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四川大地震直前にも見られた光景です。 これは何かの予兆でしょうか。 この他にも異変と感じる事があります。 どうかお気をつけ下さい。 |

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こんにちは、ゲストさん
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四川大地震直前にも見られた光景です。 これは何かの予兆でしょうか。 この他にも異変と感じる事があります。 どうかお気をつけ下さい。 |
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「八つ墓村」の原作者横溝正史氏の活躍期は大きく三期に分かれる。即ち、戦前、戦後昭和20年代、そして映画「犬神家の一族」発表とタイアップした氏の小説本(角川文庫)がヒットした昭和50年以降。
戦中は勿論戦争、そして肺の病気で執筆活動が続けられなかった。戦後は病気が回復し執筆活動を再開、戦中の疎開先、岡山での影響を受けた作品を世に送り出したが、戦後の思想問題やご本人のスランプや出版社の生存競争等の中未完になった作品も多く、不安定な執筆をしていたと聞く。次第に存在感は薄れ、角川文庫、映画の企画がされる直前まで忘却の彼方の存在で、すでに他界しているとの噂まであったと言う。映画や小説のヒットのお陰で再びペンを取り、新生横溝小説が生まれたり、過去の未完の作品を完成させる事に成功した。 「八つ墓村」は戦後の作品で氏の作品の中でも傑作が多く世に出た頃の作品で、俗に「岡山もの」と呼ばれる内の一巻である。そして注目すべきは、氏の作品では過去の事件が影響する事は多くあるが三期に渡った展開はこの作品位だろうか。厳密に言うと三期に渡った展開は、尼子義孝の祟りを利用した小説と違い本当の祟りにした本作だけである。 「八つ墓村」の三時代の事件とは1566年(うる憶え )の落武者惨殺、昭和22年(推定)そして昭和50年の辰也が遭遇する事件。
落武者惨殺を別にしても、原作者、横溝正史氏の執筆活動が映画で描く三時代に重なって見る事は出来ないだろうか。野村スタッフは来るべき横溝ブームの到来を信じていたと思うし、エンドロールが辰也の誘導した旅客機が大空に滑空していくのがその象徴として映る。そして横溝正史氏の時代は来たのである。 原作の骨格、日本的な因習、情念、血統の流れを折り込み、さらに上記の内容をも捉えて見ると、今までとは違う見方ができた。グロテスクなシーンな過剰演出と本当の祟りにしてしまった事でホラー映画のイメージが強いが決してそんな事はない。 この映画はグロテスクなシーン以上に大変美しいシーンが多い。冒頭の落武者が逃亡の途中の山や川、谷、そして村。物語進行中でもロングショットで写された自然。物語の舞台で中核を成す鍾乳洞。劇中、芥川也寸志氏作曲の「道行のテーマ」にのせての辰也の出生地、「龍の顋(りゅうのあぎと)」鍾乳洞探索はまさに圧巻。そしてクライマックスの田治見家崩壊。 スケールの大きく美しい映像はあまたある金田一映画で群を抜いている。 |
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辰也は真相を究明すべく村に残る。出生の秘密、糸口の見えない殺人事件、よそ者を嫌う村人に囲まれ疑心暗鬼に苦しむ辰也。そして犯人は確実に目的を達成していく。そして意外な結末に対峙する。
恐ろしいまでの傑作だと思います。原作から一脱した脚色は賛否両論あるみたいです、判断は観る人よりけりです。何年かぶりに再鑑賞して新たな発見がありました。 やはり強烈な印象を残すのは要蔵の32人殺しの場面。桜吹雪の中日本刀、ライフルを携え、頭に懐中電灯二本をゲートルで固定した鬼の形相の要蔵が走って行くシーンが恐ろしくもあり美しくもあるからです。
