文太郎の日記帳

景気、財政赤字、国際経済、政治・政局、世界情勢、日米関係など現代の諸問題を広い視野で解明します。

エコノミストの時評

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反民主新党の可能性

 自民党の与謝野馨元財務相が4月3日に谷垣禎一総裁に会って同月7日付の離党届を提出し、園田博之前幹事長代理も週明けに離党届を出す予定と伝えられる。両氏は、すでに新党結成の意思を表明している平沼赳夫元経済産業相(現在無所属)と合流して新党を結成する予定で、自民党の藤井孝男元運輸相もこの新党に参加するほか、先に自民党を離党した鳩山邦夫元総務相もこれに参加する意欲を示している。
 この新党の代表には平沼氏と与謝野氏が共同代表となる見通しという(NHK、3日)。しかし、この新党構想については、「政策面では、与謝野氏は小泉政権時代に郵政民営化をまとめた政調会長であり、財政規律派」であるのに対し、「平沼氏は郵政民営化反対の急先鋒で財政積極論者。これらの政策では水と油だ」という痛烈な批判がある(産経、4日)。
 それに、与謝野、平沼両氏には新党のトップとしての魅力・新鮮さが欠けているし、政権への戦略がない。お気の毒ながら、この新党には未来がないだろう。
 
 政党にとっては、というより、あらゆる政治闘争・権力闘争に参加する組織集団にとっては、誰がトップ(首領)であるか(あるいは、それになるか)が絶対の先決要件である。平家は清盛の統率下で、源氏は頼朝の下で権力を獲得した。織田信長、豊臣秀吉、徳川家康のすべてがそうである。リーダーなき集団は烏合の衆に等しい。また弱将に率いられた集団は衰退する。
 現在の民主党中心の政権にあっては、鳩山首相にリーダーシップが不足し、かつ鳩山氏と小沢民主党幹事長との二重権力状態の支配の下にあることが、政治迷走の根本原因である。
 自民党は、竹下登氏が首相になった頃からは、正直に言って、その器でない人物が次々と首相になって政権をたらい回しに(細川護熙内閣などの非自民内閣による中断期を除き)してきた結果、衰退した。そうした首相らしからぬ首相の極めつきが麻生太郎前首相であろう。その中では小泉純一郎元首相のリーダーシップが目立ったが、彼は規制緩和と郵政民営化を追求しただけの、いわば一軍団の将でしかなかった。だから、彼は彼なりのリーダーシップを発揮して、自らの予言通りに「自民党をぶっ壊し」た。
 
 新党を立ち上げる場合には、トップの重要さは既存政党の場合よりさらに大きい。なぜなら、その党の下に新しく多くの政治家(国会議員及びその候補者)を結集することが必要だからだ。 
 私が直ちに想起するところでは、その点で戦後に成功した新党の例は、鳩山一郎を総裁に担いだ日本民主党の結成(1954年11月。その前年に分党派自由党を結成していた)と、細川護煕氏による日本新党の結成(1992年5月)であろう。  
 
 鳩山一郎は、敗戦直後(1945年11月)に結成された日本自由党の総裁に就任し、46年4月の戦後第1回の衆議院選挙で自由党を第1党に導きながら、首相就任直前に占領軍命令により政界から追放された“悲劇の政治家”となった。鳩山追放後に自由党が急遽外部から総裁として導入したのが元外相(敗戦直後の東久邇宮内閣と幣原喜重郎内閣)の吉田茂で、彼が鳩山に代って首相に就任した。 
 その後、鳩山は51年8月に追放を解除され、自由党に復帰したが、その直前の6月に脳出血で倒れたこと(その後相当程度に回復)、53〜54年頃には吉田内閣が末期症状に陥りながら吉田首相が退陣しなかったことなども、鳩山への周辺の同情を強めた。
 要するに鳩山一郎新党総裁には、権力継承の正統性、衆望と期待そして世の同情があった。その結果、日本民主党は自由党を上回る比較第1党となって鳩山一郎内閣が成立(54年12月。自民党総裁は緒方竹虎に交代)、民主党は翌55年2月の総選挙でも第1党となった。
 
