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5月9日にEUとIMFによる7500億ユーロの欧州安定化メカニズムが決定されたことを受けて、翌10日には日中に1ユーロ=1.3093㌦の高値に回復したユーロ相場も、14日には再び1.2359㌦へと5.6%も下落、2008年11月以来の安値をつけた(Finanncial Times 電子版、5月14日)。このユーロ再下落と欧州経済の先行きへの不安の増大で、14日以後、株式相場はほぼ世界中で急落した。
すこし前のユーロ下落は、主としてギリシャへのユーロ圏諸国の支援が最終決定に至っていなかったために、ギリシャ国債がデフォルト(支払不能)に陥るのではないか、という危惧が主因であった。ところが、ギリシャへの支援、及び似たような財政危機にあるユーロ圏諸国への支援準備のメカニズムと支援額が決まった後での今回のユーロ下落は、支援を受けるギリシャや、支援を受ける可能性のある国(ポルトガルやスペイン)でとられつつある財政緊縮措置が、これらの国の経済成長にマイナスに作用し、またその負の影響がユーロ圏全体に及ぶのではないか、という恐れに発するものだという。 さらに、「ユーロが崩壊に向かっている」との懸念があると伝える報道もあり(Bloomberg 電子版、14日)、それがユーロに関する不安を増幅しているようだ。 そもそも、今回のユーロ動揺の発端となったのはギリシャの財政危機であり、それを解決するためには、①ギリシャ自身が財政危機克服のために抜本的な赤字削減策をとること、②そうした措置が成果を生み出すまでの当面の国債の支払(返済)危機を回避するために国際的な資金援助を行うこと、の2点が必要とされた。 国際的なユーロ売りは、まず①のギリシャの財政危機とそれに伴う支払危機を材料とし、次いで②の資金援助(ユーロ圏諸国からの)がなかなか決まらない、ということを材料にした。 ところが、国際的な資金援助が予想を遙かに上回る規模で決まり、またギリシャ自身も、そうした援助の条件として、厳しい財政緊縮措置を議会で決定したとなったら、こんどはそうした財政緊縮や、スペインやポルトガルが最近とりつつある緊縮措置が不況を招きそうだからユーロを売るという。
厳しい財政緊縮が景気にとってマイナスに作用することは初めからわかっていたことであり、しかも市場がもともと求めていたことだった。ということは、市場、というよりは実際には国際的な投機筋が、何であれユーロは弱体化する、と読んでユーロ売りを仕掛けていると見ていいだろう。 実際、米商品先物取引委員会(CFTC)が発表した、シカゴ市場での通貨先物取引のデータによると、投機筋のユーロ売越額(対ドル)は5月11日時点で142億ユーロに増加、3週連続で過去最高を更新した(日経、16日)。このユーロ売り越しは昨年12月にギリシャの財政不安が台頭して以来のもので、5月第3週末(14日)にかけてのユーロ安も「投機筋のユーロ売りが主因との見方が広がっている」(日経、同上)。 しかし、ヨーロッパ諸国でとられつつある財政赤字削減策が景気にマイナスに影響するとしても、現在の世界景気においてその回復を主導しているのは中国、インド、韓国などのアジア諸国であるから、かりに欧州景気が悪化しても、それがある程度世界景気にマイナスに作用するとしても、景気を二番底に引き落とすほどの影響力はないであろう。
