脳と心とブッダの覚り

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サイドバーを見てみると、本ブログの開設日は2006年6月29日になっています。早いものでもう10年の歳月が流れ過ぎたのですね。

そもそもの最初は、2005年から始めたインド武術の現地取材と、その情報発信としてのブログ開設でした。当初の題名はストレートに「サンガム印度武術研究所」。その後「プラネット・インディア」に変更しました。

その頃はインド武術をひとつの核としながら、広くインドやアジアの旅行見聞記を想定していたのですが、元々ブログをこまめに書くなどと言うメンタリティは余り持ち合わせておらず、そのテーマでの投稿はほとんど進みませんでした。

その後、オウム真理教事件の残党が立て続けに逮捕され、改めてあの事件は一体何だったのか、という世間の関心が高まっていた2012年頃に、一念発起して題名も「脳と心とブッダの悟り」と変えて、そのままこのブログを継続してきました。

先にも書いたように私には本来、ブログとかを小まめに書き続けるなどと言うメンタリティは欠けているのですが、この「脳と心とブッダの悟り」だけは、更新頻度は極めて低いながらも、何とか今日まで続いてきました。これは我ながらある意味驚きです。

それは何よりもこの『脳と心とブッダの悟り」と言うものが、『私自身の探求』であったからに他ならないでしょう。

そして前回最後の投稿で、私は「マインドフルネスの軍事利用」というテーマを選びました。ついにそういう時代になったのだな、という感慨と共に。

その記事を書いた後、色々と考えました。このような時代に、これから先このブログをどうしていったらいいかなと。

これまで本ブログの投稿では、主にパーリ経典やウパニシャッド、ヴェーダ文献などに基づいて、論理的な探求としてブッダの瞑想法の原像に迫る、という視点で書いてきました。

しかし、気付いた方もあるかも知れませんが、具体的な瞑想実践のメソッドとその作用機序の「核心部分」については、明言する事を避け、遠回しに暗示するにとどめてきました。

その理由こそが「マインドフルネスの軍事利用」と深く関ってきます。

以前私は、瞑想実践の一定レベルまでについては、ある種の「膝蓋腱反射」と同じ様に、純粋に脳神経作用機序として科学的に解明が可能だ、と書きました。

ちょうど後述する仏道修行のゼロポイントという記事の中での事です。

これはわかり易く例えれば、指導者が麻原彰晃であろうがゴータマ・ブッダであろうが、一定の要件を満たしてひざの下のくぼみを叩けば、誰にでも膝蓋腱反射は起こるのだ、と言う事であり、それはある一定レベルまでの瞑想実践についても同じように該当するのだ、という話です。

この「あるレベルまで」と言う但し書きはとても微妙で繊細な部分なのですが、どちらにしても、実効力がある初中級の瞑想テクニックは、基本的に価値中立的で脳神経科学的な作用機序に基づいた純粋技術であり、それはあらゆる立場・心性の持ち主によって「悪用」される可能性を常に持っている、という事なのです。

(ある意味これは、「核物理学」の知識や技術と同じですね)

これはパーリ経典の多くの箇所に記述されているのですが、ブッダの時代には他流派から来て仏教サンガで出家する比丘は、4か月間は先輩比丘たちとは離れた場所で孤独な修行に励み、その「人物」を見極めた上で、正式にサンガの一員として認められたと言います。

おそらくこの4か月の‟試用期間”中は、ブッダの瞑想法の内実・詳細については教えられなかったのではないか、と私は想像しています。

また、以前から私が疑問に思っていた、パーリ経典にはブッダの瞑想法に関する「具体的かつ実践的な指導・解説」と言うものがほとんどない、という点に関しても、瞑想実践と言うものが、人の心の最も繊細で微妙な地点に関ることから、サンガ外部の人間に「濫用」される事を恐れたからだ、と考えると辻褄が合います。

そもそもスッタとは本来、ブッダの死後古代インドのマガダ地方で話されていた口語(仏教サンガの日常語)でまとめられたもので、その後のサンガにおいて日常的に声に出して唱えられていました。

当時のサンガは、高い塀に囲まれ社会から完全に隔離された中に高楼堂閣が立ち並ぶようなものでは全くなく、ほとんど掘っ立て小屋のような個々のクティがある範囲に点在するもので、当然比丘の集会というものも屋外で行われる場合が多かったでしょう。

例え集会場なる建物があったとしても、それはやはり草や木で作られた薄壁の粗末なもので、比丘たちがスッタを声に出して唱えていれば、それは第三者によって容易に聞き取られ、理解されてしまう状況だったはずです。

だからこそ、ブッダの死後サンガの後継者となった比丘たちは、瞑想法の具体的なメソッドやガイダンスについては、スッタという形では残さず、それを内々の「口伝」とした。スッタ自体もある意味「口承」なのですが、瞑想法の実際については、スッタと言う表看板には決して現れない「秘伝」として内々に伝えられたと考えられるのです。

それほどに注意深く伝承されたであろう瞑想実践の具体的な技術について、無神経なまでに情報公開が進み、ついにはアメリカにおいてマインドフルネスがグーグルという営利企業や米軍にまで「活用」されるに至った、と言うのが現代のあるがままの姿、という事です。

マインドフルネス、すなわち「サティ」の軍事利用。この現実を見たら、ブッダは一体何を思うのでしょうか?

「軍務の様々なプレッシャーによって苦しめられている兵士の心が、私の瞑想法に依って癒され速やかに回復し、その戦力が十全に発揮できるとは、ナント喜ばしいことだろうか」

などとブッダは思うのでしょうか?

この点は、今後私がこの「脳と心とブッダの悟り」という探求を続けていく上でも、絶対に忘れてはならない事として、肝に銘じておきたいと思います。

これはごく私的な感触なのですが、現今のいわゆる「マインドフルネス」なるもの。これはブッダの瞑想法の導入部からニッバーナに至る全過程に重ねてみれば、本当に極々入口の「端緒」に過ぎないと私は理解しています。

真実の「ブッダの瞑想法」を本当の意味で「深めた」者は、原理的に見ておそらく軍務などは放棄してしまうはずだと判断できるからです。

英語で集中した一定期間の瞑想コースの事を「リトリート」と言いますが、本当にブッダの瞑想法を深めてしまったら、‟世界”から「リトリート(退却あるいは厭離)」せずにはいられないでしょう。

もちろん、人を殺傷する、などと言う軍務と、この「リトリート」が共存する事はありえません。ブッダの言葉を注意深く読み解けば分かるように、瞑想を深めた者は自ずから「メッタ(慈愛)」と「アヒンサー(非暴力・不殺生)」を、謂わば「天与」の資質として獲得せずにはいないからです。

あるいはそれはより正確には、外から付加される物ではなく、『内なる深奥』から湧きいずるものなのかも知れません。

真の仏教徒を自認する者は、現今のマインドフルネス・ブームに際して、この様な最低限の原理(ダルマ)については、声を大にして主張し続けるべきだと私は思います。

ましてやコメント欄にも書きましたが、「ヴィパッサナーでビジネスに勝つ!」とか、
「最高度のパフォーマンスを要求される米軍のシビアな現場や、グーグルなど最先端のビジネス戦士にも採用されているマインドフルネス」
などと言うセールス・トークで、ブッダの瞑想法を(それを指導普及する自分自身を)売り込んでいくような輩は、ゴータマ・ブッダの眼から見たら完全な『外道』であるのは自明の理です。

と言う訳で、私のこの探求は、決してそのような『外道』に陥らないように最大限の注意と共に進めていこうと、改めて今、思いを定めている所です。

そしてこれを機会に、という訳でもないのですが、このYahooブログの「脳と心とブッダの悟り」は今回で一応の区切りを付けて終了し、新たなサイトを「はてなブログ」さんの方で立ち上げる事にしました。

先に書いたように、元々このブログは「サンガム印度武術研究所」改め「プラネット・インディア」だったものを無理くり変更したもので、しかも途中まではブロガー版と併存していたというややこしい状況にありました。

