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いささか唐突に、東京第5検察審査会が10月4日に小沢一郎氏を「起訴すべき」と発表(議決は9月14日)したので、前号(10月3日号)で予告したように10日間ばかり休む予定だった当「診断録」子も急遽登板することとした。
小沢氏がいまや苦境に立ったことは明らかだが、小沢氏と民主党小沢派がどうなるか、それを受けて政局がどう動くかなどは、すべて小沢氏本人がどう行動するかにかかっている。ここで小沢氏が挫ければ、長年の“小沢政局”も幕となるが、逆に徹底抗戦に出れば、今後には政界再編成を含めたいろいろなケースが起こり得るだろう。 この後者のケースを考えるに当たっては、かつての田中角栄元首相の逮捕・起訴のその後や、イタリーのベルルスコーニ首相の起訴と裁判のケースが参考になる。 本稿では、上記の他に付論として、尖閣諸島の攻防を想定した日米合同軍事演習についての驚くべき一部の報道を紹介しておく。 検察審査会の今回の議決発表については、まず、なぜ審査会は9月14日(民主党代表選の当日)に議決をしたのかということと、そう議決しながらなぜ10月5日まで発表を延ばしたのかという疑問が湧く。その点については、先日の那覇地検による中国漁船船長の釈放決定のときと同様な政治介入の疑問が起きる。
検察審査会は民間人審査員で構成されているから、政治がそれに介入することは不可能という見方もあるが、審査会には審査補助員として弁護士がつく(このケースは吉田繁実弁護士)から、論理的には介入のルートは皆無とは言えない。 もうひとつは、この審査会議決が、当初に市民団体によって審査会に告発された際の内容にはなかった、「陸山会が小沢氏から借りた4億円を2004年の収支報告書に記載しなかったこと」を「起訴すべき」理由として追加していることだ。検察審査会による強制起訴は2回の議決が前提で、法曹関係者には「1度しか議決していない4億円の借入金不記載を起訴すれば、弁護側が公判で起訴の効力を争う可能性がある」との見方があるという(日経、5日夕刊、毎日jp、5日など)。いったい、誰がそのような智恵(悪智恵、しかも無効な)を審査員につけたのか。
このように問題が多い今回の検察審査会の議決だから、議決を受けて「裁判で無実を明らかにする」との談話を発表した小沢氏は一層強気になることだろう。
その半面、小沢氏にとっては、検察審査会の議決は先の民主党代表選で全力を出し切って敗れた後のことだから、今の立場は従来にない厳しい逆境であるはずだ。 また小沢氏が代表を争った菅直人氏による改造内閣は、早々に尖閣諸島での中国漁船衝突事件という難題に直面し、迷走したけれども、中国がその極端に覇権主義的な対日攻勢の故に国際世論の中で孤立したことにも助けられて、なんとかこの難関を乗り切る方向が見えてきた(ブリュッセルのASEMでの4日夜の日中首脳会談の実現を含め)。また、菅内閣は衆参両院の「ねじれ」に直面して国会乗りきりを困難視されていたが、最近では公明党が与党との協議に応ずる姿勢を示し始めており、その点でも先行きにわずかながら明かりが見えだした。 つまり、そういう点では党内野党としての小沢派が菅政権につけいる余地が従来よりは狭まっている。この意味でも小沢氏と小沢派は苦しい立場におかれているといえるだろう。 さしあたっては、野党による小沢氏の国会政治倫理審査委員会への招致要求に小沢氏と政府・与党がどのように対応するかが焦点だが、政府・与党としては小沢氏自身の判断に委ねるしか方法はないだろう。ヘタに小沢氏に離党勧告などをしたら、それを口実に小沢派が党を割る可能性がある(その際何人の議員が小沢氏と行動をともにするかは未知数だが)。
4日にはやばやと小沢氏に離党を要求し、それに応じない場合の除名を求めた牧野聖修国対委員長代理が、民主党内の反発で5日に同委員長代理の辞任に追い込まれたのもそうした状況を反映している。 問題は小沢氏の態度だが、本当に自らの無罪を信じ、かつ今後も政界での影響力を維持する決意なら、この招致に応じ、当面の修羅場を乗り切ろうとするはずだ。 さて、小沢氏自身はどう行動するかだが、私は同氏は徹底抗戦の道を選ぶと予想する。その場合に待ち受けているのは、法的には刑事被告人となり、長期の裁判に耐えなければならないという試練である。また政治的には、小沢氏には菅首相などに比べて、積極財政や対米自立への志向が強いことから、従来からの「政治とカネ」の問題と併せ、健全財政主義かつ向米一辺倒(こうべいいっぺんとう)的な保守勢力、マスコミそれにおそらくは米国自身からの(陰に陽にの)強い攻撃にさらされるだろう。
