文太郎の日記帳

景気、財政赤字、国際経済、政治・政局、世界情勢、日米関係など現代の諸問題を広い視野で解明します。

エコノミストの時評

[ リスト ]

中国とどう向き合うか

 尖閣諸島沖における中国漁船による公務執行妨害事件(9月8日)で、海上保安庁によって逮捕、送検された中国人船長を、那覇地検は24日に処分保留のまま釈放する決定をした。この問題をめぐっては、船長の即時無条件釈放を要求する中国政府が次々と対日報復措置を繰り出してきていただけに、この検察庁の決定は「中国の圧力に屈した」屈辱的決定としてわが国国民に受け取られている。
  この問題をめぐっては、那覇地検が示した釈放理由の中に「わが国国民への影響や今後の日中関係も考慮」という文言があったために、①この決定が行われた経緯(政府による検察への圧力の有無)についての疑問が各方面から提起された。それとともに、②こうした決定内容の当否、③事件の発生と拡大の過程での政府の対中国対応のあり方の評価、③中国政府の対日政策と基本姿勢についての批判、④長期的に見た日本の対中国外交のあり方の論議、などが国内外で湧き上がった。
 結論的には私は、今回の事件に対する菅直人内閣の対処の仕方には重大な誤りがあったし、それがわが国の国益をいちじるしく損じたことは明らかだが、最終的な決定(中国人船長の釈放)はやむを得なかったと判断する。同時に日本の対中国外交については、時に「隠忍自重」の心構えが必要だとあらためて認識した。
 
 今回の那覇地検の決定の背後に政治的圧力があったことは明らかだ。そのことは、地検が船長の釈放理由に「わが国国民への影響や今後の日中関係も考慮」というまったく異例の事情をあげている点に明示されている。問題はそうした圧力はどこから来たかである。
 一つの説はそれを最高検の圧力と報じた。すなわち毎日新聞(25日)によれば、24日午前に霞ヶ関で検事総長をはじめ那覇地検検事正ら計6人による「検察首脳会議」が開かれた。この席で検察首脳は、「フジタの事案など日本人がひどい目に遭い始めた。この状況は考慮せざるを得ない」との判断を示し、1時間に及ぶ協議の結果、船長の釈放が決まった。この決定に関して、検察首脳は「官邸サイドからの接触はなかったと断言した」という。
 他方、読売(25日)によれば、22日の訪米を控えた菅首相は「『超法規的措置』はとれないのか」といらだっていた。 
 こうした材料から判断すると、菅首相→仙谷由人首相臨時代理(首相外遊中)→法務省→最高検というルートで圧力がかかったと見るべきだろう。
 
 では、そもそもの事件発生(9月7日)以来の政府の対応はどうだったのか。政府首脳は「(中国が)あそこまで強硬にやるとは…。海上保安庁の船長逮捕の方針にゴーサインを出した時、甘く見ていたかも知れない」と、そもそも「初動」に判断ミスがあったと苦々しげに振り返った(読売、25日)。
 今回の事件を聞いた時、私がすぐに思いだしたのは「長崎国旗事件」(1958年)である。58年5月に長崎市にあるデパートで日中友好協会長崎支部主催の「中国切手・切り紙展」が開かれた際、右翼団体所属の青年が会場にあった中華人民共和国国旗(五星紅旗)を引きずり下ろし、毀損した。犯人はすぐに器物破損で警察に拘束された上、書類送検された。
 これに対し、北京の中華人民共和国政府(当時日本は台湾の中華民国政府とのみ国交を結んでいた)は日本政府と岸信介首相の対応を厳しく批判、日本との貿易を中止した(関連業界に大きな打撃)。一民間人の上記のような行動さえ政府の責任だとし、いきなりいわば対日経済断交を敢えてする中国のやり方に、当時の日本国民は怒るとともにあきれたものだ。 
 