今回、これを整理統合して、はてなブログさんに二つのサイトを作りました。

ひとつはこの「脳と心とブッダの悟り」の統合発展版として、タイトルは
と名付けました。

もちろん例の魚川さんの著作を十二分に意識したもので(笑)、以前本ブログの投稿のタイトルにもなっていますね(過去記事仏道修行のゼロポイント参照)。まぁ、ある種の『オマージュ』と受け取ってもらえれば嬉しいです。

そしてもう一つは、
です。

実は2005年から2011年にかけてのインド探訪の過程で、私は膨大な量の写真とビデオを撮りためています。それは主にインド武術に関するものと、もうひとつインド思想の「表現型」としての宗教デザインに関するものが中心になっています。

私は凝り性なので、相当にマニアックな詳細を極めたデータなのですが、以前からこれらを死蔵してしまってはもったいないな、と言う気持ちがありました。

ニーズの有る無しは分かりませんが、この貴重な情報をも含む写真とビデオを、‟「インド万華鏡」の旅へ” の中で旅行エッセイ的に書き綴って、広くシェアできたらいいな、と考えています。

お世話になっていながらこんな事を言っては申し訳ないのですが、実は以前からこのYahooブログと言うのは使いにくいな〜と感じ続けていました。何というか、色々な意味で書き手の裁量が反映されにくいというか。

でもまぁ、面倒くさいのでそのまま継続していたのですが、はてなブログさんは使ってみると機能的に非常に優れています(実は以前コメントいただいたオンちゃんのブログに、ご挨拶の返信を書くためにアカウントを作ったのを流用しただけだったりしますが)。

まだまだ始めたばかりで、これから色々と勉強して使いこなしていかないといけないのですが、まぁ、私の事だから何処まで続くかはわかりませんが、興味のある方は是非、訪問してやってください。

この「脳と心とブッダの悟り」ですが、これまでの長い投稿履歴の中で、結構ぶっ飛んだことも主観的に書いてきています。基本的に常に『仮説』であるはずの所を断定口調で書いてしまったのも多く、まぁ個人のブログなのである程度は勢いでしょうがないのですが、‟仏道修行のゼロポイント 〜 ゴータマ・ブッダの原像” ではこれまでの投稿を整理統合すると共に、より整合性の高い形へと昇華していけたらと思っています。

大変マニアックなのは相変わらずだと思うので読者を選びますが、今後ともSatoru T.(あっちではParashraamaになってます)の探求をよろしくお願いします。

こちらでの投稿はもうあまりないとは思いますが、当分の間、ここの過去記事はそのまま削除しないでキープしておきますし、記事に関するコメントは引き続き受け付けます。


Yahooブログ版「脳と心とブッダの悟り」は
‟「インド万華鏡」の旅へ” という二つの「はてなブログ」に
発展的に解消されます。
これまでのご愛読、ありがとうございました。
二つの新ブログも、引き続きよろしくお願いします。


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前回は久しぶりにその近況を知った、安泰寺の無方さんについて多少の思い入れをもって書きましたが、今回は本題である『マインドフルネスの軍事利用』についてです。

改めてリンクを貼ると以下になります。無方さんは独特の日本語回しでやんわりとけれども決然とこのような流れを批判していますが、Youtubeの動画をまず見てみてください。


米軍がマインドフルネスをその『練兵』に用いている、という無方さんの指摘。5:55〜

後半冒頭が同一テーマ

ここで重要なのは、この米軍によるマインドフルネスの組織的活用というものが、退役軍人の実戦経験に由来するPTSD(任務後ストレス)の緩和とメンタルケア、を主目的としているのではなく、軍務に実戦配備される前の、いわば『練兵』トレーニングの一環として導入されている、という圧倒的な事実です。

無方さんもビデオの中で一部抄訳していますが、改めて当該米軍公式サイトより、印象的な部分を見ていきます。


まずタイトルですが、これは『マインドフルネス・トレーニングによる軍事的回復力の増強』と訳しておきます。

The strength of the U.S. military has always been dependent upon the strength of the Soldiers within its ranks. The strength of individual Soldiers--the cognitive functioning and physical capability of Soldiers--these are the most critical elements to overall military health and resiliency.

米軍隊の精強さとは、常に様々なランクにおける兵士たちの精強さに依って立つものである。個々の兵士たちの精強さーー これは兵士たちの認知機能と身体対応力であるが−− これらは軍隊の健全性と回復力において最も重要な要素となっている。

Mindfulness, a state of mind where the brain is considered to be attentive of the present moment without judgement, has proven to be a promising mental health intervention for Soldiers post-deployment, helping them to deal with the psychological toll that deployment can take on mental health, according to experts.

複数の専門家によれば、マインドフルネスと呼ばれる、どのような価値判断をも持ち込まずに現在の瞬間にただ『気づいている』という心の能力は、実戦配備後の兵士たちの心の安定に大きく寄与し、彼らが精神的な負荷に向き合う事を助け、軍務が健全な精神力に基づいて行われることを可能にするという。

However, the period before a Soldier is deployed is just as demanding and stressful. Psychologically preparing to face dangerous, high-performance, high-stress situations, while also having to leave loved ones and the familiarity of home behind, can be an overwhelming and anxiety-plagued time in any Soldiers life.

どちらにしても、兵士が実践配備される直前の期間、彼らは多くの非日常的な事柄を要求され、強いストレスにさらされる。生命の危険にさらされる事について常に精神的な覚悟が求められ、高度の能力を発揮する事を求められ、あるいは愛する家族と別れねばならない事、など兵士の生活の中で圧倒的なストレスにさらされ不安に苦しめられる時間となる。

 It is not enough for a Soldiers physical body to be trained, it is also vital that the mind be fit and ready, equipped with a "mental armor" of sorts.

兵士たちにとっては、肉体的な鍛錬だけでは十分ではなく、ある種の「精神的武装化」の一環として心を適応させ準備し、装備する、という事が必須となる。

A University of Miami-led research study, led by principal investigator and neuroscientist Dr. Amishi Jha, and funded by the U.S. Army Medical Research and Materiel Command, has shown that mindfulness meditation exercises positively support active-duty Soldiers in protecting and training their own minds and helping better prepare Soldiers for high-stress combat situations while also improving overall cognitive resilience and performance.

U.S.Army(米陸軍)が設置した医学的調査において、神経科学者のアミシ・ジャーを主任研究員として行われたマイアミ大学の研究によると、マインドフル瞑想実践は従軍下の兵士たちが自分の心を守り訓練する事を大いにサポートし、彼らが強度のストレス下に置かれるような実戦状況の中でよりよい準備をする事を助け、さらに相対的な認識能の回復と技能の向上に資する事が明らかとなった。

〜以上、引用終わり。拙訳ご容赦。

ここで書かれている内容の主旨は、非常にざっくりと言うと、米軍は射撃訓練や格闘訓練など、主として肉体的な技能向上を目的とした訓練と並行して、ある種の精神的な戦闘能力の向上訓練という側面からマインドフル瞑想を取り入れ、その実践的(実戦的)成果を実証している、という事になります。

先にも言いましたがここでは、ベトナム帰還兵やイラク帰還兵で問題になった、実戦経験によって刻まれた心の傷が原因になって起こるPTSDや自殺、麻薬や酒への耽溺、社会的不適応など、いわば戦後の精神的諸問題に対するアフターケア、としてマインドフルネスが活用されている訳ではなく、戦争の準備として、より有能な人殺しの兵器としての兵士(キリング・マシーン)をつくる為に、そのパフォーマンスを最大化するために、マインドフル瞑想が活用されている訳です。

中でも注目なのは、彼らがこの記事の冒頭に、わざわざ以下のように言及している点です。

マインドフルネスと呼ばれる、どのような価値判断を持ち込まずに現在の瞬間にただ『気づいている』という心の状態は、実戦配備後の兵士たちの心の安定に大きく寄与し、彼らが精神的な負荷に向き合う事を助け、軍務が健全な精神力に基づいて行われることを可能にするという。

