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菅直人首相は6月11日に衆参両院本会議で就任後初の所信表明演説を行った。
同首相は、この演説の中で自らの政治理念は松下圭一氏の「市民自治の思想」に学んだものであるとか、外交・安全保障政策は現実主義をもとに国際政治を論じた永井陽之助氏を中心とした勉強会で学んだものであるといった調子で、その所信表明を衒学(げんがく)的に飾ったが、総じて今日わが国が直面する政治課題を総花的におさらいした程度で、新首相らしい具体的な見解、方針を示すことはほとんど無かった(演説全文は各紙、11日夕刊ないし12日朝刊)。 そうした見解や方針の欠如を、極めて喫緊な現在の課題に即して例示しよう。 菅首相は「今日、国際社会は地殻変動ともいうべき大きな変化に直面しています」と述べた。ところが、それはどのような変化であるのかについては何も語らない。私なら、「東西冷戦が終結し、社会主義経済がほとんど消滅して市場経済が全世界を覆う中で、一時は米国一極支配の時代になったといわれたが、今や中国が新しい政治・経済的大国として急速に台頭し、米中二極時代到来かといわれる状況が出現した」とでも言うだろう。とにかく、「大きな変化」の内容を述べ、そのことを前提に、日本の対米、対中関係などについて内外にメッセージを発すべきなのだ。 だが菅氏は、「日米同盟を外交の基軸とし、同時にアジア諸国との連携を強化します」といった調子で、自民党内閣の首相でも言いそうなことを語っているだけだ。 だから、日米関係については「今後も同盟関係を深めます」、中国とは「戦略的互恵関係を深めます」、韓国とは「未来志向のパートナーシップを構築します」、日露関係については「最大の懸案である北方領土問題を解決して平和条約を締結すべく、精力的に取り組みます」と、まさに官僚の作文にありそうな、課題の羅列に終っている。
鳩山前首相は、私は彼を空想主義的(実行論を欠く)と評しはしたが、とにかく日米関係についてはその「対等化」を、日中関係については「積極的な改善」を標榜し、自民党的外交からの脱皮を試みようとしていた。だが、菅氏はそのような鳩山路線から離れている。 そういう調子だから、日米関係における現在の具体的問題についても、「普天間基地移設問題では先月末の日米合意を踏まえつつ、同時に閣議決定でも強調されたように、沖縄の負担軽減に尽力する覚悟です」と「覚悟」を述べる程度だ。問題は、新内閣としてどのように負担軽減をし、それについて沖縄県民にどのように理解して貰うかにあるのに、である。
そして首相は、「沖縄を襲った悲惨な過去に想いを致すとともに、長年の過重な負担に対する感謝の念を深めることから、沖縄問題についての仕事を始めたいと思います」と普天間問題を締めくくっている。なんとノンビリしたことか。 また北朝鮮による拉致問題については、「国の責任に於いて、すべての拉致被害者の一刻も早い帰国に向けて全力を尽くします」というのみである。これでは、従来の自民党政府による空約束と変りがないではないか。 経済問題では、「強い経済、強い財政、と同時に強い社会保障の実現を目指します」と大風呂敷を広げているが、当面の問題については「デフレからの脱却を喫緊の課題と位置づけ、日本銀行と一体となって、強力かつ総合的な政策努力を行います」と言うだけだ。これでは、従来から(菅財務相の時から)批判されてきているように、すべて日銀頼りということではないか。 デフレは基本的には需要不足によって起きているのだから、辞任した亀井靜香郵政・金融相が主張していたような財政による需要追加策は採らないのか、それをとらないなら金融政策以外のどのような「強力な政策」を考えているのかを示すべきなのだ。 もし、当面のデフレ克服とそのための需要増加は、金融政策以外には、基本的には輸出の増加に任せるほかはないと考えるのであれば(私は当面はそれしかないと思うし、その力は相当に大きいと思うが)、そのことを明示すべきだ。 経済の長期的な問題については、菅首相は「90年代初頭のバブル崩壊から約20年、日本経済が低迷を続けた結果、国民はかつての自信を失い、将来への漠然とした不安に萎縮(いしゅく)しています」と述べ、こうした「閉塞(へいそく)状況を打ち破って欲しいという期待に応えるのが、新内閣の任務です」と胸を張っている。その言や良し、である。
では、なぜ日本経済は過去約20年にわたって低迷したのか。菅首相はそれは政策の誤りによるという。すなわち、最初の10年は、基礎的なインフラ(インフラストラクチャー、すなわち道路、鉄道、港湾、空港、ダム、電力、通信網などの経済的基盤構造−引用者の加筆)が整備された後なのに、「巨額の公共事業を続けたこと」であり、次の10年は「行き過ぎた市場原理主義に基づき、供給サイドに偏った(つまり需要面を軽視した−引用者加筆)、生産性重視の経済政策が進められた」結果だという。 しかし、過去にそのような政策がとられたのも、まさに経済が低迷していたからである。ところが、実際にとられた政策はそうした低迷状態の改善には無効だった、ということなのだ。だから、過去の政策に対する批判だけでは、問題となっている長期的な経済低迷の原因説明にはならないのである。