戦前、岡山で起きた「津山事件」がモデルで、単独犯行では最多の犠牲者が出たと聞く。 この要蔵と尼子義孝(夏八木勲)が騙し打ちに合うシーン、そして最後の田治見家の滅亡のシーンの迫力は凄い。出来る範囲で如何に怖がらせるかを職人技で創ったパワーを感じる。それまでそれほどの残虐シーンを持った映画は無かったと思われる。しかも場面一つ一つが丁寧で時にはスローモーションで描き、サム・ペキンパーをも彷彿される演出、容赦の無い人間破壊劇に、今になって正視ができなくなってしまった。TV放映は今後はあり得ないと思う。 折りしも角川映画第一作、市川昆監督による「犬神家の一族」が大成功をおさめ、横溝ブームで沸いていた頃だが、驚くべきは本作の制作が「犬神家の一族」の制作より早かった事。野村スタッフは「砂の器」成功に甘んじず、次回作は横溝作品しかあり得ないと決め慎重に制作を進めていたと言う。角川映画も制作には協力していたものの慎重さについていけず市川スタッフによる「犬神家」を制作した逸話が残っている。決して二匹目のドジョウ作品で無い事が解る。 さて、この作品、私が特に違和感を感じたのが年代の設定。即ち、原作の時代設定は昭和20年代から50年代に変更した事。勿論原作とおりの設定でも制作できるはずである。何故そうしたのか。 |
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桜咲く季節となりました。
しかし先日の暴風雨にはびっくり。ひょっとして咲きかけた桜も散ってしまうのかとも思いましたが心配には及ばず、週末には桜が満開となりそうです。
さて、桜と言えばある映画を思い出します。題名は「八つ墓村」1977年の松竹作品。野村芳太郎監督。
この映画の中盤、桜舞い散る中を鬼の形相をした男が駆けていくシーンが大変美しく恐ろしい場面として記憶に刻まれております。
以前別のブログにアップしたものをこちらでもアップしてみたいと思います。
寺田辰也(萩原健一)は空港の航空機誘導員。ある日新聞尋ね人欄に自分を探している法律事務所があるのを知り、大阪の諏訪法律事務所を尋ねると老人が一人待っていた。井川丑松(加藤嘉)と言い、辰也の母方のおじいさんであると言う。丑松の故郷、岡山県の山奥の山村に一緒に帰って欲しいと言う。
辰也は元々その村の出で父親はその村の大地主田治見家の先代、要蔵(山崎努)なる人物。辰也の母鶴子(中野良子)は要蔵に辱めを受け、やがて生まれたのが辰也と言う。正妻の子で当主の久弥(山崎二役)は病弱で余命幾ばくもない。妹の春代(山本陽子)は子の生めない体で嫁ぎ先から永の暇を出されたと言う。家系存続にどうしても辰也が必要で丑松が迎えに来たのだが、あろう事か辰也との面会の席上吐血し落命してしまう。誰かに毒をもられたらしい。
辰也はお葬式を済ませる為、そして出生の秘密を確かめる為に村に行く決心をする。迎えには田治見家の分家、森家から美也子(小川真由美)が来た。
美也子は森家の後継者の嫁として森家に入ったものの先立たれ、若くして未亡人となり、実業家として森家を切り盛りしていた。 辰也はかつて村の名前の起源、即ちこの村で起きた落武者八人殺しの話を美也子から聞いた。毛利との戦いに敗れた尼子義孝とその家来がこの地に落ち延びたが、毛利家の落武者狩りの命はこの地にもおよび、村人は夏祭りの夜騙し打ちを計画したのだという。義孝は絶命の際「末代まで祟ってやる」と言い残し果てた。村人のリーダー格、庄佐衛門の直系の子孫が田治見家でその時の恩賞が基で大地主となったと言う。更に後日談は続く。庄佐衛門がある時発狂し村人七人を道連れに自殺し、しかも死んだ者は騙し討ちに加担した者たちであった。村人はこれは祟りに違いないと恐れ、義孝達の墓を立てて八つ墓明神として弔い、故に八つ墓村の由来となった。と言った内容であった。 辰也が親類との顔合わせの席上、今度は久弥も殺される。また、辰也はひょんな事から屋敷のお蔵から地下の鍾乳洞に抜ける道を発見し、そこで死んだはずの久弥のミイラを見つける。春代によればこれが要蔵なのだと言う。そして春代から語られ話は信じがたい話しだった。鶴子脱走から発狂した要蔵が桜吹雪の中村人を襲い32人の死亡者を出したと言う。 |