これは、兵士が戦場において直面する最も大きな精神的ストレスが、倫理的ジレンマ、つまり戦場において敵兵や時に民間人を殺さなければならないという事からくる、道徳的・倫理的恐怖や罪悪感、である事を暗黙の前提としているのでしょう。

要するに、マインドフル瞑想トレーニングを『実装』した兵士は、戦場において今この瞬間にどのような価値判断にも動揺することなく、ただ気づき続けることが可能になり、軍務において今この瞬間にやるべきことを成し遂げる事が出来る、という事だと思われます。

これは考えてみればある意味至極当然の流れかもしれません。最近は日本の内外でGoogleをはじめとしたビジネス・フィールドにおいて、ヴィパッサナーに由来するマインドフルネスが、ビジネス・パフォーマンスの向上、をうたい文句にして導入され、一定以上の成果を上げて持て囃されています。

それは要するに、有能な「ビジネス戦士」を養成するために、マインドフル瞑想が極めて有用であるからに他ありません。ならば本物の軍隊戦士のパフォーマンスを向上するためにも、件の『マインドフルネス』が極めて有用であろうことは、自然な流れとして当然出てくるでしょう。

問題は、上記のような文脈において語られる『マインドフルネス』と本家仏教瞑想のマインドフルネス、つまり『サティ』との関係性、そして、この軍事・ビジネス利用されるようなマインドフルネスに対して、瞑想指導者、なかんずく仏教者がどのようなスタンスで向き合うのか、という点にあります。

これに対して安泰寺の無方さんは、いち早く軍事利用されるような『マインドフルネス』の危険性を指摘し、「こんなものは仏教とは関係ない」と喝破しています。

その他の瞑想指導者・仏教者、今日本では様々な文脈に属する様々な名前がメディアで喧伝されていますが、彼らは自らが推進する「マインドフルネス」というものが、その「卓越性」によって『軍事利用』されている、という事実にどのような反応をしめすのか、我々は興味深く見つめるべきでしょう。

このマインドフルネスと軍事・戦闘という問題。実は私個人にとっても極めて身近で切実な問題でした。

私がそもそも瞑想修行というフィールドに入ったのは、1995年に初めてインドを訪れ、そこでまずヨーガの基礎を習い、数か月後にネパールでゴエンカジー系のヴィパッサナー・リトリートに参加したのがきっかけでした。

それ以前にも学生時代から禅修行に興味があり、安泰寺をはじめとしていくつかの禅寺で参禅した経験はあったのですが、いわゆる土着インド教的な瞑想実践の世界に参入したのは、このインド放浪が契機となっています。

その後、数年をかけてインド・アジアを放浪しつつ、ヨーガや瞑想について一通りの実践と教養レベルの学習はしたのですが、そのほとんどが英語を通じてだったためもあり、いまいち隔靴掻痒の感は免れ得ませんでした。

そして、ここは重要な点ですが、この期間タイの瞑想寺で一か月のリトリートをしていた時に、歩く瞑想のさなかにジャーナに入る、という経験をしてその鮮烈さに心動かされ、目を開いて身体を動かしながら行う、いわば『動的瞑想』とでもいうものに興味を持ち始め、その流れで帰国後に縁あって合気道の修行を始めることになりました。

合気道とは本来武道・武術であり、その大本は武士の格闘術、すなわち「軍事技術」です。当時の私はあまりそのような意識はなく、合気道開祖の植芝盛平が武術家であると同時に大本教的な文脈における『霊的瞑想行者』であった、という点により心惹かれたのでしたが(なので私は強くなるという事は眼中になく、行を深める、という観点から稽古に励んでいました)とにもかくにも、結果的に私はあの当時、すでに「瞑想実践によって獲得される心的資質を武(戦闘)に活用する」という立場を体現してしまっていた訳です。

それ以前から、日本の禅の伝統において、しばしば「剣禅一如」という事が標榜される、という事実ももちろん知っていました。ヴィパッサナーによって涵養された心的資質によって、この剣禅一如というものが、果たして自分自身に体現可能か、というのも興味の焦点にはあったのです。

そして極めて集中した稽古・修行が2年半ほど続いたのですが、その間、様々な非日常レベルの集中、それは文脈を超えて言えば「ジャーナ」あるいは「サマーディ(三昧)」とも言うべき(現代的に言えば「ゾーン」の方が適当かも知れませんが)を体験しました。

その結果考えたのは、「私自身は戦士あるいは格闘家としての資質はさほど高くはないが、もし仮に、そのような資質に恵まれた者が、あるいは軍隊などでシステマチックに戦力を養成された精強な兵士が、私が経験したような「サマーディ」に至るようなある種の『瞑想力(定力)』を併せ持ってしまったら、彼は戦場において、卓越した無敵の『殺戮者』になれるかも知れない、という戦慄的な直観でした。

そもそも日本の禅仏教において「剣禅一如」という事が喧伝されたのも、日本の禅が、伝統的に武士階級、つまり侍=戦士=軍事専門家、に寵愛された史実がその背景にあります。

その後江戸時代という平和な時代が長く続く間に、何時しかその「剣禅一如」は哲学的思想的なベクトルを強め、ついには「剣を抜かずに、戦わずに争いを鎮める」というような精神的彫琢、すらも主張し始めるのですが、しかし、本来の「剣禅一如」とは、如何に不動・清澄な精神状態、いわゆる「無念無想」あるいは「空」を確立して、戦場において死の恐怖を克服し迷いなく戦い、有能な『殺戮者』になるか、という実践的な興味に焦点が置かれていた事は間違いないでしょう。

禅を修める事によって、精神的な「バグ」を克服し「パフォーマンス」が高められ「勝率」が上がる事を期待して、戦国武将や大名たちは禅の師家のもとに参じたのです。

そう考えると、今回取り上げた「マインドフルネスの軍事利用」というトピックスは、決して目新しい驚くべき様な事ではなく、時代を超えて歴史を繰り返しているに過ぎない、と言っても良いでしょう。

以上を踏まえて言えば、米軍によって精神調練の一環として活用されている「マインドフル」に対して「そんなものは仏教ではない!」と喝破した無方さんは、もし問われたならばこの「剣禅一如」の問題についても何らかの意見表明をする、いわば「説明責任」があるかも知れません。

残念ながらこのような語り口の歴史は現代においても古く、例えばヨーガの様々な修行法がNASAの宇宙飛行士の訓練に取り入れられていた、という前例も既にあります。初期の宇宙飛行士は米空軍出身者(精鋭パイロット)が多く、宇宙飛行士に求められる資質と優れた軍人・兵士のそれとは大いに重なり合うのです。

結局のところ、私の考えでは、ヨーガや瞑想・禅というものの目的や効果が「心身パフォーマンスの向上」という一点で語られる限り、このような状況はある意味必然である、という事なのです。

では当のブッダ本人や、ヨーガの体系を確立した古代インドの祖師たちは、一体何を目的に修行に邁進したのでしょうか。そして彼らが経験し到達したであろう意識の地平とは、剣禅一如とかマインドフルネスの軍事利用とかで扱われるレベルの精神的変容と、どのように差別化され得るのでしょうか。

この点は、昨今の仏教ブーム・瞑想ブームの波に乗って活躍されている諸先生方に、是非ともご意見を伺ってみたいところです。

〜多分このテーマは次回に続きます。


2016年8月
「脳と心とブッダの悟り」における探求は
移転・統合しました。

今後本ブログの過去記事は主として
新ブログの引用ソース・アーカイブとして活用されます。




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ひょんな成り行きからAmazonのKindle出版で「『ガン』としての文明」、という電子書籍を出す事になって、その延長線上で「サンガム書房」あらため「オルタナティブ・インディア」のアカウント名でツイッターを始めたのがおよそ一か月前。

このツイッターという代物、最初は「多少なりとも出版した本の宣伝でもしようか」くらいの気持ちで始めたのですが、これがやってみると中々に面白い。

特に一連のbotと呼ばれるアカウントがあって、世界中の色んな聖者・覚者・知恵者の言葉をランダムに発していて、これが結構勉強になる。私のキャラは「教えたい」という志向性よりも「自分が学びたい」という欲求の方が高いタイプなので、情報を発信するよりも受信する方が正直はるかに面白いのです。

