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9月1日に民主党代表選が告示され、立候補した小沢一郎前幹事長と菅直人首相が立候補に伴う共同記者会見を行った。私はそれをTVで視聴した。同人各位もそれを見たか、2日の新聞でその概略を知ったことと思う。したがって、その内容はここでは繰り返さないが、新聞ではあまり触れられていないことで、私の印象に最も強く残った点を書き記しておきたい。
それは、会見を通して見えた両候補者の首相としての資質についてである。なお、この代表選に関連して、政策問題としての最近の円高についてもコメントしておく。 この記者会見において、菅首相は自らの総理大臣としての日々の“精励ぶり”を誇らしげに語り、その仕事ぶりを首相としてのメリットとして訴えたかったようだが、そこには大きなカン違いがあると思う。 菅首相が並べ立てたのは、防災の日である9月1日にはヘリコプターに乗って防災訓練の現場に駆けつけ、救助隊員とともにいかに訓練に励んだかとか、他の日には中小企業の現場に出向いてそこでいかに企業の苦しみや要望を聞いたかとか、国会の予算委員会などでは、毎日いかに長時間首相として真剣に論戦に応じたかといった話である。しかし、急激な円高にどう対処したかといった政策上の重要点については冒頭陳述では一切触れなかった。 首相が種々の現場に出向いているという話は、自らの精勤ぶりを宣伝しつつ、暗に“自分は代表選のために大きなエネルギーと時間を割いているわけではなく、その点で小沢さんのような楽な立場にはいない”と言いたいように聞こえた。
また、予算委員会での論議の話をした際には、「小沢さんが総理として予算委員会で長時間座っている姿を想像できない」と明言した。これは、事実上で“その点だけでも小沢氏には総理は務まらない ”というメッセージを国民に発したものといってよい。これに対しては小沢氏は、「私もかつて閣僚として予算委員会での役目を長時間キチッと務めたことがある」と笑ってやり返していた。 思うに菅首相は、職務に伴う日々の活動をこなすこと、いわゆるルーティン業務を誠実に努めることがトップの役割だと信じているようだ。私も小さな組織に所属した経験(複数)があるが、そこでもやはり、ルーティン業務を熱心にこなしてはそれを吹聴し、そうしたことで嬉しそうに忙しがっているトップを数々見てきた。1日の記者会見を聞いていて、菅首相はまさしくその種の小物のトップであると見えた。
言うまでもないことであるが、本来のトップの任務は、(ルーティン業務をこなすことは当然として)、先行きを見通し、責任を持って組織が求めている判断・決定を下すことにある。 だが菅首相は、例えば円高が急激に進んだこの約1ヶ月間、その対策をほとんどもっぱら日本銀行に“要請”するばかりで、自ら判断を下し、政府としてなすべきことを示し、あるいは担当大臣に命じることをしてこなかった。
せいぜい、「円相場の動向を注意深く見守る」といった抽象的な“口先介入”をしただけだ。なるほど、菅内閣は8月30日に予算予備費などを活用する「追加経済対策」を決定したが、それはさしあたっての過度の円高に即効があるものではない。 この機会に述べておくと、「外国為替及び外国貿易法」には、第7条第3項で、「財務大臣は、対外支払手段の売買等所用の措置を講ずることにより、本邦通貨の外国為替相場の安定に努めるものとする」と明記している。つまり、財務相は為替市場に介入して為替相場の安定を図ることを法的に義務づけられているのだ。
たしかにこの法律には、「基準外国為替相場」などの決定と告示を財務相に義務づけている(第7条第1項)ように、変動相場制の今日にはそぐわない部分もある。 しかし、変動相場制は不断の不安定相場を意味するものではない。もともと自由変動制為替相場論者の主張によれば、為替相場を自由な変動に委ねれば、投機とその反対投機が相殺し合って、そこに安定相場(均衡相場)が成立するというものであった。ところが、現実にはファンドなどの大口投機者の市場支配力によって、市場での相場が一方的に偏ることがしばしば生ずる。 そうした不均衡を均衡化するために用意されているのが政府による市場介入である。 このような政府による為替市場介入については、今日のような巨大な為替取引が行われている市場では介入の影響力は大きくないとか、米国、EU などが自国通貨の為替安を容認している現状を考えると、日本単独の介入は国際的理解を得られないし、したがってその点でも介入の効果は限られるだろう、といった介入消極論が政府にも市場にもある。
だが、当局の介入は個々のファンドに比べると格段に大規模であり得るし、また市場の売り・買いのバランスは限界的な(追加的な)大きな買い主・売り主の登場によって敏感、微妙に左右されるものだ。 また、国際的な理解は、自らの介入の正当性を確信していればそれを説得するのが当然だし、そうした説得も政府の経済外交の重要な課題である。 ところで、菅首相は今年(10年)1月に財務大臣に就任した際、その就任記者会見(1月7日)で、円相場について実に大胆な(大胆すぎる)発言をしている。おそらく財務省事務当局のレクチャーを下敷きにした発言だったと思う。 その時の菅財務相の発言は次の通り。「経済界からはそれはやはり90円台、できれば半ばあたりが貿易の関係で適切ではないかという見方が多い。……現状は一時のいわゆる『ドバイショック』の頃に比べれば、円安の方向にかなり是正されていると思うので、もうすこし是正が進めばいいなと、円安に進めばいいなと思っている」と(産経、1月8日)。 財務相としては大胆な発言を敢えて(気楽に?)した菅氏は、首相という責任ある立場につくと、こんどはまったく逆に、円相場についてはなんの決定も下さない。首相として判断を下し、責任を負うのを避けたいのだろうか。