日本の場合、その全輸出に占めるEU向け輸出の比率は、09年度(会計年度)において12.6%に過ぎず、対中国1国の19.1%に及ばない。なお、同年度の対米輸出の比率は15.8%、対全アジア諸国向け輸出は55.1%だった(財務省、貿易統計)。 つまり、いまや日本の全輸出の半分以上はアジア諸国向けになっているのだ。これに米国向けを加えると70.9%に達する。 このような日本の最近の貿易構造を考えると、中国で現にとられつつあるインフレ抑制のための金融引き締め政策の行方の方が、欧州の景気動向よりもずっと影響が大きいだろう(もちろん、個々の企業の場合には、欧州景気とユーロ安で大きな影響を受けるところがあるのはいうまでもないが)。 では、ユーロ圏の諸国にとってはユーロ安はどのように影響するか。当「診断録」5月9日号で触れたように、ドイツなどヨーロッパの諸国では、自国通貨(すなわちユーロ)の下落は、輸入価格や海外旅行コストの上昇を招くので一般国民からは反対されるが、しかしこれら諸国の輸出にとっては為替相場の下落で 輸出が促進されるという効果が見込める。そのことは、財政緊縮に伴う不況要因をある程度相殺する役割を演ずる。その意味では、ユーロ諸国にとっては、ユーロ安は自国民の不満及び対外威信ということを別とすれば、さしあたり経済運営上に新たな困難をもたらすものではない。
しばしば次のように言われる。すなわち、一般の国(ユーロ圏以外の)の場合には自国通貨が危機に陥った時には、その為替相場を切り下げて危機に対応することが出来るが、ギリシャのようにユーロ圏の国にはそれが出来ない、と。たしかに、ギリシャがユーロ圏を離脱しない限り、同国には為替相場での裁量の余地はない。
ところが、実際には、ギリシャではまさに自国通貨であるユーロが下落しているのであり、その点では実は一般の国とほぼ同じことが起こっているのだ。 ただ異なる点は、ギリシャ通貨安=ユーロ安ということの結果、別に下落する理由がないドイツなどでも、同じユーロ圏に属するために不要な通貨下落が起きてしまっている、ということである。端的にいえば、ユーロ安は、ギリシャのように特に厳しい財政緊縮でそのデフレ作用を受ける国にある程度の緩和作用をもたらすが、ドイツなどにとっては余分の通貨安ということである。 その意味で、欧州も、ひいては世界全体も、過剰な通貨調整に追い込まれている、と言えるだろう。だが、その影響はやはり限定的だろう。 さて、本稿初めで見たようなユーロ崩壊説をどう見るか。そのような説が出てきたのは、スペインの新聞エル・パイスが次のような記事を載せたからだ。すなわち、スペインのサパテロ首相が自らが率いる社会労働党の党員に語ったところによると、ギリシャ支援を協議した5月7日のEU首脳会合で、サルコジ仏大統領は「欧州全体が支援に関わらなければフランスはユーロ圏を離脱する」と発言して、支援に消極的だったメルケル独首相を説得したのだ、と。
サパテロ首相から話を聞いた別の人の話では、その際サルコジ大統領は握りこぶしをテーブルに叩きつけ、ユーロを脱退すると脅した、というのである(ロイター電子版、5月15日)。これとほぼ同様の情報を日経(15日)も伝えた。 このスペイン紙の記事の致命的弱点は、その7日にはすでにドイツの国会がギリシャへの支援を認める法案を議決していたことを知らないでいた、ということだ。また、同紙は現在のEU条約やEU運営条約には、ユーロからの離脱の規程がないことも無視している。
それに、国際的な首脳会談で、ある国の首脳が他国の首脳に対し「握りこぶしをテーブルに叩きつけて脅す」などということは、国交断絶を覚悟の上でなければまずあり得ない。まして、戦後長らくかけて築き上げてきた独仏関係を考えればなおさらのことである。 ドイツ政府のハイムバッハ副報道官は14日、そうした報道には「根拠がない」と否定している(ロイター、同上)が、当然だろう。 さらに、この記事が述べていることの政治的・経済的意味を考えれば、そこにはたいへんな見当違いがあることにすぐに気づく。なぜなら、フランスがユーロ圏を離脱するということは、EU形成とユーロ創設に至るまで、欧州統合へ向けて努力してきた戦後フランスの全努力、それはまた欧州統合におけるイニシァティブをとることを通じて、米国、ソ連(現ロシア)に続く世界政治上の大国になろうとしてきたフランスの努力を水泡に帰すことになるからだ。