(しかし、このbot、あらかじめプログラムした自動投稿らしく、同じ投稿が一定周期で繰り返されて、何やら誰も取らない握り寿司が延々と周回しているような光景を呈していたりして、ツイッター道は奥が深い(笑)

その他世間でいわゆる「識者」とか「知識人」とか言われている有名人の中から、面白そうな人をフォローしたり、丁度時期的に重なった選挙関係のアカウント、さらに一般人の中で自分に波長が合いそうな人を探してフォローしたり、この一か月、ボチボチとツイッターをやっていて思ったことは、「いや〜、世間には善くも悪くもいろんな人がいて、色んなことを考えているのだな〜」という事でした。

何しろここ数年は、あまり世間の事柄に興味を向けずに、ひたすらパーリ経典とかウパニシャッドとかの文献を漁る隠遁生活を送ってきたので、ツイッターという小さな窓口から見るリアルタイムの世間の動態というものが、非常に新鮮でした。

もちろん、この間テレビも見ればネットでも情報を得てはいたのですが、ツイッターというもののパーソナルな『温度感』は、時に明らかに鮮烈な印象をもたらすもので、食わず嫌いで手を出していなかったけれど、情報収集ツールとしては、もう少し早くやり始めていてもよかったかな、とも思う今日この頃です。

(まぁ、情報の質は《自戒も込めて》玉石混交、なのですが。しょせん‟つぶやき”なんて大脳から発せられる屁みたいなもんですし)

実は最近そのツイッター経由で、懐かしい知人の情報に触れました。名前はネルケ無方さんというドイツ人の曹洞宗の禅僧で、以前から一部では知られていた兵庫県の山間にある「安泰寺」という修行寺の堂頭を務めておられます。

私が安泰寺に初めて参禅したのはかれこれ二十数年前の学生時代、確か1990年前後だと記憶しています。件の卒論はまだ書かれていませんが、その頃から私の中では地球環境問題と「仏教」というもののリンクがひとつの明確なテーマになっていたので、山奥で自給自足の生活をしながら、それを禅の修行と両立させている、という安泰寺のスタイルに強く惹かれて、上山しました。まだ先代の宮浦さんが堂頭だった時代です。

その後時は流れ、インド武術に夢中になっていた2005年頃から私の中で仏教回帰の機運が起こり、再び参禅をお願いしたのが、確か2006年か7年の頃になります。その時の住職(堂頭)が無方さんでした。

無方さん時代の安泰寺での参禅は都合二回ほど、一回の滞在期間は1ヶ月弱くらいでしょうか。参禅と同時に作務での様々な作業、特に専門の山仕事の技術を生かして、木を伐採したり草刈りしたりするのが大いに楽しみでした。

私にとっては色々な意味で安泰寺という存在はある種の原郷に近いもので、今でもあのような「場」で出家して作務と修行に専念したい、という気持ちは心のどこかに尾を引いています。

そんなこんなで、ツイッターのつぶやきの海の中にたまたま無方さんの名前を見つけた私は、さっそくリンクをたどって2016年現在の安泰寺と無方さんの「今」を知っていったのですが、これがもう、大きな驚きでした。

1990年当時の安泰寺は、それこそ「知る人ぞ知る」を地で行っているような存在で、少数の日本人が本当に『隔世』の修行生活を密かに?行っているようなところだったのですが、2006年ごろに再訪した時には住職の無方さんがドイツ人という事もあって、多くの外国人でにぎわう国際僧堂に変貌していました。

また日本人参禅者もかなり増えており、全体的にかなり「カジュアル」に変貌した印象を受けました。しかし人は替わってもお寺が存在する場の磁力は変わることなく、あの壮大なスケール感と別世界感はやはり私にとってはすこぶる魅力的なものでした。

しかし様々な雑音やしがらみの中で色々と考え、感じるところもあって、結局あの時点では、私は安泰寺で出家する、という選択はしなかった訳です。

当時の私は山仕事をしていた関係で和歌山に住んでいたのですが、その後、両親の介護の事もあって静岡から東京へと、兵庫の安泰寺からは遠ざかる方向に移動を続けた事もあり、いつしか足も遠のいてしまいました。

そして今回、久々に安泰寺の名前を聞いて無方さんの近況を知って、まず驚いたのは、世間における露出、あるいは情報発信量の多さでした。何冊か本は出されているな、という認識はあったのですが、それが両手に余るほどの冊数になっていて、多くのテレビ出演、様々な講演会や外部座禅会への進出、さらには大量のYoutube動画の発信など、正に隔世の感があって、この10年弱の間に、一体何が無方さんに起こったのだろうか、というのが第一印象でした。

これはおそらく、檀家を持たない自給自足の安泰寺を運営していかなければならない堂頭としての無方さんが、熟慮を重ねた末の選択だったと思うので、私ごときがとやかく論評する事は控えたいと思いますし、この「変化」自体は今回本ブログで無方さんを取り上げた「本題」ではありません。

本題は、そもそもツイッターで無方さんの名前を発見した、そのリンクに関ってきます。そのリンクはYoutubeのものだったのですが、安泰寺から最近アップロードされたビデオの中で、無方さんが昨今流行りの「マインドフルネス」ついて、舌鋒鋭く「こんなものは仏教ではない!」と批判していた、という話なのです。

そのトピックスの焦点になるのは、
「アメリカにおいては『マインドフルネス』が『軍事利用』されている!」
という、戦慄的な事実でした。

そう、ブッダの瞑想法のサティに由来する、あのマインドフルネスが、です。

これはある意味、さほど驚くほどの事でもなく、皮肉な言い方をすれば『順当な結果』、とも言えるかも知れません。

その詳細は長くなるのでまた改めて次回にまとめたいと思いますが、そのビデオの中の無方さんの表情というものが、とても印象に残るものでした。

私の見立てでは、無方さんという人物は、ある種「肚(はら)」をくくった「漢(おとこ)」なのですね。その「おとこ」が、自分の人生そのものを背負って、皮相的な『マインドフルネス・ブーム』に対して怒っている。「ふざけるんじゃねーぞ!」と。

この点彼は、同じ安泰寺出身でも以前に紹介した事のある山下良道さんとは、ある意味対照的なキャラクターと言えるかもしれません。

お二人の修行期間が安泰寺においてダブっていたのかどうかは分かりませんが、多分、両者の関係性で言えば、水と油、というのがピッタリではないか、と個人的には想像しています。

彼の強い目力と引き結んだ口元には、ふやけた日和見メディテーターとは一線を画した、強固な「決意」が感じられました。歴史と伝統ある安泰寺禅堂を背負って立つ「おとこ」の気迫とでも申しましょうか。

メディアへの露出があまりにも多過ぎて、一体何をやろうとしているのかが今いちよく分からない部分もあるのですが、これから安泰寺と無方さんの動向は改めて注目していきたいと思っています。

〜次回、「マインドフルネスの軍事利用」に続きます。

このブログ内容は広く知られる価値がある、と思った方は、下記をクリックください



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前々回に続いて、Patrick PrankeというUniversity of Louisvilleの仏教研究者が書いた、『On saints and wizards』からの引用です(P458-461)。

The core of Medawi’s meditation manual is a discourse on the three marks of existence: anicca, dukkha, and anattā, as they pertain to the five aggregates.
Following the standard outline for scholastic treatises of the period, he cites passages from authoritative Pāli sources, gives a word-by-word exegesis of these, and concludes each section with a summary in Burmese prose.

(前回最後に紹介した)メダウィ師の瞑想指導書は中心となるのは、五蘊の特性としてのアニッチャー・アナッター・ドゥッカーという三相に基づいた論議であった。
その時代の学問的なスタンダードに乗っ取り、彼は正統なパーリ原典から逐語的解釈と共にその文意を紐とき、各章の梗概をビルマ語の散文によって結論としてまとめた。

Perhaps because of the influence of Medawi’s meditation manuals, Konbaung-era monastic chronicles written from the perspective of the royally-backed Thudamma ecclesiastical council begin to reflect a gradual shift in opinion regarding the possibility of enlightenment in the present age.

