古代インドの心象世界

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私たち人間生活の中で、ごく普通に『エネルギー(エナジー:Viriya)』を感じる事の出来る事象とは一体何か、と前回私は問いかけました。

その答えは、第一には大地における『火』と天における太陽の燃焼、熱量であり、第二には運動エネエルギー、それは身近なところでは人間をはじめとしたオス動物に顕著な剛力、としてのそれであり、自然環境においては水や風によって示される人間的なスケールを遥かに超越した威力、としての運動エネルギーでした。

次に私は、上記のうちの火と水と風という三つが、インド思想におけるいわゆる『四界(四大)のうちの三つと重なる、という事実を指摘し、これは果たして偶然なのだろうか、と問いかけました。

このエナジーと四界との合致については、「筆者が恣意的に誘導しているのだろう」という指摘も聞こえてきそうではありますが、果たしてそうでしょうか。

例えば、前回までにたとえ話で引き合いに出した『発電』というものについて見てみたら、どうでしょう。原子力なるものが登場する以前には、それは第一には『火力』であり次には『水力』であり、さらには『風力』ではなかったでしょうか(天の太陽光発電もありますね)。

これら三つのエネルギーが、現代文明において何故発電に利用されるのか。それは、古今東西を問わず、火(と太陽)と水と風というこれら三つが、この地球環境世界において人間が利用できる、もっとも有効かつ『力』を持ったエネルギーだからなのです。

当然、私たちが経験し理解するような事は、古代インド人もまた経験し理解していました。

そして、火と水と風がこの世界を構成する主要素であると考え、それらの『エネルギー性』とその『動態』が、私たちの『世界』を‟運動(運行)させている”、と見て取った。

古代において世界中で普遍的に見られる『太陽神』信仰。それはインドにおいては太陽神スーリヤであり、大地においてはアグニ(火神)へと還元される。

水の神はヴァルナであり、風の神はヴァーユである。それらが何故神として崇められたのか。それこそが正に、これら火と水と風が持つ顕著な『エネルギー性』に他ならないでしょう。

当然、それらエネルギー性と共にある火と水と風は、人間の身体の中にも内部化されて認識された。何故なら身体は世界であり、世界は身体だからです。

身体の中に内部化された火とは体熱であり、水は体水であり、風は呼吸であり、当然これらもまた、その『エネルギー性』において、内部化されて把握されていた、という点は、すでに前回指摘しました。

今回は、そこから沙門シッダールタが経験した『三つの苦行』へと論考を進めていく予定だったのですが、前回投稿を何度か読み直しているうちに気付いた事があるので、それを補足しておきましょう。

それは中途半端な形で終わってしまった、もうひとつの『地の要素』についてです。

前回私は、エネルギー性から『地(大地)』というものを考えた時に、古代インド人の輪軸世界観から見て、それは『本来車輪である大地』の回転運動のエネルギーではないか、と示唆し、しかし、ある種の違和感を感じていたこともあって、それを中途で切り上げました。

その後ずっと、この第四の『地』の要素と『エネルギー性』について考えていて、ふと思い出した事があったのです。

前回、私は大地やその上に聳える『岩山』というものが、古代インドにおいては『不動』なるものの象徴である、としてパーリ経典などで引き合いに出されている事を指摘しましたが、この『不動性』とは一体何か、と考えたのです。

その時私が唐突に思い出していたのが、『クリシュナのバター・ボール』でした。これはインド・フリークの人ならば、「ああ、あれね」とすぐに思い出せるほど有名なものです。

クリシュナのバター・ボール。それは海岸寺院やパンチャラタなどの世界遺産で知られるタミルナードゥ州のマハーバリプラムにある丸い巨石です。

その巨石は石窟遺跡群がある岩丘のはずれ、その緩傾斜の岩斜面にポツンと置かれたもので、直径7〜8m以上はあるでしょうか。チョーラ朝だかパッラヴァ朝の王が何頭もの巨象をつないでロープで引かせたけれど、ついに動かすことはできなかった、という言い伝えがあります。

イメージ 1
クリシュナのバターボール(筆者撮影)

イメージ 2
そぎ落とされたような背面:マハーバリプラム - Wikipediaより

その球状の形や、背面をバターナイフでそぎ落としたような切断面から、クリシュナ神が子供のころに好んだというバター・ボールにちなんで、その名が付けられました。

昔、「象が踏んでも壊れない」というキャッチコピーで筆箱のCMがありましたが、ではこの巨石が「何頭もの巨象に引かせても動かない」のは、‟一体何故”でしょうか。

それは極めて単純な話で、『とてつもなく重い』からです。

さらにその意味を追求すると、その「とてつもない重さ」が、象の「運動力(運搬・牽引力)」を遥かに上回っていたから、動かせなかったのです。

ある意味当たり前の話ですが、しかしその瞬間、私は理解しました。
「この『不動』を生み出す『重さ』こそが、大地が持っている『エネルギー性』すなわち『重力』である」、と。

巨石が持つ『重さの力』が、天秤にかけた時に巨象たちの運動力(運搬力)を上回っていたからこそ、それは不動でありえた、事になります。二つの異質なエネルギーとエネルギーとの拮抗であり凌駕、という観点です。

言い方を変えると、重さの力とは運動力(動かそうとする力)に対抗する力、と見ることができるかも知れません。

このような性質を持つ「地の要素」の重さの力、現代物理学でいうところの重力とほぼ重なるものですが、古代インド的にはもうひとつの意味がありました。

それは『圧し潰す‟押圧力”』です。

パーリ経典には巨大な岩山が持つ、この押圧力について、面白い表現があります。

尊師(ブッダ)は次のように言われた。
「大王さま、あなたはどうお考えですか? ここに、信頼すべく、頼りにすることのできる人が、東方から、西方から、北方から、南方からあなたのところに来て、言ったとしましょう。
『大王さま。どうぞ、ご存じください。私は、東方から、西方から、北方から、南方から来ましたが、そこでは、雲のような大きな山があらゆる生き物を圧し潰しながら、やってくるのを見ました。大王さま、あなたのなすべきことを、なさってください。』と。
このような大きな恐怖・脅威が起こり、恐ろしい人類の破滅が迫っていて、人身たることが得難いのに、何をしたらよいのでしょうか?」
「尊いお方さま。このような恐怖・脅威が起こり、恐ろしい人類の破滅が迫っていて、人身たることが得難いのに、何をしたらよいのでしょうか? 唯、法にかなった行い、正しい行い、善い行いをなすこと、功徳をつくること以外にはないでしょう。」
「大王さま、私はあなたに告げます。あなたに知らせます。《老いと死》があなたにのしかかっています。《老いと死》があなたにのしかかっているのに、何をしたらよいのでしょうか?」
〜中略〜
虚空をも打つ広大な岩山が、四方から圧し潰しつつ、迫ってくるように、《老いと死》とは、生き物にのしかかる。
王族、バラモン、庶民、隷民、チャンダーラ、下水掃除人であろうと、いかなるものをも免除しない。すべてのものを圧し潰す。
そこには象軍の余地なく、戦車隊や歩兵隊の余地もない。
策略による戦いによっても、財力によってっも、勝つことはできない。
それ故に、賢明な人は、自己のためになることを観察して、ブッダと法と集いとに対する信仰を安住させよ。
身体により、言葉により、法にかなった行いをなす人を、この世では人々が称賛し、死後には天界で楽しむ」と。

〜以上、サンユッタ・ニカーヤⅠ 「神々との対話」中村元訳 岩波文庫 第Ⅲ編 第三章 第五節:山の譬喩P213〜より抜粋引用。

これはおそらく、北インドでも平野部ではなく山岳丘陵部において、時に起こる大災害としての地滑りや山崩れ、土石流などのイメージを踏まえた上で、その逃れようのない圧倒的な「圧し潰す威力(エネルギー)」を『老いと死』という圧倒的な脅威(恐怖)と対置してたとえたものなのでしょう。

その背後にあるものこそが、大地や岩山などが本質的に持つ、『重さの力』である、というのは、上に説明した通りです。

この地の要素である岩が持つ「圧し潰す力(エナジー)」、インド人の生活の中で、極々日常的な営為の中にも象徴的に表れています。

それは、いわゆる「石臼」です。石臼と言っても、日本と違ってインドの場合は、台座となるある程度の重さを持つ(作業中にも不動な)石台の平らな表面上にスパイスやら様々な食材やらを乗せて、それをある種円柱様の手ごろな石をゴロゴロと転がす事によって、圧し潰し、すり潰すものです。