 類似の事件はその後にも何回となく起きている。2001年4月に日本政府(森喜朗内閣)が李登輝・前台湾総統(日本はすでに北京政府とのみ国交)の訪日(病気療養のための)を許可したのに対し、中国政府は次官級以上の訪日を停止、さらに李鵬・全人代常務委員長の訪日を取りやめた。
 このような過去の経験を頭に入れておれば、中国の威信や面子(メンツ)を損なう(と中国が考える)ようなことがあった場合に、中国政府がどのような対抗措置をとるかは予測できたはずである。まして、今回の事件の舞台となった尖閣列島は、中国が領有権を主張している(根拠はないが)地域である。そこで起きた事件について、日本側が「国内法に基づいて粛々と対処する」といえば、それ自体が中国を強く刺激することになる。
 菅内閣はそうした予測をできなかった。そして、中国船長の逮捕を強く主張したのは、かねて対中国タカ派として知られ、当時海上保安庁を所管していた前原誠司国交相(現外相)及び岡田克也外相(現民主党幹事長)で、前原国交相はわざわざ石垣島を急訪、船長逮捕に向け石垣海上保安部の職員を激励している(日経、26日)。 
 
 船長の逮捕後、13日には 日本は漁船と一般乗組員を中国に帰したが、日中関係筋は「なぜ船長も同時に釈放しなかったのか」と疑問を投げかけ、「2004年に尖閣列島に上陸した中国人7人を、当時の小泉純一郎政権が直ちに強制送還にした政治判断との違いを指摘した」(産経、25日)。
 ある民主党幹部は、「菅も仙谷も、外交なんて全くの門外漢だ。恫喝され、慌てふためいて釈放しただけ。中国は、日本は脅せば譲る、とまた自信を持って無理難題をいう。他のアジア諸国もガッカリする」と「うめいた」そうだ(読売、25日)。
 たしかに中国は、自ら領有を主張する尖閣列島の問題について日本に強硬態度を示すことで、併せて、ASEAN諸国との間で領有を争っている西沙群島や南沙群島(南シナ海)に関しての自らの強い姿勢を認識させようとしているのだろう。
 
 しかし、とにかく中国の対日報復は、在中国の日本人(フジタ社員)4人の逮捕や、レアアースの対日輸出停止などに及び、そのまま進めば、より広い範囲での経済的報復その他の報復へ及ぶ危険が生じた。 
 そのような状況では、逮捕した中国人船長の釈放もやむを得ない。ある検察幹部の話では、釈放に至る「最大の要因は日本人4人の拘束。死刑の選択肢もあり、それは避けなければならなかった」(読売、25日)。
 また、いうまでもなく、中国は現在日本の最大の輸出相手国であり、総輸出に占める対中国輸出の比率は2010年上半期で18.9%、同年7月は19.3%に達している(財務省、貿易統計)。もし、中国が対日輸入を制限あるいは日本商品のボイコット運動を推進すれば、輸出依存度が高い日本の現在の景気回復に大打撃となることは避けられない。
 そのようなリスクを考えれば、やむを得ない場合には、屈辱というべき譲歩も「忍」で耐えるしかないだろう。ただし、今回の船長の釈放によってそうした対日報復が終わる保証はないが。 
 
 それでは、このような中国の過度に強硬な対日姿勢(長崎国旗事件以来の)は何にもとづくのだろうか。もともと中国には、漢、随、唐の時代から周辺諸国を属国と見る傾向(中華思想)があったが、それでも昔の王朝にはもっと大らかさがあったのではないか。
 中国が現在のような威圧的な態度を外国、とくに日本に対して示すのは、第一に中国が厳しい共産党独裁の国家であり、党のトップが下部にすべてを命令するという体質が党と政府に備わっているからだと思う。
 第二に、中ソ(中国と旧ソ連)の対立が1960年代に表面化し、中ソ両国の共産党が世界各国共産党に対する指導権を争った頃から、中国共産党には世界の共産党を、ひいては世界そのものを指導するという気風が表れた。当時、中国はソ連のことを大国主義、覇権主義と呼んで非難していたが、次第に中国自身がそうした大国主義、覇権主義に染まっていったように思う。
 そうした傾向は、中国が経済的な大発展を遂げ、最近では日本を抜いて世界第2位の経済大国となったことで拍車がかかったのではないか。
 第三に、中国は依然として日本を第2次大戦の敗戦国(戦勝国の命令に服すべき)と見なし、対等な国家であるとは見ていないためだろう。
 