メダウィ師の瞑想指導書のおそらくは影響により、コンバウン朝期の王権の庇護下にあるトゥダンマ聖職者会議によって書かれたサンガ僧院の年代記には、現世において解脱できる(瞑想修行によってニッバーナに至れる)という思想への緩やかなシフトが、反映され始めた。

(原文省略の上、以下に抄訳)
1784年に書かれた「サーサナスッディディーパカ」ではヴィパッサナーについての論及は少ないが、1797年の「ヴァムサディーパニー」ではアラハンの存在はサンガの伝統の中で重要な位置を占めるようになる。しかし依然としてそれらの聖者は過去の伝承に過ぎなかった。
ところが、1831年に書かれた「タタナ・リンカラ・サダン」において大きな転機が訪れる。そこでは僧院の修行生活の焦点がメダウィ的な現在にシフトし、現世において解脱する事は不可能である、と言う考え方には反旗が翻された。そこでは太古の聖者に関する言及に代わって、より現代的な聖者たちに焦点が当てられ、論書に書かれた5000年周期の末法思想についての見直しが進められた。
そこでは、ブッダの教えはこの時代においても力を保ち続けており、聖なるアラハンの成就(解脱)はこのビルマ王国において長く存続し続けると主張された。
そして、ついに1861年に書かれたサーサナヴァムサッパディーパカにおいては、ある種の自明の真理として、特別な瞑想的成就を得る者たちが現世において輩出すると宣言され、ヴィパッサナーの実践に励むものは誰でも、この現世の一度の人生の中で、アラハンの境地にたどり着けるのだと明言された。
比丘修行におけるヴィパッサナー瞑想実践の強調は、多かれ少なかれ様々な度合いで多くのサンガにおいて推し進められていったが、中でもその過激さにおいて特筆すべきはサガイン・ヒルの洞窟で修行したことから「Bird-cave Abbot」と呼ばれたHngettwin Hsayadawである。
もともとはマンダレイ王朝の王妃の家庭教師であった彼は、「仏像に食べ物を供えると鼠が湧いてかなわんから」という理由で仏像に対する礼拝供養を拒否したというエピソードで名高い。

A strict disciplinarian, Hngettwin Hsayadaw not only required his monks to be punctilious in their observance of Vinaya, but also to practice vipassanā meditation daily – perhaps a first in Theravāda monastic history.
He even demanded that his lay supporters do the same. Over time Hngettwin Hsayadaw’s disciples coalesced into an autonomous monastic fraternity that continues to flourish today.

Hngettwin Hsayadaw師は比丘たちに厳格な戒律の順守を求めただけではなく、おそらくはテーラワーダ仏教史上、はじめてヴィパッサナー瞑想実践を毎日の修道ルーティーンとして取り入れた。
彼は在家の信者にさえもヴィパッサナー実践の日常的な実践を求めた。そして彼の弟子たちの実践は今日に至る自主的な僧院共同体の中にも徐々に溶け込んでいった。

Hngettwin Hsayadaw was not the only reformer to establish himself in Sagaing. By mid-century during the reign of Mindon (r. 1853–1878), the hills of Sagaing were honeycombed with meditation caves and dotted with forest monasteries.

彼はサガインにおいて改革を確立した唯一の比丘ではない。ミンドン王の治世である19世紀半ば(1853−1878)にかけて、サガイン・ヒルの岩肌には無数の瞑想窟が蜂の巣状に掘られ、多くの森林僧院が建てられ、多くの修行僧が瞑想実践に励んだ。

King Mindon himself enthusiastically promoted interest in vipassanā at the royal court and under his patronage several treatises on vipassanā were composed. Particularly significant were the works of Mindon’s royal minister U Hpo Hlaing (1830–1883) who was notable for his avid interest in western science and efforts to reconcile this new perspective with abhidhamma.

ミンドン王自身も熱心に王宮においてヴィパッサナーに対する関心を喚起し、彼の下でいくつかのヴィパッサナーに関する文献が編纂された。中でも特筆すべきがミンドン王の宰相だったU Hpo Hlaing (1830–1883)で、彼は自身の西洋科学への造詣を基に、アビダンマを科学的な観点と調和させるよう解釈に努めた。

This synthetic approach was passed on to his protégé, the scholar-monk, U Nyana,
who later became famous as Ledi Hsayadaw, arguably the most significant promoter of vipassanā in the modern period.

この近代科学と伝統的なアビダンマの融合という複合的な視点は、彼の後継者である学僧 U Nyanaに引き継がれた。彼こそが後に、最も特筆すべき現代ヴィパッサナーの推進者として有名になるレディ・サヤドウその人である。

4. Ledi Hsayadaw and the modern vipassanā movement

Ledi Hsayadaw (1846–1923) is regarded as the founder of the vipassanā movement as it is known today. This movement began to coalesce only after the British conquest of the Burmese kingdom in 1885. Ledi Hsayadaw wrote numerous vernacular manuals on abhi dhamma and vipassanā beginning in the 1890s, and taking advantage of the printing press, he published widely to promote literacy in Buddhist doctrine and to propagate amongst the general populace what he believed to be the correct practice of vipassanā based on scriptural norms.
His purpose in this work was not only to facilitate the spiritual progress of the Buddhist faithful, but to fortify Burmese culture against what he regarded as the corrupting influences of the new foreign regime and to defend Buddhism against the polemics of Christian missionaries.

レディ・サヤドウは今日ヴィパッサナー・ムーヴメントとして知られるものの開祖であると見なされている。この社会運動は、イギリスによるビルマ王朝の征服と植民地化がなされてはじめてビルマ社会において台頭し浸透していった。
彼は1890年代から日常ビルマ口語で多くのアビダンマ解説書やヴィパッサナー指導書を書き始め、印刷機の優位性を活用し仏教思想の教養を高めるために幅広い出版をし、彼が典籍を基に正しいヴィパッサナー実践だと考える事柄を一般大衆に啓蒙していった。
彼のこの仕事の目的は、仏教信者の霊的な進歩に資するためだけではなく、外国勢力の新たな価値観によっておこされる文化的動揺からビルマ文化をまもる事であり、仏教と言うものをキリスト教伝道団との論争において防衛する事にあった。

In outline and content, Ledi Hsayadaw’s manuals are similar to those written one hundred and fifty years earlier by the monk Medawi. But unlike his Konbaung-era predecessor, Ledi Hsayadaw argued for the utility and necessity of vipassanā practice for everyone, even those who hoped for future liberation as disciples of Metteyya Budda.

レディ・サヤドウの指導書はメダウィによって150年前に書かれたものとその外観と内容において変わらなかった。けれどこのコンバウン朝期の先達と違って、レディ・サヤドウはヴィパッサナー実践の必要性を万人において主張し、弥勒菩薩の下生後の来世において彼の弟子として解脱を得たいと望む者たちをもその例外としなかった。

In his Bodhipakkhiya-dīpanī written in 1905, Ledi Hsayadaw asserted that while the traditional path of merit making could result in an auspicious rebirth at the time of
Metteyya, it could not by itself generate the perfections (pāramī) necessary to be able to attain liberation through Metteyya’s teachings. Only merit making done in conjunction with vipassanā practice, undertaken in this life, could aff ord one that chance.

彼の1905年の著作「Bodhipakkhiya-dīpanī」において彼は、「伝統的な功徳(メリット)を積むという善業によっても弥勒菩薩の時代に幸なる再生をなす事は可能であるが、それだけでは弥勒菩薩の弟子として解脱するにはパラミツ(解脱を可能にする功徳)としては不十分 である」と指摘し、「ヴィパッサナー実践と功徳(メリット)を積む善業がこの現世において併習実践されて初めて、来世において弥勒菩薩の弟子として解脱を得る事が出来る」と説いた。

Even while Ledi Hsayadaw’s interpretation of vipassanā and his efforts to popularize its practice were innovative in many ways, he remained largely traditional in his acceptance of most Burmese Buddhist customs and popular beliefs.
Of particular significance here was Ledi Hsayadaw’s defense of the Burmese notion that the corpses of deceased arahants remain immune to decay even though this idea is not attested in authoritative Pāli sources.