この時、人の力は最小限で済みます。その訳は転がす石自体に一定以上の重さがあるからです。この重さが自然に圧し潰す働きを、人間は手のひらで感じながら力加減をコントロールしていきます。

インド式 Stone Grinder。手さばきが美しい

重さとそして硬さという地の要素の基本特性が、典型的に発揮されているのが、良く分かるでしょう。

このような地の要素が持っている不動や圧力として発揮される「重さの力」、前回指摘した日常的に身近な「運動力」としての、戦士の剛力においても実は該当するものです。

これは、日本の相撲力士に典型的に表れているでしょう。

舞の海がどんなに技のデパートを繰り出してトリッキーに勝負を仕掛けても、結局のところガタイのいい重量大型力士の盤石の重みには押し切られてしまう。

そしてそのような大型力士の重量は、単に動かされにくい、というだけではなく直接的に剛力すなわち筋力にも影響します。鍛え上げた戦士の巨大な体のその重量を占めるのは、かなりの部分が筋肉だからです。

戦士の戦闘力は身体の大きさと重さに比例している。それゆえ、あらゆる競技格闘技が、厳正な体重制にのっとって行われるのです。

小兵がもつ俊敏性の利を全否定するわけではないのですが、やはり、身体の大きさとその重さは、運動力(戦闘力)の絶対的な根拠なのですから。

これは、雄の巨象が示す剛力についても象徴的かつ典型的に該当します。

彼らが人間を遥かに凌駕する驚異の剛力を発揮できるのも、その巨体と、その筋肉と、そして体重が、人間を遥かに凌駕する(何トン、の次元)事に根拠するのは明らかでしょう。

一方で、水が持つ運動力・運搬力の根拠に、その重さ、があるのもまた事実です。しかし、同じ大きさのバケツにそれぞれ水と砂利を入れた場合、砂利バケツのほうがはるかに重くなるように、やはり、重さのエネルギーにおいては、圧倒的に「地」の要素が他を凌駕して優勢です。

この世の中で最も重い物質である金属、金や銅や鉄などもまた、大地から掘り出されて精錬されるものですから、この「地の要素」とその内在エネルギーとしての「重さの力」という相関は、古代インド人にとっても、経験的に自明のことだったでしょう。

(その他に人間生活の中で直面するものとして、大地から生えて聳え立つ巨木の重さなどもそうかも)

以上、前回の火と水と風という三要素とそのエナジー性に続いて、いまいち突っ込み不足だった「地の要素」とその重さのエナジー性(重力)について考えてみました。

もちろん、これら地水火風の四つの要素とそのエナジー性が、すべて人間の身体の中に『内部化されている』、という点は、前回指摘した通りです。

そして、その内部化された地水火風が、沙門シッダールタが挑んだ苦行と、その経験を踏まえた上で生み出された解脱に至る真実の行法《ブッダの瞑想法》においても、極めて重要な意味と役割を担っていた。

これはパーリ経典を詳細に読み解いていけば、誰の眼にも明らかな事実である、と私は理解しています。

この点は、また改めて詳述したいと思いますが、例えば煩悩の激流や輪廻の荒海とは水の運動力との重ね合わせであり、アナパナ・サティとは風の観察であり、その禅定の深みにおいて現成する『不動』とは地の要素に他ありません。

苦行とは火の供犠祭の内部化であり、それを昇華した上で最終的にシッダールタが到達した、その『ニッバーナ』の境地とは「燈明の火がフッと消える」という意味を原義としているように、正にそれは、火の生態とその『止滅』に他ならないでしょう。

という事で、ようやく外堀は埋め終わったようなので(多分)、次回以降、沙門シッダールタが覚りを開く前に邁進したと強調されている『三つの苦行』の詳細を、内部化された祭祀、並びに『地水火風』とそのエナジー性、という観点から、詳らかに見ていきたいと思います。

〜次回に続く。


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バラモン教の不法な動物犠牲を伴った『外なる祭祀』に対する、批判的代替として提示された『内的な祭祀』としての比丘サマナの苦行や瞑想行。そのような視点で、ここまで考察してきました。

その流れで、前回投稿の最後には
「そこで焦点になるのは『火の祭祀の内部化』と、その‟燃料(燃焼力)”としての‟Virya”、すなわち‟エナジー”です。何しろ、火を燃やすためには‟エナジー”は必須ですから(笑)。」
と私は書きました。

そこで今回はまず最初に、『火の祭祀の内部化』においてキーワードとなるこの《Virya=Energy》、という言葉について考えてみます。

エナジー、これは私たちの日常的な日本語ではエネルギーとかパワーとか言ったほうがわかり易いかも知れません。一般論として端的に『エネルギー』と言った時に、読者の方々はまず何を思い浮かべるでしょう。

あるいは、私たちのごく普通の日常生活、さらには洋の東西を問わずあらゆる時代を通底して、人間的な生活の中で「エネルギー」を‟感じる”事のできる、もっとも身近な『事象』とは、一体何でしょうか?

それは第一には「火」であり、その「燃焼による熱」のエネルギーである、という事は、多くの方が同意していただけるのではないかと思います。

私たちの人間的な日々の生活の中で、もっとも顕著に「エネルギー」というものを感じることができるのは、「火」とその「熱」であると。

この火の熱量、具体的には大地の上で人間によって利用される火、薪や油などの燃料から生み出される炎としての火であり、その対極である天空に輝く太陽の火である、と云うことは、インド世界ではヴェーダ・ウパニシャッドの時代から言い習わされてきました。

太陽は天空のアグニ(火)であり、アグニ(火)は地上の太陽である、と。

ここで重要なのは、これら天地の両極における「火」が、熱量であると同時に「光照作用」でもあった、という明らかな事実です。

太陽とは文字通り「天照らす」偉大なる「光り輝き」であり、地上の火もまた、現代と違って焼くための熱量であると同時に、照らすための光であったわけです。

これは現代インドにおいても、古い寺院の奥深い暗闇に灯されているオイルランプの光などを見れば明らかでしょう。電気がなく、もちろん電球も蛍光灯もない時代には、火というものは唯一の人工的な「明かり」でした。

燃え盛る炎から生まれる熱量によって温め焼き、その光によって照らすもの。これが最も身近なエナジーとしての「火」が持つ、基本的な性質です(もうひとつ、あらゆる物を焼き尽くして『浄化』する力もありますが、これは後日)。

そしてそのような「火」すなわち「アグニ」が、バラモン教的な祭祀においても、供犠の火として使用され、あるいは天上の太陽と対置される神として崇められていたのです。

そこで、そのような「火」を‟どのようにして”内部化していくか、というその方法論が問題になります。

一般にインド的な「苦行」は「タパス」と呼ばれ、その原義は「火の熱量」である、と言うことはすでにこれまでに触れていますが、なぜ苦しむ事が火であり熱なのか。

これは、経験的な事実を思い起こせば容易に理解できます。例えばわかり易く、時代劇などで鉄砲傷を負った人を手術して、体内から鉄砲玉を摘出するシーンを思い浮かべてみます。

患者を寝かせて木片などを口に噛ませて、数人の助手が手足を押さえつけて、おもむろに焼酎などをプッと霧吹いたのちにメスを入れます。

その瞬間、もちろん当時はまともな麻酔などは存在しないので、その生身を切り裂かれる激痛によって、電撃に打たれたように患者は身もだえし、苦悶する(もちろん執刀以前から苦痛はあるのですが、それ以上に)。

その激痛をこらえるために患者は無意識のうちに歯を食いしばる。その時に舌を噛んでしまわないための木片であり、暴れる動きによってメス先が乱れることを防ぐために手足を抑えるわけです。

その苦痛によって生み出されるエナジーのものすごさは、現代でも、例えば出産や末期ガン等の苦しみに立ち会ったことのある人ならば、きわめてリアルに得心する事が出来るでしょう。

激烈な痛みに見舞われている患者の体内では、すさまじいレベルのエナジーが荒れ狂っており、それは第一には身もだえする身体の「運動エネルギー」として誰の目にも明らかなのです。

そしてその苦しみに耐えている、文字通り身を焼かれ切り裂かれるような苦悶のさなか、人の身体は高熱を発し、発汗します。これも傷病の苦痛や出産の苦痛を自ら経験したり間近に立ち会ったりした人々には明らかでしょう。

このような苦痛に伴って体内に生じ高まる熱量。これこそが、苦行というものがタパス、つまり火の熱量、という言葉によって呼ばれた事と深く関係すると思われます。

もう一つ、苦行がタパスと呼ばれた原風景には、ひょっとすると「火刑」というものの存在があったのかも知れません。人類の歴史を通じて、大変残念な話ですが、火あぶりの刑というものは最も効果的かつ残酷な見せしめの刑罰として重用されてきました。

