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70年前の日本 完結 ケータイ投稿記事

山本がブーゲンビルで戦死したのは昭和18年4月18日であった。
地上部隊が墜落機の捜索をし、発見した時には腐乱が進み、ほとんどの死体には蛆虫がたかっていたが、山本と軍医の死体は綺麗であったと言う。
この事から、山本は墜落後も暫くは生存していたのではないかという説がある。

二番機は海上へ不時着し、参謀長、宇垣纏他二名は奇跡的に助かった。そして護衛の戦闘機6機の搭乗員達は全員がラバウルに生還した。長官機を守りきれなかった事に関しては一切のお咎めはなかったが、この後の航空作戦に従事し、戦後まで生き延びたのは負傷し片腕となった柳谷一飛曹のみであった。

山本の死は士気に関わるとして暫く公表されなかったが、6月5日に国葬として弔われた。
6月5日はその一年前、ミッドウェイ海戦にて大惨敗した日であり、戦死した4月18日の因果も考えると単なる偶然ではない不気味さがある。

山本死して後、後任には古賀峯一大将が選ばれた。

戦闘の中心は依然として南東太平洋海域、ソロモンの空であった。
18年11月にはろ号作戦を発動する。かつてのい号作戦同様、ラバウル基地航空勢力と空母艦載機による攻撃で主目標はブーゲンビル方面の米軍であったが、この頃になると米軍は新鋭の戦闘機、攻撃機が配備され、レーダーを利用した防空態勢も確率され、日本軍航空機185機を失う大惨敗となり、加えて米軍のブーゲンビル上陸を許してしまう。

同じ頃、アメリカ軍はギルバート諸島の攻略を多大な犠牲を出すも攻略を果たす。

翌19年、米軍はそれまで固執していたソロモン海域から突如トラック島方面に変更。連合艦隊の拠点トラック島は米空母艦載機の空襲により大打撃を受け基地機能を失う。

日本軍はマーシャル、マキン、タワラ等の占領地を奪われ占領地は縮小しており、これを押し返す力も残されていなかった。
よって、縮小した勢力範囲を絶対国防圏と定め、それがフィリピン方面とマリアナ方面であった。
この頃米軍の長距離大型爆撃機が完成したとの情報があり、マリアナを失えば、日本は直接攻撃を受ける事は間違いなかった。
またフィリピンを失えば資源が手に入らない事になる。

米軍は5月に入るとサイパン島上陸を果たす。
6月に起きたマリアナ沖海戦はミッドウェイ海戦を越える規模の機動部隊決戦となったが、機動部隊はほぼ壊滅し失敗に終わる。
このマリアナ沖海戦の直前、古賀長官は飛行機による基地移動の際行方不明となり後に戦死と認定される。
後任は豊田大将が選ばれた。

この作戦失敗によりマリアナを失い、サイパン、グアムにはB-29の滑走路が作られる。

またこの頃陸軍もビルマ方面での作戦、インパール作戦が失敗しており、これにより東条英機は失脚する事になる。

10月に発動した捷一号作戦はフィリピンのレイテ島に上陸した米海兵隊を撃滅する為の作戦であったが、なぐり込み部隊であった栗田健男中将は泊地突入を前に反転。目標を果たさず大犠牲を払い、事実上連合艦隊は壊滅する。
尚この海戦に合わせて編成されたのが神風攻撃隊であり、一機一艦を葬るこの攻撃が終戦まで続けられる。しかし米軍の防空態勢は念入りで戦果はほとんど無いままに特攻隊員は命を散らしていくだけであった。
この身を呈した自殺攻撃は世界戦史にも例は無い。
特攻司令官とされた大西瀧二郎は先に逝った多くの隊員に深謝、遺書を残し終戦の日に介錯無しの割腹自殺を遂げる。
特攻攻撃に関わる将官で命と引き換えにしたのは大西と宇垣だけであった。

絶対国防圏を失った日本は米軍の戦略爆撃を受ける事になる。
また、マリアナを足掛かりとした米高速空母部隊は南鳥島、秩父島等小笠原諸島の島々を空襲。沖縄への上陸作戦は20年の4月7日であった。

日本本土では北九州で始まったB-29による空襲が軍事工場関連のみならず、市街地にも行われ、最大規模は3月10日の東京大空襲である。
市民を含めた10万をこえる死亡者、行方不明者を出したこの空襲は、昼間の通常爆撃で家屋建物を粉砕し燃焼しやすくさせ、その後焼夷弾を巻き大火災を発生させるといった念入りのものであった。
市民を巻き込んだこの爆撃は中国における日本の侵略行為の報復として行われ、戦略爆撃の提唱者、カーチス・ルメイは後に、自衛隊の組織化に貢献したとして、源田実の推薦を受け勲章を貰う事になる。
日本の各地は焦土と化し、広島、長崎は人類史上初の核攻撃を受ける。