現在のデフレ状態も、そうした基礎的な成長力の弱さが影響している。ところが菅演説では、デフレと長期低迷の問題とがまったく切り離されて取り上げられている。そうしたことは、同首相が問題を自ら消化し切っていないことを感じさせる。 これまでの長期低迷の原因は、私は日本経済の成熟段階への移行(これは現在の先進国に共通の要因)と人口減にあると考えている(当「診断録」の2010年1月6日号その他) 。 日本の総人口は2007年の1億2771万人をピークに08年から減少に転じたが、年少人口(0歳〜14歳)は(5年区分で見て)1960年から減少が始まっている。すなわち少子化の始まりである。また人口の中核を成す生産年齢人口、すなわち働き手の人口 (15〜64歳)はすでに1996年から減少に転じた(拙稿「平成長期不況の歴史的位置」、『東京経大学会誌225号』(2001年)所収)。
この生産年齢人口は、生産の主力担い手であるとともに、消費・住宅需要の根幹を成している。少子化に続いてこの年齢層が減り始めたことは、日本の基礎的な需要が減少傾向に入ったことを示す。 現在の日本経済は、中国をはじめとするアジア諸国の高成長の影響で輸出が急速に回復し、それが経済全体の回復を引っ張っている。しかし、その間に長期的な問題の解決を進めておかないと、やがて日本経済は人口減の一層大きなマイナスの力に悩むことになるだろう。 鳩山前首相の場合には、こうした少子化に歯止めをかけようとする政策の端緒を見ることが出来た。子ども手当はその第一着手だと理解できた。ところが、菅首相の所信表明演説においては少子化と人口減に対処しようという考えは非常に影が薄くなってしまっている。
この演説では、これに関連したこととしては、「少子高齢化に伴う労働人口の減少という制約をはね返すため、若者や女性、高齢者の就業率向上を目指します」というくだりがある。ここでは、少子高齢化は潜在的な供給(生産)の制約要因として捉えられており、需要減少の要因としての面は無視されている。これでは、菅首相が過去の政策の誤りとして批判した「供給サイドに偏った」見方と同じではないか。 少子高齢化と社会保障の関連については、菅首相は「これまでの経済論議では、社会保障は、少子高齢化を背景に負担面ばかりが強調され」てきたが、「社会保障の充実が雇用創出を通じ、同時に成長をもたらすことが可能」だと強調している。この考え自体は間違いではない。
しかし、一般的な社会保障の充実で少子高齢化、人口減に歯止めをかけることは出来ない。国立社会保障・人口問題研究所発表の長期人口推計によると、このまま推移すると 、中位推計(注)では、日本の人口は2055年には8993万人と9000万人を割り、その時点での生産年齢人口の比率は51.1%(2010年には63.9%)、高齢人口は40.5%(2010年は23.1%)となる見通しだ。 このような人口構成では、高齢者の年金を現役世代が支えることは極めて困難となるだろう。それを消費税で賄うことなどをすれば、消費需要はいったいどうなることだろうか。おそらく、そうなるまでに、年金の大削減が行われるに違いない。国民はそういう暗い見通しを知りつつあるのだ。 (注)社会保障・人口問題研究所の人口推計には、推計の前提条件としての出生率と死亡率のそれぞれについて、高位、中位、低位の三つのケースを置き、その組み合わせで計九通りの推計を行っている。ここでは、便宜上、出生率、死亡率のいずれも中位の場合についての推計結果を紹介した。
あるいは菅首相は、そうした事態を「若者や女性、高齢者の就業率向上」とそれによる所得の増加で切り抜けられると考えているのだろうか。しかし、高齢者の就業については、そうした労働力の需要・供給の両面から見て、大きく期待することは無理だと思う。
以上のような、人口減に伴う深刻な問題を克服しようとするには、出生率の引き上げにつながるような対策を総動員して実施する必要があるほか、慎重な用意をした上でだが、必要な移民(例えば看護師、介護士のような)のもっと積極的な受入れと、思い切った日本語教育体制(施設と教員の両面での)の充実などが不可欠であろう。 所信表明演説を読む限りでは、菅首相にはこうした人口減問題についての問題意識と対処方針が欠けているようだ。そういうことでは、過去約20年の経済停滞を振り返り、そこから教訓を得ることは出来ない。 以上、要するに、菅首相の所信表明演説では、安全保障・外交政策でも、経済政策でも、人口減対策でも、問題への具体的な解答はほとんど示されなかった。そして民主党らしさは薄くなっている。
願わくは、これが単なる「所信」の表明(課題の確認?)だけで、今後に示されるはずの具体的な「施政方針」にはもっと具体的なものが用意されていること、すくなくともこれから急ぎ用意されることを期待する。 (この項 終り) |
エコノミストの時評
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