レディ・サヤドウは独自のヴィパッサナー解釈と、その実践を普及するための努力において多くの変革をなしたにも関わらず、彼自身は幅広い意味でビルマの伝統的かつ俗信的な習慣の中に留まり続けた。
中でも特筆すべきは、彼が正統的なパーリ典籍には明示されていないにも関わらず、「解脱したアラハンの身体は死後も決して腐敗する事はない」というビルマ的な俗信を擁護した点である。

〜〜〜〜〜〜〜〜

以上、引用を終わりにします。

翻訳するほうも疲れるし、読むほうも、多分疲れるでしょう(笑)

さて前回と今回の二回に渡ってパトリック・プランケさんの論文を読んできましたが、今回一番私が衝撃を受けたのが、彼が、
「Hngettwin Hsayadaw師は比丘たちに厳格な戒律の順守を求めただけではなく、おそらくはテーラワーダ仏教史上、はじめてヴィパッサナー瞑想実践を毎日の修道ルーティーンとして取り入れた。」
と、ほぼ断定しているところです。

原文は、but also to practice vipassanā meditation daily – perhaps a first in Theravāda monastic history.」となります。

この、「テーラワーダ史上初めて日常的なヴィパッサナー瞑想実践が導入された」、という言葉、私自身は大変重く受け止めています。

ひとつには、やはり現代におけるブッダの瞑想法の故地であるビルマに対する幻想がガラガラと音を立てて完全に崩壊した、と言う点にあります。

私としては、いままで個人的にマハシ・スタイルやゴエンカジーのリトリートに参加してきて、日本の訳分からん『禅』などよりはるかに“身に迫ってくる”その実戦的効果と言うものに甚く感銘を受けていたので、最初の頃はそのような関わりの中で「2500年前のブッダが悟りを開いた、正にその瞑想法」という触れ込みを、あまり深くも考えずに事実だろうと受け入れていました。

その内に色々と日本でも情報が上がってきて、どうやらヴィパッサナーは近世のどこかの段階でビルマにおいて復興されたもののようだ、という情報も入ってきます。

でもどこか、瞑想実践の先達としてのビルマに対する幻想があった。それが、この論文との出会いによって、データを伴った論拠と共に明晰に否定されてしまった。

もちろん、プランケさんの書いた事が全て客観的にも真実である、という即断はできませんが、私がこれまで色々と読んできたり体験してきたテーラワーダ仏教に関する情報とその『実感』と照らし合わせても、彼の論述は非常に説得力を持って迫ってくるのです。

もちろん、現代ヴィパッサナーのビルマにおける起源が18世紀中葉以降である、という事実は、そのビルマ発の現代ヴィパッサナーの実践的な優越性と有効性に対する評価を、何ほども損なうものではありません。

私にとってそれは、依然として素晴らしいものであり、将来的には深く学び行じたいものなのです。

しかし、プランケさんの指摘が正しいとしたならば、2500年前のゴータマ・シッダルターが自ら実践し、その詳細を言語化し一番弟子のコンダンニャに伝えて彼が悟ったという、正真正銘のブッダの瞑想法と現代ビルマの諸々のヴィパッサナーが完全にイコールである保証はない、と言う事を意味します。

(そもそも私がこのようなブログを書いているのも、プランケさんの論文を読む以前から、漠然とそんな認識があって、それに導かれて書いていたのでしょう)

ならば、そのブッダ真正の瞑想法により近づくために、完成度をもっと高める余地がまだまだ多分にあり得るのだ、という事ですし、そのために私にもできる事が、なにがしかあるかもしれない、というその『余地』が示された事になります。

そんなこんなで、このプランケさんの論文との出会いは、残念な衝撃であると同時に、私にとってはある種の『励み』ともなったのでした。

このちょっと屈折した『励み』を心の糧として、本ブログの探求を引き続き進めて行こうと、気持ちを新たにしている今日この頃です。

その他にもこの論文の内容は様々な事実を明らかにしています。例えば近代ヴィパッサナーの父であるレディ・サヤドウの思想的な基盤はそもそもは先代のアビダンマと西洋科学の融合にあるとか、そのくせ彼は、ビルマ土着の非正統的な、迷信(現代人から見たら)を擁護した、とか、何というか、現在世上に流布している科学的かつ合理的なヴィパッサナーのイメージとはかなり違う、ドロドロとした土俗のニュアンスがかなり感じられるもので、「ヴィパッサナー観」とでもいうものは、この300年の間にも少しずつ変わり続けていたのだろうし、これからもそうなのかも知れない、とある種の感慨を覚えています。

あとは彼がヴィパッサナー実践運動を展開するにあたって、本来であれば否定されるべき(?)メッテーヤ(弥勒菩薩)信仰者をも取り込むような形でそれを推し進めた、という指摘です。何というか、戦略的にきわめてクレバーですね(笑)

プランケさんの論文はさらに後段においても面白い展開を見せています。興味のある方は是非、リンクをたどって確認してみてください。

本ブログとしてはこの辺でプランケさんから離れて、次回以降は本論の『瞑想実践の科学』に戻っていきたいと思います。

(素人ゆえに日本語訳の正確性については保証の限りではありません。興味のある方は各自原文に当たってお確かめください。)



本ブログの記事は、連載シリーズになっています。
単独の記事を読んだだけでは何一つ理解できないので、
シリーズの第一回から遡って読む事をお勧めします。

この記事は、ブロガー版脳と心とブッダの悟りと連動しています。 
また、チャクラの国のエクササイズにおける探求から接続しています。

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現在、同時進行的にいくつかのとてもややこしい英語の文献を読み進めているので、なかなか投稿する時間がありません。

そのうちのひとつ『On saints and wizards』を漸く読み終えました。これはPatrick PrankeというUniversity of Louisvilleの仏教研究者が書いた論文のダイジェストです。

私の英語力はネイティブからは程遠く、基本的に大学の教養レベルのごく普通の日本人英語をインド放浪の実践的な必要によって“ブラッシュ・アップ(ダウン?)”したものなので、英語ネイティブが書いた、しかも学術論文などと言うものを辞書なしでスラスラと読みこなす能力などかけらもありません。

インド英語と言うものはご存知の方もあるでしょうが、とてつもなく訛っています。有名なところではRの発音で、車のCarがインド人の口からは“カール”と発音されます。最初の頃はよく『カールおじさんか!?』と心の中で突っ込んだものです。

そんなインド英語と渡りあう事だけはある程度自信がある(逆にアメリカ人の流暢な英語は理解不能)のですが、年のせいもあってか、やはり難しい英語の文献を読みこなすのはかなりしんどいのです。

この『On saints and wizards』もしばらく前にネット上で発見してあったのですが、チラ見してそのあまりの衝撃的な内容に当惑したこともあって、PCのハードディスク上に放置してありました。

しかし、本ブログの内容がビルマの現代ヴィパッサナーとその起源、と言うテーマに差しかかった時、やはりその言及内容は避けて通れないものなので、腹を据えて読み始めました。

本ブログを読むような方ならば、すでにご存じかも知れません。その内容は、日本人のヴィパッサナー信奉者にとっては、ある種衝撃的なものになっています。

以下に『On saints and wizards』から引用します。

2. The revival of vipassanā and its initial reception

It seems that prior to the eighteenth century in Burma, as elsewhere in the Theravāda world, it was generally believed that it was no longer possible to attain enlightenment and hence nibbāna through vipassanā or any other means during the present age.
The reason given for this was that the Buddha’s 5000-year sāsana had by that time simply declined too much for such an attainment to be within reach.(4)
What was left for faithful was the path of merit-making by means of which they could hope to be reborn in the presence of the future Buddha, Ariya Metteyya, many millions of years from now.
At that time, as Metteyya’s disciples, enlightenment and liberation
would be easy.(5)

筆者の意訳(他の部分も若干加味してまとめている):