生身を火で焼かれる苦痛というものは、おそらく人間が経験しうる最も大きな苦痛のひとつでしょう。実際に、宗教的な苦行という文脈においても、人はしばしば我とわが身を火で焼くのですから(日本の火渡りや焼身供養など)、これが苦行をタパスと呼ぶ、その原風景的なひとつの心象だと考えるのはとても自然です。

(インド教の場合は、当然ながら火の動物供犠祭というものを内部化する、という観点があることは、すでに前回述べています)

さて上記に、苦痛に身もだえる患者の熱量を伴ったその激しい身体的な『運動エネルギー』、というものが出てきました。これが実は、私たちがごく普通の日常生活の中で、火の熱量の次に体験的に感得することのできる、もうひとつの顕著なエネルギーです。

これは、まずは身近なところから言えば、人間を含めた大型動物、なかんずく巨大なオス動物によって発揮される、目覚ましい運動エネルギーが挙げられるでしょう。

例えば、以前に紹介した荒れ狂う雄の巨象が発揮する破壊的な運動エナジー。「運動」という言葉は「運ぶ動かす」と書きますが、正に巨象がリクシャやトラックを牙で差し上げ軽々と投げ飛ばすエナジー(威力)にそれが鮮烈に表れています。

人の手では容易に動かすこともできない巨木の丸太も、このような象の剛力によって容易に動かされ運ばれていきます。

これは人間の男(オス)の場合も同様です。古来より時代や場所を問わず、剛力というものは優れた漢(おとこ)あるいは戦士の象徴として喧伝されてきました。

仏典でも伝記的な物語、確かヤショダラ妃との結婚にまつわるエピソードの中に、シッダールタ王子が巨象を投げ飛ばしたとか、あるいは誰も引くことのできない強弓を引いて矢を射たとかいう話が出てきます。

同様のエピソードは、実は主役を変えてインド教的な説話物語の中では至る所に見られるもので、英雄というものと剛力、すなわち優れた「運び動かす(敵を破壊する)エネルギー」というものは同一視されており、そのような運動エネルギーこそが、Viryaの原型となるVira(勇者)の原像である、という事実は、以前に詳述しました。

もちろん、このような剛力が発揮されている『運動』のさなかには、彼らの身体は熱く燃え上がり、滝のように発汗していた事でしょう。

ちなみにサンスクリット辞書でvīra(ヴィーラ)を引くと、その中には
-4 Fire. -5 The sacrificial fire.
という項目がしっかりと記されています。

運動エネルギーと熱(火)エネルギーが表裏一体である事。これは古今東西、時代を問わず、誰もが体験的に確認可能な真理なのです。

この二つの相関、現代人にはまったく違った方向からも、ある意味理解しやすい原理かも知れません。

前回たとえ話で持ち出した火力発電や原子力発電、それこそが正に熱エネルギーの運動エネルギーへの変換によって生み出されるものであり、火によって生み出される運動エネルギー、つまり発電タービンの運動が、電気というもうひとつの「熱・光」エネルギーに変換されるのですから。

また、自動車エンジンなど現代的なあらゆる『内燃機関』が、文字通り内部において火を燃やして、そのエナジーを運動へと転化する事によって、成り立っています。

もちろん、現代的な発電や内燃機関というような文脈は古代インド人にはあずかり知らぬ事でしょう。しかし、例えば火によって熱することで、沸騰という激しい水の運動が起こるという事実は容易に観察され把握され得たはずです。

(この点に関しては、瞑想実践とも絡めた非常に興味深い記述がパーリ経典には存在しているのですが、これも後日に)

あるいは、燃え上がる火によって熱せられた空気が、風を巻いて上昇していくその運動という形でも(それは煙の動きや「陽炎」によって視認可能)、熱と運動エネルギーの相関は容易に理解し得るでしょう。

何よりも、燃え盛る火のその炎自体、激しく運動し躍動するものではないでしょうか。

このようなViryaもしくはVira、すなわち男性的かつ英雄的なエナジーと火熱との重ね合わせは、例えば阿修羅や明王像に見られるいわゆる憤怒相が、しばしば火炎に縁どられている事実からも明らかです。

イメージ 2
武器を手に炎を背にした不動明王
背にした炎は「火の浄化」をも意味している

日本語でも、「火のような怒り」というのは日常的な表現ですし、闘志に包まれた星飛馬の瞳の中で赤い炎がメラメラと燃え上がる、というのも同じ心象に基づくものですね(笑)。

これらは現代日本人であろうが古代インド人であろうが変わらない、人間として普遍的な極々当たり前の感覚・感性ではないでしょうか。

そして、このような火あるいは炎は、古代インド的な心象では同時に光・輝きでもある訳です。そう考えると、時に「Maha Vira(大勇)」と呼ばれたブッダが、同時に世界の太陽であり世を灯す明かりであったという事の背景心象が段々と明らかになります。

おそらく、沙門シッダールタも当初は伝統的な文脈にのっとって内なる火の祭祀としての苦行を試みた。けれどもそれによって解脱の智が得られなかった彼は、その内なる火の祭祀を‟質的に転換して”覚りに至る「解脱に至る瞑想法」へと昇華していった。

それは智慧すなわちパンニャの光(清涼なる寂静の火)によって、マーラという難敵を征服するエナジーだったのでしょうか(この点も次回以降に詳述)。

話を元に戻しましょう。ここまで私たちが日常の中で普通に見られる最も顕著な運動エナジーとして、生物の雄が発揮する(熱エナジーを伴う)運動エナジーを見てきましたが、それ以外に私たちの周りで、わかり易くも圧倒的な存在感を放つ運動エナジーとは一体何でしょうか。

それは水と風という自然が生み出す運動エナジーではないかと私は思います。

最初の水については、日本においても豪雨の結果としての鉄砲水や洪水、そして未だ記憶も新しい津波の例を見れば、その人間的なスケールを遥かに超越した『威力』は明らかでしょう。

同じようにインドに於いても、雨期の降雨が持つ大地を削るエナジーやその集積としての大水が持っている巨大な運動エナジーというものは、しばしば人間生活を破局的なまでに打ち壊す力を持っています。

(私は雨期のバラナシに滞在したこともあるのですが、あの全てを流し去ってしまう圧倒的な質感を持つ水の流れと、そこに秘められた巨大なエナジーには底知れない畏怖心を抱いたものです)

怒涛のような水の流れが持つその巨大な運動エナジー。これは水が保持している植物などへの『成長力』と共に、ある種の「神威」つまり「神の威力」としても、古代インドの人々をして畏怖せしめていた事でしょう。

(ヴェーダの世界では、それは降雨の神パルジャニヤや河川神サラスヴァティなどの名前で讃嘆されています)

また、以前にも指摘した事ですが、ブッダやその周囲に住むガンジス川の中流域の人々の多くは、確かに自らの眼で直接大海というものを見たことはなかったかも知れません。

しかし、インド世界というのは何しろインダス文明の昔から海路を通じて湾岸世界(メソポタミヤ)等と交易をしており、ブッダの時代前後にも海商隊が交易に携わっていた事は明らかなのです。

それら航海者、つまり商人を含めた船乗りが無事帰国したら、富をもたらしてくれる勇者として、国王臣民によってもろ手を挙げて歓迎された事でしょう。

そんな彼らが、航海の困難を大げさに吹聴するであろうことは人間心理の必然であり、同時に未知な事象に対する好奇心というものもまた、人間心理の必然であることを考えると、荒れ狂う大海というイメージ情報は、内陸インド世界にも広く浸透していた事が推測できるのです。

その荒れ狂う海の水が持つエナジーの圧倒的な『威力』は、嵐においては船を翻弄し粉砕・沈没にまで至らしめるような運動エネルギーであり、同時にそれが海流・潮流としてプラスに働けば、船を運んでくれるありがたい運動エネルギーにもなります。

同じことが風にも言えます。モンスーンの豪雨は吹き荒れる風によって前触れされますし、ベンガル湾で顕著なサイクロンなどの強風の猛威は、同じように台風にしばしば襲われる日本人には、巨大な運動エネルギーとして理解しやすいでしょう。

そして古代の航海において、このような風の力こそが、船を遠い異国の遥かの岸辺にまで運んでくれる、偉大なもうひとつの運動エネルギーであった訳です。

(風が森林の枝葉を揺り動かすという光景は、パーリ経典ではしばしば自然的な恐怖の象徴としても記述されていますし、「風に逆らってチリを投げればわが身にかかる」という譬え話で、チリを運ぶのも風の「運び動かす力」ですね)