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山本がブーゲンビルで戦死したのは昭和18年4月18日であった。
地上部隊が墜落機の捜索をし、発見した時には腐乱が進み、ほとんどの死体には蛆虫がたかっていたが、山本と軍医の死体は綺麗であったと言う。 この事から、山本は墜落後も暫くは生存していたのではないかという説がある。 二番機は海上へ不時着し、参謀長、宇垣纏他二名は奇跡的に助かった。そして護衛の戦闘機6機の搭乗員達は全員がラバウルに生還した。長官機を守りきれなかった事に関しては一切のお咎めはなかったが、この後の航空作戦に従事し、戦後まで生き延びたのは負傷し片腕となった柳谷一飛曹のみであった。 山本の死は士気に関わるとして暫く公表されなかったが、6月5日に国葬として弔われた。 6月5日はその一年前、ミッドウェイ海戦にて大惨敗した日であり、戦死した4月18日の因果も考えると単なる偶然ではない不気味さがある。 山本死して後、後任には古賀峯一大将が選ばれた。 戦闘の中心は依然として南東太平洋海域、ソロモンの空であった。 18年11月にはろ号作戦を発動する。かつてのい号作戦同様、ラバウル基地航空勢力と空母艦載機による攻撃で主目標はブーゲンビル方面の米軍であったが、この頃になると米軍は新鋭の戦闘機、攻撃機が配備され、レーダーを利用した防空態勢も確率され、日本軍航空機185機を失う大惨敗となり、加えて米軍のブーゲンビル上陸を許してしまう。 同じ頃、アメリカ軍はギルバート諸島の攻略を多大な犠牲を出すも攻略を果たす。 翌19年、米軍はそれまで固執していたソロモン海域から突如トラック島方面に変更。連合艦隊の拠点トラック島は米空母艦載機の空襲により大打撃を受け基地機能を失う。 日本軍はマーシャル、マキン、タワラ等の占領地を奪われ占領地は縮小しており、これを押し返す力も残されていなかった。 よって、縮小した勢力範囲を絶対国防圏と定め、それがフィリピン方面とマリアナ方面であった。 この頃米軍の長距離大型爆撃機が完成したとの情報があり、マリアナを失えば、日本は直接攻撃を受ける事は間違いなかった。 またフィリピンを失えば資源が手に入らない事になる。 米軍は5月に入るとサイパン島上陸を果たす。 6月に起きたマリアナ沖海戦はミッドウェイ海戦を越える規模の機動部隊決戦となったが、機動部隊はほぼ壊滅し失敗に終わる。 このマリアナ沖海戦の直前、古賀長官は飛行機による基地移動の際行方不明となり後に戦死と認定される。 後任は豊田大将が選ばれた。 この作戦失敗によりマリアナを失い、サイパン、グアムにはB-29の滑走路が作られる。 またこの頃陸軍もビルマ方面での作戦、インパール作戦が失敗しており、これにより東条英機は失脚する事になる。 10月に発動した捷一号作戦はフィリピンのレイテ島に上陸した米海兵隊を撃滅する為の作戦であったが、なぐり込み部隊であった栗田健男中将は泊地突入を前に反転。目標を果たさず大犠牲を払い、事実上連合艦隊は壊滅する。 尚この海戦に合わせて編成されたのが神風攻撃隊であり、一機一艦を葬るこの攻撃が終戦まで続けられる。しかし米軍の防空態勢は念入りで戦果はほとんど無いままに特攻隊員は命を散らしていくだけであった。 この身を呈した自殺攻撃は世界戦史にも例は無い。 特攻司令官とされた大西瀧二郎は先に逝った多くの隊員に深謝、遺書を残し終戦の日に介錯無しの割腹自殺を遂げる。 特攻攻撃に関わる将官で命と引き換えにしたのは大西と宇垣だけであった。 絶対国防圏を失った日本は米軍の戦略爆撃を受ける事になる。 また、マリアナを足掛かりとした米高速空母部隊は南鳥島、秩父島等小笠原諸島の島々を空襲。沖縄への上陸作戦は20年の4月7日であった。 