☆三条かっぱのきまぐれBLOG★ 〜かっぱの川流れ〜

こんにちは、しばらく更新していません。 たまに更新しようと思います。でもなかなか出来ない状態です。

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住吉大社のほど近くに一運寺というお寺があります。

ここは、聖徳太子によって開かれました。

最澄や空海も説法を行ったと言われている由緒正しい寺です。

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また、境内には赤穂浪士である大石義雄 (大石内蔵助=おおいしくらのすけ)・主税父子や寺坂

吉右衛門の墓があります。

これは、赤穂浪士を資金面で援助した大阪商人・天野屋利兵衛の子孫が後に建てたものです。


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なぜ、一運寺に赤穂浪士のお墓があるかと・・・・・・。

もともと赤穂浪士と一運寺は、何の縁もありません。

一運寺から少し離れた四十七士の墓がずらりと並ぶ龍海寺というお寺が、明治の頃に廃寺と

なり、墓石が庭石などにするため持ち去られたり、または砕かれたりしました。

これを見た一運寺の住職さんが、残されていた大石父子と寺坂吉右衛門の墓を一運寺内に運ん

で供養することにしたのが始まりです。

龍海寺というお寺は、赤穂浪士の支援者だった天野屋 利兵衛の菩提寺でした

利兵衛は、大石の依頼で、討ち入り用の武具を大量に用意したのですが、それを作った堺の職人

達が思わぬ収入を得て、当時武家か一流の商人しか出入しなかった住吉の料亭三文字屋(現:住

吉警察署)でドンチャン騒ぎをしたのです。

この時、たまたま隣の座敷で大阪町奉行所の与力衆が宴会をしていて、これは何か変だぞと言う事

で発注者の利兵衛を捕まえて拷問しますが、利兵衛は「天野屋利兵衛は男でござる」と、決して赤穂

浪士の討ち入りのことは吐かなかったというわけです。




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