風の恐ろしい運動力は、暴風神ルドラの名前ですでにヴェーダにおける神々のパンテオンの中でも特異な地位を占めています。そしてこのルドラこそが、後のシヴァ神の原像ともなっているのです。

このような風の運動エナジーは、先にも書いたように、祭祀の火のエナジーによって生まれる上昇気流やそれと共に天へと立ち上る煙によっても、古代インド人にとっては身近なものだったでしょう。

ここにひとつ、特記すべき重要な事実があります。祭祀における風の上昇エナジーは、火の熱量によってもたらされる、という相関関係です。

このような相関は、実は自然気象としての風や水の運動エナジーにも見出されうるものなのです。

インドとは酷熱の大地だとよく言われます。それは丁度いま現在、四月から五月にかけての酷暑期に、そのピークに達します。

そしてその太陽の酷熱が頂点に達したその直後に、あたかもこれまでの加熱量の結果であるかのように、インドの大地はモンスーンの雨によって一気に冷やされるのです。

これは酷暑期と雨期のはざまにあるインドの大地の上に、あるいは同じような熱帯の地に、実際に住んだ経験のある方なら、極めてリアルに感得できるニュアンスだと思います。

(日本でも真夏の夕立などはその典型ですが、熱帯のそれは遥かに鮮烈です)

ジリジリと照り付ける酷熱の太陽によって大地が熱く焼けたフライパンの様に熱せられ、その熱がよどんだ飽和状態、その停止した気だるい滞留が瞬間的に破られて一陣の風が吹く。

その直後から空は一転にわかにかき曇り、おどろおどろしい黒雲が瞬く間に膨れ上がり、ポツリポツリと雨粒が落ちてきたな、と思っているうちには、すでにもう、一寸先も見通せないような豪雨の帳に包まれている。

あれよあれよとその豪雨に見とれている間にも、もうすでにその雨水は激しい流れとなって大地の低いところを求めて集合し、巨大な奔流となっていく。

天上のアグニ(火)である太陽の熱エネルギーと、それによってもたらされる風と水の運動エネルギーとの相関は、現代的な物理学やら気象学やらをわきまえていない古代インド人にとっても、体験的に、自明な真理として感得されていた可能性が高いと言えるでしょう。

さて、私たち人間生活の中で、時代や地域を問わず顕著な『エネルギー現象』というものについて考えてきました。

それは第一には太陽や地上の火が持っている熱と光のエナジーでした。
第二には、その火熱と深い相関を持って生まれる運動エナジーでした。

運動エネルギーは、最も身近なところでは動物の雄が発揮する剛力(Vira)として現れ(それは内なる火である体熱と共にある)、自然的なスケールでは、太陽熱や火によってもたらされる風と水の振る舞いとして現れました。

ここまで読んできて、勘のいい読者の方なら、ある種『デジャヴ』のような既視感に見舞われてはいないでしょうか?

この世界における顕著なエネルギー現象、その担い手としての「要素」である火と風と水。これらはいわゆるインド思想における『四大要素』あるいは『四界』と重なり合います。

これは果たして偶然なのでしょうか?

では、もうひとつ四界のうちの最後に残った『地』の要素。これはエネルギーという視点からみた場合、その担い手としての意味を持っているのでしょうか。

第一に、Viraであるところの剛力戦士が、その運動力を発揮する根拠となっているものこそが、身体における『地』の要素である『筋肉』と『骨格』という固体パーツである、という事実があります。

第二に、地の要素というものを環境世界における「大地」として捉えると、それは不動であるように見えます。ブッダが主に活動した北インドでは余り頻繁に地震が起こるという話は聞いたことがありませんし、大地や岩山はしばしば不動の最たるものとして譬えに使われてもいます。

(仏典には、ブッダの人生における画期となるイベントの前後に、大地が鳴動する、というような記述が随所にありますが、どうなのでしょう)

しかし、これは現在までの日本のインド学ではほとんど指摘されていないかも知れませんが、古代インドの基本的な世界観の中に、『大地の円輪』つまり巨大な‟車輪”としての大地、というものが想定されていた可能性が高いのです。

つまり、回転する車輪としての大地であり、それと対になった回転する車輪としての天、という世界観です。

これは大分以前に、本ブログ投稿


などで論述した所なのですが、古代インド人、というかそれ以前の中央アジアからコーカサスにかけての大平原に発するアーリヤ・ヴェーダの民は、はるか360度の地平線の果てまで見晴るかすことのできる大地というものを、ひとつの円輪=車輪、として捉えていた可能性が高い。

〜以下、中村元選集決定版第8巻「ヴェーダの思想」から引用。 
『宇宙の形に関しても明確な描写は存しない。ただ一回、これを重ね合わせた二個の鉢に譬え、また車軸によって車輪を支えるようにインドラは天地を引き離した(RV.Ⅹ,89,4)ともいわれている点から見ると、地表を円形と考えていたらしい。天地は併称されることが多く、「二個の半分」と考えられているが、そのあいだの距離についてはなにも記されていない。(p451)』
 
彼らは大地を下方の車輪とし、天をその対となる上方の車輪と見なす事で天地の両輪となし、それを支える車軸として超越的な神、この場合はEka、つまりひとつ(一本車軸)なる神ですが、を想定していたと考えられます。

当然、大地も天も車輪である以上‟回転運動”をしなければならない。というか、特に天というものが太陽や月や星々を見れば明らかなように、実際に日周的な回転運動をするからこそ、それを回転する車輪と重ね合わせた。

イメージ 1
回転する星空。Google検索「星空 回転」より

当然、人間の日常的な感覚では不動に見える大地も、本質的に回転するものだという前提は含意されていた(それが車輪の回転であるならば、障害があれば『振動』する)。

そして、これら回転運動する天地両輪というイメージが、いわゆる『輪廻転生』という世界観のいわば『下敷き』になっていたという仮説は、


の中で試験的に論じています。

(しかしまぁ、この輪軸世界観と輪廻思想の関係性については、現時点ではあまり自信はないので、ここではこれ以上突っ込まずに話を先に進めましょう)

一般にウパニシャッドに見られる輪廻転生世界観の『原像』と言われる文言を見てみると、そこには火葬の火の煙と共に天に(魂が)上り、雨と共に(魂が)地に降りる、という思想が見て取れます。

この原初的な輪廻観の『原動力』つまりエナジーになっているのが水と風の『運搬力』に根差しているのは明らかであり、さらにその水と風に運動能力をもたらしているのは、天の太陽と地の火が持つ熱量である事も明らかでしょう。

つまり、この現象世界を構成する地・水・火・風という四つの主要素は、何よりもエナジーの『素体(基体)』として把握されていて、それら四大・四界がもつ本質的な《エナジー性》こそが、人間を含めた世界を『運動』させる『原動力』になっている、という心象です。

そしてそこにはもちろん、外部環境という大なる世界(マクロ・コスモス)と、人の身体という小世界(ミクロ・コスモス)の、照応関係が存在していた。

つまり、外部環境世界における炎や太陽が内部化されたものが、すなわち『体熱』であり、外部の四大としてのが内部化されたものが『呼吸』であり、が内部化されたものがあらゆる『体水』(汗、つば、血液、等々)であり、が内部化されたものが、筋肉や骨格などの固体的な身体』であった。

例えば、繰り返しになりますがインドとは酷熱の大地であり長く続く乾季を持つ世界ですから、神々に請願する祭祀の目的としては、降雨祈願(雨乞い)というものがしばしば行われた事が想定できます。

の上に祭祀のを燃やすと、その熱量によって上昇気流()が生まれ、それが煙となって天に届くと、人間の請願を聞き届けた神々の祝福によって降雨、つまりが落ちてくる。

あるいは先に説明したように苛烈極まる太陽にさらされた酷暑期の直後に、あたかもその溜め込んだ熱量の結果であるかのようにモンスーンの季節風が巻き起こり、雨期が到来し、焼け付く大地に雨が降り注ぐ。

これら外部環境世界における火と風と水と地の相関は、人の身体に内部化された時には、Vira的な筋骨による身体運動において高まる体熱と激しい呼吸、それに伴うおびただしい発汗や心臓の鼓動=激しい血流、つまり内的な地と火と風と水との相関に重ね合わされた。

その背後にあるものこそ、我々の外部に広がる大なる宇宙・環境世界を、ひとつの『プルシャ』、つまり人間(男性)の身体として捉える、リグ・ヴェーダ以来のマクロとミクロ(外・内)が照応する世界観なのです。

