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政府は8月30日に追加経済対策を決定した際、その一つとして「新経済成長戦略推進会議」の設置を決めた(各紙30日夕刊と31日)。
この会議は、自民党中心の政権下でもしばしば使われた類の、政労使学(政府閣僚・労働界代表・使用者団体代表・学識経験者)によるお定まりの政策議論の場で、そこでの戦略の審議は、首相の主導で国家戦略を決定するという民主党従来の方針からの大きな後退になる。 この新経済成長戦略推進会議は、菅直人首相を議長、仙石由人官房長官ら3閣僚を副議長とし、関係閣僚と日銀総裁、経済3団体代表と古賀連合会長それに伊藤元重東大教授ら学識経験者を加えた会議で、「6月にまとめた法人税率の引き下げなどの新成長戦略の前倒しなどを議論する」予定で、9月9日に初会合を開くという(日経、9月5日)。
民主党中心の政権は、09年9月に鳩山由起夫内閣の下で首相直属の「国家戦略局」(法制化までは国家戦略室)を設置し、経済・外交などの国家戦略を政治主導で決定することとしていた。ところが菅首相は今年7月にいたり、この国家戦略室を「政策決定の実権を持たない首相の『知恵袋』的な組織に縮小する方針」に変更、「民主党マニフェストに政治主導の予算編成や国家ビジョン策定を担う目玉組織として盛り込まれた国家戦略局構想は大きく変質することになった」(asahi.com、7月15日)。 そして今回は「新経済成長戦略推進会議」の設置である。これにより菅内閣は、首相主導による戦略決定から、「政策に経済界などの声を一段と反映させる現実路線にかじを切った恰好」(読売、8月31日)である。 そもそも国家の基本戦略は、最高指導者である首相(日本の場合)が決定すべきもの、というより、自らもともと持っているべきものだ。
戦後史を見ても、吉田茂首相の“安全保障の対米依存による軍事費の最小化と経済復興の優先”、鳩山一郎首相の“対ソ国交回復による日本の自立化の推進と自主憲法の制定”、田中角栄内首相の“日中国交回復による全方位外交、地域格差是正を図る日本列島改造計画”、小泉純一郎首相の“規制改革(緩和)による市場機能の活用”など、その成果や評価はとにかくとして、数々の国家戦略例が浮かぶ。 では菅首相は、労使学などのお知恵を拝借するとして、自らの腹案のようなものを持っているのだろうか。それが疑問だ。現在行われている民主党の代表選挙に際しての記者会見や立ち会い演説会での意見、演説を聞くと、菅首相は経済活性化の方策として「一に雇用、二に雇用、三に雇用…」と言っている。
だが、雇用は政策が達成すべき目標であってそのための方策ではない。ということは、菅首相には経済成長戦略とかその政策は実はなにもない(知らないの)であり、そこでその策定を上記の会議に丸投げしようということではないか。 そもそも、国家戦略室の機能を縮小して、首相の単なる「知恵袋」にするという考えも、その「知恵袋」に戦略を作って貰おうという発想だったのだろう。もともとの国家戦略局(戦略室)の考えは、首相主導で戦略を決定するというものだったから、菅首相にはそれができないので方針を転換したのだと思える。 ここで、念のため、そもそも戦略とはなにか、ということを見ておこう。「広辞苑」(第5版)では次のように説明している。「(strategy)戦術より広範な作戦計画。各種の戦闘を総合し、戦争を全局的に運用する方法。転じて、政治社会運動などで、主要な敵とそれに対応すべき味方との配置を定めることをいう」。要するに全般的な戦力配置と作戦の計画なのだ。
ついでに strategy とは、Longman 「Dictionary of Contemporary English」によると、「戦争において、軍の作戦行動(movement)と装備を事前に計画する手腕(skill)」、「目標とくに敵対者に対する成功を達成するための、よく計画された一連の行動」である。ここでいわれているのも、要するに戦力配置と作戦の計画である。 そして、個々の戦闘を勝利に導く方策が戦術(tactic)であり、そうした戦術を包含、総合したものが戦略だと言えるだろう。 例えば織田信長の戦略は、徳川と同盟し、東の今川、武田、上杉などの強敵を打ち破った上で、京に上って天下を統一するというものであり、先に京を目指して軍を起こした今川軍を奇襲で桶狭間において撃破するというのはそのための決定的戦術だったと言えるだろう。