もし、そのような試練・攻撃をしのぐなら、たしかに小沢氏には長期戦が可能だし、そしてトップの姿勢が不動ならば、その一党はトップにしたがっていくだろう。つまり、小沢派はなお民主党内、さらには政界全体の中で一大勢力としての地位を保つだろう。 類似のケースを、私たちはロッキード事件で逮捕された田中角栄元首相について見てきた。
田中元首相(1974年に首相辞職、76年7月に逮捕、8月に保釈)は、逮捕とともに自民党を離党したが、以後も刑事被告人ながら無所属で毎回の選挙において新潟3区でトップ当選を重ね、衆院議員として現役であり続けた。のみならず、その間、三木武夫内閣及び福田赳夫内閣(両首相は反田中派)の後の大平正芳内閣、鈴木善幸内閣、中曽根康弘内閣においてキング・メーカーとして大きな政治的影響力を持ち続けた。 裁判では、田中氏は83年10月に懲役4年、追徴金5億円の実刑判決を受けたが即日控訴。さらに87年7月には控訴審で控訴棄却の判決を受けたが、やはり即日上告。そうしている間に85年2月に脳梗塞で倒れ、90年1月に政界を引退、93年12月に死去した(75歳)。
しかし、政治面では85年2月、自ら病に倒れる直前に田中派が分裂し、竹下登氏が創政会(のち経世会)を立ち上げている。つまり田中派の人たちが、トップである田中氏が「裏の実力者」の立場を脱し得ないことに我慢できなくなって、政治的に田中時代が終わったわけだ。逆にいうと、逮捕後10年近くも政界実力者としての地位を維持したということだ。 イタリーのシルヴィオ・ベルルスコーニ首相(現在、3回目の首相職)の場合はもっと凄い。
同首相はもともと大メディア企業の会長で、1994年1月に右派政党「フォルツア・イタリア」を創設し、同3月の総選挙で右派連合のリーダーとして勝利して5月に首相に就任した。しかし、間もなく、政界入り前の贈賄容疑が持ち上がって地検に出頭する羽目となり、支持率が下がる中で連立政権が崩壊して95年5月に退任した。 その後98年7月に有罪判決を受けたが、直ちに控訴。国会議員であったために収監は免れたものの、政治的影響力は低下した。ところが、2001年には中道右派を率いて総選挙に勝利し、同年6月に刑事被告人のまま再び首相に就任した。そして在任中に、時効を短縮し、それを訴求できる法律を制定、それを適用して2004年12月に裁判で無罪を勝ち取った。 2006年の総選挙で同首相は再度下野したが、08年4月には三度首相に就任して現在に至っている。なお、2001年からの2回目の首相在任中の04年5月に、第2次大戦後のイタリー首相としての継続在任期間の最長を記録している。 おそらく、小沢氏はこうした内外の先例を承知しているに違いない。したがって同氏は、多少年月がかかっても第1審で無罪を勝ち取って、再び首相候補たり得る十分な条件を回復しようと考えているのではないか。そして、そのような展望があるうちは、小沢派は結束を保ち、政界における発言力を維持するだろうし、また小沢派主導の政界再編成がいつ日程に上っても不思議ではない。
しかし、菅内閣が予想外に長期化したり、まして自民党が復活したりすれば、こうした目論見は崩れることになろう。 ここで最後に、本稿の付論として、「尖閣奪還作戦」についての日米軍事演習のニュース(YAHOO ! ニュース:産経新聞3日朝ネット配信、ただし4日の産経紙面には掲載されず)を紹介しておく。
それによると、11月のオバマ米大統領の来日直後から、米海軍と海上自衛隊を中心に、空母ジョ−ジ・ワシントンも参加しての大規模な統合演習が実施されるという。 すなわち、第1段階では尖閣諸島が中国軍により不法占拠された場合を想定。日米両軍で制空権、制海権を瞬時に確保後、尖閣諸島を包囲して中国軍上陸部隊の補給路を断つ。第2段階は圧倒的な航空戦力と海上戦力を背景に、陸上自衛隊の空挺部隊が尖閣諸島に降下し、投降しない中国軍を殲滅する。 演習は大分・日出生台(ひじゅうだい)演習場を尖閣諸島に見立てて実施するが、豊後水道が手狭なため、対潜水艦、洋上作戦は東シナ海で行う。演習に備え、米海軍はすでにオハイオ級原子力潜水艦ミシガンを横須賀基地に派遣、最新鋭のバージニア級攻撃型原潜とともに参加する。 以上の記事はワシントン発佐々木類の署名であるから、米軍情報によるものだと推定される。事実だとすると、尖閣問題は米国を巻き込んで想像以上の展開をしつつあるというべきだ。 (この項 終り)
(再掲:お断り) 当「診断録」は、このあと、急ぎの必要が起きた場合を別として、10日間ないし2週間休みとします(執筆者が学会誌への寄稿論文の締め切りを前にしているため)。ご了承ください。
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