このような、太古の昔より存在した『身体は世界であり、世界は身体である』という心象風景があって初めて、比丘サマナたちによる『外的な祭祀を内部化する』というムーブメント、そしてその「方法論」もまた可能になった、と考えるべきでしょう。

何やら、駆け足でたいへん雑駁な記述になってしまいましたが、以上のような背景心象を踏まえた上で、次回以降、その内部化された祭祀、というものが、沙門ゴータマ・シッダールタによってどのように合理化され実践されたのかを見ていきましょう。

キーワードは『聖化』です。

上述したように、すでに日常において身体の中に地や火や風や水が内部化されているのならば、取り立てて特別な事をする必要はないとも言えます。

しかし、それが日常であるが故に、やはりそのままでは『祭祀』には適用できないのです。何故なら、祭祀に使われる地や水や火や風は、特別に『聖(浄)化』された物でなければ、ならないからです。

〜次回に続く。


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シリーズの第一回から遡って読む事をお勧めします。

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『祭祀の内部化』という前回までに取り上げたテーマは、ブッダの瞑想法とそれに至る沙門シッダールタの内的遍歴を考える上で極めて重要な意味を持つものなので、繰り返しを恐れず更に念を押しておきます。

バラモン教とは祭祀の宗教でした。
その祭祀とは、第一には『火の祭祀』であり、第二にはその火に捧げる『供犠の祭祀』であり、第三にはそれら火の犠牲祭と共にある『賛歌(詠唱)の祭祀』です。

このような祭祀の万能性を主張したバラモン祭官たちは、自らを神をも超える超越的な力を持つ『神人』と標榜し、人々の願いの実現はおろか、大地や星宿の運行すら支配する力を持つと慢心していました。

そうして、そのような祭祀の絶対的な万能性を信じたからこそ、王侯貴族をはじめとした多くの人々が大枚を布施して、自らの請願を成就するために、バラモン祭官たちに祭祀を委託したのです。

その請願とは五穀豊穣やら家内安全、商売繁盛やら良縁やら子宝の獲得、さらには来世における幸福からついには『輪廻からの解脱』に至るまで、あらゆるレベルにわたっていた事でしょう。

そのようなバラモンの祭祀が、しばしば多くの(特に牛の)動物供犠の死を伴っていたことは、パーリ仏典などを見れば明らかです。

スッタニパータ 第二 小なる章

師(ブッダ)は次のことを告げた。──

284 昔の仙人たちは自己をつつしむ苦行者であった。かれらは五種の欲望の対象をすてて、自己の(真実の)義を行った。
285 バラモンたちには家畜もなかったし、黄金もなかったし、穀物もなかった。しかしかれらはヴェーダ読誦を財産ともなし穀物ともなし、ブラフマンの倉を守っていた。
286 かれらのために調理せられ家の戸口に置かれた食物、すなわち信仰心をこめて調理せられた食物を求める(バラモン)に与えようと、かれら(信徒)は考えていた。
287 種々に美しく染めた衣服や臥床や住居を豊かに所有して栄えていた地方や国々の人々は、すべてバラモンたちを敬礼した。
288 バラモンたちは法によって守られていたので、かれらを殺してはならず、うち勝ってもならなかった。かれらが家々の戸口に立つのを、なんびとも妨げなかった。
289 かれら昔のバラモンたちは四十八年間、童貞の清浄行を行った。知と行とを求めていたのであった。
290 バラモンたちは他の(カーストの)女を娶らなかった。かれらはまたその妻を買うこともなかった。ただ相愛して同棲し、相和合して楽しんでいたのであった。
291 (同棲して楽しんだのではあるけども)、バラモンたちは、(妻に近づき得る)時を除いて月経のために遠ざかったときは、その間は決して婬欲の交わりを行わなかった。
292 かれらは、不婬の行と戒律と正直と温順と苦行と柔和と不傷害と耐え忍びとをほめたたえた。
293 かれらのうちで勇猛堅固であった最上のバラモンは、実に婬欲の交わりを夢に見ることさえもなかった。
294 この世における聡明な性の或る人々は、かれの行いにならいつつ、不婬と戒律と耐え忍びとをほめたたえた。

295:米と臥具と衣服とバターと油を乞い、法に従って集め、それによって祭祀をととのえ行った。かれらは祭祀を行う時にも決して牛を殺さなかった。
296:母や父や兄弟やまた他の親族の様に、牛はわれらの最上の友である。牛からは薬が生ずる。
297:それら(牛から生じた薬)は食料となり、気力を与え、皮膚に光沢を与え、また楽しみを与える。(牛に)このような利益のあることを知って、かれらは牛を決して殺さなかった。
298 バラモンたちは、手足が優美で、身体が大きく、容色端麗で、名声あり、自分のつとめに従って、為すべきことを為し、為してはならぬことは為さないということに熱心に努力した。かれらが世の中にいた間は、この世の人々は栄えて幸福であった。
299 しかるにかれらに顛倒した見解が起こった。順次に王者の栄華と化粧盛装した女人を見るにしたがって、
300 また駿馬をつけた立派な車、美しく彩られた縫物、種々に区画され部分ごとにほど良くつくられた邸宅や住居を見て、
301 バラモンたちは、牛の群が栄え、美女の群を擁するすばらしい人間の楽しみを得たいと熱望した。
302 そこでかれらはヴェーダの呪文を編纂して、かの甘蔗王のもとに赴いていった、「あなたは財宝も穀物も豊かである。祭祀を行いなさい。あなたの富は多い。祭祀を行いなさい。あなたの財産は多い。」
303 そこで戦車兵の主である王は、バラモンたちに勧められて、──馬の祀り、人間の祀り、擲棒の祀り、ヴァージャペッヤの祀り、誰にでも供養する祀り、──これらの祀りを行なって、バラモンたちに財を与えた。
304 牛、臥具、衣服、盛装化粧した女人、またよく造られた駿馬に牽かせる車、美しく彩られた縫物──、
305 部分ごとによく区画されている美事な邸宅に種々の穀物をみたして、(これらの)財をバラモンたちに与えた。
306 そこでかれらは財を得たのであるが、さらにそれを蓄積することを願った。かれらは欲に溺れて、さらに欲念が増長した。そこでかれらはヴェーダの呪文を編纂して、再び甘蔗王に近づいた。
307 「水と地と黄金と財と穀物とが生命あるひとびとの用具であるように、牛は人々の用具である。祭祀を行いなさい。あなたの富は多い。祭祀を行いなさい。あなたの財産は多い。」
308 そこで戦車兵の主である王は、バラモンたちに勧められて、幾百千の多くの牛を犠牲のために屠らせた。
309 脚を以ても、何によっても決して(他のものを)害うことがない牛は、羊に等しく柔和で、瓶をみたすほど乳を搾らせる。しかるに王は、角をとらえて、刃を以てこれを屠らせた。
310 刃が牛に落ちるや、そのとき神々と祖霊と帝釈天と阿修羅と羅刹とは、「不法なことだ!」と叫んだ。
311 昔は、欲と飢えと老いという三つの病いがあっただけであった。ところが諸々の家畜を祀りのために殺したので、九十八種の病いが起った。
312 このように(殺害の)武器を不法に下すということは、昔から行われて、今に伝わったという。何ら害のない(牛が)殺される。祭祀を行う人は理法に背いているのである。
313 このように昔からのこのつまらぬ風俗は、識者の非難するものである。人はこのようなことを見るごとに、祭祀実行者を非難する。
314 このように法が廃れたときに、隷民(シュードラ)と庶民(ヴァイシヤ)との両者が分裂し、また諸々の王族がひろく分裂して仲たがいし、妻はその夫を蔑むようになった。
315 王族も、梵天の親族(バラモン)も、並びに種姓(の制度)によって守られている他の人々も、生れに関する言葉を捨てて、欲望に支配されるに至った、と。

〜以上、中村元訳、岩波文庫P55〜より引用。

これらの詩文を見てみると、制戒と禁欲を守るバラモンが正しい祭祀を行っていた時代には、人の世も(神々の恩寵によって)幸せに包まれていたが、バラモンたちが欲に駆られて動物供犠という悪しき祭祀にふけっている現在は、(神々の怒りによって)様々な災厄に見舞われている、と読み取ることができます。

(しかし、そこにみられる‟牛愛”的心象の、なんと「ヒンドゥ的」である事か!)

