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2010年4〜6月期の日本、中国のGDP(国内総生産。名目額、ドル換算)を比較すると、日本の1兆2,883億ドル(118兆5,379億円)に対して中国は1兆3,369億ドル(9兆1,218億元)で、四半期ベースで初めて中国が日本を上回った。すなわち、国内総生産規模で中国が米国に次いで世界第2位の経済大国となり、日本は同第3位となったわけだ。これは内閣府が8月16日に発表した日本の4〜6月期GDPの速報値にもとづく推定である(各紙、16日夕刊および17日)。
10年上半期(1〜6月)の合計では日本の2兆5,871億ドル(236兆2,836円)に対して中国は2兆5,325億ドル(17兆2,840億元)で、日本がまだ中国を上回る(読売、17日)が、両国の成長率の違いを考慮すると、10年通年では中国が日本を上回ることは確実である。日本が西ドイツ(ドイツ再統一前)を抜いてGDPで世界第2位になったのは1968年だったから、42年ぶりのGDPの世界No.2交替になる。 しかし、この交替はかねて予想されていたことで、昨09年にも実現すると見られていたのだった。 それでもこの2位交替、というよりは“日本の2位からの転落”は日本の内外にとってのそれなりの大ニュースで、日本の新聞・TVが大きく取り上げたほか、外国マスコミもNYタイムスなどは16日朝の内閣府によるGDP速報値の発表から間髪を入れずにこの日中逆転を速報したほどだ。
ほかでは、ウォール・ストリー・ジャーナルは「中国が活力ある自信に満ちた国になった一方、日本の20年来の停滞は世界にとっても日本人にとっても悲劇的な状況」だとコメントした(日経、18日)。またNYタイムスは「この一里塚は中国の上昇が本物だと示すこれまでで最も顕著な証拠である。世界は中国を新しい経済超大国ととらえなければならない」と述べ、「日本ではあきらめの空気が漂っている」と報じた(日経、同上)。 米国のマスコミがこの“事件”を単に(米国から見て)経済下位の国の間での勢力交替と見ているのに対し、よりグローバルな視野を持つ英国では、インディペンデント紙が「予想外なことが起きない限り、2030年までには中国が(米国を抜いて)世界第1位の経済になる」との展望を示した(同上)。 この20年来の日本経済の停滞には、自公政権の政策上の迷走の影響があったことは否定できないが、①勃興期資本主義国に特有の高度成長期の終了、②少子高齢化とそれによる人口減少の影響の始まりという日本独自の原因と、③先進資本主義諸国全体の停滞期入りという世界的な原因が働いていることは当「診断録」でしばしば指摘した(09年6月1日号、同11月11日号など)通りである。
他方で、中国、インド、ブラジルなどの新興国や、韓国、台湾、シンガポールなどの「新しい先進諸国」(新工業国あるいは新工業地域と呼ばれる)は今その「勃興期」(注)にあり、現在、従来の先進諸国が景気回復途上で悪戦苦闘しているのを尻目に、ほぼ順調に高成長を続けている。そのような成長力の違いを念頭に置けば、大国中国の経済規模が日本のそれを上回ることは極めて当然のことなのだ。 (注)この言葉は、特別のものではないが、かつて池田勇人内閣(1960年7月〜64年11月)が「所得倍増計画」を推進したときに、池田首相のブレーンだった下村治博士が当時の日本経済の成長力および慢性的インフレーションを「勃興期資本主義」に特有のものと特徴づけたことで広まった。
そもそもGDPの大きさとは「1人あたりの生産額×人口」だから、1人あたりの生産額がどのように増加しているか(それは国ごとの発展段階や政策などで異なる)を別とすれば、人口の大小によって決まる。したがって、経済が発展していれば、人口大国が経済大国になるのはまったく当たり前の話だ。
かつて米国はそのようにして英国を抜いて世界1の経済大国となり、第2次大戦後には日本が西ドイツを抜いて第2位の経済大国となった。そして今、中国が日本を抜いて第2位となり、やがて米国を抜いてNo.1となるだろうことは極めてわかりやすい理屈だ。ただ問題は、中国国内の政治的条件(一党独裁の継続可能性や異民族問題など)の動向を考慮した場合、どこまで順調に成長を続けられるかどうかである。 なお、国連の人口統計および同推計によると、中国の人口は2007年13.28億人、20年14.21億人、50年14.08億人に対して、米国はそれぞれ3.05億人、3.43億人、4.02億人である。ちなみに50年の日本の推計人口は1.03億人。 だから、いたずらに経済規模について世界における国の順位を競うということは無意味かつ有害なことである。どうしても経済規模を大きくしたいということになると、地道に1人あたりの生産額(すなわち生産性)をあげていくことを別とすれば、突拍子もないことだが、他国を併合するしかないであろう。かつて、農業が主産業であった時代に、領主や王が領土の拡大を求めたように。
したがって、私たちは日本の世界経済第3位への“転落”を嘆く必要はない(別の経済政策上に存在する問題を別とすれば)。それは、NYタイムスが書いたような「あきらめ」(上述)ではなく、事実の単なる受入れに過ぎない。あるいは、ひょっとして、米国人の場合は自国が中国に世界経済No.1の地位を奪われそうになったときには、それを“あきらめない”ということなのだろうか?(では何をするのだろうか?) いま現在、中国の経済規模=GDPが日本のそれに並び、そして上回りつつあるということは、中国の人口は日本のそれ(09年は1億2751万人)の10倍以上だから、中国の1人あたりGDP(ひいては所得水準)は日本の1/10だということである。その点につき、中国商務省の姚堅報道官が「GDPは一国の経済の実力の一面を表しているにすぎない」とし、日本との生活水準の差は大きく、「中国の経済発展は遅れている」と述べた(日経、上記)ことは、正しく、かつ冷静な評価である。
そのような発展しつつある中国を隣国として持つ日本としては、そうした大市場の存在と発展をむしろ幸運と受けとめて、それを日本の成長に活用することと、経済大国であるとともに軍事大国を目指しつつある中国とどのように共存するかを研究・模索することが必要であろう。 (この項 終り) |
エコノミストの時評
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