 細川護煕氏の場合には、1990年代初頭、リクルート事件、東京佐川急便事件などに見られる政治腐敗や、政治・行政改革の停滞などに対する国民の不満を背景に、硬直化した55年体制(与党・自民党と野党・社会党の不毛な対立)を打破すべく唱えた保守二大政党論が新鮮だった。
 また細川自身が旧熊本藩藩主の後継であるという出自、熊本県知事を2期務めたあと、「権不十年」(10年以上権力の座にいるべきではない)と唱えて3期目に立たず、政治改革をスローガンに中央政界に転じたスマートさ、新党の党名を公募で決定する新しさなどが人気を集めた。
 日本新党結成後の翌年の総選挙で同党は35議席を獲得、他方で自民党が過半数を割り、野党第1党の社会党も大敗した状況の下で、小沢一郎新生党代表幹事の推薦で、93年8月に7党1会派による連立政権の首相に就任した。そして、94年4月までの在任期間中に小選挙区制の導入を実現した。 
 要するに、細川氏の場合には、時の運もあったが、目指す政治の方向がはっきりしていたし、それなりのリーダーシップがあった。
 
 対して与謝野氏の場合はどうか。彼からは民主党支配の打破、さしあたっては今夏の参院選挙における民主党の過半数獲得の阻止が目標であることと、それに向けて自民党執行部の刷新を求めたけれども谷垣総裁がこれに応じないのが不満であることが聞えてくるぐらいで、かんじんの政策理念も具体的政策も示されていない。
 同氏は3日の谷垣総裁との会談で、「驚くような若い人たちの起用」と、「自民党の政策軸や政治のパラダイム(時代の支配的枠組み)の再検討」を訴えたといわれるが、「党を去るからには与謝野氏自身がそのことを具現化する必要があろう」と批判されている(毎日社説、4日)。
 そもそも、「驚くような若い人たちの起用」を説く彼が、71歳にして新党代表に座ることの矛盾を感じないのだろうか。それに、そこまで自民党の奮起を求めるなら、09年9月の自民党総裁選挙に立候補しなかったのはなぜか。そういえば、彼は麻生内閣にピッタリ寄り添って協力しながら、同内閣が瀕死の状態に陥った時に麻生氏に退陣を迫ることがあった。
 要するに、与謝野氏はいつも脚光を浴びたいオポチュニスト(日和見主義者、ご都合主義者)のように思われる。
 
 では平沼氏はどうか。彼は小泉内閣の時に郵政民営化に反対し、その後もその節を曲げずに自民党を離党、06年に郵政造反組の自民党議員の復党が認められた時も、彼だけは党から示された郵政民営化承認という復党条件への署名を拒否して、無所属を貫いた。その点では、与謝野氏とは違い、一貫性のある政治家である。
 しかし、平沼氏の政治信条は、閣僚の靖国神社への参拝に賛成、自主憲法制定、女系天皇の容認への反対、旧日本軍慰安婦への強制(といわれていること)は事実無根とする見解など、保守色濃厚なものである。
 そこで、平沼氏と与謝野氏が組む新党は「保守色の強い自民党支持層が基盤になる公算が大きい。そうであるならば、与謝野新党で支持を失うのは自民党であり、民主党の支持率にはさほど影響しない。さらにみんなの党も打撃を受ける」(MSN産経ニュース、3日)との観測が出て来る。
 さらに、「与謝野新党で得するのは実は民主党なのかも知れない」とし、その「背後に小沢氏の影?」(同上、見出し)といった疑心暗鬼まで生まれているほどだ。
 
 ひるがえって、現在の民主党のような強大与党を有効に攻撃するには、まとまった勢力が必要である。強大な敵軍に少数で立ち向かうのは、所詮、ゲリラ戦に過ぎない。平沼・与謝野新党には、今のところゲリラ戦集団以上にふくれあがる展望はないようである。現に与謝野氏は3日に谷垣自民党総裁と会談した際、自分の離党は「自民党の分裂ではなく、与謝野馨が去ったということだと考えてほしい」と弱気な発言をしている(NHK、3日)。
 現在、まとまった政治勢力は言うまでもなく自民党である。そうすると、もし最も有効・有力な反民主党の政党を作り上げるのであれば、それこそ与謝野氏が言うように驚くほど若いリーダーの下で自民党執行部を再組織し、その上で同党を解体し、平沼・与謝野新党、みんなの党と合同して、あらためて保守新党を作ることではないだろうか。逆にそうした改革をしなければ、自民党はじり貧をたどるのではないか。 
 果して、そうした改革を実行できるような、自民党の新しい強いリーダーがいるのかどうか、それは私にはわからない。  (この項 終り)

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