日本本土では北九州で始まったB-29による空襲が軍事工場関連のみならず、市街地にも行われ、最大規模は3月10日の東京大空襲である。 市民を含めた10万をこえる死亡者、行方不明者を出したこの空襲は、昼間の通常爆撃で家屋建物を粉砕し燃焼しやすくさせ、その後焼夷弾を巻き大火災を発生させるといった念入りのものであった。 市民を巻き込んだこの爆撃は中国における日本の侵略行為の報復として行われ、戦略爆撃の提唱者、カーチス・ルメイは後に、自衛隊の組織化に貢献したとして、源田実の推薦を受け勲章を貰う事になる。 日本の各地は焦土と化し、広島、長崎は人類史上初の核攻撃を受ける。 ヤルタ会談で日本の無条件降伏迄戦うといった決めごとの裏でソ連は参戦の機会を疑い、ルーズベルト大統領は終戦を焦ったとする説がある。 そのルーズベルトは日本降伏以前に永遠の眠りについた。 そして日本は昭和20年8月15日を迎える。 国家首脳、軍部で始めた戦争は、戦争の理由を知らない多くの人達の骸を重ねてその終焉を迎えたのである。 ‐完‐ 真珠湾攻撃より今年は70年を迎える。 今年は東日本大震災があり、何もなければ考える事の無い感慨を考える年であった。 福島県では東京電力の福島第一原発の放射能漏洩問題が大きな問題となった。 何もなければその爆発的な発電能力の恩恵を受け不自由の無い生活がおくれたはずが、その順風満帆さ故に原発の持つ潜在的恐怖に目を瞑り、今度の様な有事によってその恐怖が現実になると手のひらを返し原発の非を訴える様は、敗北を知らずに戦争に突入する様に本質的に似ている気がする。 それまでの戦争で完全敗北をしていないが為に軍事行動と言う手段を選ばせてしまった気がする。 要するに勝てば官軍なのである。 しかし始末の悪い事には戦争突入のきっかけを作り決断するのは国家首脳陣、軍上層部で、恐らく戦争突入を知る国民も実戦に投入される兵隊も知らないのである。 その一部のグレーゾーンの為に多くの人が死ぬのである。 戦争は破壊と殺戮という不毛行為なのだが、その悲惨さを訴えても戦争が無くなる事はない。 またある日突然戦争が始まる事はない。始まるには何か原因がある筈である。 戦争を起こさない為には戦争を知る必要がある。 しかし日本の教育では太平洋戦争に至る経緯を詳しく検証する事は無い。 現代を生きるには源平合戦や安土桃山を勉強しても意味がない。 鎖国の眠りから覚め近代国家を目指す日本を勉強しなければならない。 太平洋戦争はそれまでの国家の利権のぶつかり合いだけでなく、民族的な問題や世界規模で未来の枠組みを見据えて起きた戦争だと思う。 日本は奇跡の経済復興を遂げるが、それにより盲目になっていたのではないだろうか。 景気好調の実態・本質はどこにあったのだろうか。 太平洋戦争は形的には終わったが実はまだ続いているのではないだろうか。 今回のこのシリーズは真珠湾攻撃と山本五十六を主軸に書いてみた。 山本五十六を考える上で特に気になっている事があった。 ギャンブル好きがクローズアップされている点である。 恐らく当時の軍人では珍しかったのだと思う。軍人はその性質上保守的であったに違いない。 山本を現代の誰かに例えるならば私は小泉純一郎氏だと思う。 山本のギャンブル好きと小泉元首相のXジャパン好きは重なる気がする。 そして絶対的なカリスマ、そしてパフォーマンス、同じではないだろうか。山本はアメリカ通であったし、小泉元首相は横須賀出身で政策も親米路線であった。 山本五十六は非常に優れた軍人として評価が高く、むしろアメリカで高い。 しかし山本を見直す事で戦争に至った経緯を見直す事にもなるであろうし、戦争責任の問題もはっきりするだろうと思う。 戦後の経済、政治、日本の奇跡の復興の原点は太平洋戦争に負けた事にある。 世界規模で不況、金融不安定さが問題となる今、70年前の日本を見直す必要はあるかと思う。 |
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