ブッダをはじめとした比丘サマナたちのムーブメントとは、このような動物供犠祭を中心とした貪欲なバラモン教に対する強力なアンチテーゼであり、同時に『神々に協賛された』ある種‟世直し”のための代替なる『新たな(正統復古の)祭祀法』として、古代インド世界に展開していたと理解できます。

動物供犠などという不法に染まっている現今のバラモン祭官などよりも、古の正しく清らかなバラモンと同等の正しい道を歩む我らこそが真のバラモンであり、神々に言祝がれ社会の幸福に資する、真に供養されるべき聖者である、と。

〜以下、『神々との対話〜サンユッタ・ニカーヤ1』中村元訳 岩波文庫P172より引用。(コーサラ国王パセナーディによって、大規模で多くの動物を供儀とする祭祀が準備されており、使用人・労働者が自らも暴力的な罰を受ける事を恐れている光景を前振りに)

6.そこで尊師は、このことを知って、そのとき次の詩を唱えた。――
「馬の祀り、人の祀り、棒を投げる祀り、精力を飲む祀り、閂を取り去る祀り、―― これらの祀りは労すること多くして、大なる果報をもたらさない。山羊と羊と牛とが種々に殺されるが、正しい道を行く大仙人たちは、その大規模な生け贄の場所におもむかない。
しかるに、労することなくして、常に順調に行われ、山羊や羊や牛が種々に殺されることのない祭祀 ――
正しい道を行く大仙人たちは、その祭祀におもむく。
聡明な人は、この祭祀を行え。この祭祀は大なる果報をもたらす。実にこの祭祀を行うならば、その人には善い事があり、悪い事は起こらない。その祭祀は広大なものとなる。そうして神々もそれを喜ぶ。」

〜以上、引用終わり〜

現在ではバラモン・ヒンドゥ教という主流派に完全に取り込まれてしまっていますが、いわゆる『ウパニシャッド』的な探求というものも、本来は比丘サマナのムーブメントと同じように、既存の形骸化しバブリーに肥大化したバラモン絶対・祭祀万能教に対する批判的な模索の中から、ひとつには生まれてきたのだと考えるべきでしょう。

そこにおいてキーワードとなるのが、バラモン教的な『外的な祭祀』に対する『祭祀の内部化』である、という点は、前回までの流れでおおよそ明らかになったと思います。

〜以下、『サンユッタ・ニカーヤⅡ 悪魔との対話』中村元訳 岩波文庫P147 〜第Ⅶ篇 第一章 第九節スンダリカ より引用〜

17.傍らに立っていたスンダリカ・バーラドヴァージャというバラモンに向かって、尊師は詩を以って呼びかけた。
「バラモンよ、木片を焼いたら浄らかさが得られると考えるな。
それは単に外側に関する事であるからである。
外的な事によって清浄が得られると考える人は、
実はそれによって浄らかさを得る事が出来ない。
と真理に熟達した人々は語る。
バラモンよ、わたしは〔外的に〕木片を焼くことを止めて、
内面的にのみ光輝を燃焼させる。
永遠の火をともし、常に心を静かに統一していて、
敬わるべき人として、わたくしは清浄行を実践する。
バラモンよ、そなたの慢心は重荷である。
怒りは煙であり、虚言は灰である。
舌は木杓であり、心臓は〔供養のための〕光炎の場所である。
よく自己をととのえた人たちが人間の光輝である。
バラモンよ。戒めに安住している人は法の湖である。
濁りなく、常に立派な人々から立派な人々に向かって称賛されている。
そこで沐浴した、知識に精通している人々。
肢体がまつわられることのない人々は、彼岸に渡る。
真実と法と自制と清浄行
これは中〔道〕によるものであり、ブラフマンを体得することである。バラモンよ。

〜以上、引用終わり〜

これは、現代社会になぞらえて譬えるとわかりやすいかも知れません。

18世紀中ごろに始まったイギリスの産業革命以降、化石燃料の消費量とそれに伴う二酸化炭素の排出量は幾何級数的に増大し、様々な汚染物質の排出と合わせて地球環境生態系に絶大なる圧迫を加えてきました。

そしてさらに『新時代』を詐称する『夢の原子力エネルギー』の登場によって、逆に地球の未来には更なる暗雲が立ち込めてきている。

これら、化石燃料や原子力に象徴される『大量生産・大量消費』の社会システムに対するアンチテーゼとして、いわゆる自然エネルギーに基づいた持続可能な社会システムが模索され提示されつつあります。

話はエネルギー問題だけではありません。ファースト・フードに対する代替としてのスロー・フード。西洋医学に対する東洋医学。画一化した受験戦争に対する個性教育。1%のエスタブリッシュメント支配に対する99%の大衆の福利向上。などなど、現代的な行き詰まりに対する様々なオルタナティブが多面的に模索されています。

このような社会的な行き詰まりと、それに対する批判的考察と代替案の提示、という機運は、ある程度文明的に成熟した社会では、時代や地域を問わずしばしば内発的に勃興するものなのです。

ブッダの時代にも、まさにこのような機運(ムーブメント)が巻き起こっていた。そしてその焦点になっていたのが、社会の中心にあった『宗教』でありきわめてインド的な『祭祀』だった訳です。

外的な動物犠牲を伴うバラモン祭祀に対するアンチテーゼであり、オルタナティブな『内部化された祭祀』としての比丘サマナの修行道。これこそが、シッダールタ王子が王城を抜け出して出家して以来、その死に至るまで貫徹した道だったと考えられます。

(その背後には輪廻転生思想とその原動力としての悪業、さらにその悪業の浄化と、その結果としての『清浄』、さらにその清浄の究極としての『解脱』というパラダイムがあった)

そのような祭祀の内部化の過程で、バラモン祭祀に特徴的な『火』と『供犠』と『賛歌』という主要素も、それぞれの文脈に従って内部化されていきました。

もちろんこれは、当時の古代インド的な社会通念としての捉え方であり、覚りを開いて以降のゴータマ・ブッダ自身がどのように考えていたのか、という点については、ここでは取りあえず問いません。

しかしブッダになる以前の、同じゴータマさんでも未だ単なる、いち沙門シッダールタだった時の『彼』は、正にこのような『外的なバラモン祭祀』に対する代替としての『内部化された火と供犠と詠唱の祭祀』という文脈の上に修行に専心していただろう事は、これまでの本ブログの記事内容の上に『祭祀の内部化』という概念を重ね合わせる事によって、自ずから明らかになって来ます。

そこでまず焦点になるのが、以前書いた
という一連の記事で取り上げ考察した、沙門シッダールタが菩提樹下に禅定して覚りを開く‟直前”まで邁進したと強調されている‟三つの苦行”です。

再掲するとそれは『歯と舌の行法』と『止息の行法』と『小食(断食)の行法』になります。こうやって羅列してみると、これら三つの苦行について、あの時点でこれだけの回数を費やしてしつこく考察していたのには、それなりの訳があったのですね。

次回以降、これら三つの苦行が『祭祀の内部化』という新たな視点から、どのように把握されうるのかを見ていきたいと思います。

そこで焦点になるのは『火の祭祀の内部化』と、その‟燃料(燃焼力)”としての‟Virya”、すなわち‟エナジー”です。何しろ、火を燃やすためには‟エナジー”は必須ですから(笑)。

〜次回に続く。


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私も一応 Facebookのアカウントがあって、主にインドの友人とつながっているので現地の生の情報が入ってきます。

最近はインド人もスマホや携帯のカメラ動画を投稿したりしていて、今日はとても面白い迫力満点の映像を発見しました。

イメージ 1

色々とやってみたのですが埋め込めなかったのでリンクを見てみてください。象使いのコントロールを失った、巨大な多分オス象が暴れまわっているところを撮ったものです。

最初にバイクを鼻で投げ上げた時にもびっくりしましたが、続いてオートリクシャから三輪トラックまで牙で刺して投げ上げて、瞬殺で文字通りスクラップにしてしまっています。

いくらインドのオートが安普請だったとしても、その破壊力は凄まじいものがあります。

見た目、人間が段ボールの箱で軽々と遊んでいるような風情です。

恐るべしオス象!

ほとんど大型ユンボに匹敵する(凌駕する?)パワーですね。

仏典には随所に凶暴な象とその調御の喩えが出てきますが、このような光景を日々目撃している中から生まれた言葉なのだという事をまずは理解しないと、表面的な意味をいくらなぞったところでリアリティは感じられないでしょう。

しかし、背中に取り残された?人たち。象使いではないのでしょうか。なすすべもなくしがみついているだけですね。

その恐怖、どれほどのものだったか、想像に難くありません。あるいはもう日常茶飯事で大した恐怖も感じないのでしょうか?表情までは分かりませんが・・・

多分周りに遠巻きにしているのが象使いでしょう。上に乗っているのは複数いるので何か祭りのパレードか何かの最中だったのでしょうか?