2.ヴィパッサナーの復興とその初期受容
18世紀より以前のビルマならびにテーラワーダ諸国においては、一般に現世においてヴィパッサナー瞑想によってニッバーナに至り悟りを開く事は不可能である、と考えられていたようだ。
その理由は、ブッダの教法の5千年周期説によって、現在はすでに仏法がすたれた末法・末世にあたるので、どのように努力したところで、原理的に悟りなど開けるはずはない、と考えられていたからだ。
その替わりに比丘を中心とした信者に強く信じられていたのが、弥勒菩薩(メッテーヤ=マイトレーヤ)信仰に基づいた来世志向であった。
現世においてはどんなに努力しても悟りを開く事が出来ないのだから、現世においては出来る限り善業(メリット)を積んで遥かな未来において実現されるであろう弥勒菩薩が降臨する時代に生まれ変わり、その弥勒菩薩の指導・感化の下で悟り・解脱・ニッバーナに至る本番の修行にいそしもう(その方が現世において努力するより簡単だ)、という考え方だ。

(4) While the belief that the Buddha’s sāsana or religion is in decline
and will one day disappear from the world is pan-Buddhist, the notion
that it will last specifically 5000 years is particular to the Theravāda and is first attested in the 5th-century commentaries of Buddhaghosa and in the Mahāvaṃsa. See e.g. Jayawickrama 1986: 27; Geiger 1993: 18. Note that Geiger gives “five hundred years” where it should read “five thousand years” (pañcavassasahassāni).

原文注記(4)として:ブッダの教法が彼の死後徐々にこの世界からすたれていって最後には滅びてしまうという思想は、あらゆる仏教徒に普遍的に存在するが、特にそれが5千年というスパンで考えられていたのはテーラワーダ独自のもので、それが最初にあらわれるのは5世紀のブッダゴーサの論書とマハーヴァンサである。

(5) Since at least the 11th century, inscriptions at Pagan and elsewhere in Burma have recorded the wish of donors to attain liberation as disciples of Ariya Metteyya or to become bodhisattas at that time. See e.g.Ray 1946: 162; Pe Maung Tin 1960: 383–384.
Liberation at the time of Metteyya has also been the most commonly made wish of scholar-monks expressed in the colophons of their learned treatises. See e.g. Namaw Sayadaw 1992: 162.
Richard Gombrich (1995: 333–334) reports that as late as the 1960s, the majority of Buddhists in Sri Lanka held the view that liberation is impossible until the advent of Maitrī (Metteyya).

注記(5)として:
少なくとも11世紀以降に書かれたパガン(ビルマ族による最初の古代王朝)やその他のビルマ各地の文献には、弥勒菩薩が降臨した時代においてその弟子となりニッバーナ(解脱)を得たい、あるいは菩薩になりたいという寄付者の希望が記録されている。
弥勒菩薩の時代において解脱する、という希望は、テーラワーダの学僧たちによって論学書の奥付などの中で一般的に言及されている。
リチャード・ゴムリッチによれば、少なくとも1960年代までは、スリランカの仏教徒のマジョリティの間では『弥勒菩薩が降臨するまでは、解脱は不可能である』と信じられていた。

The earliest known record of someone who challenged this assumption
is that of a monk from the Sagaing Hills in Upper Burma named Waya-
zawta whose movement flourished during the reign of Maha-damma-yaza-dipati (r. 1733–1752).
Waya-zawta promised his followers sotāpanna through anāgāmī status if they would follow his teachings. Unfortunately for his disciples, upon his death his movement was suppressed by the Burmese crown as heretical.
Writing a century later, the scholar-monk Monywe Hsayadaw(1767–1835) noted somewhat wryly in his royal chronicle, Mahayazawin-gyaw, An elder monk named Waya-zawta, who lived in the village of Watchek,
used to preach to followers of his doctrine that they had become
ariya sotāpannas. Many monks and laymen became his disciples and
soon they could be found in every town and village of Upper and
Lower Burma declaring, ‘I have become a sotāpanna, I have become
a sakadāgāmī!’
After Waya-zawta died, an investigation was held of monks dwelling at his place who continued to preach his doctrines.
When these monks admitted to their teachings, the king had them
defrocked and ordered them to shovel elephant and horse manure [in
the royal stables].(6)


意訳:このような(解脱を未来に先送りにするような)定説に対する最初の挑戦は、上ビルマのサガイン・ヒルから来たWaya-zawtaによって18世紀の中ごろに行われたようだ。
不還果を得た立場からWaya-zawtaは、彼の信奉者に対して彼の教えにしたがえば預流果に至れる事を約束していた。弟子たちにとって不幸なことに、Waya-zawta師の死後、王権によってこのような教えは異端として断罪された。
その後学僧であるMonywe Hsayadawによって記述された内容を見ると、そこではWatchek村に住む長老比丘によって独自の教えが説かれ、その弟子たちは聖なる預流者になった事が記されている。その教えは多くの比丘や在家信者によって支持され、ビルマの至る所で「私は預流果に至った、一来果に至った」と宣言する者が輩出したという。
しかしWaya-zawta師の死後、その教えを継承していた比丘たちは王権の調査・糾明によって異端の罪人として捕えられ、罰として象や馬の厩舎の堆肥掃除を命じられたという。

Nothing more is known of Waya-zawta’s movement or its doctrines,
but one can speculate as to why it gained such wide popularity
and why this in turn aroused hostility from the king.
During the first half of the eighteenth century the then Burmese Nyaungyan Dynasty (1597–1752) was in precipitous decline. Historically,
conditions of uncertainty and unrest have often prompted religious
thinkers across cultures to reappraise their traditions in pursuit of
truths and benefits more relevant for a world in crisis.
The promise of immediate ariya attainment, the highest felicity of the Buddha’s dispensation, must have seemed especially attractive amidst the warfare and anarchy of the time.

意訳:Waya-zawtaの思想やその運動の詳細については分かっていないが、何故この運動がそこまでの人気を得、それが何故王権によって敵視されたのかは、ある程度推測する事が出来る。
18世紀の前半において、当時のビルマ人王朝であるNyaungyan Dynastyは崩壊の過程にあった。歴史的に見て、このような不確実で不穏な社会情勢の中では、あらゆる文化領域を通じて、宗教的な思索者は破局的な社会の中で意味を持つ確固たる真実を伝統的な文脈の中に探し求める傾向がある。
現世における直接的な解脱(=ニッバーナ)、という仏教における至高の『摂理』が約束される事は、このような戦争と無秩序による苦しみの最中においては、非常に魅力的に映ったのだろう。

〜中略〜

3. The monk Medawi and Konbaung court patronage

Shortly after Waya-zawta’s movement was suppressed, during a
civil war which saw the destruction of the Nyaung-yan Dynasty,
a young scholar-monk named Medawi (1728–1816) began writing
vipassanā manuals in the vernacular.
Couched in the language of abhidhamma, these are the very earliest ‘how-to’ vipassanā books we possess from Burma.
Medawi’s earliest manual was completed in 1754, just two years after a new Burmese dynasty, the Konbaung (1752–1885), was founded.9 Other works followed in quick succession.
In the introduction to his Nama-rupa-nibbinda Shu-bwe completed in 1756, Medawi criticizes what he sees as the defeatist attitude of his contemporaries regarding the utility of meditation practice and the possibility of liberation in the present day.
As part of his argument he significantly redefines what it means for the
Buddha’s religion to go extinct.