ヤルタ会談で日本の無条件降伏迄戦うといった決めごとの裏でソ連は参戦の機会を疑い、ルーズベルト大統領は終戦を焦ったとする説がある。
そのルーズベルトは日本降伏以前に永遠の眠りについた。

そして日本は昭和20年8月15日を迎える。
国家首脳、軍部で始めた戦争は、戦争の理由を知らない多くの人達の骸を重ねてその終焉を迎えたのである。
‐完‐

真珠湾攻撃より今年は70年を迎える。
今年は東日本大震災があり、何もなければ考える事の無い感慨を考える年であった。
福島県では東京電力の福島第一原発の放射能漏洩問題が大きな問題となった。
何もなければその爆発的な発電能力の恩恵を受け不自由の無い生活がおくれたはずが、その順風満帆さ故に原発の持つ潜在的恐怖に目を瞑り、今度の様な有事によってその恐怖が現実になると手のひらを返し原発の非を訴える様は、敗北を知らずに戦争に突入する様に本質的に似ている気がする。

それまでの戦争で完全敗北をしていないが為に軍事行動と言う手段を選ばせてしまった気がする。
要するに勝てば官軍なのである。
しかし始末の悪い事には戦争突入のきっかけを作り決断するのは国家首脳陣、軍上層部で、恐らく戦争突入を知る国民も実戦に投入される兵隊も知らないのである。
その一部のグレーゾーンの為に多くの人が死ぬのである。

戦争は破壊と殺戮という不毛行為なのだが、その悲惨さを訴えても戦争が無くなる事はない。
またある日突然戦争が始まる事はない。始まるには何か原因がある筈である。
戦争を起こさない為には戦争を知る必要がある。
しかし日本の教育では太平洋戦争に至る経緯を詳しく検証する事は無い。
現代を生きるには源平合戦や安土桃山を勉強しても意味がない。
鎖国の眠りから覚め近代国家を目指す日本を勉強しなければならない。

太平洋戦争はそれまでの国家の利権のぶつかり合いだけでなく、民族的な問題や世界規模で未来の枠組みを見据えて起きた戦争だと思う。
日本は奇跡の経済復興を遂げるが、それにより盲目になっていたのではないだろうか。
景気好調の実態・本質はどこにあったのだろうか。

太平洋戦争は形的には終わったが実はまだ続いているのではないだろうか。

今回のこのシリーズは真珠湾攻撃と山本五十六を主軸に書いてみた。

山本五十六を考える上で特に気になっている事があった。
ギャンブル好きがクローズアップされている点である。
恐らく当時の軍人では珍しかったのだと思う。軍人はその性質上保守的であったに違いない。

山本を現代の誰かに例えるならば私は小泉純一郎氏だと思う。
山本のギャンブル好きと小泉元首相のXジャパン好きは重なる気がする。
そして絶対的なカリスマ、そしてパフォーマンス、同じではないだろうか。山本はアメリカ通であったし、小泉元首相は横須賀出身で政策も親米路線であった。

山本五十六は非常に優れた軍人として評価が高く、むしろアメリカで高い。
しかし山本を見直す事で戦争に至った経緯を見直す事にもなるであろうし、戦争責任の問題もはっきりするだろうと思う。

戦後の経済、政治、日本の奇跡の復興の原点は太平洋戦争に負けた事にある。
世界規模で不況、金融不安定さが問題となる今、70年前の日本を見直す必要はあるかと思う。

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お久しぶりです。
昨年の10月頃からパソコンの調子が悪かったのですが、やっとパソコンが復活\(^O^) /
体調も良くなったので、久々にブログを拝見したら更新をたくさんされており、見逃した・・・Σ( ̄□ ̄;)と一瞬慌てましたが、さかのぼって読めれるではないか!と気付いて、読み始めるところです。
楽しみです!

2012/1/30(月) 午後 10:26 [ jackie&chackie ]

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jackie&chackie様

返信遅くなりました。ご無沙汰致しております。コメントをどうもありがとうございました。太平洋戦争が始まったのが70年前。人一人の寿命年月ではありますが、歴史と呼ぶにはまだ浅い年月ですよね。過去の歴史に学ぶ事は大事とする一方で、歴史に縛られるのも問題とする意見も多い様です。ただ、この国に身を置く以上、近代日本史は大事かなと言う気がします。
またどうぞ宜しくお願い致します。

2012/2/17(金) 午後 4:31 [ san*e*144ma** ]


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