下手に飛び降りたりしたら、逆に危険なので、乗り続けるしかないのでしょう。あるいは地上部隊がロープをかけた後で調御するために乗り続けているのか。

他の映像を見ても、観光客らしくないインド人が乗っている場合は、どんなに象が暴れても、しがみついて乗り続けています。

象が暴れ出した時のハウツーと言うものが、彼らの中には確立しているのでしょうね。

このような人間的なスケールを遥かに超越した狂象の姿があって、それを調御することが比丘の修行に重ね合わせて喩えられていた。

その覚悟と、そして何よりも理解と『技術』。並大抵のものではなかったと思います。


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ネット上でいろいろと情報収集していると、時に思いもかけない事実関係を発見することがあって、うれしい驚きになる事があります。

今回は私の本業?でもあるインド武術とビルマのラウェイという伝統ボクシングとの、思いもかけない関係性について書きたいと思います。


ラウェイ・ボクシングの入場儀礼 0:13〜0:20秒にかけて

上のビデオはラウェイの選手とタイのムエタイ選手が対戦するキック・ボクシングの試合なのですが、ラウェイの選手がリングに入場して儀礼的な舞を踊る。その最後に、とても特徴的な動きをしています。

それは左足を前に出した半身の姿勢で軽く前屈し、左肘を曲げて手を胸のあたりに置き、反対の右手で左肘の上あたりを3〜4回、ポンポンポン、と軽く叩く、という動きです。

切り出し画像は以下になります。

イメージ 1
この態勢を維持したまま、右の掌で左肘の上を数回はたく

この絵柄は、私にとってとても懐かしく馴染み深いものでした。なぜならそれは、私が初めてインド武術探訪の為に南インドを訪れた時に、これも偶然、その存在を初めて知ったマラカンブという武術的スポーツの挨拶儀礼の身体動作と瓜二つだったからです。

南インド・タミルナードゥ州、マラカンブ教室の挨拶儀礼

両者を比べて見てみると、基本的な構造が全く同じであることがよく分かると思います。

切り出し画像は以下になります。

イメージ 2
マスターに対する挨拶儀礼

イメージ 3
マラカンブ柱に対する、集団的挨拶儀礼

どうでしょうか。左足を前に出した半身の態勢で前傾し、左肘を曲げて手を胸に当て、その曲げた左肘の上を右の掌ではたく。

非常に特徴的な一連の流れが、見事に合致しています。

実はこのような儀礼的な身体動作。タミルナードゥ州だけではなく、西インドのクシュティ・レスリングにおいても保存されており、実際に目撃した事があります。

タミルナードゥ州はヒンドゥ古典文化の揺籃の地などと言われますが、実はオーストラリア大陸という隔絶の地に有袋類という非常に古いタイプの哺乳類が保存されたように、インド亜大陸のディープ・サウスという僻遠の地タミルに、ムスリムの侵略などの破壊・変動要素を免れてヒンドゥ文化の古形がよく保存されている、と見る事ができます。

恐らく、中世から古代に遡る、非常に古い時代に成立した儀礼的身体動作が、現代に至るまで、脈々と保存継承されて来たのでしょう。

そこで問題になるのが、果たしてビルマのラウェイに継承されている身体儀礼動作と、タミルあるいは範インド的に普及していただろう身体儀礼動作、この二つの酷似した文化要素がどのような関係にあるのか、という点です。

ビルマ・ミャンマーという国は、インドシナ半島の最西端、すなわちインド亜大陸の東端に接した地政学的な位置を占めています。

そしてこのインドシナ半島、その名の通り印度と支那(中国)という二つの大文明圏に挟まれ、両者の文化的な影響を強く受けながら、独自の文化を形成してきました。

特にインド文明の影響は現代人である私たちがイメージする以上に深く根付いています。古代から中世にかけての1000年以上に渡って、東南アジアはインド亜大陸を宗主国とするような、ある種の文化的植民地だった、と言っても、言いすぎではありません。

アンコールワットで有名なカンボジアのクメール王朝、ボロブドールなどで有名なインドネシアのシャイレーンドラ朝やシュリ・ヴィジャヤ王朝はよく知られていますが、タイの諸王朝にしてもそうですし、ビルマにおけるモンやピューなどの古代王権、それらを駆逐して統一を果たしたビルマ族の王朝にしても、強烈なまでにインド文化の影響下に成立したものでした。

これは東南アジアとインド亜大陸の交流史を少しでも勉強したならば、誰にでも確認できる事実です。

参考文献として非常に優れているものに、
などがあるので参照してみてください。

私の専門で言うと、たとえば有名なタイ・マッサージの『セン』の伝統は、インド武術におけるマルマンとヨーガのプラーナの影響を強く受けていると言いますし、マッサージが代々伝承されているワット・ポーという仏教寺院には、ヨーガのポーズを想起させるルーシーダットンと呼ばれる一連の体操が継承されています。

イメージ 4

イメージ 5
ルーシーダットンの様々なポーズ

『ルーシー』語源はインド語の『リシ(聖仙)』に相当するもので、このルーシーダットンがインドのヨーガ・アサナに由来する事を強く示唆しています。

このような事実によって外堀を埋めていくと、自ずからビルマのラウェイにおいて継承されている件の身体儀礼動作が、古代インド亜大陸に起源するものである、という事がごく自然な流れとして想定可能になります。

ラウェイ・ボクシングの源流の重要な水源のひとつが、インド武術であるのは、まず間違いないでしょう。

さてそこで本題のブッダの瞑想法との絡みについて話を移します。

東南アジアのテーラワーダ仏教の起源は、アショカ王によってスリランカにもたらされたものがその淵源である、と一般には言われていますが、それでは、上述した東南アジアにおける様々なインド起源の文化要素は、同じようにスリランカを経て伝播されたのでしょうか。

もちろんそんな事はありません。インド亜大陸から海路を中心にダイレクトに東南アジア諸地域にもたらされたのです。

つまりそこには明確に二つの流れがある。

ひとつはテーラワーダ仏教という限定において、スリランカを経由して東南アジアにもたらされたインド文化。

もうひとつは文化の総体として、ダイレクトに海路を通じて亜大陸から東南アジアにもたらされたインド文化。

ひとつの問題点は、ひとたび『テーラワーダ仏教』という文脈に囚われてしまうと、この海路を通じて亜大陸からダイレクトに東南アジアにもたらされた総体としての汎インド文化の豊穣世界が、ほぼ完全に黙殺されてしまう、という事実にあります。

たとえば、テーラワーダの世界では面白い言い慣わしがあります。

曰く、『学(論)のスリランカ、行(定)のビルマ、戒のタイ』などと。

これはテーラワーダ仏教において中心的な三国のそれぞれの特徴・特技を端的に表している、というのですが、しかし、何故、行(定)すなわち瞑想実践がビルマのお家芸であり、他の二国ではそうではないのか。

さらに言うと、現代ヴィパッサナー事情を見れば、メインストリームはマハシにしろゴエンカにしろ全てビルマ産であり、さらに欧米をはじめ世界に知られるような瞑想師範もまたビルマやタイに集中しており、スリランカ・オリジナルの瞑想法を掲げたスリランカン・ネイティブのメディテーション・マスターというものを寡聞にして私は知りません。

テーラワーダ仏教の起源がスリランカにあるのならば、何故その瞑想法の起源がスリランカにないのでしょうか?

スリランカ・オリジナルのブッダの瞑想法については、確か18世紀ごろにイギリス植民地下で仏教が徹底的に弾圧され破壊された時に、本来伝承されていたブッダの瞑想法もまた失伝してしまったのだ、というのがおきまりのエクスキューズだったのですが、本当にスリランカに根付いた瞑想法というものがあったとして、それが完膚なきまでに、痕跡すら残さないほどに破壊・抹消されてしまうなどと言う事がありえるでしょうか?

