになる。これが正に中心の目なのだ。
 
イメージ 2イメージ 3
立体的に見ると車軸は一本の棒だが、車輪を正面から見ると中心ドットになる
 
チャクーという言葉がチャクラ(車輪)とも語根を重ねる事から、何か語源的に関係があるのかも知れない。私はおそらく、仏典においてブッダが「世界の眼」と称えられるとき、その背後には、車輪の眼(つまり車軸)というニュアンスも含まれていた気がする。
 
何故そう思うのか。そこには眼と言う構造と車輪という構造のアナロジーが存在しているからだ。
 
イメージ 4イメージ 3
眼というデザインは車輪と重なり合う(右上はインド国旗中央の法輪)
 
上の写真を見れば分かるように、眼というデザインは車輪と酷似している。円輪を基盤に虹彩がスポークを形作り、その中心にあって、実際に見ている主体である瞳孔が車軸に当たる。
 
車軸であるブッダは、正にここでは「あまねく観る」眼なのだった。
 
 
この記事は、ブロガー版脳と心とブッダの悟りと連動しています。
 
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