意訳:3.比丘メダウィとコンバウン王朝による保護
Waya-zawtaムーブメントの弾圧の直後、Nyaung-yan王朝の崩壊に伴う内戦の最中、若き学僧であるMedawi (1728–1816)がヴィパッサナー瞑想法のマニュアルをビルマ語で書きはじめた。アビダンマの用語を駆使して書かれたこの書は、私たちが現在ビルマで手にすることのできる、最も古いヴィパッサナー瞑想法の指導書のひとつである。
メダウィの最初の著作は、1754年に完成した。これは内乱の果てに新しくコンバウン朝が成立した直後の事である。その後続々と類書が著述された。
1756年に完成した「Nama-rupa-nibbinda Shu-bwe」の序章の中で、彼は同時代の一般的な瞑想の位置づけや現世における解脱の可能性についての否定的な考えを、敗北主義的と鋭く批判した。
その中でも彼が、ブッダの教法が仏滅後に衰亡するという伝統的な考え方を「再定義した」事は特筆すべきであろう。

「Abandoning what should be abandoned, and practicing what should
be practiced according to [the Buddha’s] instructions, [these two
things together] is what is called completing the ‘religion of practice’
(paṭipatti sāsana).
And it is only by completing the religion of practice that one completes the ‘religion of realization’ (paṭivedha sāsana),which is [none other than] the path and fruit of liberation.
[This being the case], should anyone ever believe, ‘I am unable to practice even so much as is necessary to attain the path and fruit of stream-entry!’ and [on the basis of this belief] only abandon what should be abandoned… and being content with the moral purity so attained, not engage in any further practice, then for that person it can be said that the religion of practice has gone extinct.(10)」

意訳:ブッダの教えに従って、捨て去るべきものが捨て去られる事、実践されるべきものが実践される事、この両立こそが『実践の宗教(paṭipatti sāsana)』の完成に他ならない。
そしてこの『実践の宗教(paṭipatti sāsana)』の完成によって初めて、私たちは『体現の宗教 (paṭivedha sāsana)』を完成できるのであって、それ以外に解脱の果への道(つまり比丘が行うべき悟りに至る仏道修行)はあり得ない。
例えばもし人が、「私には預流果の果報を得られるような実践をする事は不可能だ!」と信じてそのような信仰を基盤にして何かを捨て去ってしまい、戒条の順守とその清浄性のみによって自己満足に陥り、それ以上の(解脱に至る為の)実践を怠ってしまったならば、それこそが『実践の宗教』を衰退させるのだ。

We see in this passage that for Medawi the decline and disappearance
of the Buddha’s religion is no longer an eschatological consequence
of some cosmic devolution, but rather it occurs at the level
of the individual, whenever anyone, out of complacency or a lack of
confidence, chooses not to strive for enlightenment.

私たちはこのような文脈によって、メダウィ師にとって仏教の衰退と滅亡とは、終末論に基づいた宿命や宇宙論的な約束された遷移プロセスの結果などではさらさらなく、そうではなくて何よりも比丘(仏教徒)一人ひとりがチッポケな自己満足やあるいは信念のなさから、悟り(解脱)への苦闘を放棄してしまう(そんな怠慢の)結果としてもたらされるものだと理解できる

〜〜〜〜〜〜〜〜

う〜ん、実にすばらしい。仏法が滅びるのは宇宙論的な宿命によってではなくて、私たちが怠慢だから滅びるのですよ、と言っている訳ですね。

何において怠慢なのか。それは戒を守ったり経典を学んだりすることではなくて、何よりも瞑想修行実践を死ぬ気でやらない、という怠慢こそが、仏法を滅亡させる、そうメダウィ師は言っているようです。

これは当時のテーラワーダ仏教界にとって、ある種衝撃的な宣告だったのかも知れません。

ここまでをまとめると、スリランカをはじめビルマなど伝統的なテーラワーダの世界では、18世紀の初め頃までは『現世において瞑想修行によって解脱に至る事は不可能である』という事が一般的に信じられていた。

その背後には、いわゆる仏滅後の末法・末世思想と言うものがあり、彼らが生きている時代はすでに仏法が衰退した末法・末世の時代にあたるので、いくら頑張って瞑想修行してももはや人知を超えた宇宙的なダルマとしてそうなのだから、解脱する事はできない、という思想があった。

そのテーラワーダ的な末法思想はブッダゴーサにまで遡ることができる。

では、仏教サンガは現世において解脱を得るために修行する代わりに何をどうしていたのかと言うと、実はこの末法思想とセットになった弥勒菩薩信仰と言うものの存在が鍵を握っている。

仏教が完全に滅び去った果ての56億7千万年後?に弥勒菩薩が降臨して正しい心を持った人々を救済してくれるという信仰体系があり、その時代に生まれ変われば、弥勒菩薩という未来仏(Future Buddha)の教導の下で出家して瞑想修行して悟りを開く事が出来る、という事らしい。

なのでブッダゴーサの時代であれ、あるいは古代から中世のスリランカやビルマであれ、彼らの時代はすでにブッダが亡くなって久しい、しかもまだ弥勒菩薩が降臨していない時代なのだから、何をどう努力しても、解脱なんかは生きている間にできる訳がない。できる訳がないから、解脱に向けた瞑想修行などしても意味がない。だから瞑想修行などしない、という事が一般的だったようです。

では何故、比丘たちは何のために出家して、そこで何をどうしていたのか。

それは弥勒菩薩が降臨してその威力によって導いてくれる遠い未来に再生できるように、今現在の人生においてメリット(功徳)を積むために出家し、戒を守り、経や論を学び、それを後世へと伝えていた、という事のようです。

仮に坐禅らしきものがなされていたとしても、それはあくまで解脱を求めてではなくメリット(功徳)を積むため、であり、当然ながら解脱に至る方法論やメソッドなど不明な、形だけ『座る』ものだったのでしょう。

そのような伝統的な考え方に、18世紀になって初めて反旗をひるがえしたのがWaya-zawta師であり、自ら不還果に至ったという自覚から、預流果や一来果の可能性を提示して、弟子の比丘や在家信者に実践法を説いたようです。

しかし、この時は彼の教えは異端として政治的に弾圧された。修行実践によって何らかの『悟りと言う果』を現世において得られるという思想が、異端として弾圧されたのです。

しかし乱世の中、やがて次なるメダウィ師が登場します。彼は先に要約したように、『仏法が滅びるのは宇宙論的な宿命によってではなくて、俺たち仏教徒が怠慢だから滅びるんじゃ、ボケなすが!』と一喝したのです。

『ナ〜ニを弥勒菩薩なんぞいう居るかいないか来るかこないか分からんようなものを言い訳にして瞑想修行を怠っているのか!
仏教が滅びるも栄えるも全て自分の責任じゃ、瞑想しないお前自身の責任じゃ!』

と、まぁ、現地ビルマ語の口語で叱咤激励したのでしょう(笑)

そこにおいて彼は、おそらくビルマ仏教史上初めて、ヴィパッサナーという言葉をその実践法とともに、現生において解脱へ至る道として、説いたのでしょう。

これがどうやら、すくなくともパトリック・プランクさんの解明したテーラワーダ史の真実であり、現代ヴィパッサナーの嚆矢であったようです。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

Medawi wrote over thirty meditation manuals during his career and appears never to have been harassed by the Konbaung court. Indeed, during the reign of Bodaw-hpaya (r. 1782–1819), one of the dynasty’s most
religiously active and innovative monarchs, he was granted a royal title and a monastic endowment for his work on vipassanā.(11)

メダウィ師は生涯に30冊以上の瞑想実践マニュアルを書きあげたが、同時代のコンバウン朝によって弾圧される事はもはやなかった。それどころかBodaw-hpayaという最も熱心に仏教を改革・推進した王の治世には、ヴィパッサナーに関する彼の業績に対して王の名において様々なタイトルが与えられ賞賛されている。

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このコンバウン朝(1752〜1886)、ビルマ最後の民族王朝と言われ、その治世の前半はモン族やシャン族と激しく対立しそれを制圧、タイのアユタヤに攻め入ったり中国の清朝と交戦したりを繰り返します。

さらにアラカンやマニプール、アッサムというインド亜大陸の東北部に位置する諸王国に侵攻しこれを併合したり、とにかく荒っぽい王朝であり、時代であったようです。

そしてその結果として当時インド亜大陸に進出していた大英帝国と激しく対立・衝突し、3度の対英戦争の後に最終的に滅亡し、イギリス東インド領の一部として併合されたのが1886年と言う事です。

現代ヴィパッサナーは、正にこのような戦乱の真っただ中から誕生した。そう言ってもいいでしょう。

長くなるので、次回に続けます。

(全ての翻訳は私が取りあえずザックリとしたものなので、興味のある方はリンクをたどって原文を参照ください)


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