私は実際にスリランカに渡って現地の瞑想寺院でリトリートの経験もあるのですが、そのごく私的な感触をあえて言わせてもらえば、アショカ王によって仏教がスリランカに伝承されてからイギリス植民地支配下で仏教が弾圧されるまでのおよそ2000年の間、スリランカでは現在ヴィパッサナーとして知られるようなシステマティックな瞑想行は、一度たりとも実践された事はなかったのではないか、という疑いを持っています。

では、現在ヴィパッサナーとして知られる様々な瞑想法の起源はどこにあるのか。

それは第一にはスリランカから東南アジアに伝承した経と律と論に記された文言内容に起源するのでしょう。

スリランカで仏教が徹底的に弾圧された時代からさほど遠くない近代において、やはり同じイギリスによって植民地化されたビルマにおいて、仏教復興ムーブメントが起こります。

圧倒的な武力と文化の力を持った大英帝国に弾圧され支配されたビルマ人の民族感情が、自らのアイデンティティを高揚する為の民族主義的文化復興の機運の中でその中心に仏教というものを位置づけ、さらにその仏教というものの中心に『悟りに至る瞑想行法』を位置づけたビルマの先師たちが三学を深く学び、血のにじむような努力をもって自ら瞑想修行を深め、悪戦苦闘の結果導き出されたのが、いわゆる今日に見られるヴィパッサナー瞑想法の端緒だった、そう考えられます。

では何故、ビルマにおいてそれが可能だったのか?

これもまた私見ですが、ビルマの様々な身体的・精神的な基底文化バックグラウンドの中に、ブッダの瞑想法を復元するための豊かな情報、あるいは『ヒント』が内在していたからだ、と考えられるのです。

それこそが、最前に指摘した、
『文化の総体として、ダイレクトに海路を通じて亜大陸から東南アジアにもたらされたインド文化の豊穣世界』
に他ありません。

ここでより正確にいえば、それは『インド教の豊穣世界』と言うべきかもしれません。

このインド教とは、最広義の『ヒンドゥ教』であると言ってもいいでしょう。

もともと『ヒンドゥ』とはカイバル峠の向こう側の非インド世界から見たインド世界の総称であり、ヒンドゥとはインドを意味します。現代ではヒンドゥと言えば特定の宗教セクトであるかのように捉えられがちですが、本来は汎インド的な宗教的心象世界の総体を表すものです。

そしてもちろん、このような汎インド的な宗教的心象世界の真っただ中に生まれ、生き、そして死んでいったのが、ゴータマ・ブッダその人なのです。

スリランカに起源するテーラワーダ仏教の伝統の中では、残念ながらこのような汎インド的な宗教的心象世界が徹底的に捨象されてきてしまった。

そこには様々な理由があるでしょう。

第一に、いわゆる部派仏教と言われるものが、インド亜大陸にあった時点から、徹底的にサンガ内部に引きこもって、世俗社会から隔絶した別世界を構築して、この汎インド的な宗教的心象世界の豊穣から、完全に背を向けてしまった事。

これは現在私が注力している『ヴィーナの喩え』を引き合いに出せばよく分かります。ヴィーナと言う文化的豊穣に対して、比丘サンガは完全に背を向けてしまっている。何故なら、戒律によって比丘たちは楽器の演奏をしたり聴いたりする事が禁じられてしまっているから。

つまりヴィーナという文化要素から完全に切り離された比丘たちには、ヴィーナがその背景心象として持つ文化的豊穣がまったく情報として届かない。ヴィーナについてまったく無知な者が、ヴィーナの喩えを深く理解することなど、できるはずがない。

第二に、歴史的に見てシンハラ仏教徒は、インド亜大陸世界と長きに渡る対立と闘争のただなかにあり続けた事があげられます。

その先兵になったのがいわゆるヒンドゥ・タミル人たちです。

タミルのチョーラ朝に象徴される様に、シンハラ人にとってインド人とは千年以上の長きにわたって侵略者であり外敵であり続けました。当然のことながら、彼らタミル人たちが掲げ奉じる『ヒンドゥ的』な心象世界は、シンハラ人にとって嫌悪と憎悪の対象になる。

この時点で、テーラワーダ仏教と言うものの『非インド化』が加速しました。何しろこのチョーラ朝、何よりも仏教徒憎しという一点を最大のモティベーションとして遥かガンジス川流域にまで征討軍を派遣するほどの反仏教徒でしたから、攻撃されるシンハラ仏教徒から見れば正に悪魔です。

一方、東南アジアに戻ると、きわめて対照的な光景が展開します。

先に言及したカンボジアのアンコールワットに代表されるクメール王朝にしても、インドネシアのシャイレーンドラ、シュリ・ヴィジャヤ王朝にしても、そのほか有象無象の諸王朝の全てが、圧倒的なインド文明の影響下に成立しています。

というか、多くの代表的な王朝の主要人物はインドからの植民者であった可能性が高い。

そこでは、インド亜大陸本土における仏教とヒンドゥ教との徹底的な対立・抗争が力を失い、全てのインド的文化要素が、圧倒的な文化的優勢として原住民たちに無条件で受容された。

(この点は現代タイにおいて、ブラフマーやヴィシュヌなどヒンドゥ教の神々が広く深く信仰されている事実に象徴されます)

もちろん、様々な小競り合いはあったでしょう。けれどスリランカにおいて長きにわたって起こったようなヒンドゥと仏教との決定的な対立と断絶が東南アジアでは起こらなかった。

全てのインド文化は、圧倒的に優れたものとして第一義的に受け入れられたのです。

これはカトリックの南蛮人であろうが、プロテスタントの英米人だろうが、勝れた文化とその担い手であれば、もろ手を挙げて受容する日本文化を考えればよく分かります。

そのようにして、スリランカのテーラワーダ・比丘サンガにおいては強力に捨象されてしまった『ヒンドゥ的』な心象世界の豊穣が、東南アジアでは相対的によく保存され得た。

そしてそのような『ヒンドゥ的』な豊かな土壌があって初めて、その上に近代ヴィパッサナーが芽吹き成長し、花を開き得た。そのように私は考えています。

何故なら、ブッダの言葉とは、正にそのような『ヒンドゥ的な豊かな心象世界』の真っただ中で、そこに生きる人々に向かって語られたものだからです。

ブッダの時代の2500年前のガンジス川中流域の文化的心象世界と、現代に至るヒンドゥ教世界とは、別個のものだ、という反論もあるでしょう。

いわゆるヒンドゥ教というものが成立したのは、ブッダの時代からはるか後世のグプタ朝期だと一般には言われているからです。

しかしこのグプタ朝、調べてみるとその首都は代々パータリプトラに置かれている。そう、ブッダの時代からやや下ったマガダ国の首都、現代のパトナーそのものです。

このヒンドゥ文化の基礎を造ったと言われるグプタ朝、同時期にナーランダ僧院などを創立・拡充し、仏教文化の有力な担い手でもありました。

グプタ朝の始祖であるグプタ(シュリーグプタ)は、紀元240年ごろに現在のビハール州南部に当たるマガダ地方を領するようになり、そのあとを息子のガトートカチャが継いだ。この二人は後の碑文において大王(マハーラージャ)と呼ばれるのみであり、実際にはマガダ地方の小領主に過ぎなかったと考えられている。

グプタ朝が実質的に建国されるのはチャンドラグプタ1世(位320年 - 335年頃)の時代である。チャンドラグプタ1世はビハール州北部に強い勢力を持っていたリッチャヴィ族の王女クマーラデーヴィーと結婚することでリッチャヴィと強固な婚姻同盟を結び、さらにその力でガンジス川中流域へと進出。パータリプトラを都とし、この地域の覇権を握って「マハーラージャーディラージャ(大王の中の王)」を称するようになった。

〜以上、Wikipediaより。

つまりパータリプトラを首都とし文化的中心としたグプタ朝期に大成され確立したと言われるヒンドゥ教、あるいはヒンドゥ文化の、その揺籃期に同地域において活躍したのがゴータマ・ブッダなのです。

ゴータマ・ブッダと彼の住んだ心象世界は、現代に至るヒンドゥ的心象世界と、ダイレクトに接続している。

広い意味での『ヒンドゥ』を知らずして仏教について語る事は出来ない。そして、そのようなヒンドゥ的豊穣世界に徹底的に背を向け続けたシンハラ仏教サンガには、瞑想実践などと言うきわめてデリケートな事柄を取り扱う能力はなかった(その結果、『論学』に溺れた)。

それが、現時点での暫定的な私の感触です。

反対に、ヒンドゥ的な豊穣世界に常に心を広く開き続けてきた東南アジアの人々の中から、その豊かな土壌を前提にして初めて、ブッダの瞑想法が復興され得た。

ビルマの拳闘術ラウェイの動画から始まって、なにやらとんでもない展開になりましたが、ラウェイはひとつのきっかけに過ぎません。今回の投稿内容は、すでにかなり以前から、私の中にあった読み筋です。

仏教と『ヒンドゥ』がその文化的バックグラウンドにおいても瞑想実践においても、いかにパラレルであり同根であるか、という点は、ヴィーナの喩えを突破口にして今後の投稿でさらに詳細に追及されるはずです。



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