大事な点は、大指導者は戦略も主要な戦術も自ら決定ないし立案し、決断したということである。 残念ながら、菅首相には経済成長についての戦略も、また戦術も無いように見えるのだ。だから菅首相は、自らの実績として厚生大臣の時代のことを好んで語るのだろう。 経済戦略は、ある面から見ると、財政政策、金融政策、為替政策、産業政策、福祉政策(社会政策)などを適切に組み合わせることから成り立つと言えるし、それぞれの政策は戦略に従属する戦術と見なすことができる。
そうした点で、いま現在極めて重要な政策(戦術)は為替政策(市場介入などによる円相場安定策)だろう。だが、菅内閣はこの点でもこれまで無策であった。なお、間接的に為替安定を目標とした政策であっても、金融政策や財政政策は為替政策ではない。 現在、日本の国際経済環境には、アジア・太平洋諸国およびラテンアメリカなどの新興諸国の高成長という好都合なものがある。中国については、その成長のスローダウンが景気の後退につながるのではないかとの危惧も一部で抱かれたが、これは文字通りの成長速度の鈍化に止まるようである。 問題は主として米国の景気回復のふらつき、それを主因とするドル安・円高である。その意味で、いま為替市場介入(注)を断行して過度の円高を阻止することは戦術上のキー・ポイントである。 (注)為替市場での介入による為替相場の安定化は、当「診断録」前号(9月2日号)で述べたように、財務大臣の任務であり、具体的には財務大臣の決定で、同大臣が管理する外国為替資金特別会計(外貨を保有・管理する政府特別会計)の勘定により、日本銀行を代理者として市場で為替売買を行う。
この点につき、世間には市場介入は日銀が決定して行うという誤解が広く存在する。例えば「週刊新潮」(9月9日号)には次のような記事が出ている。「民主党議員らで構成するデフレ脱却議連からは日銀に対する怨嗟の声が渦巻いており、直接介入を求める声まで出ているほど」だと。 最近円高が昂進する度に政府内から日銀に円高対策を要請する声が聞かれたが、上述のような民主党議員は別として、まさか閣僚クラスの人間までが上のような誤解をしているわけではないと信じたい。 なお、首相は財務相に必要な指示を出すことができるし、むしろそれが必要な場合がある。菅首相は民主代表選と首相としての公務が重なって大変のようにいつも述べているが、こうした政策の決断は移動中の車中においてでもできることだ。 それでは、菅首相から戦略の立案をおそらく丸投げされるこの新経済成長戦略推進会議は、期待にこたえて適切な戦略・戦術を立案するだろうか。おそらくできまい。そもそも一般に会議はそのメンバーのうちの誰かがリーダーシップを発揮しなければ、インパクトがある案など作れるものではない。出て来るのは、まったく無難な作文でしかないだろう。政府の審議会の多くでは、事務局が案を作り(官僚主導)、それを審議会でオーソライズする傾向が強い。
新経済成長戦略推進会議では、菅議長以外でも、仙石副議長とあと二人の副議長(荒井聡国家戦略相、直嶋正行経済産業相)が具体案を示して会議をリードするとは考えられない(そうした政策能力がない)し、白川方明日銀総裁がこういう場で(持ち場である日銀以外の場で)重要発言をするはずはない。 経済界代表(使用者団体代表)も、おそらく、法人税の早急な引き下げ、財政赤字削減の必要、そのための消費税の引き上げ、各種規制緩和といった、あらためて聞かなくてもいいようなことを主張するだけだと予想がついてしまう。 だいたい、なにも具体策を持たない指導者ほど、こうした会議を作りたがる。そうした会議、諮問委員会を作ってそこに諮問すれば、解決策が出て来るような気がして安心してしまうのだ。
菅首相が、いまの民主党代表選で代表として再選されるかどうかはわからないが、仮に再選されて首相として続投することになれば、官僚主導の、あるいは自民党ないし財界に歩み寄った、保守的な政策が出て来るだけのように思える。 (この項 終り) |
エコノミストの時評
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