それに、もしフランスがユーロ圏から脱退すれば、ユーロ圏、ひいてはEUの指導権は決定的にドイツに移行することになろう。それは、敗戦国として、フランス主導の欧州統合に協力してきたドイツにとっては思わぬ収穫であろうが、フランスにとっては歓迎できないことだ。 だから、スペイン紙が伝えたような仏大統領の発言なるものは、なんの「脅し」にもならない性質のものなのだ。 これが、もし、ドイツがユーロからの脱退をほのめかしたという話であれば、それはある程度の信憑性を持つだろう。なぜなら、ユーロへ移行する前のドイツ・マルク(D−Mark)は欧州最強・最安定の通貨であったし、いまでも多くの一般ドイツ国民は自国通貨がマルクに復帰することを願っているくらいだからだ。それにマルクに戻れれば、ドイツはギリシャのような“だらしがない国”を支援する必要もなくなるだろうから。
もちろん、現実にドイツ政府自身にユーロ離脱の意思はない。しかし、ユーロの規律を守れないような国はユーロ圏から離脱した方が望ましいとひそかに考えていることは否定できないと思う。当「診断録」2010年2月14日号で紹介したように、ドイツの国内には、EU条約にユーロ離脱の規定を盛り込むべきだとする有力な意見がある。そうして弱い国々を離脱させて、ユーロ圏諸国を「同質なもの」にし、ユーロをより強固にするという考え方だ。 このような意味では、将来はユーロ圏の分裂ということはある得る。しかしそれは上記Bloombergが述べたような「ユーロの崩壊」ではないし、またユーロ全体の「メルトダウン(炉心溶融)」(日経、16日)でもない(このメルトダウンという形容自身が意味不明・無内容だが)。
「崩壊」といえば、その制度が成り立たなくなる、という意味になるが、その意味での崩壊はユーロにはないだろう。それに、どういう経緯によってにせよ、万一、ユーロ制度が解消されることがあったとしても、それによって経済的には世界になにも困ったことは起きないのだ。 現在ユーロ諸国にとって、具体的には財政の比較的健全な国々にとってとって最も警戒を要するのは、ギリシャのような国が続出すること、そのためにさらなる資金負担を負わされることだ。したがって、ユーロ圏としては、圏内各国の財政安定化のために、さらに必要な措置を考えるであろうし、投機を抑制する措置もとるであろう。 現にドイツのショイブレ財務相は、21日に予定されているEUの改革研究グループの会合に、12項目の通貨同盟改革の独自プランを提案すると伝えられる(ツァイト=Zeit電子版及び南ドイツ新聞電子版15日)。 その中には、緊急事態においては債務過剰に陥っているユーロ圏の国に対して、「きちんとしたデフォルト手続きをとらせるべき」との注目すべき案も含まれている(上記南ドイツ新聞)とのことだから、そこにユーロ圏を“純化”させようとのドイツの意思を読み取ることが出来る。 結局、いまヨーロッパで進行しているのはユーロ圏内の一種の調整であり、また今後にその制度改革が予想されるが、それはこれまで進んできた欧州統合の方向を挫折あるいは逆転させるものではないであろう。 むしろ、こうしてEU諸国が早期に景気刺激策からの「出口戦略」に取り組み始めたことは、不況に際しては財政の赤字化を敢えてしても景気刺激策をとるべきとする、従来型の有効需要政策の限界がいよいよ明白になってきた、ということだと思う。 (この項 終り) |
エコノミストの時評
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今日の診断録を読んで、ユーロ諸国は困難な状況となっている今こそ、個々の利害よりもスケールメリットを求めた設立の趣旨を再認識すべきではないか。また、短期の利益ばかりを追求する投機筋の活動を規制する仕組みの強化の必要性を感じました。
不況対策としての景気刺激策が財政悪化をまねき、好況期にそれを解消することができないことを「従来型の有効需要政策の限界」と言うと思うのですが、いつかそれに代わる政策について解説いただければ幸いです。
2010/5/19(水) 午前 6:15 [ ねずみ ]