類似のことだが、民主党代表選の告示を前に、鳩山由起夫前首相の工作で「小沢降ろし」の計画が進んだ際、菅首相は「トロイカ体制」の再建につき鳩山氏と合意に達し、その旨を記者会見で公言した(8月30日夜)。それにもかかわらず、同首相は翌日午後「岡田外相、前原国交相、枝野幹事長らと会談した際、小沢氏との対決を回避する『話し合い解決』への批判を受け、小沢氏との対決姿勢に再びかじを切った」(産経、9月1日)。 要するに菅首相は、大事なことにはよく「揺れる」のである。消費税問題でもそうだった。 それにもかかわらず、菅首相は代表選に当たっての会見で、首相続投についての国民の支持が自らにあると信じてそれを誇示していた。具体的には、同首相は国民に対してとして、「総理大臣として両候補者のどちらが適任であるかを見極めて、その意見を民主党の党員・サポーターに伝えて欲しい」との発言を繰り返していた。
多分同首相は、最近の世論調査において、菅氏と小沢氏のどちらを民主党の新代表として支持するかという問いに対して、多くの新聞と通信社の調査では圧倒的に「菅首相を支持する」との答が多かったことを念頭に置いていたのであろう。 しかし、当「診断録」8月31日号で引用したように、支持の理由は「首相が短期間に代わるのは良くない」(読売調査)からとか、「小沢氏を支持できないから」(日経調査)といった消極的なものでしかなく、とても菅氏が自慢できるようなものではない。 それに対して、これらの世論調査で小沢氏を支持する回答の比率は低かったが、同氏を支持する理由としては、「指導力がある」が、読売、日経両調査で断然トップで、菅氏の場合と対照的だった。
たまたま今朝の新聞に、菅首相による小沢氏についての一種の人物評(実は当てこすりらしい)が伝えられていたのが面白かった。すなわち、同首相は1日夜に野田財務相グループの会合で次のように語った。「明治維新には西郷隆盛の力が必要だったが、西郷さんはああいう(西南戦争で敗れて自決する)末路をたどった。西南戦争があって、本格的な明治政府ができた」と(読売とその他、2日)。 この会合の出席者たちは、この言葉を、「小沢氏を西郷隆盛に、西南戦争を代表選に例え」て、「政権交代が実現した以上、もう小沢氏は不要だと指摘した」と受け止めた(同上)。 民主党の代表選が戦後政治史における西南戦争に相当するというのは勝手な比喩だが、菅氏が小沢氏を西郷隆盛に例えているのは面白い。菅氏にも小沢氏は「大物」に見えているらしいのだ。
ついでながら、菅氏は自らが誰に相当すると思っているのだろうか。小沢氏が西郷なら、西南戦争で彼を政敵として討った「官」の指導者、西郷の昔からの友人で同じ薩摩藩出身の大久保利通ということか?だが、大久保は菅直人氏とは似ても似つかない決断の人だった。 菅氏(山口県出身)は前々から自らを長洲の高杉晋作に擬しているから、菅氏は高杉のように維新前に死ぬということになってしまう。ということは、維新はこれからで、隆盛はこれから活躍することになるのでは? 他方、小沢一郎前幹事長は相変わらずその政治資金問題がアキレス腱だ。1日の記者会見では、小沢氏はその点につき、検察当局による1年間の強制捜査でも起訴理由は出てこなかった、したがって自分には問題はないと断定した。しかし、小沢氏の政治資金団体の収支報告に関し、同氏の秘書が逮捕、起訴されている。そのことをどう考えるのか、といった疑問点について小沢氏は説明することはしなかった。
それでは、小沢氏は説明責任を果たしたことにはならない。 また小沢氏は普天間問題については、鳩山内閣が決定した日米合意の案を沖縄県民も米国も納得するようなものに修正すると主張している。その点につき、菅首相が「この日米合意案は鳩山首相、小沢幹事長時代に決定されたもので、小沢氏もそれに責任を負っているのではないか」と批判したのに対し、「当時、政府と党は仕事を完全に分け、私は党務に専念していて政府決定には加わっていなかった」と答えた。
当時の「政・党分離」はその通りだろうが、しかし小沢幹事長は、例えば高速道路無料化修正の方針を政府が決めたときには、それを公約違反だとして猛烈に反発し、党としてストップをかけた。ということは、普天間問題では鳩山内閣の方針に異議を唱えなかった、暗黙裡に承認したことを意味する。 このような例を見ると、小沢氏は表面のこと、形式を盾にとって自己を正当化しようとする傾向が強いように思える。 以上のように、こんどの民主党代表選を候補者の人物論の観点から見てみると、よく揺れる小物と、責任逃れをしがちな大物との対決ということになりそうだ。事実上で一国の首相を決める選挙としてはさびしいことだが、それ以外に候補者がいない、出てこないのだから仕方がない。
こうした点から見ても、いずれの候補が勝とうとも、選挙後に政界の激動が来るという予想が出て来るのだ。 (この項 終り) |
エコノミストの時評
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コメント投稿の練習ですので失礼します。
2010/9/7(火) 午後 9:21 [ デンちゃん ]