 もっとも、この第三の点に関しては、戦勝国に対する日本の地位回復の努力を怠った、戦後の日本自身のあり方にも責任があると考える。
 中国の常識(この点は世界の常識でもある)から見ると、独立自衛の力と決意を持たない国は一人前の国家ではない。日本は戦後次第に自衛力をつけてきたが、現在も米国による支援なしには自衛できない体制(日米安保体制への依存)になっている。同じ敗戦国のドイツは、NATO(北大西洋条約機構)の一員であるが、それは共同防衛組織の加盟国としてであり、他の加盟国、例えばフランスや米国(対独戦勝国)と対等である。
 今日の核兵器時代において、一国だけで自国の安全保障ができるかという問題点はあるが、現代においても非核の自衛国家は多数存在する。その典型のスイスは非核・重武装の中立国(2002年にようやく国連に加盟した)である。
 大国間の核均衡が、むしろ非核国の独立自衛を可能にしているとも言える。
 
 日本は尖閣諸島は日本固有の領土であると主張している。しかし、仮に中国が同諸島に兵力を派遣した場合にはどうするのか。自衛する国家ならばそれを排除することが必要だし、結果として戦争になる可能性がある。日本政府と日本国民にはそこまでの決意ができていないと思う。
 したがって中国は、この問題をめぐって日本に強硬態度で臨んでも、日本には対抗手段がないと見ているはずだ。
 クリントン米国国務長官は23日の日米外相会談で、前原外相に対し、「尖閣諸島は日米安保条約の適用範囲である」と確認した。しかし、日本が自衛権を発動しなければ、少なくともその決意を示さなければ、米国も動くことはできない。
 その米国自身も今回の中国の出方に対しては穏便な態度であり、上記会談では日本に対し漁船衝突事件の早期解決をも要請した。ここから、日本の中国船長釈放も米国の要請を受けてではないかとの憶測も出た(各紙、25日)。
 
 それにしても、中国共産党と同政府の体質と政策はほぼ1960年代を転機に大きく変化したと痛感する。革命を経て中華人民共和国が成立した(1949年)頃の新中国は、外に平和五原則(1954年にインドとの間で合意、55年からは中国外交の基本原則)を掲げるなど、まことに魅力ある国家だった。日本に対しても、戦争に責任ある指導者と日本の一般人民を明確に区別し、最近時に見せるような、一般日本国民を「好戦国民」視するようなことは決してなかった。
 ところが、前記の中ソ論争と対立、62年の中印武力衝突、79年における中国のベトナム(かつての中国の友好国家)への侵攻などを経て、次第にナショナリズムと覇権主義の傾向を示すようになった。
 いまでは、中国における支配イデオロギーは、建前上の社会主義や共産主義ではなくナショナリズムであり、中国の新しい世代はこのイデオロギーで教育され、そのように育っている。そして、外国の対中態度に気に入らないことがあれば、容易に排外主義的運動が起きるようになった。
 おそらく、市場経済の全面導入により、社会主義思想で国民を統合することが困難になって、代りにナショナリズムで国民の統合を図っているのであろう。
 
 しかし、市場経済の普及は、必然的に国民の側から政治上の自由と民主主義への要求を高める。ナショナリズム的運動はいつか反政府闘争に転化する可能性がある。その意味で、今日の中国の一党独裁の政治体制は根本的な矛盾をはらんでいる。
 また、中国内でのチベット族やウイグル族の独立要求を根絶することも不可能であり、この点では「史上最後の帝国」というべき中国は永続的な困難を抱えている。 
 したがって、私たちは来るべき不可避的な中国の体制変化を展望しつつ、場合によっては、今は無念の妥協も受け入れる覚悟も必要だと思う。 (この項 終り)

閉じる コメント(1)

顔アイコン

久しぶりです。今なお明晰な分析ですね。
中国は古代以来の中華のDNAを持ち続け一層強くなってきているようで、アジアに大国は一つという考えから日本に代わってアジアを代表する意図を強めているように思えます。

2010/9/27(月) 午後 8:46 [ wada ]


よしもとブログランキング

もっと見る

プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事